溶けゆく雪となって
黄金馬鹿
一の斬/9:365
意識が明滅する。
浮かんでは消え、浮かんでは消え。それを只々繰り返していく。
今の自分が生きているのか、それとも死んでいるのかすら分からず、ただその場で浮かんでいるだけだった。体の動かし方も、呼吸の仕方も、喋り方も。生きるための必要とも言える事の全てが、分からない。ただそこに存在しているだけで、浮かんでいるだけ。
――よ■■■、完■し■――
何かが聞こえた。
ただ、それを理解する事が出来ない。言語という物を理解できない。
言うならば、産まれたばかりで、まだ学習が出来ていない。理解するための知識という物が、圧倒的に不足しているのだ。だから、聞こえてきた言葉の意味をしっかりと理解する事なんて到底不可能だった。
――■■、よ■やく■■生き■■■■■■出来■――
何を言っているのかは分からない。しかし、それが自分へ向けられた言葉だという事だけはしっかりと分かった。
――■で■! ■で■■■い!! ■論■完■■■■!!――
これが夢なんだ。
そう思う事が出来てしまった。だから、これは夢なのだと。そう理解してしまう。明滅する意識。覚えられる事の出来ない現状。それが夢でなければ何なのか。まだ何も理解できていない頭だが、本能的にそれだけは理解することが出来た。
――……あぁ、そうか――
誰なんだろう。
何をしているんだろう。それすらも分からない。そして夢は覚める。
「お前、今日はウトウトしまくってんな。どうかしたのか?」
「え? あぁ、いや。何でもないよ。ただ、なんか眠くてさ」
場所は、夕暮れの建物の中だった。
自分の物であろう机と椅子が自分の視線の下にはあり、自分はその机に突っ伏していたのだとようやく分かった。聞こえてくる声は
何の問題も無くそれを受け取ると、どちらからともなく歩き出す。
建物の中を歩き、気が付けば外に出ていた。
「あぁ、今日さ。新作の発売日なんだよ。よかったら来るか?」
「じゃあ行くよ。やる事なんて無いし」
夕暮れの中を歩いていく。
今日も今日とて何時もと変わらない日常だ。きっとこの後も友達の家に行って遊んで、帰って寝るだけだ。そして明日も、明後日も、明々後日も。そんなつまらない日常がきっと続いていく。
――お前は、初めから生きていたんだな――
きっと、きっと――
****
バイクが音を鳴らしながら止まる。最新式であるが、同時に初期型でもある魔導バイクは大きな音を鳴らしながらとある建物の前に止まる。それを駆っていた男は自分の目の保護のために着けていたゴーグルを外し、ヘルメットを頭から外してバイクのハンドルに掛けるとその建物を溜め息混じりの感嘆の息を漏らしながら見上げた。
「……こんな所にこんな建物があったのか」
男の名は、エルリックと言う。
今、彼が見上げている建物は、何となくこっちに行こうと思いハンドルを切った先にあった物であり、故意的で見つけた建物ではない。それ故に、彼はどうしようかと軽く溜め息を吐きながら考えていた。
エルリックは、一般的なギルド員だ。この大陸に蔓延る様々な魔物、魔獣。それらを駆除し、生計を立てる荒事を生業とする青年だ。他にも街から街への配達だったり土木作業の手伝いだったりと何でも屋に近い事をやっているとも言えるが、彼がここへ来たのは仕事ゆえにではない。完全な偶然だ。
偶々、ここでハンドルを切ってみよう。ここを曲がってみようと道なき道を興味本位で移動していた結果、少し舗装された道を発見し、それを辿った結果ここへと辿り着いた。森林の中に隠れるようにひっそりと。しかし大胆に建っているこの建物は年季が入っており、蔦は伸び放題。建物の一部は寂びており、壁も剥がれている所が見受けられる。完全に人が住んでいる気配は無かった。
「……まぁ、まだ陽が落ちるまで時間はあるし」
少し探索してみよう。
独り言を口にしながらバイクから降り、バイク本体に掛けてある剣を取り出し腰に吊るすと、彼は明らかに怪しさ満点の建物の中へと入っていった。
少し立て付けの悪くなっているドアを蹴り破ると、中はそれはそれは酷い物だった。
「草木が床割って生えてるし……何十年ほったらかしなんだよ……」
草木は劣化した床を突き破って生えており、廊下は元の素材と自然が見事に調和して薄気味悪さを醸し出していた。これならさっさと次の街へ移動した方が良かったかもしれないとエルリックは考えながらも、何かお宝があるかもしれないと少しの期待を胸に歩く。
