第9話 LOVEとlike

 生徒会室には先ほどと同じく生徒会長しかいなかった。もしかして、この生徒会はこの人しか所属していないのだろうか。

「ああ、他の生徒か?今月は美化月間なのでね、見回りに行っているんだ。私はいつもそんなようなことをしているのでね。たまには事務仕事をやらせてもらっているんだ」


 聞いてもいないのに、会長は俺の表情を見ただけでそう言った。

 やはりこの人は美瑠子と同じ人種だ。一瞬で色んなことを考え、計算し、答えを出す。所謂頭の回転が速い人だ。


「ところで何の用だ?君は私の名前さえ知らないのに、私に興味があるのか?」

 図星だった。社会の先生に、日本の首相を知らないことを責められたときと同じ心境に陥った。


「恥じることはない。責める気もない。別に私は自分が有名人だとは微塵も思っていないからね」

 貴女は十分有名人ですよ――と言いそうになったが、名前も知らない時点でその言葉には説得力など皆無だからだ。


「私は東山頼子という名前だよ。そろそろ用件を話してくれないか?」

 ここまでは完全に会長――頼子先輩のペースだった。けれど俺は深呼吸して話す言葉を慎重に選んだ。

「先輩にお願いしたいことがあって来ました。弟さんの存在を、否定してくれませんか?」


 沈黙が訪れた。

 時間で言えば一分ほど。しかし、その間先輩が走らせるシャーペンの、紙を擦る音だけが響いていた。恐怖さえ感じるほどそれだけしか聞こえていなかった。

 先輩はシャーペンを置き、紙を横にあるスペースに纏めた。

 そして口を開いた。


「私にもう一度弟を殺せと言うのか?」

 

 その日初めて、俺は先輩の顔を見た。真っすぐ正面から、先輩の言葉を聞いた。


「俺としてはそうしていただきたい。幼馴染が怖がっている。理由はそれだけです。お願いします」

 俺はゆっくりと頭を下げた。気持ちがどれだけ伝わるか分からないが、出来るだけの気持ちを込めた。


「君の言葉は理解できる。君の言う通りにするべきだとも思っている――だが無理だ」

 予想通りの答えが返ってきた。こう言われるのは分かっていた。昨日の俺ならやらなかっただろう。けれど今は、今の俺は少しだけ正直な人間だ。

 真っすぐ生きている人が好きだと気づき、そんな人間になりたいと願った俺は、少しだけ往生際が悪かった。


 その醜悪さも美しさも、あいつが教えてくれている。


「それでも俺は引きませんよ。あなたがあの幽霊を弟じゃないと認めるまで、俺はここを出ていかない」

 頼子先輩は目頭を揉みほぐしながら、ふうっと色っぽい息を吐いた。


「そもそもなぜ気づいた?君は探偵かなにかか?」

「ドラえもんを持っているのび太ですよ」

 頼子先輩は鼻で笑い、隣にある椅子を指差して、俺に座るように指示した。


「貴女は一年前に事故死した弟さんが、幽霊になってこの学校に現れたと思った――いや、そう思うことにした。そうしていれば、それは立派な怪談になる。口裂け女の都市伝説みたいに、存在しているかのようになる」

「できれば怪談と表現するのをやめてくれ。そういうのとは違う」

 頼子先輩は少しだけ不機嫌な表情になった。目つきが鋭くなり、大きな瞳が狭まった。


 近くで見ると本当に綺麗な顔つきだった。俺は照れないように気を付けるので精いっぱいとなり、次の言葉が浮かばなかった。


「しかし、誰にも気づかれない為に、『恋している』と言ったのに、なぜ弟のことだと思った?」

「その辺は、俺のドラえもんの優秀さのおかげですよ」

 

 美瑠子は言った、恋=likeであり、like=肉親への愛情だと。正直未だによく分かっていないが、愛していると表現すると、他人への愛情に聞こえる場合もあるということだろう。


 日本語は難しい。翻訳するときは特に。

 弟という名詞を使えない以上は、愛していると表現することは出来ない。文としての意味が、「他人を愛している」という意味になってしまうからだ。けれど表現したいのは他人ではなく弟だ。だから、loveをlikeに変えることで他人から弟に変換した。

 けれど、やっぱり俺はよく分からない。美瑠子とよく似ている頼子先輩にとっては大丈夫なのだろう。先輩の中でそういうことになるのなら、問題はない。


「私の弟はね、私と同じ学校に行きたいと言っていた。男の子なのに吹奏楽部か合唱部に入りたいと言っていたんだ。まあ、それはもう少し成長していたら撤回していたかもしれないが、私の中ではまだ音楽室に憧れる弟なんだ」

 俺は逃げたい衝動を抑えるのに必死だった。こんな話を聞かされて、俺は何を言えばいいというのだろう。


 でも俺は言わなければいけない。俺は翠が好きだから。


 これ以上、あいつの怖がる顔は見たくないから。


 震えたあいつの手を、握ってやりたいと思った。だから、俺は――手を伸ばした。


「このままでも、いつか鎮静化するでしょう。幽霊のことなんていつか皆忘れて、なにもなかったみたいになるでしょう。でもいつかじゃダメなんだ。俺は今すぐ、あいつを助けたい」

 俺はしっかりと頼子先輩を見つめて言った。


「そうか、君はその子を、愛しているんだね」


 これだから、頭の良い奴は嫌いなんだ……。

 俺は顔が熱くなるのを感じながら、溜息をついた。

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