五の斬/9:365

「お粗末様でした」


 舞のような鮮やかな剣閃を繰り出したユキは双剣を納刀するとそっと呟いた。まるでこれが何かの出し物だったと言わんばかりに、赤の斑を体に作った白い少女はまるで別人のような艶美な表情で呟いた。

 そっと目を閉じ、一つ息を吐いた彼女はエルリックから見れば、とても美しく。そして、より恐ろしく思えた。

 無駄がなかった。エルリックを放りなげてから、魔物を討伐するまでの十数秒の間の行動は、まるで人間ではなく機械が動いたかのように一切の無駄がなく、ただ相手を殺す。対象を踊るように斬り殺す事に特化していた。特化し、無駄を完全に削いでいた。

 得物を斬り落とし僅かにある敗北の可能性の一切を両断し、腕を切断して新たな得物を抜く行為を拒否し、逃げる前に最短で殺す。それを扱いの難しい双剣で難なく彼女はやってみせたのだ。

 二刀流とも呼ばれるそれは、一刀のみを手にし戦う事よりも遥かに難しい。手数こそ多い物の、その力は一本の剣を両手で握った時の凡そ半分。そして利き手でない手は相当な訓練を積まない限り剣筋はブレて逆に隙を晒す事になる。かと言って片手を受け流すために使ってしまってはそれは最早盾で良くなってしまう。

 ロマンとも言えるその戦法は好かれこそすれど使われる事はない。それを、彼女は難なく使ってみせた。

 まるで、龍殺しの英雄のように彼女はその両手の剣を巧みに操った。エルリックも腕っ節にはそこそこの自身があるが、彼女はそんなエルリックの遥か上。文字通りの格上なのだと、戦う者としての魂が告げていた。


「……あ、だ、大丈夫?」


 しかし、そんな様子は何処へやら。先程までの凛として妖艶な白の少女は、目を開くと同時に先程までの様子とは打って変わり、エルリックが戦闘前まで見ていた、ちょっと抜けていて緩い雰囲気の、まるで戦いとは無縁の少女に変わっていた。

 ワタワタしながらエルリックに近寄るユキは、可愛らしかった。先程までのユキは別人なのではないかと思うくらいには。

 多少呆然としていたエルリックだが、ユキが近寄ってくる間に大丈夫だ、と一言告げて立ち上がった。擦り傷と打ち身は多少あるものの、この程度の痛みならもう慣れている。特に辛い表情も見せないエルリックを見てユキも安心したのか頬を緩ませた。


「よかった……ごめんね、急に投げちゃって」

「いや、逆に助かった。あのままだったら大怪我していたからな」


 下手すればバイクの下敷きに。そうじゃなくても思いっきり地面に体のどこかが打ち付けられていた。が、ユキがエルリックを放りなげてくれた事でエルリックは多少の受け身を取りながら、バイクで付けた勢いを地面を転がって殺す事ができた。そう考えればユキは謝るような事は何一つとしてやっていないのだ。

 何一つとしてやっていない、のだが。エルリックはバイクを起こしながらユキへと言葉を投げる。


「なぁ、ユキ。お前、さっきのは……」

「さっきの? あぁ、ちょっとカッコよく戦ってみたんだけど、どうだったかな?」


 ちょっとカッコよく。

 その言葉の意味がよく分からなかったのが表情に出た。

 どういう意味だ。いや、文字通りなのだろう。彼女の言葉に含みはなく、そのまま自分が行ったことを包み隠さず口にしたのだろう。だが、それの意味が分からなかった。

 アレは、本気じゃなかったのか。本気の全力でやった結果がアレなのではなく、ちょっとカッコよくと思い軽い気持ちでやった舞が、アレだったのか。エルリックが。いや、同業者の半分以上を彼女は各上なのだと認識させるのに事足りてしまうあの舞が、そんな軽い気持ちでやった物だったのか。


「だ、駄目だった?」

「あ、あぁ、いや。駄目じゃ、ない。けど、どこであんな剣技を……?」


 エルリックは動揺を隠すつもりでそんな事を聞いた。彼女はその言葉を聞いていや、分からないよと言ったが、すぐに神妙な顔つきをした。そういえば、彼女は自分のことが元男だったこと程度しか分からないのだったと思い謝ろうとしたが、彼女はその前に口をもう一度開いた。


「なんだか……ずっと前からあんな事をやってた気がする、かな」

「ずっと前から?」

「よく分からないけど……何だろう。体が勝手に動くっていうか、ここはこうしたらいいとか、それが全部一瞬で分かって、体が勝手に動いて……」


 ユキは自分の頭を押さえながらうわ言のように言葉を紡いでいく。

 という事は、あの戦い方は無意識だった? いや、そんな訳がない。彼女はちょっとカッコよく戦おうと意識して戦ったのだ。故に、あれは無意識の剣ではない。

 では何故。いや、どういう事か。

 まさか本能レベルで剣の振り方が染み付いているなんて事はないだろう。そのレベルまで戦っていたのなら、彼女の名前。いや、容姿の情報だけでも何処かで聞いていたはずだ。そういった、修羅とも呼べる人間達の情報はエルリックも聞いた覚えはあるからだ。


「なんで……オレ、剣なんて握ったことない筈なのに……」


 そこまで考えて、一旦思考が途切れた所でユキの声が耳に入ってきた。

 自分の事が分からない。その恐怖はエルリックには分からないが、少なくとも今の彼女は自分で自分がわからないという今の状況に恐怖している。青くなりかけている顔色と、焦点の合っていない目を見ればそれは一目瞭然だった。

