第6話 探偵は姫を部下にする
翌日の朝起き、部屋を出て階段を降り、宿の食堂兼バーとなっているところへ向かったところ、八朔は咥えていた電子タバコを落としそうになった。
「おはようございます、探偵さん」
そこに待ち構えていたのはネイト姫だった。姫というよりもお嬢様といった感じの簡素なドレスを纏っている。
王族がこんなところを歩き回り、更に自分と関わっているところをあまり人に見られたくないため、八朔は周囲へ目を向ける。誰もいないというわけではないが、いるのが食堂の奥で朝食を摂っている波町だけなため話を続ける。
「……まあた黙って出て来たんですかい?」
「人聞きの悪いことを。今回はちゃんと話してから来ました」
「それはそれは。それで一国の姫様がこんなところになんの御用で?」
八朔の言葉にネイト姫は姿勢を正し、優雅に頭を下げた。
「私、本日より探偵見習いとしてこちらへ雇って頂くことになりました」
今度はきちんと口元から電子タバコがポロリと落ちた。
「……ちょっと聞き間違えたのかもしれねえが、こちらってのはどちらのことで?」
八朔は電子タバコを拾い、息を吹きかけ懐にしまうと帽子を押さえながら濁った眼でネイト姫を見る。
「どちらもこちらも、古今東西探偵というのはあなたしかおりませんよ」
間諜はいるが、探偵はいない。そして間諜は国か貴族が抱えているものであり、民間委託なんてするわけがない。
八朔は一度帽子を取り頭をがしがしと掻き、目深にかぶり直した。
「わりいがそれぁできねえ」
「できるできないではありませんよ。私は雇われたのですから」
「誰に?」
「あなたに、です」
このお嬢さんはなにを言っているんだ。八朔は呆れ顔になったがネイト姫は言葉を続ける。
「つまりですね、国民であるあなたが王族である私の決定に逆らうことができないため、私が雇われたと言えばそれは雇ったことになるのですよ」
八朔はつい「国民ではない」と言い返しそうになったが、正体をそこらじゅうに撒き散らす真似をしたくない。兄である王子には知られているが、それを妹へ伝えていないところを見ると、彼も八朔の意図を汲んでくれているのだろう。
「姫さん確か15つってたな。探偵っつうのは18からなのよ」
「そんな決まりありませんよ」
「探偵がオレ以外いねえんだったら決まりもオレが決めるんだよ。とにかく姫さんには無理だ」
「何故無理なんですか?」
「そりゃおめえ……」
そこまで言って止まってしまった。無理だという正当な理由が見当たらないのだ。女性というのも若いというのも理由にならない。
しかし思考は止まることなく回る。とりあえずひとつ、それらしいことが浮かんだ。
「あんた王族だろ。探偵っつうのは危険な仕事なんよ。その身一本で生きてかにゃあなんねえの」
「自分の身くらい守れず王族は務まりません」
「あと品が良すぎる。町の表と裏に溶け込むのが探偵の仕事だ」
「そこは見習い期間なのでおいおいと」
「……で、このことについて王子はなんと?」
「許可して下さいました」
八朔は中折れ帽を頭に押し付け無言で店を出ようとし、ネイト姫は慌ててそれを遮った。
「どちらへ向かわれるのですか?」
「城だ」
「なにかご用でも?」
「あの王子に色々言わにゃあなんねえ」
「謝りますのでやめて頂けませんか?」
「なにを謝る?」
「嘘をついていたことをです」
ネイト姫はとうとう白状した。
ここへ許可を得て来たのも嘘。王子に話を通したのも嘘。八朔はそうだろうなとため息をつく。
「────で、嘘つきの姫さん」
「その呼ばれ方は傷付きます」
少し悲しげな表情で八朔を見ているが、そんな演技を見抜けぬ男ではない。
「現にそうじゃないの。傷付きたくなきゃ下手な嘘を付かなきゃいい」
「それは……」
ネイト姫の目が泳ぐ。自分の行いが疚しいと分かっているのだろう。
