Ep.41-4 収束そして終息


      ❀❀❀ ❆❆❆ ☽☽☽ 


 舞台の上の葉月からはホールの後ろ部分は闇に包まれ様子はうかがえず、開け放たれた扉から差し込むライトがちょうど逆光になっていて、新たな敵の姿は把握できなかった。先の戦闘で鼓膜が破れてしまったのか、相手の声さえろくに聞き取れない。


 砕け散ったシャンデリアの破片を踏みしめながら、はゆっくりと一歩一歩、舞台へ向けて歩き始めた。ぼんやりと前方の証明に照らし出されるにつれて、シルエットが明瞭になっていく。

 程なくして広大なホールを二分する大きな奈落の許へ辿り着き、彼は足を止めた。


「ボクはこのゲームが始まった時から、いや、始まる前からずっと、どうやってあなたを止めようか、それだけを考え続けてきました」


 如月葉月はよろよろと舞台から降りて、その人物の許へと向かう。身体のあちこちに創った青白い打撲や赤黒い切傷の痛ましささえも忘却して。先刻までの拭えぬ疲労と焦燥さえも、何処かへ置き去りにしてしまったかのようだった。遠く、遠い観客席の向こうで、彼の声は彼女にとって何処か懐かしい雰囲気を持っていた。


 葉月は無言だった。ただ、機械的に足を動かし続ける。なだらかな斜面を、ときおり足を取られながらも、ゆっくりと進み続ける。目の前の敵の打倒。それが誰であれ、今の彼女を繋ぎ止めているのは、僅かな戦闘意識をおいては他になかった。


「あなたは、もう、何もかもが手遅れなのです。あなたは越えてしまったのだから、一度ならず、二度までも。だからボクは」

 金牛宮は一度だけ、続きを言うのに逡巡し、それでも決して目はそらさずに、

「ボクは、あなたを決して許せません。赦しちゃ、いけないんですよ」

 強く言い聞かせるように、言い切った。


 座席と座席との合間の通路を、彼女は辿っていく。

 血を喪い過ぎたのか、足取りは覚束なく、視界は濃い霧でもかかったかのように霞んでいる。数歩先も見えないような暗闇の中を、彼女は進み続けた。

 そうして葉月は、奈落の端へと辿り着いた。

 福音書のように、彼と彼女の間には大きな淵が広がっている。

 もうすぐ闇に眼が慣れる。すぐそこまで行けば勝負はついたも同然だ。

 刃の海へと一歩を踏み出そうとして、

 彼女は足を止めた。止めざるを得なかった。彼の顔を真正面から観て、葉月は凝然と固まって、思考の何もかもを止めた。


 世界の何もかもが止まってしまったかのようだった。


「あたしたちの家を焼いてしまったのは、あなた?」

 葉月は虚空を仰ぐように、彼へと追及する。

「……ええ。そうです。その通りです。ボクがやったんですよ」彼は震えて、必死に何かを耐えるように、俯く。「朱鷺山しぐれは何の関係もない。なかったんですよ」

 彼は繰り返し、言葉を投げかける。

「一言で良いから、謝罪してくれませんか。死んでいった彼女らに」

 葉月は虚ろな瞳で、

「今更、無理ね」、と。 

 

「……そうですか。じゃあ、やっぱりあなたは、正義の味方なんかじゃなかった」

 金牛宮は全てを諦めてしまった後のような表情で、

「あなたは、ただの人殺しだ、————」

 目を見開いて、金牛宮が右手を振りかぶり、権能を行使する。目に見える変化は、彼と彼女の間では起こらない。

 僅かな、間。二人を隔てているのは距離ではなく、降り積もった時間の長さ。


「先ほどあなたは言いましたね、「あたしの勝ちだよ」、と。ええ、その通りです。あなたは疑いようもなく、朱鷺山しぐれという人間を死に至らしめました。しぐれの方にも相当な落ち度があったにせよ、怒りと憎しみに任せて一人の人間を完膚なきまでに死に至らしめました」

 だから、と金牛宮は言って、

「どうして……」

 掠れた声で、葉月はそう問うのだけが精一杯だった。

「どうしてボクがここにいるかという質問ですか? それは、。順を追って説明しましょう。ボクの権能イノセンスは『最大多数の最大報復レクス・タリオニス』と言ってですね……」

 金牛宮は演劇の科白でも読み上げるかのように、淀みなく言葉を紡ぎ続けていた。感情を押し殺すように、何かを必死に抑え込むように。まるでそうしていなければ、彼の方が崩れ落ちてしまいそうだった。

「『最大多数の最大報復』は、です。誰かを能力で傷つけようとしても、相手もその能力を発動している。ボクの権能発動下では、権能を行使することは他者に益をもたらすことと同義なのです。あ、ここでいう『その場』とは、即ち、この美桜市民ホールのことですね」

 葉月は呆然と金牛宮の言葉を聞いていた。今の彼女には、「自分がこれから何をすべきか」すら失われていた。「神になりたい」という願いさえ、今の彼女からは消え失せていた。蒼白へ染まった頬は、感情という感情を殺ぎ落としていた。

