Ep.25‐4 策謀と欲望


 八月の夕陽が、聳え立つ塔をあかく染め上げている。

 早乙女操は照りつける陽光を日傘で防ぎつつ、社交パーティーに赴く貴婦人のような優雅な挙措きょそで、塔の出入口へと向かった。彼女の数歩後からは、一振りの腰刀を携えた青年が姫を守護する騎士のように付き従っている。


 電波塔の入り口に佇む片桐藍に物怖じすることもなく、操は藍に声を掛ける。

「坊や、ここを通っても宜しいかしら」

「…………」

 無言を許可の合図と取ったのか、操はゆっくりと塔の内部へと足を踏み入れた。その人物は丁度、立ち塞がるように彼女の真正面に立っていた。傍らに、少女悪魔を引き連れて。操は攻撃の意思がないことを示すように、柔和な声音で話し始める。

「怖がらせてしまったのなら、ごめんあそばせ。誤解なきよう、最初に述べておきますわ。わたくしたちには、あなた様と争う意思はありません」

 青年は視線を上げ、冷たい声で言い放つ。

「何が、目的だ」

「わたくしたちは、あなた様に降伏しに来たのです。僭越ながらわたくしの見立てでは、現時点で神の座に一番近いところにいるのがあなた様だと感じたのです」

 女は懇願するように、言葉を絞り出す。

「わたくしは、死にたくありません。出来るだけ永く生き残りたいのです。そのためには、一番強きものに付くのが得策と判断しました。どうか、ご慈悲を……」

 暫しの静寂。沈黙を保つ青年に変わり、少女悪魔が口を開く。

「なんかぁ、めちゃめちゃ怪しくない? 隙あらば寝首を掻く気満々に見えるんですケド」

 青年は悪魔の意見など意に介さないように、

「それで? お前は俺に何をしてくれるんだ? 一体何の役に立つというんだ?」

 嗜虐的な笑みを浮かべ、青年は操へ視線を送る。ルサールカは呆れるように、今の翼の心境を思い図った。はぁ、翼くんもヤキが回ったのかね。

「何でも……、あなた様が望むことなら何でも、ですわ。小間使いから夜伽の御相手まで、この不肖早乙女操、何でも務めさせていただきます。生憎と戦闘は得手ではありませんが、そちらの方はこの子を遣ってくださいませ」

 操の言葉に追従するように、彼女の騎士は首を垂れた。

「そうか、好きにしろ」

「感謝いたします。して、あなた様のお名前をお聞かせ願いますか?」

 彼はつまらなさそうに名乗った。そして操の滑らかな肢体を嘗め回すように盗み見た。通常ならば、たとえ幾分か精度が落ちていたとしても、。だが、それも無理なからぬことか。なぜならば、操に名乗られ自身も名乗ってしまったその瞬間に、早乙女操の権能『処女には向かない職業』は発動している。男という男を誑かし、拐かしてきた彼女にとって、この位は赤子の手を捻るようなものなのだ。そしてここにまた一人、操の毒牙の餌食となった男が増えたのだった。


       ◇


 ……三神麻里亜は既に死亡しています。以上を以て此度の捜査の報告とさせて戴きます。


 報告書の最後に添えられた簡素な文面を視界の端に収め、鷺宮紗希は深く嘆息した。魂と云うものがあるのならば、今の彼女からはそれは限りなく抜け落ちていた。ただ、静かな諦観だけが、彼女の虚ろな心の中に遍満していた。解っていた。彼女とて理解していた。二週間も消息不明な人間が、生きている筈もないことくらい。だけれど、それでも、信じていたかった。諦めたくはなかった。だが……あの女の調べ上げたことなら、それはやはり真実なのだろう。紗希は静かに椅子へと腰を下ろし、もう一度最初から報告書を読み直す。


 報告書には三神麻里亜という少女が過ごした最後の一週間がことこまかに記載されていた。

 人死にを間近で見ることも少なくない警察組織の中にあっても、紗希は怪談や都市伝説の類を軽んじてはいなかった。何らかの噂が流れる裏には、必ず何者かの作為がある。多少の脚色や誇張を孕んでいたとしても、それらの情報は時には捜査を助けこそすれ妨害はしない。しかし、非現実的現象を現実的に読み解こうと試みる紗希の姿勢を以てしても、報告書に記述された内容は要領を得ないものだった。悪魔の存在。権能と呼ばれる超常能力。次代の神を選定するサバイバルゲーム、その渦中において麻里亜は最初の脱落者となったこと。凡そ条理を逸しているその報告を「事実」として彼女が受け入れたのは、一種の信頼によるものだった。あの女に限って、出鱈目なことは書き連ねまい。これは、現実に、実際に起こった出来事なのだ。いかに自分の認識や常識の範疇の外に在ろうとも。


