第2話 探偵は山を歩く
神が去ったあと、3人は黙々と歩いていた。
道は山深く、もはや道とは言えぬようなところだが、方向しかわからぬため真っすぐ進むしかないのだ。
木々の間から覗く太陽も低くなってきており、沈んでしまえば方向がわからなくなってしまう。焦りなのか山道なのに速度は低くない。
「そんでよーおっさんども。テメーらドコ行きやがんだ?」
少し歩いたところで、着いて来た波町が質問してくる。
「どこって、そりゃあ町だろ。つぅかゾクのあんちゃんも来んのかよ。今なら逃げられんじゃねえの?」
「へッ、なにをすんにもマチ行かねーとなんねーだろ」
それもそうだと八朔は中折れ帽を押さえ、再び進む。
3人の男はぞろぞろと山道を歩く。全身黄色の男とベージュの男。それに紺の男だ。山の中では少々目立つ。特に波町の黄色い特攻ジャケットは遠くからでも発見できそうだ。
「で、神様ん話じゃあこの山越えっと町があるっつうけどよ。着いたらおめえさんたちどうすんのよ」
「俺か? それはお前……」
杉所は固まった。
まず金が使えない。言葉は通じるらしいが、それだけで食っていけるわけがない。早急に稼ぐ必要がある。
「働くに決まってるだろ!」
「だよな。でもサンチョさんよぉ。なにするつもりなんだ?」
話によるとこの世界の文明レベルは低い。いわゆるアルバイトのようなものがあるのだろうか。
働き手の足りない仕事なんていくらでもあるだろう。だがだからといって雇ってくれるとは限らないし、そもそもよそ者に信用はない。
「そんなものは……着いてから考える!」
実際に町へ行ってみないとどういった仕事があるかわからない。自分に合う合わないはさておき、探す必要はある。
「ゾクのあんちゃんはどうすんよ」
「あ? おれがどーしよーとおれのカッテだろ」
「……まあ、そうだわな」
八朔は中折れ帽を目深にかぶる。これは面倒だと思ったときにやる癖だ。自分の勝手だという相手には勝手にさせておく。但し自分に被害がなければの話だが。
「ならこっちから聞くけどよなんでも屋」
「探偵だっつってんだろ」
「いつから引っ越しの手伝いや老人介護が探偵の仕事になったんだ」
杉所が呆れたように言う。
八朔は普段主に雑用のようなことをして生活費を稼いでいる。それでも空いている日は日雇いの仕事やアンケート、治験にまで手を出しているのだ。
「しゃあねえだろ。うちは個人経営の小さな事務所なの。食ってくためならそういう仕事も受けねえとな。んで聞きてえって話はそれか?」
「脱線しただけだ。お前はどうするつもりだ?」
「オレぁ探偵だから探偵を続けるさ」
需要があるかは不明だが、探偵をするらしい。だが探偵とは土地勘に加え、表と裏の人脈を築かなくてはならない。一朝一夕ではできないのだ。
八朔もずっとこの仕事をしているのだから、新参者が探偵を始めるということがどれだけ大変か知っているはずだ。それでもやるつもりらしい。
「なあサンチョさんよぉ」
「なんだ」
「なぁんか、匂わねえかい?」
暫く歩いたところで八朔は鼻をヒクヒクさせながら杉所に訊ねる。杉所も匂いをかいでみるが、いまいちよくわからない。
周辺から漂っているのは湿った草木と、土の匂いばかりだ。
「はっきり言えよなんの匂いだ」
「こいつぁ……血だな」
「動物のか?」
「いや人間のだろうな。甘みのある匂いだ」
「なんでそこまでわかるんだよ! お前は犬か!」
杉所は思わず叫ぶが、それでいて周囲を警戒する。八朔がそう言うのだからそうなのだろうと。そういうことがわかる程度には八朔との付き合いがある。
ほどなくして、離れた木々の隙間から数人……見た感じ子供が走っているのがちらちらと見えた。
「おぉなんか走って来るぞ。いいねぇ若いやつぁ」
「呑気なこと言ってる場合じゃないぞ! 追われて……なんじゃありゃあ!」
黄色い男が目立ったのか、杉所の叫び声が聞こえたからなのかは不明だが、剣や杖を持った少年少女がこちらへ方向転換。そしてその後ろからは
「……へっ、あれがうわさのバケモンか!」
波町が木刀の柄をぎゅっと握る。少し震えているのはやはり魔物相手というのは恐怖があるのだろう。汗もじっとりとかいている。
そもそもこの木刀がどれほどの力を得たのかわからないのだ。本当に役立つかはこれでわかる。
「武器を持った……豚の頭をかぶった人間か!?」
「
一方八朔からは焦りや恐怖が感じられない。あくまでもペースを崩さない男だ。
「た、助けて、助け……」
人の気配を感じ走って来た少年たちは、まさかそこにいるのが非武装のおっさんたちだとは思いもしなかったようだ。表情に絶望が浮かぶ。
「そーゆう顔すんなって。助けてやっからさあ。なあサンチョさん」
「だから
杉所は懐からリボルバーを取り出し構える。
