三の斬/9:365

 歩き、そのまま部屋を出たエルリックの後を追って廊下へと躍り出たユキは、廊下の惨状を見て息を呑んだ。

 寂れている、なんて言葉では生ぬるい。風化しつくしている。そんな建物を見て、こんな何十年も誰も触れていないような場所で自分は寝ていたのかと思うと、ちょっとゾッとする。何十年の間にもしもあのポッドが機能を停止していたら、もしかしたらユキはあのポッドの中で物言わぬ死体と成り果てていたかもしれない。

 そんな未来図を想像して背筋を凍らせる。もしもエルリックがここに来てくれなかったらと考えると、彼は命の恩人とも思えた。だが、よくよく考えれば自分はこの体に憑依するように転生しているので、もしもポッドの機能が停止していたら、転生先は他だったかもしれないと思うと、少し残念だ。せめて男だったらもっとマシだったのに。なんて、会うことも喋ることも一生ないであろうこの体の元の持ち主に内心で理不尽な愚痴を吐きながら前を歩くエルリックの後ろを歩く。

 雑草や蔦が床を割って生えているのは十分驚愕に値する光景だったが、暫く歩いていればここはこういう建物なのだと理解できる。何十年も寝ていた筈なのに自由に動く体を少しだけ無駄に動かしながらエルリックが何処かの部屋に入るのを待つ。

 暫く歩くと、まだ未探索なのであろう廊下と、ドアを幾つか見つけた。これまた草木がドアを見事に塞いでおり、ドアを開けるのにも手間がかかりそうだった。


「どこもこれかよ……退いてろ、危ないぞ」


 愚痴を零してからエルリックは腰の剣を抜くと、それを振りぬいた。

 剣で切られた草木を剣と手で引きちぎったエルリックは、少し乱暴にその扉を開いた。


「ん? どうした、なんかあったか?」


 だが、扉を開いてすぐにユキが固まっているのに気が付いた。何かあったのか。それとも間違えて体の何処かを斬ってしまったか。ちょっと焦りながらもエルリックは呆然とするユキに問いかけた。

 問いを聞いたユキは数秒間フリーズしていたが、その硬直が解けてからそっとエルリックの腰に吊られている剣を指さした。


「それ……本物?」

「本物って……そりゃそうだろ。こんな所に玩具の剣持ってくる奴なんていないだろ?」


 ここは魔物、魔獣が出現する森のど真ん中、ではないがど真ん中に比較的近い場所にある建物だ。そんな場所に丸腰で向かうなんて、素手を武器にしているような者でない限りただの自殺行為だ。だから、剣を持っているのは何ら可笑しいことではない。

 寧ろ、こんな場所で剣を持っていない事が不安にならないのかとすら、エルリックはユキに対して思っている。そんな事を知らないユキはちょっとだけエルリックから距離を取りながら口を開く。


「は、犯罪じゃないの?」

「犯罪? まぁ、そりゃギルド員じゃなきゃ街で抜刀したら犯罪だけど、それ以外なら帯刀も抜刀も普通だろ?」


 何を当たり前な事を、と彼は言うが、ユキはちょっとそうとは思えなかった。

 それが転生前の知識、常識から来ているのだろう、というのは本人でも分かっているが、その知識と常識が彼が持っている剣を余計に凶器に見せる。

 だが、エルリックが言う事が本当なら可笑しいのは自分だ。剣を持つのは普通なんだと自分に言い聞かせると、スッとその言葉は胸の内に入り込み、そして溶けた。剣は怖いが、それでも、転生した結果そういう世界に生まれたんだ。だからエルリックは何も悪いことをしていないんだと思い込み、ようやく少し取ってしまった距離を詰めれた。


「そ、そうなんだ。ごめんね、変な事聞いて」

「構わねぇけど……お前、本当に何者なんだ? こんな所で眠っていたり、剣を持ってるのが犯罪だとか言ったり……あぁ、あと男だった、とも言っていたな。正直よくわからん」

「そ、それは……オレも分からない。けど、元は男だったっていうのは確かなんだよ」

「いや、疑ってはないんだけどな……きっと理由を聞いても分かんねぇし。ただ、お前、男って言う割には口調が女っぽいなと思ってな」

「え?」


 そうかな? と聞くユキ。普通に女っぽい口調だぞと答えるエルリック。

 ユキ本人にはそういう感じは全くないのだが、一人称が『オレ』なのに口調はここまで女なのがエルリックは結構な違和感を持った。ついでに、服も。

 彼女は男だったと言ってはいるが、にしては女物の服を身に着けるのに抵抗がなかった。エルリックも、もし自分が女になったらと彼女の着替えを取ってきたときに思考したが、その結果は男物の服を着ていたいという物だった。

 なんというか、彼女は自分が男だったと言う割には女っぽさが少し多すぎる。そんな気がした。


「もう一人称も変えちまえよ。そっちのが違和感ねぇしな」

「とは言っても……」


 ユキは自分が元男だった。そして、今も肉体は女だが、中身は男であると。そう思っている。だからこそ、一人称を変えるのは少し気が憚られた。ユキ自身、口調も男時代の物でやっている気なのだが、どうやら他人からすれば女口調にしか思えないらしい。

 かと言って変えるのもユキ自身への違和感があるため簡単にはできない。ユキは困ったように頬を掻くと、そのまま苦笑して部屋の中を漁っているエルリックに声をかけた。


「違和感あると思うけど、このままでいいかな? アイデンティティというか何というか……そういう物もあるから」

「ん。まぁ俺がとやかく言える事じゃないしな。自分で何か思うところがあったら変えればいいさ」

「……じゃあさっきの言葉は?」

「提案だ。命令じゃない。紛らわしくてすまんな」

「いや、いいけども……」


 言いながら、ユキは部屋を漁るエルリックから視線を外して自分の体を見た。

 男から女に変わってしまった肉体。それが何かしら行動に支障を及ぼすのではと、服を着替えた辺りで思っていたのだが、どうやら現実はそうでもないらしい。身長も体重も変わってしまった肉体でもまるで今まで通りに動かすことが出来る。多少、体が動きにくかったりしている部分はあるものの、激しい運動をしなければ大差はない程度だ。

 だが、それ以上に気になるものが一つ。腕時計のような何かだ。

 目が覚めてから今まで。その数値は変動することなく同じ数値を映している。外そうと思ってもガッチリと腕にハマっており、今取ろうとしてもまるで固定されたかのように取れない。しかもボタンも何一つなく、あるのはその液晶のみ。しかも数値は先ほどから『9:365』のまま。それが何を示しているのかは分からないが、意味が分からないものが腕にくっ付いていると少し気味が悪い。

 この建物にこの腕時計の事も書いてあればいいんだけど、と腕時計から目を逸らすと、少し気落ちしたエルリックが見えた。


「外れだ。次行くぞ」

「あぁ、うん」


 どうやら何もなかったらしい。エルリックの言葉に従って彼と共に他の部屋へ。

 そうやって幾つかの部屋を巡っていく、そして何個目か。今までの部屋が全て外れであり、気落ちしているエルリックの肩を叩いて励ましながらの幾度目かの捜索だったが、その部屋に入るとすぐにわかった。この部屋は今までの部屋とは違うと。

 所狭しと並べられたクローゼット群。明らかに何かを格納するための倉庫か何かだとすぐに分かった。


「ここなら何かありそうだな」


 やはりお宝には心が躍るのか少し元気になったエルリックが片っ端からクローゼットを開けまくる。ユキは少しテンションの上がっているエルリックに苦笑しながら適当にクローゼットを開けた。多分何もないだろう、なんて思いながら。

 しかし、その予想は裏切られた。彼女の足に何かが倒れてきて当たったからだ。


「ん? 何かあった」

「マジか!? お宝か何かか!?」

「ちょっと、テンション上がりすぎだってば」


 早く見せろと詰め寄ってきたエルリックの体を押して距離を取り、足に当たったもの。木製の少し大きな箱を持ち上げて床に置く。

 箱には特に何も書いていない。しかし、その重さは木の物だけではなく、明らかに中に何か入っているとしか思えない重さだった。が、箱も風化していたためその重さに耐えきれず底が抜けるのでは、と思えた。

