第10話 解決と解答
俺は後ろに佐藤さん家の奥さんを乗せて、自転車をこいでいた。けれど行きのように勢いよくこぐことは出来なかった。
奥さんがいた百貨店から公園まで、軽く三キロはあったからだ。往復で六キロ、しかも重量は倍になっていて、俺は運動部でもない。息が上がり、体中から汗を拭きだしている。
「だ、大丈夫?」
俺のみっともない姿を心配した奥さんが声をかけてくれた。
「大丈夫です」
心配をかけたくなくて、俺は出来る限りの反応速度で即答した。
「それに、これは罰なんです」
「なんの?」
奥さんが不思議そうに聞いた。
「自分の頭の悪さも知らずに、友達の意見を全否定してしまったんで……」
多分奥さんは後ろで首を傾げていることだろう。
そうこうしている内に、なんとか公園まで辿り着くことができた。
あいつと男の子は、ベンチで仲良く頭を持たれさせながら眠っていた。自転車を止めると、奥さんはすぐに降りて、男の子の元へとかけていった。
俺は自転車のスタンドを下ろし、サドルに掴まりながら両膝を地面につけて深呼吸をした。
なんかいつもとは違う、こひゅーこひゅーという妙な呼吸音が聞こえてきた。大丈夫だよな、これ……。
「大丈夫!?」
あいつが――翠が駆け寄ってきた。足が痛いだろうに、そんなことは気にならないかのように来てくれた。
「お前な……百貨店の近くで佐藤君を見つけたくせに、こんなところまで連れてきてんじゃねえよ!」
疲れからくる苛立ちのせいか、俺の言葉は少々強めだった。
「だ、だってどこを探してもお母さんいなかったから、団地に戻っているのかと思って……」
失態の責任を少しでも軽くしようとしているのか、おどおどしながら翠は言った。
「いなくなった息子ほったらかして、母親が一人で帰るわけねえだろうが!」
俺が叫ぶと、翠は口をあんぐりと開けて驚いていた。そしてわなわなと震えながら「確かに」と呟いた。
「ほら」
「なにこれ?」
「絆創膏だよ」
百貨店で奥さんを探しているとき、一応買っておいたのだ。
「ありがと」
翠は嬉しそうに笑って絆創膏を受け取り、これまた嬉しそうにお礼を言った。
その後は、お礼と謝罪の乱射戦だった。
奥さんが謝り、お礼を言って。佐藤君がお礼を言って、謝って。翠が謙遜しながら謝った。
俺はとにかく疲れていて、そんな三人の様子を眺めているだけだった。
そして日が完全に沈み切ってようやく、奥さんと佐藤君は公園から帰っていった。
「どうして佐藤君のお母さんの居場所が分かったの?」
「美瑠子に聞いたんだよ。あいつもお前と子供のことは見ていたらしいからな。なんとなく事情を全部理解していると思ったんだ」
美瑠子は佐藤君が握りしめていた風船が、どこで配られているものなのかを探ってくれていたらしい。だからあいつは、すぐに百貨店だと教えてくれた。
結局、今日一日、俺はあいつの手の平の上で踊り狂っていただけみたいだ。
「あ、あのさ、ごめんね」
翠は申し訳なそうに、俯いて、もじもじ恥ずかしそうに言った。
「なんで謝るんだよ」
「え?だってまた私、和くんに迷惑かけちゃったから……」
俺は、言うべき言葉を少しだけ考えた。でも、考え始めて、その必要はないと、この思考は無駄だと思った。
だって、その思考の答えは、もう教えて貰っていたから。今日の早朝に、お節介な奴が勝手に示してしまっていたから。
「迷惑なんてかけられちゃいねえよ。お前は、正しいことをしたんだ」
いつだってそうだった。
世界を救いたいと願い、目の前の出来事を無視できなくて、手を差し伸べる。
でも俺は、自分にできないことをやってのける翠に嫉妬して、こいつの弱さを忘れていた。忘れるようにしていた。
翠は、気の強い団長でも、虎のように気高い少女でも、使い魔のために戦う主人でも、文房具で自衛する少女でもない。ただの普通の、女の子なんだ。
だから、俺が怪我をするといつも、悲しんで泣いていた。
指を折った時も、目を傷つけた時も、腕を折った時も、翠は後悔して悲しんで俺以上に泣いていた。
翠はそんな普通の、気の弱い女の子なんだ。それなのに、翠はずっと変わらなかった。子供の頃に描いたまま、困っている人を助けたいと願い続けている。
そんな翠を、俺みたいな奴が責められるはずがないんだ。
俺はみっともない嫉妬心を隠したくて、そんな弱さをわざと忘れていた。弱さを忘れて、フィクションに登場する勝手気ままな少女と同じだと思うようにしていた。
本当は、自分の弱さを認めながら、それでも人助けを続ける優しさに、俺は惚れてしまっていたんだ。
それが真実で、美瑠子が見抜いた本心だった。
今日一日俺が散々宣っていたことは、美瑠子の推理通りただの照れ隠しだったのだろう。そのことに気づくと、俺は恥ずかしくなってしまった。
翠は黙っている俺の顔を覗き込んで、首を傾げている。
俺はため息をついて、今日の長い一日を思い返しながら、自分の気持ちを確認した。
そして、弱く――優しく――笑顔が素敵な幼馴染を見て、憧れに近いその感情を心の中で言語化した。
俺は夜市翠を――愛している。
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