「さて、今この市民ホールには、ボクたち以外にも悪魔憑きがいます。あなたもよく分かっているはずですね。周さんと、連城恭助。そして、神である八代みかげ。ボクの悪魔は遠視や感知の能力も持っていてですね。彼によると、つい先ほど、

 月のホールにおける問答も、

 花のホールにおける攻防も、

 全ては雪のホールにおけるこの一戦のためだった、とでも云うのか。

「あなたの話は、わからないよ……。あたしにも、分かるように、もっとわかりやすく言って欲しいな」

 金牛宮は彼女の静止を振り切って続ける。

「ここでまた能力の話に戻ります。ボクたちは一度、宇宙センターの戦闘時に連城と交戦していましてね、その時のしぐれの解析によると、連城恭助の権能は『盤上の標的バールストン・ギャンビット』と言って、その効果は……」

 金牛宮は一度言葉を切り、葉月の顔を真っ直ぐに見つめた。

。因果律すら塗り替えて生き返り、絶対に、百発百中、相手を殺し返す。すごい能力ですよね。ほぼ不死身です。でも意外と抜け穴はあって、「本人が自分を殺した対象をはっきりと認識できない場合」はうまく発動しないようです。遠方からの狙撃や能力による落盤・火災などは「事故」として処理されるので、彼を殺したかったらこの方法が手っ取り早いでしょうね。あとは魔導書の破壊とか」

 葉月はただ黙って、金牛宮の語りを受け止めていた。反論も相槌も、何らの効果も持たないことは解っていた。きっと彼の話の結末も、もう彼女には解っている。

「賢明なあなたのことです、もう解かっているのでしょうね。そう、ボクは『最大多数の最大報復』で連城恭助の『盤上の標的』を。だから……」

 金牛宮は言葉を噤む。その視線は葉月の背後、観客席のはるか向こうへ向けられていた。葉月はゆっくりと、後ろを振り向いた。到底、自分が今から観るであろう運命を受け入れられない、というように。

 朱鷺山しぐれの身体は、『時計仕掛けの少女デウス・エクス・マキナ』により見る見るうちに修復されていた。左腕は右胸にあてがわれ、彼女の身体そのものの時間を巻き戻していた。葉月に千切られた手足も、葉月に突き破られた心臓も。死体は、今まさに復活を遂げようとしていた。


「連城恭助の『盤上の標的』は、いくら万能に近い反撃能力と言っても明確な欠陥が存在します。それはことです。死の際の損壊が酷ければ酷いほど、蘇生は困難になる。しかしその問題は、しぐれの能力が解決してくれました。どんな傷を負っても「過去に戻る」ことで瞬時に体を修復できる、ね。『盤上の標的バールストン・ギャンビット』→『最大多数の最大報復レクス・タリオニス』→『時計仕掛けの少女デウス・エクス・マキナ』、この連携コンボによりあなたを殺す計画は出来ました。つまり、誰かがあなたに殺されることであなたを逆に殺す。僕たちはタイミングを合わせる、それだけで良かった。綱渡りのような作戦でした。何処かで一つでも歯車が狂えば、そもそも成立しない作戦です。けれど、ボクたちは賭けに勝ったようです」


 朱鷺山しぐれが死の淵から起き上がる。

 その刹那、あらゆる因果が一点に収斂する。つまり、という、一つの結末みらいに。


 舞台から真っ直ぐに、砲撃が再開される。

 抵抗するだけの体力は残されていなかった。銃撃のいくつかは葉月の身体を貫通し、不可逆な破壊をもたらした。よろめいて、前方の奈落に倒れるまで、葉月は嵐のような銃弾に晒され続けた。朱鷺山しぐれは殺意と狂気の籠った笑みを浮かべ、後ろから葉月を射抜き続けた。濁った双眸は憎悪と嫉妬に染まっている。果たして人にこれだけの感情が抱けるのか、というように。


 全身に隈なく銃弾を撃ち込まれ続けた身体は、花が枯れて萎れるように、月が雲間に翳るように、朝焼けに雪が消えていくように、奈落の底へと投げ出される。幾重にも刺し貫かれ、身体中を痛めても。

 それでも、如月葉月はまだ生きていた。

 情けなく地を這いずってでも。無駄な努力だと、嘲笑を浴びせかけられたとしても。生きて、彼の許へ向かおうとしていた。奈落の海を渡り切り、そうして葉月は彼と再び対面する。血に濡れた両腕で、必死に彼の身体の方へと手を伸ばす。

 ————敵へと。

 金牛宮はそんな彼女を、何処までも無感情な瞳で、見つめていた。


       ◇


「あなたの敗けです、

 彼は言い放つ。彼女は彼に近付く。


「そう、みたいだね……」

 頬へ手が伸びる。金牛宮はそれを振り払うように、

「悔しいですか?」

 と、言った。 


「うん……。悔しくないと言ったら、嘘になるね……」

 肩と背に手が回る。彼はもう逃げられない。


「ボクのことを、怨んでいますか?」

 少しだけ躊躇いがちに、彼は彼女へと問う。


「ううん、怨んでなんかない。だって、」


 だって。


 葉月は息を大きく吸い込んで、吐き出すように呟く。







「あたしは、皐月あなたの、お姉ちゃん、だから……」



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