 急いでユキがその箱の蓋を手にし開けると、そこに入っていたのは。


「……手紙と剣、だよね?」

「見たところ、双剣だな。二本一組だ」


 双剣だった。

 一対の短剣にしては長くロングソードにしては短い剣は鞘に入れられ、まるでそれ専用に作り上げたかのような台のような物に埋め込まれていた。しかし、その台も風化が始まっており、一緒に入っていた手紙らしき物も、字の癖が強く、おまけに紙が風化しているため読めないという惨状だった。

 しかし、少しだけ解読できる部分があった。


「親愛なる……後は読めないかな」

「読めるのか?」

「何とかね」


 親愛なる■■■。手紙にはそれだけしか書かれていなかった。

 つまり、この双剣はこの建物に住んでいた人間が親友か誰かに残した遺物なのだろう。それを知ると少しこれを持って行く気にはなれなかった。が。


「俺は双剣は使えないからな。やるよ」

「いや、エルリックの物じゃないし……っていうか。これ、オレが貰っちゃってもいいの?」


 なんとも勝手な言い分のエルリックに目覚めてから何度目かの苦笑をしながらユキがその言葉に答えた。

 俺は使えないからやる、とは何とも言えない言い分だ。これはエルリックの物じゃないのだから誰かへの譲渡権は彼には無いはずなのだが。

 だが、エルリックは、もう何百年も取りに来てないんだから別にいいだろうと言う。それに関しては確かにその通りだと思った。もう当時生きていた人間はとっくに土に還っているのだから、ここでユキがこの剣を拝借しても誰も文句は言わないだろう。


「……じゃあ取り敢えずオレが貰うよ」

「そうしとけ。貰えるモンは貰っとくモンだぜ?」

「まぁその通りかもね」


 軽口を叩きながらユキはそっと台から双剣を外した。そして、ベルトにある何かを吊るせそうな部分に剣を吊ってみれば、まるでこのためにあるのだと言わんばかりに両腰にちゃんと剣を吊ることが出来た。

 試しにその状態で抜刀してみると、かなりしっくりと来た。


「どうした? 剣を抜いたまま固まって」

「……あぁ、いや。何でもないよ」


 そう、しっくりと来た。

 しっくりと来すぎたのだ。

 剣を吊ってから。そしてそれを抜いてから。そして、柄の握りやすさも刃渡りも。まるで自分のために作られたのではないかと思ってしまうレベルでその剣は自分の手に馴染んでいた。

 龍の遺沢がある唾と、金と赤の装飾が成された二本一対の双剣。重さも、刃渡りも、柄も、何もかもが怖いほどにしっくりと来てしまった。試しに振り回しながらの納刀を試してみると、体が覚えているとでも言いたいのかまるで曲芸師のような事をしながら納刀する事ができた。


「おっ、剣の銘が書いてあるな……」


 そんなユキの内心も知らずにエルリックが台に彫られている文字を発見した。どうやらそれはこの双剣の銘らしく、ユキもこの双剣を持った身としては気になりエルリックの言葉に耳を傾けた。


「……龍双剣、ストームブリンガー? うわっ、この銘考えたやつ相当悪趣味だな……」

「え? そうなの?」

「そりゃそうだろ。知らねぇのか?」

「何も」

「……あー、面倒だから街に着いたら本見せてやるよ。それで察せ。で、今はあまり人前で出していい名前じゃないってだけ覚えておけばいい」

「んー……取り敢えずおっけ」


 どうやらストームブリンガーという銘は相当悪趣味らしい。エルリックの顔も何とも言えない物になっている。

 ユキはエルリックの言葉に従い、この剣の銘は自分の胸の内に仕舞っておくことにした。

 そしてそのまま何とも言えない表情のエルリックと共にこの部屋を含めた全部屋を捜索したのだが、最終的に掘り出し物が見つかることはなかった。

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