第5話 絶望の魔女と深緑の魔女《前》

 ◇◇◇





 金属が打ち合う音。

 大地を踏み鳴らす音。

 己を奮い立たせる戦叫ウォークライ


 アナは戦場の真っ只中で、戦場音楽を聞いていた。

 平原のあちこちで鉄と鉄がぶつかり合っている。

 アナの『力の移動』で、ブリトン人の戦士たちは飢えることなく、また体力も尽きることなく戦うことが出来た。しかし、アナの負担は重かった。

 魔術を使うには魔力が必要で、人の身に宿る魔力は無尽蔵ではない。

 アナが持つ神宝アルティファクトゥム・ミソロギア、『ダグザの豊穣の大釜』は、ほぼ無尽蔵の魔力を供給するもので、それを使えば魔力切れを心配する必要はない。

 しかし強い魔力に長時間さらされると、魔力による汚染が起こる。

 アナの体は既に人の身から変質を起こしている。髪や瞳の色が変わり、体が成長しなくなっている。今のところ致命的なものではないが、このまま戦場で魔術を使い続ければ、その限りではない。


 それでもアナは、誰も傷つけたくはなかったし、シルヴィーを前線に近づけたくもなかった。


(もう少し、もう少し押し返せば、ハドリアヌスの壁に辿り着く――)


 そうすれば。

 戦力が拮抗しさえすれば、情勢は安定し、シルヴィーを故郷に帰せるはずだった。


「我が脅威を撃て――魔女の一撃!」


 アナは次々に魔術でウォードを無力化していく。

 しかし、連日魔術を行使し続け、つい数時間前にも野営地で小麦と豆を大量に供給していたアナは、ついに自分に使える魔力が許容量を超えてしまう。


 魔力の汚染を受け、意識を失った。



 ***



 アナは夢を見た。

 人々が手を取り合って、笑いながら暮らしている夢だった。

 アルトスは件を鍬に持ちかえて、畑を耕している。

 円卓の戦士たちは家を新築するために森から木を切り出している。

 マーリンは子らにおとぎ話を語っている。

 ブリトン人もスコット人もピクト人も、同じ村で暮らしていた。

 シルヴィーは、ピクト人の仲間と料理をしており、作りすぎた責任を取ってそれを押しつけられていたが、その全てを平らげて、円卓の戦士に大笑いされていた。



 ***



「う……」

 一体どのくらい意識を失っていたものか。まだ命があるという事は、それほど時間は経っていない気がする。

 しかしいつの間にか戦場音楽は絶えていた。

 戦は決着がついて終わってしまったのだろうか?