 紗希は彼女の言葉を思い出す。一連の会話の中でも少し繋ぎに不自然さを感じた、彼女の科白を。

(あの方なら私よりも早く真相に辿り着くかもしれませんよ)

 ああ……そういうことか。連城恭助に会い、そして問い質さなければならない。彼が何を見、そして何を知っているのかを。


 紗希が次なる行動を起こそうと決意した丁度そのとき、部下が血相を変えて紗希のデスクへと向かってきた。

「今度の案件は何だ。殺人か? 放火か? 生憎私には火急の要件が出来てね、手短に済ませたい」

 普段は精悍な顔つきの頼れる部下は、今や青ざめた顔で震えながら言葉を繋げた。

「そんな生易しいものじゃないですよ。です。それもこの街全ての人間を人質にした、ね。たった今、美桜宇宙開発センターがテロリストによって占拠されたとの匿名の通報が……!」

 紗希がその報告を聞き終わらない内に、また別の部下がやってくる。

「鷺さん、署に来客です」

「追い返せ。今は忙しい」

「それが、『通せば解るから』の一点張りで……」

「この忙しい時に、なんだってそんな……」

 紗希が悪態をついて頭を抱えかけた、そのときだった。通いなれた喫茶店に入店するように、その人物は悠々と署内へ現れた。

「やあ鷺宮。暫くぶりだね。おや……? どうして突っ立っているんだい? 知己のよしみだ。茶菓子の一つも出したまえよ」

 連城恭助は署内の空いた椅子にどかりと座ると、紗希へと学生時代から変わらぬ無邪気な笑みを見せた。


       ◇


 八月十一日、午後八時。美桜市内の全てのテレビ放送にて、大規模な電波障害が発生した。どのチャンネルでも番組の放映が一時中断され、数十秒の間だけ「ある映像」が流れた。何の変哲もないその映像は、地方枠だがニュースでも取り上げられ、世の多くはその映像の意味するところの情報を推測し、ネットでは様々な説がまことしやかに囁かれた。

 その時間にして三十秒にも満たなかった空白の時間は、お茶の間でいつも通りにテレビを眺めていた大半の美桜市民にとっては、何でもないものであったに違いない。テレビの故障、あるいは放送局の手違い。何せ、彼ら彼女らには「人っ子一人映っていない灰色の空間」を数十秒見せられただけだったのだから。だが、そう視えていなかった人間も、一定数いたのも事実だった。如月葉月と法条暁、その二人の女性も、数少ない例外であった。


 最初に映ったのは鮮やかな原色のブレスレット。やがてカメラに収められたのは、一体の愛らしい少女悪魔の全身だった。

「こんばんは~~! いたいけな悪魔憑きの皆さん、元気してる~~? まあ、ハッキング時間も限られてるんで、手短に言うね? 一度しか言わないからよく聞いてね〜〜。! 今残ってる悪魔憑きは全員、美桜宇宙開発センターに集合っ!! そこで次の神様を決めるよ!」

 悪魔憑きどうるいにだけ伝わるように悪魔に伝達役を任せるとは、彼女の契約者はなかなか頭が切れるな、などという法条の冷めた分析も、次なる悪魔の言葉の前では全く意味もなさなかった。

「ま、別に来なくても良いんだけどね〜〜。。十時までに残りの契約者が全員揃わなかった場合、なんと、あの開発途中の巨大ロケット、『アーベントレーテ』を街のど真ん中にぶち込んじゃいま~~す!! だから来なかったら、何も知らない小市民モブキャラさんたちと一緒に木っ端微塵だよ?」

 にへっ、と笑って少女悪魔は告げた。

 かつて悪魔憑きに招集をかけた如月葉月は戦慄する。この悪魔の契約者は、。最初から一般人を巻き込むことを前提で、契約者たちに訴えかけているのだ。来ても殺す、来なくても殺す、と。

「そんじゃ、皆と明日会えるの楽しみにしてるよ! 以上、歴代悪魔っ娘の中でも可愛さは随一との噂のルサールカちゃんからの伝言メッセージでした~~。ハバグッナイ!」

 反論を許さぬように、映像はぶつり、とそこで途切れた。


       ◇


 止めようもなく時は進んでいく。やがて訪れる崩壊へと、まっしぐらに。

       

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