二の斬/9:365

 病的なまでに白い少女は、長年眠っていたのではなく、つい最近眠ったのではないかと思う位には体を自由に動かした。というか上体を持ち上げた。普通、何年も眠っていたら筋力が衰える筈だけど、と思ったが気にしないと誓ったのはつい数分前。エルリックはそっと彼女の裸体が見えないように上着を動かして彼女の体を隠した。


「あー……取り敢えずさ。その服着てくれないかな。ちょっと視線に困る」


 顔を赤くしたエルリックがなるべく彼女の体を見ないように視線を逸らしながらそう告げた。

 確かにさっきまで恥部も見てしまっていたが、こうして動いている。生きていると実感してしまうとどうにも下品ではあるが興奮してしまう。それを隠すため。そしてしてしまわないためにエルリックは視線を逸らしているのだが、少女はまだ意識が混濁しているのか上体を起こしてから動かなかった。


「……オレ、どうして?」


 なんて呟いている。

 もうそれはいいから服を着てくれ。目のやり場に困るとエルリックは叫びたかったが、その叫びのせいで不審者扱いはされたくなかったため堪えながら視線を逸らすのが一杯一杯だった。

 見てしまいたい。ガン見したいという男の本能故の欲求を理性と気力で抑えながらエルリックは少女が正気に戻るのを待つ。


「……女、の子? なんで……? オレ、男だった筈……」

「え?」


 しかし、その言葉は少し看過できなかった。

 男だった筈。その言葉の真意は分からないが、少なくとも今の彼女は女だ。ガッチリバッチリとエルリックはその眼で彼女の胸と、股間を見た。そして、男特有の物が無く、女特有の物を発見できた。故に、彼女は女。少女で間違いはない。間違いはないのだが……どうやら彼女にとっては少し事情が違うらしい。

 戻してしまいそうになる視線を何とか逸らしたまま固定しながらエルリックは早く服を着てくれと願う。じゃないと色々とマズい。今だって結構頑張って視線を逸らしているのだから。


「何で……? オレ、さっきまで……」


 混乱しているのか声が震えているのが分かった。

 分かったのだが。エルリックには先に言う事があった。


「頼むから上着を羽織ってくれないかな……ッ!!」

「え? ……あっ、うん」


 こうしてようやくエルリックの、自分との戦いは一先ず幕を下ろした。



****



 少女は自分の状況をよく理解できていなかった。

 まず、自分は確か学生だったはずだ。学生だった、というのは覚えているのだ。そして、ここではない何処かで生きていて、両親と自分一人の三人家族で一軒家に住んでいて。

 そんな当たり障りのない人間だった筈なのだが、気が付いたらこんな場所に居た。

 急に世界がブレ、電源が切れるように意識が落ちた後、気が付いたらポッドの中で眠っていた。自分の状況がよく分からず、暫し呆然としていたのだが、その呆然の最中に分かった事が数個だけあった。

 まずここがよく分からない場所であると言う事。そして、自分は男として先ほどまで生きていた筈なのに、気が付いたらこんな場所で女として目覚めていた。最後に。


「……えっと、君だれ?」

「それは俺が聞きたいんだけどなぁ……!」


 目の前で上着を貸してくれた青年は、取り敢えずは自分の味方だと言う事だ。だって全裸で寝ていたのに襲ってくるどころか目を逸らして上着で体を隠し続けていてくれたのだから。

 話を聞いてみた所、自分はこの部屋のポッドの中で眠らされており、この部屋の主だったかもしれない人間の遺言らしきものに従って自分を起こしたのだと言う。言うのだが、よく分からない。色々と不明な点が多すぎて頭が理解しきれていないのだ。

 ボロボロの部屋。よく分からない物。隅に寄せてある白骨死体。どうにもよく分からない。


「で、君は何者……って聞いても分からないんだろうなぁ」


 それには頷ける。

 彼女は何も分からなかった。この状況も、この現状も、この場所も、自分自身も。何もかもが。

 急展開過ぎてついていけない。そんな言葉がピッタリだった。


「……取り敢えず、俺は他の部屋探してくるから。暫く一人で考える時間、あった方がいいだろ?」

「え? あ、うん。ちょっと一人にしてくれると助かるかな」


 青年の言葉に彼女は頷いた。

 上着を貸したままにしたまま立ち上がった青年の背中を見て、少女は考え始める。が、その前に。


「エルリック」

「え?」

「俺の名前。何かあったら呼んでくれ。すぐに来るからさ」

「あぁ、うん……アリガト」

「礼を言われる程の事じゃないけどな……」


 軽く頭を掻きながらエルリックはそのまま部屋を出ていった。

 エルリックと名乗った青年の姿が完全に見えなくなり、そして彼の足音も同様に完全に消えた後に少女は自分の体を見下ろした。

 僅かだが存在する両胸の双丘。そして存在しない、使用する前だったと思う、消えてしまった股間から生えていた竿と玉。あまりサイズは誇れなかったとは思うが、それでもあったのは記憶にはある。あるが故に、それの喪失は精神的なショックを植え付けてくれた。