 駄目だ、これ以上考えさせると彼女の心に重荷がかかる。そう判断したエルリックはちょっと躊躇したが彼女の両肩を叩いた。


「わっ!?」


 それにビックリして声を上げるユキ。あぁもう可愛いなぁ、なんて思いながらもエルリックはバイクを指さした。


「分からねぇなら分からねぇでいいからさ、行こうぜ? じゃないと野宿だぞ?」

「野宿、は嫌かなぁ。寝袋とかあるの?」


 ちょっと言葉は詰まったが、それでも彼女の暗い方への思考回路を何とか元に戻せたようだった。それにホッとしながらもエルリックは彼女を何とかしてこのまま制御しきるために普段は言わないような冗談を口にすることにした。


「んな洒落た物ない。ついでに飯もない。あと火も起こせない。真っ暗闇の中でドキドキサバイバル野宿ゲーム、命がポロリもあるよの開催になる」


 嘘だ。ランタンはちゃんとある。逆に言えばランタンしかない。


「ちょっと準備不足過ぎない!?」

「いや、だって今日はこの時間には街に着いてる予定だったしな。ちなみに着火剤が無いだけで頑張れば火は起こせるぞ」

「どっちにしろ嫌だよそんなサバイバル!!」


 だろうな、俺も嫌だ。と他人事のように答えるエルリック。もー! と怒るユキ。

 だが、その怒りもエルリックによる、これ以上油を売っていたら野宿だぞ、の一言で静まり、彼女はエルリックがバイクにまたがってすぐに彼の背中にしがみついた。

 どうやら彼女の思考を上手い具合に逸らせる事が出来たようだ。それにホッとしながらエルリックはバイクのハンドルを捻り、そのまま一気に加速して道を走り始めた。あれだけ派手に事故をしたがバイクに何ら問題はなく、強いて言うならゴブリンをミンチにしたので車体が血肉色に染まってしまっている事が問題だろうか。これは街に着いたら洗わないとな、なんて思いながらエルリックはちゃんと運転をする。

 そう言えば事故る寸前まで何を考えていたんだっけ、なんて思いながらもエルリックはしっかりとハンドルを操作していく。が、そんなバイクのご機嫌なエンジン音とは裏腹に、後ろにしがみ付いているユキは落ち込んでいるようだった。何故わかるかと言われたら、彼女が自分にしがみつく力が増しているからだ。最早痛いくらいには。


「……やっぱり気になるよな。自分で自分がわからないなんてさ」


 言葉は帰ってこなかった。

 無視、ではないだろう。ただ、その言葉に同意したいが、同意してしまったら彼に要らない心配をかけてしまう。そう思って、結局何も言葉を返せていないのだろう。だが、それは予想の範囲内だった。

 もしかしたら彼女の傷を抉ってしまうかもしれないが、ちょっとした自分語りをしよう。言葉を口にする前にそう決めていたエルリックは彼女の返事を待つ時間すら取らず二の句を口にした。


「まぁ、でも分からなくていいんじゃねぇか?」

「へ?」


 エルリックの言葉は、今の彼女の悩みを否定するのと同じようなものだった。

 分からなくてもいい。分からないまま生きていてもいい。確かにそれはそうだ。その人の過去なんてその人への価値しかないのだから。


「自分が何か分からないのは怖いと思うけどさ。でもお前はお前だ。少なくとも今はそれでいいんじゃねぇのか?」


 少なくとも、ユキはユキ。それ以外の存在ではないと。エルリックは言う。

 その言葉を聞いてユキは少し呆然としたのち、小さく震え始めた。まさか泣いてしまったか? 言葉の選択を間違えたか? とエルリックは冷や汗を掻き始めたが。事実は違った。


「ふ、くく。エルリック、説得下手すぎ。っていうかそれじゃあ解決になってないし」


 どうやら震えていたのは小さく笑っていたかららしく、彼女の声色には小さく笑いも含まれていた。

 確かにそりゃそうだけど、とエルリックはバツの悪そうな顔をするが、まだ十七年しか生きていないエルリックではどうにも言葉のボキャブラリーが足りなかった。もう少し年の功を重ねればもう少し小洒落たセリフだろうと、彼女の心をどうにか出来る言葉だろうと思いついたかもしれないが、まだ若いエルリックではそれは成せないようだった。

 だが。


「でも、ありがと。ちょっとは気が楽になったよ」


 帰ってきた言葉は明るかった。

 その声色に少し困惑しながら無視するのも忍びないので返事を返す。


「そ、そうか?」

「記憶喪失になって変なところに来たって思うことにするよ。それに、厄介な事思い出しちゃうよりは気楽に生きていた方が絶対にいいからね」

「そりゃそうだ。十の面倒よりも一の平穏だ」


 エルリックの勘ではあるのだが、ユキは確実に何かしら面倒なものを胸中に抱えている。それを思い出せてはいないが、確実に彼女は何かに巻き込まれてあそこに居た。そして自分は元々男だったなんてほざいている。いや、事実なのかもしれないが、そうだとしても面倒ごとには変わらない。

 だが、確実に言えるのはこの時代に彼女のことを知っている人間はいない。だったら、その面倒ごとを思い出すよりも忘れてしまっているほうが確実に気楽だ。

 どうにも放っておけない彼女が暗い顔をしているよりは、まだ気楽にほにゃっと明るく笑ってくれていたほうがマシだ。もう二度と気にするなとは言わないが、余り気に病まないほうがいい。少なくともエルリックはそう思っている。


「……ほんと、ありがと」

「ん? なんか言ったか?」

「なーんにも。ほら、早くしないと日が暮れちゃう」

「分かってるっての」


 バイクは更にスピードを乗せて走る。

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