エルリックはギルド員としては少し異色な人間だ。大半の人間が職を見つけられず、しかい荒事が得意な人間で構成されているギルド員の中で、エルリックは自分の腕で誰かを守りながら金を稼ぎ生きていきたいと自ら命を落とす危険性もあるこの世界へと足を踏み込んだ。最も、成績はあまり良い方ではなく、こうして誰も見つけていないであろう長年放置された建物等に入り込んでお宝を見つけ売りさばくという、トレジャーハンター染みた事もしないと明日の食べ物すら困る始末なのだが。
それ故に、こんな場所を発見してしまったのは幸運であるとも言えるが、同時に不幸だった。
もしかしたらお宝があるかもしれない。それを見つけたら暫くは金に困らなくなるかも、という思惑故の幸運。そして、こんな場所を見つけてしまったが故に探索しなければならなくなったという不幸。やっぱりギルド員じゃなくて普通に働いて生きていけば良かった、なんて思わなくもないが、この道を選んでしまったのは数年前。後悔しても遅い。
「ってかこの建物何なんだよ……明らかに最近の物じゃないにしては誰も来てないなんて……」
この建物があった森林は、色んな人間が魔物、魔獣狩りで足を踏み込んでいる場所だ。だから、誰かが発見していても何ら可笑しくは無いのだが、発見の報告は未だに一度もない。誰かが独占しているとも考えられたが、にしては建物の中は綺麗に片付けられているし、手が付けられていない。
一体何の建物なんだよ、と愚痴りながらもようやくエルリックは部屋を一つ発見する。蔦と草木のせいで隠れていたため見つけにくかったが、それらを剣で斬りながらようやく部屋のドアを開ける事ができた。
部屋の中は、簡単に言えば風化していた。
様々な家具と思わしきものは時間という万物に流れる崩壊までの寿命によって崩れ。もしくは壊れかけ、本らしき物が置いてあるテーブルも触っただけで崩れてしまいそうな程、風化しており、本自体も風化していた。
だが、それ以上に。いや、それ以外に。風化していない物があった。目を引くものがあった。
部屋に入ってすぐ。視線を真っ直ぐに向ければ。そこには、あった。
緑色の液体が並々に注がれた、風化を感じさせない真新しいとも言える程の円柱型のポッド。未だに稼働しているそれと、その中に入れられている『少女』。
「女の、子……?」
そう。女の子だ。
裸の女の子が一人、ポッドの中で眠らされている。そして、そのポッドの側には白骨の死体が。
まず感じたのは疑問。次に、恐怖。
どうしてここに女の子が眠っているのか。いや、あの子は生きているのか。それすらも分からず、そしてここはもしかしたら本格的にヤバい場所なんじゃないかという本能から来る恐怖。それを引き立たせているのがポッドのすぐ側に落ちている白骨死体だ。
骨すら風化しかけている。それを見る限り、この建物には数十年。いや、もしかしたら百年以上人が入り込んでいないのかもしれない。それほどヤバいかもしれない場所に入り込んでしまったのかもしれないという恐怖がエルリックという成年の恐怖心を引き立たせた。だが、唾を飲み込みながらも彼は前へと歩く。
確認しなければならない。あそこで眠っている少女を。あの子は、まだ生きているのかを。
生きているのならば、助けなければ。
「まだ、動いているよな……? 生きている、のか?」
まじまじと観察するのは失礼だとは思ったが、生存確認をするためには多少の観察は必要だった。
人工呼吸器のようなマスクを着けられ眠っている少女は服の類を一切身に付けておらず。しかし、唯一腕時計らしき物を身に付けていた。どうして腕時計? と疑問には思ったが、今はどうでもいい。
あまり豊満とは言えない胸が緩やかに起伏を繰り返しているのをその眼で確認し、彼女はまだ生きているのだと察した。
「生きてる、な。でもどうしたら……」
生きているのは分かった。だが、彼女はここで何十年も寝かされていたのだろう。だとしたら、このポッドは生命維持装置の代わりもしている筈だ。だとしたら、このポッドを破壊して彼女をこのポッドから出したとしても彼女が生きられるのかどうか分からない。いや、彼女が解放してもいい人物なのかどうかすらも分かっていない。