「……そういえば、名前教えてなかった」


 そんな精神的ショックを一時的に忘却の彼方へと送る事で一時的に忘れながらふと思った。

 エルリックは名前を教えてくれた。だが、自分は彼に名前を教えていないと。もしかしたら相手に名乗らせるだけ名乗らせて自分は名乗らないのって相当失礼なんじゃ、とも。

 確かに自分は混乱していたし物事を冷静に考えられる精神状態では無かった。無かったのだが、それでも冷静に考えてみれば彼はこんな場所で眠っていたらしい自分を助けてくれた。そして自分が落ち着くまで。いや、こうして話せるようになるまで怒鳴ったり急かしたりして来ることは無かった。全裸の自分を犯そうとしてきたりも。

 もしも自分を見つけたのが彼ではなく、荒くれ者だったらと考えると少し考えたくない事になっただろう。いや、なった。確実にだ。

 背筋が軽く凍るような思いをしながら彼女は一度自分の置かれた状況を確認しようと立ち上がった。


「ここって……何かの研究所? それともただの家?」


 いや、ただの家じゃない。それは確実に分かる。タダの家にはこんなポッド、存在しないからだ。

 だとすると、何かの研究所、工場、怪しい建物、錬金術師か何かの隠れ家兼研究所。それのどれかに違いない。いや、もしかしたら違うかもしれないが。何かが頭に引っかかるような気もするが、それを気にせずに彼女は上着を羽織りながらそっと近くのテーブルへと近づく。

 テーブルの上にある本。いや、日記。それを確認するためだった。


「……この建物に居た人の日記かな?」


 予想以上に大きいため膝近くまで隠せる上着で自分の恥部を隠しながらそっと手に取った日記は今にも崩れ落ちそうだったため、テーブルの上に置いて中を確認する。

 書いてあるものはとても読める物では無かった。だが、一部、掠れている部分を見て引っかかった。

 ■■ィ■。■■ガ■ッ■。最早掠れて読めない部分であるが、その二つは、掠れ具合と読める部分は違えど、その二つの単語だけが頭の中で引っかかった。引っかかったのだが、よく分からない。そんな奇妙な気分になりながら他のページを確認していく。

 そして最後のページを確認して、一息ついた。


「全く何も分からない」


 頭に引っかかる物はあったが、しかし何も分からない。

 こうして性転換までしてこんな場所に閉じ込められていた訳。というか何がどうなって性転換TSからの転生、もしくは憑依なんていう奇跡よりも奇跡らしい非日常なウルトラCを決め込んだのか。こんなウルトラCする位なら宝くじの一等賞でも当ててお金持ちになりたかった。

 溜め息を吐きながら、何処かで溜め息を吐くと幸せが逃げるなんて昔、女友達に言われたのを思い出した。あの子元気にしてるかなぁ、と。多少の現実逃避をしていると、再びこの部屋と廊下を繋ぐドアが開いた。


「あ、エルリック」


 入ってきたのはエルリックだった。というかエルリックじゃなかったら色々とピンチだった。

 彼は手に服か何かを持っており、それを少女へ向かって服を差し出した。これは? と聞くと彼は少し気恥ずかしそうにしながら答えた。


「服。他の部屋のタンスの中に入ってたから。多分、お前のだ。下着もだけど……」


 少し顔を赤くしているのは女物の下着を持っているからなのだろう。場所が場所なら事案でそのまま衛兵案件だ。だが、この場なら違う。

 変な恥ずかしさに顔を赤くしながらも彼女はエルリックから服と下着一式を受け取る。どうやら靴も見つけたようで服を渡した後はそっと床に靴を置いた。


「とっとと着ちまえ。んで上着返してくれ。ちょっと落ち着かない」

「わ、わかった……」


 何故か感じる気恥ずかしさに顔を赤くしながらも、エルリックが顔を背けたのを確認してから上着を脱ぎ、服を着始めた。案外下着の着け方も何となくだが分かるので、合っているのかは分からないが取り敢えず下着を身に付け、そして女物の服を身に付けた。

 案外着る方法は何となくだが分かっていたので簡単に着る事は出来たが、着てみて分かった。かなりこの服は動きやすい素材で出来ている。


「着終わったか?」

「あぁ、うん。なんとか」


 その言葉を聞いてからエルリックは振り返った。

 鏡を見ていないので自分の容姿や服が似合っているのかは分からないが、ただエルリックが変な顔をしていないのでそこまで変な恰好ではないのだろう。腰のベルトに何かが下げれそうな気がするが、その程度だ。お洒落な割には良く動けるように設計されている。

 そう、されているのだ。自分の体で、動きやすいように。ちょっと怖かった。


「サイズは……ピッタリか。なんでだろうな」

「いや、オレも分からないよ……」


 だが、服を着て靴を履いたなら後は見られても大丈夫だ。

 ちょっと着方が可笑しいかもしれないが、構わない。今は面と向かって話せるようになることが大切だ。


「えっと……ありがとう、エルリック。色々としてくれて」

「ん、まぁ……この程度ならな。俺だって時間だけは有り余ってるし、この程度ならな」


 だが、礼を言うには値する。

 頭を下げて、相手のあたふたしている声を聞きながら少女は取り敢えず流れに身を任せてみる事にする。大体エルリックの言う通りにして、彼が自分を何処かに放りだすまでは後ろを着いて行く。彼の親切心を利用しているようで少し心苦しいが、旅は何やら、世は何とかと言う。それに従ってみようと。