「まあいい。探偵のコツをひとつ教えてやろうか」
「是非!」
「半端な仲間を作らねえことだ。わかったら帰んな」
しっしと猫を追っ払うように手を振る。その態度を見たネイト姫は顔を赤くし憤慨。
「な……なんですかその態度は!」
「態度もなにも、言ってんでしょ。半端な人間と一緒にいるとおちおち寝てもいられねえの」
「私は半端な気持ちで来たわけじゃありません!」
八朔は中折れ帽を摘まむように持ち上げ、横目でネイト姫を睨み、そしてまた帽子を目深にかぶる。一瞬の視線にネイト姫は怯むが、それでも後退りをしない。
「あんたの気持ちなんて知ったこっちゃねえ。仲間としては半端だっつってんの」
「どこがですか!?」
「……まず真っ先に嘘をついた。そんな人間に背中を預けるわけにゃあいかねえのよ」
「う……」
世の中には、自分が不利にならないための嘘はついてもいいと本気で思っている人間がいる。そういった人間の最も質が悪い点は、そのことについて全く悪いと思っていないことだ。
彼女がそういう人間であるのならば、仲間としてこれほど疎ましいものはない。できてないことをできたと言われ、挙句大失敗をし、そのことを咎めると責任を転嫁しようとする未来しか見えない。
「ではどうすれば許して頂けますか?」
「どうもこうも、別に許さねえっつう話はしてねえよ」
「え? でも……」
「ただ一緒には働きたくねえってだけだ。点をつけるならこれ以下がないほどの最低点だ。城に帰ってオヒメサマやってろっつうこった」
「っ……帰ります!」
ネイト姫は涙目になりながら飛び出して行った。それを見届けた八朔は、食堂の奥へ進む。
「けっこーマブいスケだったけどおっさんのシリアイか?」
波町が顛末を見ていたようだったが、会話は聞こえていなかったらしい。八朔はどうでもよさそうな顔をする。
「おめえさん、まだ20かそこらだろ。よくそんな古い言葉知ってんな」
「どーでもいーだろ。それよかおっさん、あんたスケにアメえヤロー思ってたがケッコーきっついのな」
八朔は基本的に女性を尊重するが、15歳以下のカテゴリは子供であり女性とは別になる。そして未成年の色目には見向きもしない。
「オレだって言いたかねえよ。だけどま、これだけ言っときゃもう来ねえだろ。朝っぱらから面倒かけやがって」
八朔は波町の対面に座り、ぐったりとした。
「────おい……おい!」
「んあ?」
八朔は揺り動かされ目を開けたが真っ暗だ。
ゆっくりとした動作で中折れ帽を顔から離し、周囲を見渡すと数人の兵士に囲まれていた。
「殿下がお呼びだ。同行してもらおう」
「……やべえ、そういや朝食まだだった」
「は?」
「食ってからでもいいか?」
八朔は問答無用で連れ去られてしまった。
「わざわざ悪かったな」
王子は謁見の間で気だるそうな目をし、足を組んで八朔を見ていた。
「そう思うなら朝食くらいは食わせてくれませんかねえ」
「……お前、今何時だと思っている?」
「さあ?」
王子は呆れ顔で八朔を見た。どちらかといえば昼に当たる時間だ。
「ま、まあいい。それで今回呼んだのは仕事を依頼したくてな」
「そうですかい」
八朔は今後必ずといっていいほど必要になる二式貴印を手放すつもりはない。つまり王子の仕事は断れない。
「そのな、あれをどうにかして欲しい」
王子から言われた瞬間、八朔は眩暈をおこしそうになった。
「……あれと言われても……」
「その様子では気付いていると思うのだが?」
「……なかなかお人が悪い」
「お前ほどではない」
王子は苦笑を堪えたような顔で八朔を眺めている。
「……具体的にはなにをしろと?」
「雇っているふりをしろ。手綱さえ掴んでいてくれれば問題ない」
「なんとかならんのですかい?」