だったら、まずは何かしら。彼女をこんなポッドに閉じ込めた人物の遺言か何かがあればとエルリックは部屋を見渡した。しかし、目につくのはテーブルの上の本と、白骨死体のみ。だとしたら、少々不用心ではあるが本を読んでみるのが先決だろうとエルリックは少女の入ったポッドが視界内に入るようにして本を手に取り、風化によって崩れないように慎重に本を開いた。
本の中身は、読める物では無かった。ページは触れば崩れそうで、しかも昔の物故かそれとも著者のせいかかなり癖がある文字のせいで内容を全て読むことは出来なかったが、一部の断片を読み取っていく限り、この本は日記なのだと理解した。
「日付けは……さ、三百年前? 冗談だろ……」
そして、日付け。いや、年月は三百年前を記していた。
著者も分からないが、それでもこの日記は三百年前から存在している物であり、同じ年数ここで放置されていたのだろう。博物館にでも持っていけば喜ばれるかもしれない、なんて思いながらも読み進めていく。
そして、最後のページ。明らかに他の風化しかけのページとは別の、普通のページが一ページだけ残されていた。それを気味悪く思いながらも目を通すと、エルリックにも読める様な癖のない文字で、メッセージのような物が書かれていた。
「……ここに来た者への遺言だ。ポッドの中で眠る彼女を解放してやってくれ。そして、何も知らないまま生かせてやってくれ。それが、私の最後の望みだ…………? なんか、これを書いた人を知っている人が来る事を前提にしているような文だな。まぁ、そこら辺考えても分からないだろうけど……」
もう三百年前の故人の遺言だ。考えても分からないだろう。きっと子供か孫がここに来ることを見越して書いたに違いないと勝手に解釈し、ページの裏にあるポッドから少女を解放する方法を目にし、頭に叩き込んでから本を机の上に置く。
さて、解放してやってくれと書かれていた以上、ここに三百年振りに来てしまった客人としてはそれくらいはやっても別に構わないだろう。エルリックが三百年振りに来たのなら、次に誰かが来るのは三百年後かもしれないからだ。無視しても構わないのだが、そのせいであの少女がポッドの中でご臨終、ともなったら少し夢見が悪い。
エルリックはポッドから少女を解放する方法。ポッドの土台付近にあるボタンを押す行為をしてポッドの機能を停止させた。
すると、ポッドの中の液体が引いていき、緑色の液体漬けになっていた少女の姿が見えてくる。それと同時にポッドが縦向きから仰向けの状態に移動し、少女がポッドの中で崩れ落ちずに眠ったままの状態で目覚められるような状態になってからポッドのガラスは自ずと開いた。
ポッドを覗き込んだエルリックはその息を呑んだ。
「……可愛い」
呟いた。
液体の中で眠っている時はよく分からなかったが、直に見ると彼女はとても可愛かった。
白色の髪と、体。そして程よく発達した体。胸だけが少し残念な感じだったが、それでも可愛い事には変わらなかった。マスクも自ずと外れたために見えた彼女の顔は可愛いとも、綺麗とも。どっちとも言える顔だった。
自分の上着を彼女に被せ、ふと気が付く。あれだけ緑色の液体に漬かっていたのに彼女の体は濡れていなかった。
「……まぁ、今更よく分かんねぇ事の一個や二個、変わらねぇよな」
他の物とは比べて真新しいポッドとページだったり、少女だったり。よく分からない事が続けて起こっているためかエルリックは何処か悟っていた。これは追及しても分からないままに終わるから放っておいた方がいいと。流れるまま、川の流れに身を任せた方が身のためだし、苦労はしないと。
あまり地頭の良くないエルリックはすぐにそれら不思議を気にしない事にした。
そうして溜め息を一つ吐くと同時に。
少女が目覚めた。
「あ、目を覚ましたか?」
開かれた目は、赤色だった。
まるで吸い込まれそうな。宝石で言うならルビーのようなその眼は、ずっと見ていても飽きないような。そんな眼だった。そんな眼の彼女は、エルリックと、天井とを何度か見ると、呟いた。
「……ここ、どこ?」
どうやら、彼女自身この場所の事はよく分かっていないらしい。
多少なりとも、この建物についての情報を知りたかったエルリックは、その言葉に大きな溜め息を返してしまった。
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