第5話 ディズニーランド・パリ

 世界で4つ目のディズニーパークであるここ「ディズニーランド・パリ」ですが、意外にもその歴史は古く、第3のディズニーパークこそ日本の「東京ディズニーランド」でしたが、計画の初めは1970年代にまでさかのぼります。




 ちょうど「ウォルト・ディズニー・ワールド」が開園し、いよいよ国外にに目を向けたディズニー本社。

 まずは欧州の地をターゲットとしました。

 その10年後、1983年に開園した海外で初のディズニーパーク、「東京ディズニーランド」の成功を受け、ディズニー社は本格的な海外進出へと動きます。

 1985年には最終候補地をフランスとスペインに絞り、地質調査から最も建設が容易かつ交通の便が良いパリ郊外の町、「マルヌ=ラ=ヴァレ」に決定しました。


 そして1988年から建設工事が開始、終盤の1991年には第2パークの建設が決定します。

 1992年4月12日、「ディズニーランド・パリ」が誕生。当時の名称は「ユーロディズニーランド」で、今なおファンの中には旧名称を略した「ユーロディズニー」などと呼ぶ人もいます。


 10年後の2002年3月16日、第2パークの「ウォルト・ディズニー・スタジオ・パーク」が開園。

 同時に「ユーロディズニーランド」から「ディズニーランド・パリ」と名前を変えていた第1パークは「ディズニーランド・パーク」へと再び名前が変わり、その旧名はテーマリゾートの名へと変わりました。




 何度も名称を変えたのには理由があります。

 それは、「ユーロ」という言葉のイメージの違いでした。

 ディズニー本社は「欧州地域全体のためのパーク」として名前を付けましたが、現地の人々からは「ビジネス的」という印象を持ちやすい言葉ということで、『花の都』パリの名を冠することと決めました。


 ちなみに、単に「ディズニーランド・パーク」と正式名称で呼んでしまうとカリフォルニアの「ディズニーランド」と混同されがちなため、多くの場合単にリゾートの名称と同じ名前で呼ばれます。本当にややこしいというか、面倒くさいですね。あ、ここ笑うところですよ。




 やはりディズニーブランドということで本家アメリカや日本に勝るとも劣らない大人気のパークですが、開園当初からやや経営には苦労しているようです。

 2010年代に入ってもパリで起きたテロ事件などの影響で客足が遠のくなど、あまり成功とはいえない状態となっています。

 しかし、パリだけのオリジナルも多いですし、何より地元を舞台としたディズニー・ピクサー作品『レミーのおいしいレストラン』のアトラクションもありますので、一見の価値はあります。問題は言語ですが(笑)。

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