 しかし、だとすると、自分の命がまだ繋がっていることは不自然に思えた。

 ピクト人を大混乱に陥れた魔女が意識を失って戦場のど真ん中にいるのに、戦略上放って置くはずもない。

 アナは重い体を起こして、霞む目をこすって状況を確かめようとした。


 そこには――異様な光景が見えた。


 ウォードが巨大な植物の蔓に全身を絡め取られて、地面に縫い止められている。

 それも十や二十ではない、植物が絡みついた戦士達は幾つもの舞台に及んでいた。

 よく見ればウォードだけではない。ブリトン人戦士も同じ憂き目に遭っている。


 その中に、ウェーブがかった金髪を風になびかせて、一人の少女が立っていた。

 手には見覚えのある手袋をはめている。


「シル……ヴィー」

「母様、大丈夫ですか?」

「何故……前線に……」

「マーリン様が教えてくださったんです」

「……すみません、シルヴィー。貴方に同族を傷つけさせてしまった……」


 それはアナが最も危惧していた事だった。

 シルヴィーを前線近くにいさせては、いずれウォードとの戦闘に直面することになる。最悪、同胞が相撃つことになってしまう。

 結局、そのような状況を作ってしまった自分を、アナは嫌悪した。


「いいえ、大丈夫。皆怪我はしていませんから。ちょっと縛っているだけです。とは言え、あの蔓もすぐに枯れてしまうでしょうから、その場しのぎですけど……」


 その場しのぎというには規模の大きい魔術だった。

 大地の力を植物に転移させ、一気に成長させる――アナ以上に植物に関して力の転移を特化させた、シルヴィーにしかできない魔術であった。

 シルヴィーはもう、完全に『力の転移』を制御していた。


「母様、相談があるのですけれど」

「……なんでしょう」

「私、やっぱり、カレドニアピクトランドに帰ろうと思います」


 いつかはシルヴィーから切り出されるだろうとは思っていたが、アナは自分で思っているより、その言葉に辛さを感じた。

 彼女を故郷に帰すのを遅らせていたのは、もちろん情勢のせいもあったが――自分を母と慕ってくれる彼女と、もう少し一緒に過ごしていたいという気持ちが、どこかにあった。

 そして、そんなシルヴィーと、相撃つことになったなら――。


(ああ、そうか)


 シルヴィーを同胞と戦わせたくなかったのではない。

 アナ自身が、シルヴィーと戦いたくなかったのだ。


 その間に、この戦争でシルヴィーに縁あるものが命を落としてしまうようなことがあれば、彼女はそういった人々と会う機会を永遠になくしてしまうだろうに。


(なんて傲慢)


 そんな自分の弱さに気づいてしまったから、アナはシルヴィーを止めることはしなかった。――出来なかった。


「母様がいなければ私は森で餓死していたでしょう。私を拾ってくれて、ありがとうございました」


 シルヴィーはアナの傍にしゃがみこんで、地面に植物の種を埋めると、ヤドリギの枝をかざして一気に成長させた。

 大地の力が転移したその植物は、見る間にシルヴィーの背の高さほどになり、白い花を咲かせ、実をつけた。


「日にあたっていないから、赤くなりませんでしたけど……これを食べれば大地の魔力を取り込めます」


 掌におさまるほどの小さな青林檎。

 シルヴィーはそっとアナを抱きしめると、小さな実をいくつか握らせた。


「私、母様のことが好きです。母様の考え方も。私も――この戦を止めるために何かできないか、カレドニアで頑張ってみます」


 シルヴィーは少し寂しそうに笑うと、


「さようなら。お元気で」


 そう言って、北の地へ向けて去っていった。


 アナは寂しさで胸が苦しくなったが、状況がいつまでも感傷に浸ることを許さない。シルヴィーの魔術が効果を失えば、平原にはまた戦場音楽が響き渡るだろう。そうなる前に魔力を補給して、できるだけウォード達の戦力を削ぎ、撤退させなければ。

 手の中の碧りんごを一つつまむと、さくりと齧った。


「――酸っぱい。まだ少し、早いですね」


 アナの目が涙で潤んだ。




 ◇◇◇





 シルヴィーが去ってしばらくした頃、戦況は一気にブリトン人有利となった。彼らはウォードをハドリアヌスの壁まで押し戻し、壁を占拠してそこを根城に、ハドリアヌスの壁からアントニヌスの壁までの間の地域で孤軍奮闘していた諸部族と合流し、南の土地を防衛することができた。

 アルトスの見事な差配と円卓の戦士たちの活躍、アナが魔術で尽力したことなど、様々な要因があった。


 しかし原因として一番大きかったのは、前線に出てくるウォードの兵士の数が、徐々に減ってきた事に尽きる。


 捕虜となったウォードの話では、森の女神の化身が現れてカレドニアの痩せた大地に作物を実らせ、腹の満ち足りたいくつかの部族が南侵を取りやめ、ウォードの中でもスコット人と連合して、北の地で安定した王国を築こうとする者たちが増えてきたのだという。


 アナやアルトスはそれを聞いて、シルヴィーがやってのけたのだとすぐに分かった。


「なるほど、飢えで南侵していたのなら、腹が満たされれば戦う理由がなくなる者もいる、と言うことか」

「優しい子です」

「アナよ、母君としては娘の活躍、どう思う」

「私があの子の母を名乗っていいのかどうかわかりませんが――もしそれが許されるのなら」


 アナは清々しい笑顔で言った。


「自慢の娘です」


 その後、安定した基盤を気付いたピクト人ウォードは、ブリテン島では南に版図を広げる事なく、アイルランドから入植したスコット人と混ざり合い、静かに歴史から姿を消していく。それが全てシルヴィーの奮闘によるものかどうかは、分からない。

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