第14話 ありきたりな言葉とその使い道
俺はあの後、母さんが寝ている間に起きたことを出来るだけ沢山話した。三日分の愚痴を、俺はたらたらと述べた。
「そう、じゃあ今度翠ちゃんにお礼しなきゃね。私がいない間、私の代わりを務めたんだもの」
母さんはしたり顔でそう言った。俺はあいつに引っ叩かれた頬を摩りながら、溜息をついた。
「それに、その美瑠子ちゃんとかいうかわゆい子にもお礼をしなきゃね。私が退院したら家に二人とも招待しなさい」
俺は自分の家に三人の女が一緒にいる姿を想像してみた。想像だけで胃がきりきりと悲鳴を上げた。
「そうだ、またクッキーを焼こうかな」
その瞬間、俺はまたあの時のことを思い出した。
あの不味くて旨い、矛盾した食べ物を。
「なぜ母さんのクッキーは焦げていても旨いんだろう?」
母さんは俺の質問を聞いて、俺と同じように昔のことを思い出したんだろう。縛っていない長い髪をかき上げて、囁くように微笑んだ。
そして、その微笑みをいたずらっぽい笑顔に変えて、母さんは言った。
「決まっているじゃない」
そうして、母さんは恥ずかしげもなく、おいそれと人が使わない言葉を言った。その言葉は重く、誰にでも扱える代物ではない。たとえ勇気を出して扱っても、それが相手に届くことは極稀だ。
けれど母さんは、俺の母は、そんな扱いが難しい言葉を軽々と使いこなした。ここぞという場面で、母さんは最高の使い方をした。
「愛よ、愛。それ以外に――ないじゃない」
結論としてはなんの変哲もなく、面白みもなければ意外性もありはしない。冒頭から引っ張った問への解答としては、余りにも詰まらない。
「そうかよ」
だから俺は、淡白な返事をした。すると、母さんはにやにやと卑しい笑みを浮かべた。
「なんだよ……」
「それで、翠ちゃんと美瑠子ちゃん、本命はどっちなの?」
俺は溜息を通り越して呼吸を止めてしまった。
「私もいつ死ぬか分からないことだし……早く孫が見たいわ」
大根おも白けさせるほどの大根演技で、情緒的にいかにも可哀そうな母親風に言った。
「思わせぶりなことを言うな。さっき医者に聞いたら、二日後には退院できるそうじゃねえか。むしろかなり回復の早い元気な体だってよ」
そもそも、目覚めてすぐこんなにも会話が出来ている時点で、元気なことは疑いようがなかった。
でも、母さんの素っ頓狂な話は、愚かな俺の記憶を呼び覚まし、重要なことを思い出させた。
「明日早いから、俺はもう帰るよ」
「ぶーぶー、やっと目覚めた母親をほったらかすなんて薄情だわ。せめて甘いものを買ってきてくれないと」
「ただぱしりたいだけだろうが。さっきメロン食べたんだからそれで我慢してくれ。それに――友達を助けたいんだ。許してくれよ」
母さんは勢いよく枕に倒れこみ、埃を舞い上がらせると「じゃあね」と言った。
次の日の朝、俺は早く目を覚まし、早めに学校に向かった。
そうすれば、いつも馬鹿みたいに早く登校しているあいつと二人で話ができるだろう。
そうなれば、俺はあいつからヒントを聞き、あいつの馬鹿な謎を解き明かすのだ。そうして見せる。いつもにやにやと涼しげな顔で全てを見透かす解説者をただの女子高生にして、上から目線で傲慢なあいつの鼻を明かしてやろう。
自信はないが、やって見せるさ。
俺は教室のドアを開け、いるであろう美瑠子に向かって言い放った。
「お前の策略には恐れ入ったよ。危うく騙されるところだった。しかしね、俺も馬鹿じゃないんだ。お前の野望とやらを木端微塵の粉微塵にしてやろう」
しかし、美瑠子は教室にはいなかった。早朝の教室で独り言を言う俺は、馬鹿丸出しだった。
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