第3話 ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート

 世界で最も大きいディズニーパークとして名が知られており、その面積は山手線の内側2倍、東京ドーム換算でおよそ2600個にもなります。


 その敷地の中には、マジック・キングダム、エプコット、ディズニー・アニマル・キングダム、ディズニー・ハリウッド・スタジオの4テーマパークと、ディズニー・タイフーン・ラグーン、ディズニー・ブリザード・ビーチの2ウォーターパークが入っています。




 前回で少し触れましたが、パークの建設構想はカリフォルニア州のディズニーランドが開園してから4年後の、1959年に始まりました。

 当初はカリフォルニアの第2パーク計画(現在の『ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー』)と並行状態で進められましたが、全米人口の大多数を占める東海岸でのパーク建設が先となりました。

 いくつかの候補地から、最も安くなおかつ地質の問題で買い手のなかったフロリダに決まります。

 購入した土地に植わっていた植物は全て引き抜き、湿地帯だった土地も灌漑するなど徹底的に改造。

 ウォルトはこの計画を、"EPCOT"——「実験的未来都市」と名付けました。

 しかしその途中で彼は病によりこの世を去ってしまいます。

 その最期の夢を継いだのは、ウォルトの兄、ロイでした。

 ですが弟の夢はあまりにも壮大だったため、「未来」というテーマだけを残して計画は続行されました。


 そして1971年10月1日、「マジック・キングダム」のオープンを皮切りにディズニーワールドは誕生。

 ロイは弟の死を悼み、その名前を加えた「ウォルト・ディズニー・ワールド」にパーク名を変えました。

 その後1982年の同じ10月1日に、ウォルトの遺した計画――"EPCOT"の名を冠する未来をテーマにしたパークが、1989年5月1日、1998年4月22日にそれぞれ映画とジャングルをテーマとした、「ディズニー・ハリウッド・スタジオ(開園当時はディズニーMGMスタジオ、2008年に名称変更)」と「ディズニー・アニマル・キングダム」が開園。

 訪問者数・規模において名実ともに世界最大のディズニーリゾートとなりました。



 時は少し戻って、1989年6月1日には「荒れた南国の湾」をテーマとした「ディズニー・タイフーン・ラグーン」、1995年4月1日に”溶けかけた”スキー・リゾート、「ディズニー・ブリザード・ビーチ」がオープン。

 この2つは、いわば「巨大プール」、日本でいうところの「東京サマーランド」のようなものと考えてくだされば結構です。


 残念ながら1976年6月20日にオープンした最初のウォーターパーク、「ディズニー・リバー・カントリー」は2001年にクローズし永久閉鎖となってしまいましたが、その敷地は今も廃墟としてひっそりと残されているそうです。

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