第3話 制服嫌いの少女の夢
あいつとどうやって出会ったのかは、もう思い出せない。気が付いたら傍にいた。そんな印象しか残っていない。
俺は昔から忘れっぽい。いや、忘れっぽくなるようにしてきた。だから、あいつと出会った幼い頃なんて覚えているはずがない。
だが美瑠子と出会った時のことは、なぜかはっきりと覚えている。
入学式の日、カバンに付けていたストラップを探して、まだ慣れない校舎を練り歩いていた時だった。美瑠子は三階の踊り場、屋上へ通じるドアに背を預けて座っていた。風貌や雰囲気で、俺と同じ一年生だということは分かった。けれど、ジャージ姿で短髪の少女を入学式の場で見た覚えがなかったから、一体どういう理由でここにいるのだろうかと疑問に思った。
「なにしてんの?」
俺はカバンを背負い直しながら、少女に聞いた。馴れ馴れしいかもしれなかったが、聞かずにその場を去ることなんてできなかった。それほどまでに、少女が醸し出す雰囲気は独特だったと言える。
「実はね、屋上から飛び降りようと思っていたんだ。夢だったんだよ、高校の屋上から飛び降りて死ぬことが……。でも、鍵が掛かっていて入れないんだ。つまり今ぼくは、夢破れて落ち込んでいるってところかな」
その言葉を、俺は何かの隠喩だと思っていた。しかし後になって、なんの意味もない冗談だと聞かされた。
「そうか。だからジャージ着てんのか?」
その時の俺はなんの暗喩なのか考えるのが面倒になって、美瑠子の話に乗っかることにした。変な言動に振り回されるのは、あいつでもう慣れっこだったから、返す言葉は自然と出てきた。
「ん?どういう意味だい?」
「新しい制服を血で汚したくないから、ジャージで死のうと思ったんじゃねえの?」
俺がそう言うと、美瑠子は笑った。楽しそうに、高らかに声を上げて。
「なるほどね。その発想はなかったな。君はぼくが思っているより頭の良い人間のようだ」
笑った後、美瑠子は自分の隣を指さして、そこに座るように示した。俺はなんとなく美瑠子の指示通り座ることにした。特に意味はない。多分、気まぐれだった。
「制服が嫌いなんだよ。ぼくはこういう、なにかの象徴みたいなものは総じて嫌悪しているんだ」
美瑠子はジャージを着ている理由を語り始めた。俺としてはさっさと帰りたい気持ちで一杯だったが、なぜかそうすることは憚られた。どうしてだろう。その答えは未だに分からない。
「身なりで何かを表そうなんて、傲慢で気色悪いと思うんだよ」
多分、美瑠子が言いたいことの本質とは違うかもしれないけれど、警察の制服は市民に安心感を与えるためにあるという雑学を思い出した。俺はどちらかというと、警察官をみるとぎょっとしてしまうから、その理屈はおかしいと思った。
「男子の制服は軍服、女子の制服は水兵の服がモチーフになっている。それを着せることを義務付ける誰かも、それをお洒落だなんだと抜かして着るやつも、ぼくは嫌悪しているんだ」
なんだかリア充を恨む可哀そうなやつに見えてきた。俺はとにかくこの奇妙な会話を終わらせたくて、無い頭をこねくり回して言葉を探した。
「でも、それでも、着た方がいい。なにかに頼ってでも何かでいた方が楽なこともある。制服を着ているだけで、俺たちは金も稼げないのに世間から否定されることがないから」
結局、この世界で重要なのは肩書なんだ。ただの言葉も、社長の言葉というだけで拍が付く。
母親という肩書を持つだけで、血の繋がりのない赤の他人を愛することだってできる。
人は肩書に守られ、役職によって幸せになる。そんな人生観が、俺にはあった。
「俺たちはきっと、なにかでいないと、不安で、怖くて、生きてなんかいけないんだよ」
柄にもないことを言ってしまった。今思い出しても恥ずかしい。赤面したのが、顔から感じる発熱で分かった。
「そうか。確かに、そうだよね」
美瑠子はそう呟いて、少しだけ微笑んだ。
その笑顔を見たとき、俺はあいつを思い出した。
俺はこんな無邪気で明るい笑顔を、あいつ以外がしたことに驚いた。
だから俺は今でも覚えているんだ。そんな驚きがずっと心に残って、根付いてしまっているんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます