第2話 渇望と溜息

 今年の春、俺は高校一年生になった。

 高校生になれば何かが変わると思っていたが、現実はそう簡単には変わらなかった。俺の住む田舎では、ほとんどの同級生が同じ高校へと進学した。だから新しいクラスメイトと出会うということもなく、ほぼ中学と同じ面子で高校に入学した。


 ただ通う場所が変わっただけで、新鮮な出来事なんて何一つ起きなかった。

 思えば中学生になった時も、同じようなことを考えた。きっと俺はこれからも、そんな馬鹿みたいな期待を抱き、現実に打ちのめされながら生きていくんだろうな。おそらく大学生になるときだって同じことを考える。分かっていても、繰り返す。


 中毒患者さながらの思考回路は、最早手の施しようがないほど進行していて、俺にはどうすることもできない。

 無意味な期待を繰り返し、根拠ない理論を振りかざす。そうする理由は、多分俺が飢えているからだろう。何もないこの人生に、何かが起こってくれることを願っている。


 サンタの正体を知り、夢が叶わないことを知り、不可思議なことなんて何もないことを知っても、俺は諦められないんだ。


 だからかもしれない。諦めなくてはいけないのに、諦められないことを悩んでいるから、悩みもなく楽しそうに笑うあいつが嫌いなんだ。


 俺は人生を詰まらないと思っているのに、あいつは人生を面白いと言い張る。俺は何も変わらないと感じているのに、あいつは人生は驚きに満ちていると言い張る。


 真実がどうであれ、あいつは俺にできないことを、平然とやってのける。

 それを憎らしいと思わない方がどうかしている。


「最近何か面白いことあった?」

 机に頬ずりして、ぐったりと項垂れている高木がそんなことを言った。

「昨日のカレーに茄子が入ってた」

「そっか」

 高木は退屈そうに呟くと、大きく伸びて欠伸を漏らした。

「次何限だっけ?」

「四限目だな」

 俺は次の科目の教科書を出しながら答えた。


「昼休みまであともうちょいか……」

 高木が昼休みを渇望する理由は腹が減っているからだろう。かく言う俺も腹が減っていた。三限目を超えた辺りでやってくる、この強烈な空腹感はなんなんだろう。


「そういえば、お前と翠ちゃんって付き合ってんの?」


 俺は高木の質問を聞いて、深いため息を漏らした。


「なんだよ」

「いや、その質問高校に入ってからもう五十回はされてるから」

 もううんざりだった。どうして皆、ある程度仲の良い男女を見ると、すぐに恋愛に発展させようとするんだろう。俺には理解できなかった。


 人の恋愛感情というものに、人の強欲を知らない人に、心底嫌気が差している俺にはそんな人全てが憎くさえ思えた。


 でも、俺みたいな考えを持つことは変なことで、普通とは違うということは理解している。

 だから、こういう風に聞かれたとき、俺は感情を押し殺して「ただの幼馴染だよ」と答えている。

 そして俺はこの時も、いつも通り、怒りを押し殺してそう答えた。だって、怒りを覚えること自体間違いなんだから。


「そうか。てっきりそうなのかと思ってた」


 けらけらと笑いながら高木は言った。そんな姿を見て、俺はやっぱり自分の考え方は人とずれているのだと思い知った。幾度となく、思い知り、今日もまた思い知った自分と世間の間で生じているずれに、俺は何度目か分からない落胆を味わった。


「俺には一生恋愛なんて無理だ」

「なぜそう思う?」

 俺が高木に対して声明を発表すると、突然現れた美瑠子が、突然そう聞いた。


「ん?なんでぼくがここにいるのかって顔をしているね。愚問だな。ぼくは君と同じクラスじゃないか」

 いつも通りジャージ姿の美瑠子が、聞かれてもいないのにそう答えた。戸惑う高木を、俺と美瑠子は無視して会話を始めた。


「理解できないんだ。誰かを好きになるってことが」


 誰かを愛するってことが。

 好きだとか、愛だとかを、平気で口にすること人間のことが理解できない。

 その言葉の責任を、重さを理解せず、平気な顔して生きている奴を俺は嫌悪しているんだ。


「感情や感覚は人それぞれさ。君は君なりに人を想えばいい。何を怖がっている?何を恐れている?」

「何も恐れちゃいない。ただ、俺には分からない」


 理解できないから、遠ざけている。


「じゃあぼくが教えよう」

 美瑠子は嬉しそうに、誇らしそうにそう言うと自分の席に帰っていった。


「なんだったんだ?」

 高木の言葉に俺はため息混じりの言葉を返した。

「知るかよ」

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