「……お前、名前は?」

「え?」


 そんな事を考えているとエルリックが少し照れくさそうにしながらも名前を聞いてきた。

 それに対しての答えは……


「……あ、あれ?」

「どうした? 言えないのか?」

「いや、そうじゃないけど……」


 歯切れ悪く言葉を口にする少女。

 エルリックが若干怪訝な表情を見せるが、困惑しているのか眉尻を下げてオロオロとしている少女を見ると、どうにも指名手配犯だからとかそう言う理由で黙っている訳ではないというのは何となくだが分かった。

 エルリックが言葉が返ってくるのを待っていると、少女は大体三十秒ほど黙った後に、口を開いた。


「……分からない」

「は?」


 帰ってきた言葉に思わず間抜けな声を返してしまった。

 その間抜けな声を聞いてからすぐに少女は再び言葉を返した。


「オレ、自分の名前が分からない……」


 思わず天を仰いだエルリック。苦笑いしながら謝る少女。どっちもそんな行動を取ってしまったのは決して悪いことではないだろう。まさか相手が自分の名前も分からないほどボケているとは、と天を仰ぎながら溜め息を吐くエルリックと、まさか自分の名前が分からないなんていうベタもベタな記憶喪失者のマネなんてすることになるとはと、何かをあきらめたような笑いをしながら溜め息を吐く少女。

 次に口を開いたのはエルリックだった。


「……もう適当に考えろよ。名前、無いと困るだろ」


 若干投げやりだった。

 助けてやって、服まで探してきたのだ。この見知らぬ怪しさだけで構成されているといっても可笑しくない少女のために。脅威ではないというのは、間抜けすぎるので分かるのだが、それ以外が怪しすぎる。怪しすぎるのだが、間抜けさがその怪しさすら消してしまいそうだ。

 どこかの国のマスコットでしたとか言ったほうがまだ信じられるくらいには間抜け。もう一から十まで付き合ってられるかと内心思いながら捻り出した言葉というのが、これだった。


「え? 自分でって……」

「じゃあお前の名前はナナシノ・ゴンベエな。ハイ決定」

「ちょ、何それ!? 無し無し! 却下!!」


 流石に名無しの権兵衛は酷すぎる、と思いっきり却下するエルリック。

 だが、これで悟る。自分の名前くらい自分で決めないと、かなり適当に。しかも酷い名前を考えられてつけられる事となる。自分の本当の名前を思い出すまでの間、使うであろう名前だが、それが名無しの権兵衛だったり何とかかんとかだったりするのは、いろんな意味で嫌だ。

 少女は暫く唸って考えた。そして、自分の体と、髪を見て呟いた。


「……雪?」


 雪のように真っ白で、他の色が一切存在しない。病的なまでの白。

 それを見て、呟いた言葉はどうにも今の自分にはピッタリな名前だと思った。


「……ユキ。オレの名前は、ユキ」


 病的なまでに白く、そして足跡の一つも刻んでおらず、自分という存在すら危ういほど真っ白な存在。

 それ故に、ユキ。少しの皮肉も混ざっているが、なかなかどうして。何重の意味で自分にはピッタリな名前だと。少女、ユキは自虐気味に笑いながら思った。


「ユキか。いいんじゃねぇの?」

「そうかな?」

「俺は女の子の名前にとやかく言える程じゃないからな。でも、似合ってるとは思うぜ?」


 少し照れながら言うエルリックと照れて顔を赤くするユキ。なんやかんやでシャイな二人はそのまま顔を数分ほど合わせずに暫く待ち、そしてエルリックがまたもや先に口を開いた。


「あー……俺、この建物探索する気なんだけど。着いてくるか?」

「いいの?」

「まぁ、こうやって助けちまった以上、最低限の面倒は見る気だしな。それに、お前が何者なのかってのもこの建物を探索したら分かるかもしれねぇしな」


 それが俺の安全にも繋がるかも知れない。

 なんて事を言いながら頬を掻くエルリック。口ではあーだこーだと言っているが、その行動は基本的に優しさがある。こういうのを何て言うんだっけ、と思いながら思考した結果、ユキは彼。エルリックという人間の性格を一言で表せる言葉をようやく思い出した。


「ツンデレ?」

「誰がだ」


 即否定の言葉をぶつけられたが、そうとしか思えない。

 ニヨニヨとエルリックを見れば、彼は照れてそっぽを向いた。コイツ、照れてばっかりだななんて思いながらもしつこくエルリックを見ていると、彼の方堪忍袋の緒が切れかけたのか、少しムスッとした顔で背を向けた。


「ったく……来ないなら置いていくぞ?」

「あ、待ってよ」


 そのまま歩き出したエルリックの背を追ってユキも歩き始める。

 なんやかんやでこの二人、相性はいい方なのかもしれない。

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