そしてオークが近付いたところへ、乾いた炸裂音が数回鳴り響く。
頭を撃たれ絶命したオークの他も、突然の大音量に体が縮こまり足をもつれさせ転倒する。
「はいご苦労さんっと」
八朔はそう言って足元へ転がっているオークを蹴り上げる。するとオークは木に激突し、その衝撃で頭蓋骨を砕かれ絶命した。
「お、おいあんたナニモンだってーの!」
「だぁら探偵だっつってんだろゾクのあんちゃんよぉ」
そういう意味で聞いたのではないだろう。なにせ探偵が皆、体重100キロはあろうかという相手を5メートルほど蹴り飛ばし絶命させられるわけがないのだから。
「それよかそっちにもいんじゃねえか」
「おおっとぉ!?」
波町は足下に転げてきたオークを木刀で滅多切りにした。
「っと、坊主ども、終わったぜ」
少年たちは、一瞬で3匹のオークを倒した八朔たちの圧倒的な力を見たことよりも、助かったことに対しての安堵感でへたりこんでしまった。
しかしそれも束の間。少女がひとり、腕を抑えて呻きながら倒れる。八朔はその抑えている手を強引に剥ぎ取り傷口を見る。
太い血管を切ってしまったのだろうか、かなりの出血が未だ治まっていない状態だ。
「こりゃちぃとやばいな。おい、紐か丈夫な布はねぇか」
「お前のネクタイ使えばいいんじゃないのか?」
「これぁ最終手段だ。他に手があるなら使いたかねえ」
以前八朔が奮発して買った、総絹のブランドものだ。血の染みなんか付けたくない。ただし彼の服は汚れないのだが、恐らく気付いていない。
結局は車から持ち出したロープを波町の木刀で適当な長さに切り、傷口を圧迫するよう強めに巻いた。
「助かりました。ありがとうございます!」
倒れた少女以外が八朔たちに頭を下げる。
「気にすんな。困っているガキに手を差し伸べるのも大人の仕事だ」
「まさかオークが出てくるだなんて思いもしなくて……」
「この類人豚、オークっつうのか」
八朔はオークの死骸をしげしげと見る。
ひとに縫い付けたわけではなく、あくまでも自然にこうなったという姿だ。骨格標本などあったら見てみたいものだ。
調べていたところ、少年のひとりがオークの鼻を剪定ばさみのようなものでジョキジョキと切り落としていく。
「なにしてんだ?」
「え? ああこれはですね、オークを倒すと賞金が出るんで、その証拠ですよ」
「ふぅん。じゃあそこらの猪捕まえて鼻を落としたほうが手っ取り早いんじゃねえ?」
「まさか、すぐバレますよ。だって動物には魔力がないんですから」
動物と魔物の境界線は魔力の有無だ。なるほどなるほどと頷く八朔は、ふとした疑問をぶつけてみる。
「なあ、魔力っつうのは魔法を使う力ってことでいいか?」
「そうですが」
「魔法は人間にも使えるのか?」
「ええまあ」
「じゃあ人間と魔物の境界線はどこにあんだ?」
「えっ」
少年たちは答えに困る。動物と魔物の違いが魔力の有無だというのならば、魔力のある人間は魔物ではないのか。
きっと彼らはそんなことを考えたことすらなかっただろう。
「おう便利屋。その辺にしとけ。ガキども困ってるじゃないか」
「まあ、顔見りゃ答えなんて返ってこねえのわかるしな」
八朔はこの話を打ち切らせ、それよりも今重要な情報を得ることにした。
少年たちの話によると、ここから3時間ほどのところに町があるらしい。怪我をした少女を連れ帰るため戻るとのことで、八朔たちもそれに便乗する。
その道すがら町などのことについて色々と探る。凡その人口や治安、その他諸々。
「なんだ町入んのに金取んのかよなんとかランドみてえだな」
「仕方ないんですよ。そのお金が衛兵の給料とか町壁の修繕費になるんですから」
小言を呟く八朔を少年剣士のひとりが宥める。だがそんなことで納得できるわけがない。
なにせ文無しだ。つまり町に入れないことが確定している。
「あの、入町税は助けて頂いたお礼に支払いますよ」
「おいおい、礼だろうとガキに恵んでもらうほど落ちぶれちゃいねぇのよこれでも」
それはプライドの問題だ。どんな下らないものであろうとそういったものを疎かにしてしまうと、人間はどこまでも落ちてしまう。
しかしプライドだけではどうにもならないのも事実。あれは指針であるのと同時に枷でもあるのだ。
結局オークは八朔たちが倒したのだからこちらの取り分になるというのが落としどころとなった。
「つぅかあのバケモンの相場しらねえし、適当でいいからな」
八朔の言葉に少年たちは少し戸惑い、杉所は怪訝な顔をする。
「そんなのでいいのかよ」
「んなもん考えりゃわかんだろ。あのガキンチョどもがピンハネした後、これが売れた代金ですっつったらオレらぁそうですかとしか言いようがねぇの。他にどうすりゃいいんだ?」
「うっ、そりゃそうだけど」