「この町で動く探偵とやらであれば、あれもこの町から離れようとは思うまい。そうでなくとも勇者たちと同行したいと言っていたのを止められ不貞腐れているのだ。だから苦肉の策だ」
情けない顔を向ける八朔に、王子はなんとも言えない顔で応える。
「言いたいことはよくわかる。だからこちらの言いたいこともわかってもらいたい」
王子の口調からは、彼も苦労させられているのだなというのがひしひしと伝わる。だがそんなこと八朔には関係のないことであり、巻き込まないで欲しいとすら思っている。
しかし王族の言葉は決定であり、八朔が覆すことはできない。だからせめてもの願いを伝える。
「……条件を付けても?」
「構わん」
「事務所が欲しいんですがねえ。うんとセキュリティの高いとこで」
「いいだろう。他に必要なものがあれば言うがいい」
「では遠慮なく────」
八朔は色々と注文をつけていった。
「んなワケでオレぁ引っ越すことにしたから」
「どんなワケだよ!」
八朔は杉所と波町が集まっているところへやって来て、訳も言わず切り出してきた。
「事務所を借りたんだよ。準備できてからそっちで暮らす」
「マジかよ! 羨まし……くはないかな」
「ホテル暮らしのほうがいいにキマってんぜ! ソージもいらねーからな」
杉所と波町は一瞬羨んだが、よく考えれば別にそうでもないことを悟った。特に荷物があるわけでもないし、ちょっと金がかかる程度だ。
「いやまあセキュリティはいいかもしれねえけどよ……」
あれから4日後、八朔は頼んでいた物件を見て顔をしかめた。
目の前には守衛の詰め所。つまり杉所の職場だ。あの声のでかいおっさんと別れられると思っていたがそうはいかなかった。
「おっなんだお前、ここに住むのか!」
そして早速見つかってしまった。常駐されないことを切に願う。
ぶつくさと文句を言いつつ扉を開けると、思わず感嘆の声が漏れる。
広い事務所内にはデスクやソファなどの調度品が注文通り……いや想定以上のもので揃えられていた。
高価そうではあるが豪華ではない。八朔は早速デスクチェアに座り、机の上へ乱暴に足を落とす。
壊れる気配がない。それだけでも満更でもない笑みを浮かべる。探偵としていざというときのため、危ない連中とことを構える準備をしておきたい。調度品は武器にも盾にもなるものが好ましい。
そして奥へ行くと調理場や湯浴み場もあり、階段を登ると広めの部屋が6部屋あり、更にはロフトまである。
明らかに過剰設備であるが、中古物件であるし、あって困るものではない。しかもこれが貸与ではなく所有しているのだ。念願だった自前の事務所が手に入り嬉しくないはずがない。
それが例え
色々調べ回ろうとしたところ、1階から人の気配を感じ階段を降りる。すると────
「……よお」
目の前にはネイト姫が。少々気まずい。
一拍の沈黙が発生し、それをネイト姫が打ち破る。
「……ります……」
「あん?」
「絶対に探偵になって、あなたの鼻を明かしてやります!」
「……まあ頑張ってくれや。探偵になれやしねえと思うけど」
「何故ですか!?」
「何故って……」
八朔は握った拳から親指を突き出し、自分を指してにやりと笑う。
「探偵はオレだからだ」
「それで、探偵とはどのようなことをするのですか?」
「知らねえで来たのかよ」
「先日伺っております。人探しなどを行うのですよね?」
「基本はそうだな」
「ではまず市民に知っていただくため、町の掲示板に広告などを……」
「その前に買い物を頼むわ」
八朔は袋と紙を取り出し、ネイトへ渡した。
「買い、物……ですか?」
「そっ。買い物。欲しいモンはそこにメモしてあっから、早速行って来てくれや」
ネイトはメモの内容を見て声を荒げた。
「これ、食事の材料ですよね!」
「へえ、お姫様でもそんなこと知ってるんだな」
「ふざけないでください! 食べたかったらご自分で買いに行けばよろしいじゃないですか!」
