第3話 母の指と巡り合う本心

 医者の話を、俺は多分半分も理解できなかった。だから母親の病室に向かう途中、美瑠子が説明してくれた。

 腎機能の低下によって血圧が低下し、心肺機能にも不備が出ている。とにかく、体中ぼろぼろだと言われた。


「でもね、決して治らない症状じゃない。医者が訴えられるのを恐れて『もしかしたらがある』なんてふざけたことを言っても、ぼくが保証する。絶対に治る。だから、ここから先に入ったら、君はちゃんとお母さんと話すんだ」


 美瑠子はそっと俺の手を取ると、優しく握ってすぐに離した。その一瞬で、俺に勇気をくれた。ありったけの勇気を。


 けれど、俺みたいなちっぽけな男には、ゆっくりと進むことしか出来なかった。


 母さんは、たくさんのベッドが並ぶ部屋の窓際で横たわっていた。口や鼻、腕に管が繋がれて、ベッドサイドモニターは心音を示していた。

 呼吸音が消え入りそうなほど小さいから、モニターが発する音が母さんが生きている証だった。その機械音に俺は感謝した。この音が続く限りは、俺の母親は生きている。


 でも、母さんは目を閉じたまま目を覚まさなかった。

 俺は母さんの手を握った。骨と皮ばかりの、細い指だった。

 その細い指で、腕で、一体どれだけの重荷を背負ってきたのだと思い知った。


「母さん……」


 その一言に、俺はどれだけの想いを込めることができただろうか。多分、母さんが言う「行ってらっしゃい」や「おかえり」や「ただいま」にさえ勝てやしない。


 俺の言葉には、どうしてこんなに力がない……。

 いつだって、俺なんかの為に、ずっと一緒にいてくれた。なのに、俺は母さんがこんなになるまで何もしてやれなかった。


 ああ、やっぱりそうだ。

 俺は本当の親を憎んでなんかいないけれど、恋愛嫌いになった理由はそこにあったんだ。

 母さんにこんなことに追いやった、無責任な愛を俺は憎んでいる。


 そして、その張本人である俺自身を――俺は憎んでいる。

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