杉所がどう思おうと、八朔の考えはわかりやすい。筋が通っているかどうかがわからぬとき、重要になるのは理解のしやすさだ。
それにもし金額を誤魔化していたとしても、通りがかりで助けただけだし被害もなし。そのうえ町まで案内してもらえるので全く損はない。入町料がもらえれば万々歳なのだ。
あとは先に入町料分だけもらい彼らと共に町へ入り、そのうえ彼らがモンスターを換金するまで貼り付くという手もあるが、そんな恰好の悪いことを八朔がやるわけない。彼はカッコつける男なのだから。
「あ、あの」
「あん? どうした坊主」
話の区切りがついたところで、ひとりの少年がおずおずと八朔に話しかけてきた。
「えっと、オークを蹴っ飛ばしましたよね」
「蹴っ飛ばしたな」
先ほど杉所が倒したのとは別の、音に驚いて転げてしまったオークのことだ。丁度いい場所にあったため、八朔は思わず蹴ってしまった。
「あれはどういう技なんですか!?」
少年は目を輝かせて問う。こんな細い体でサッカーボールのように巨体を蹴り飛ばす技。是非ともその秘密を知りたいのだろう。
「あんなもん技なんかじゃねぇよ。いいか坊主。世の中ってのはな、殴りゃあ大抵のものは壊れるし、蹴りゃあ大抵のものは吹っ飛ぶもんなんだよ。それに──」
杉所はそんな世の中ねえよと突っ込もうとしたが、更に突っ込みたくなる台詞を八朔が吐いたため上書きする羽目になる。
「──これでもオレぁ一応大人やってるからな」
「大人は理由にならねーよ!」
そんなツッコミを入れる杉所に八朔は中折れ帽を頭に押し付けて答える。
「ガキ守るのが大人の責務っつぅならよ、守れるだけの力を付けんのも責務だろうよ。それを怠ってるヤツぁ大人と呼べるのかねぇ」
「いやまあそれは……」
杉所は答えに詰まる。言っていることには一理ある。だが八朔の力は些か常識から逸脱しているのではないかという気がしているのだ。
道程の3分の2が過ぎたところで、少女を背負っていた少年がへばる。
「まだ着かねーかー! くっそ重いーっ」
しゃがみ込み少女を地面に置いた瞬間、少年は八朔から頭へ拳を落とされた。少年は痛みでのたうち回る。加減を間違えたかと八朔は自らのてを握ったり開いたりしてみる。
この男、手加減の具合というものがよくわかっていないらしい。
「おぐあああ……ってえな! なにすんですか!」
自らの頭をおさえている少年の胸倉を掴み引き寄せると、八朔は少年を睨みつける。あやうく漏らすほどの威圧に涙を浮かべながら少年は情けない顔で八朔を見る。
「あんなクソガキ。おめぇ男だったら
「えっ、あの……」
「返事は?」
「は……はい……」
少年は八朔に片手でひょいと持ち上げられ立たされ、地面に置かれた少女もまた片手で軽く持ち上げられ、少年の背中へ乗せた。
バケモノがいる。少年たちは八朔に逆らわないよう息を飲んで思った。
そして再び歩きはじめると、杉所が八朔の横へ移動した。
「お前の持論をガキに押し付けるなよ」
「いんや、こりゃ俺の持論じゃねぇのよ」
呆れたように言う杉所に、八朔は肩を竦めて答えた。
「ほう? じゃあ誰のだ?」
「誰とかそういう話じゃねぇんだよな。おめぇさん、結婚は?」
「一応している」
「おめぇさんはかみさんを持って重いつったこたぁあるか?」
「バカ言うなよ。んなこと言ったらぶん殴られる」
「だろうよ。そんでやり返さねえのか?」
「当たり前だろ! 女相手に手を上げるなんて最低だ!」
「そりゃおめぇさんの持論か?」
その質問に杉所は言葉を詰まらせる。
「こ、これは一般論だろ!」
「だろうな。てこたぁ最初から言わなきゃよかったっつうことになるんじゃねえの?」
「う、むぅ」
「賢く生きるためにゃあな、女相手に余計なトラブルの元を作らねえほうがいいんよ」
これが八朔の持論だ。とはいえ必ずしもそうできるとは限らない。そういうときは臨機応変に行動をする。つまり持論があっても扱いは適当なのだ。
「──おおそうだ」
もう少しで町というところで八朔はなにかを思いついたような仕草をした。
「どうしたよ便利屋」
「ちょっとな。おうガキ。安くしとっから今オーク1匹分買わねぇか?」
「なんだいきなり商売か?」
八朔の考えに呆れたような顔をする杉所。突然切り出したと思ったらなんだと言いたいのだろう。
「とりあえず入町料だけもらっときゃあオレらにゃ全く損はねえんだし、そんでいいんじゃねえの?」
オークを倒したとはいえ、別に大した労力でも危険を冒したわけでもない。そのうえで町まで案内してもらい、中へ入れるのだから賞金を取られたところで大きな問題はない。そもそも町へ着いてから金を稼ぐつもりだったのだから。
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