第5話 世界救出計画とその犠牲

 昔、正確には十三年前――と言うと、そんなに昔のことを覚えているだなんて女々しい奴だと思われそうだが、そんなことはない。そんなことは決してない。あの出来事を忘れるなんてできるわけがない。

 話は逸れたが十三年前のことを話すとしよう。


 十三年前俺がやっとこさ自我を持った時期、同じようにあいつも自我を持った。そのころからあいつはあいつだった。何が言いたいかと言うと、あいつは昔から変わっていないということだ。

 三歳半のとき、俺はお隣さんであるあいつの家に預けられることがあった。だからあいつと俺はよく一緒に遊んでいた。


「わたし世界を救いたい」


 確か、二人で空を飛ぶアンパンが人々を助けるアニメーションを見ていた時だ。あいつは唐突にそう言った。

 鼻水も啜れない子供だった俺は、あいつの発言を理解できなかった。戸惑った表情であいつを見ていると、突然椅子から飛んだ。俺には椅子からジャンプしたあいつを見守ることしか出来なかった。


 なぜ世界を救いたいと思った後、そんな奇行に走ったのか分からなかった。だが翼を持たないあいつが飛んだ場合、その後に待っているのは落下だった。危ないと思った俺は咄嗟に下敷きになることであいつを守ろうとした。


 その結果、俺は三歳にして小指の骨を折った。


 そして七歳になったころ、あいつは言った。


「ワタシ世界を救いたい」


 公園の砂場の真ん中で、拳を高々と天に掲げてそう言った。俺は嫌な予感がした。

 あいつは砂場中の砂をかき集め、大きな城を建造した。こんなことを言うのは癪だが、なんとも素晴らしい城だった。昔からあいつは器用で、図画工作や美術の授業では好成績を修めていた。


 あいつはこの城を正義の味方の秘密基地にすると言った。俺はその発言は無視したが、圧巻の砂城に見惚れることは無視できなかった。


 そうして砂城に意識を取られたのが命取りだった。不安定な砂城は、文字通りぼろぼろに崩れた。そしてその大量の砂が俺を襲った。

 砂が落ちてきても、その重量のせいで怪我はしなかった。しかし、砂という粒子は、俺の目の粘膜を傷つけるのには十分だった。左目が痛みで開けられなくなり、眼科に行くことになった。全治二週間の怪我だった。


 更に十一歳の時――、この頃になると次第にあいつの異常性に気づき始め、あまり関わらないようにしていた。でもあいつは、俺の必死の逃避行を無視して、放課後の教室で帰る準備をしている俺に向かって言った。けれど俺は言う前から、嫌な予感がしていた。


「私世界を救いたい」


 俺は口をあんぐりと開き、体をわなわなと震わせた。まるで動物が暗闇を怖がるように、原始的で、根源的な恐怖を感じていた。脂汗が噴出し、体中の毛が逆立ち、確認することはできないが瞳孔も開いていただろう。

 そんな体の危険信号を無視し、あいつは俺の手を引っ張り、女子とは思えない腕力で無理矢理教室の外へと連れ出した。


 そうして、三度目の世界救出宣言の末、あいつは俺を連れ回し、市内を一周した。

 なぜそんなことをするのかと聞いたら、あいつは嬉しそうに答えた。


「困っている人を救いたいの」


 それならここに、お前に連れまわされて困っている俺がいる、と言おうとしたとき、猫の鳴き声が聞こえた。

 木の上で降りられなくなっている猫が、悲しそうに鳴いていた。俺はそれを見て、なんてベタなんだと驚いた。そして、そのあとの展開がパラパラ漫画のように脳内を駆け巡った。動物的直観とも言うべきなのか、俺はそのあと起こる不幸な出来事を容易に想像できてしまった。


 そしてそれは、俺の頭に浮かんだ光景と寸分の狂いなく訪れた。

 猫を助けようとしたあいつは、足を滑らせ猫と共に落下してきた。

 俺は咄嗟に腕を伸ばして突っ込み、右腕をあいつと地面のクッション材にしてしまった。


 その当時流行り始めた低反発クッションでもなければ、安価ですぐへたる枕でもない俺の腕は、正確には腕の骨が、くしゃりと針金細工のようにひしゃげてしまった。

 俺は叫び声をあげた。でもそれは、お気に入りの高級車のボディがひしゃげたからではない。気に入っていない俺の腕が痛かったからだ。


 その後も、俺はあいつに振り回された。

 だから俺は、高木にはっきりと宣言したのだ。

「あいつはお前の手に負える相手じゃない」と。

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