「仕事でもねえのにオレが事務所空けるわけにゃいかねえでしょ」
「くっ……」
ネイトはメモをひったくるように掴むと、乱暴に外へ出て行った。
「……淑女らしくできないもんかねえ」
閉じられた扉を見ながら八朔は電子タバコをふかした。
「ただ今戻りました!」
ネイトが荷物を抱え、乱暴に机へ乗せる。飛び出してから実に2時間ほど経過していた。
「随分遅かったじゃないの。どこで遊んでた?」
「遊んでません! 町に不慣れなせいです!」
「……つまりそういうこった」
「どういうことですか!?」
どこまでも鈍い少女だと、八朔は帽子を置き頭を掻いた。
「いいか? 人探しとかをする場合、町をよく知っている必要がある。だってのに買い物すら満足にできねえときた」
「あ、う……」
「オレがただ厄介払いや便利に使おうとしていたとでも思ったか?」
これは町を知っているかのテストであり、町を知るための勉強でもあった。意図のわかったネイトは頭を下げる。
「……申し訳ありません。軽率でした」
「わかりゃあいいんだよ。んじゃ次、これ買ってきて」
「ま、またですか?」
「次はもちいと早く帰ってきて欲しいもんだね」
ニヤニヤしている八朔の顔を悔しそうな顔でネイトは見る。そこでひとつ思い浮かんだ。
「わかりました。それで、できれば地図を拝借させて頂けると……」
「地図なんかねえよ。わかんなかったらそこら歩いてるひとに聞くんだな」
しっしと手を振られ、ネイトは渋々事務所を出た。
そんな生活を暫く続けたのち、八朔はネイトを連れて商店街へ向かった。
「少しゃあ町んことわかったのか?」
「当たり前です! これだけ毎日通っていれば嫌でも覚えます!」
ふうんと適当な返事をして八朔は歩き、商店街のある通りの角にある串肉の屋台で足を止めた。
「景気はどうだい?」
「ハッサクの旦那か。そこそこってとこだな……っと、迷子のねえちゃんじゃねえか」
「えっ」
ネイトはそれが自分のことだと一瞬わからなかった。
商店街の入り口にある店なだけあって、一番声をかけやすい。ネイトはよくここで店を訊ねていたらしい。
「迷子のねえちゃんか。いい呼び名じゃねえか」
「よくありませんよ!」
不名誉な覚えられ方をしてネイトは憤慨しているが、八朔は少しご機嫌だった。
「こいつぁオレんとこの従業員なんよ」
「えっ、旦那働いてたんですかい?」
八朔は笑いながら屋根の柱をゆさゆさと揺らす。目はマジだ。
「わ、悪かったって! ほれ、そこの焦げたやつなら持って行っていいから!」
言われた途端、八朔は少し焦げている程度の肉串を2本ひったくり、手を振ってその場を離れた。
「今のは恐喝ではないのですか?」
「戯れただけだろ」
少し嬉しそうに肉を噛みちぎりながらネイトと通りを歩いて行く。
少し歩いたところで雑貨屋のおばさんが話しかけて来た。
「おや、いつもの。今日はどの店を探してんだい?」
「いつも探してるわけじゃ……」
「あれ、なんだい今日はハッサクさんに道案内させてるのかい」
八朔は無言でニカッと笑い手を振っていた。
「……探偵さん、有名なんですね」
少し歩いたところでネイトが呟いた。その間にも数人が八朔へ話しかけて来たのだ。
「いいか、探偵っつうのはな、町の人間と友好的であるべきなんだよ。不本意だろうと覚えてもらえりゃあいつか助けになる」
八朔は少しでも空いている時間があれば積極的に商店街などを歩き回り、店へ立ち寄ったりしていた。そして店員や歩いているひとといろんな世間話をする。9割が無駄話でも、行為に無駄はない。
ネイトはよくわからない様子だが、事件でもあればそれが嫌でもわかるようになるだろう。そんなことを考えながら商店街の奥へと歩いていった。
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