第3話 『力の転移』の転移

 砦のベッドで眠りこけていたウォードの少女は、目を覚ますと藁を布で包んだベッドに寝かされていることに気付いた。背筋が寒くなる。辺りを観察して、素早くベッドから転がり出た。

 彼女は森の中にいたはずで、しかし今は見知らぬ屋内にいる。急拵えではあるが、石を積んで作った壁の上にに板をかけて屋根としており、窓から見える外の景色は高い事から、そこが砦であることが分かった。ピクト人の多くは木の柱と藁葺きの屋根の家で暮らしていたので、少女は瞬時にここが敵勢力の支配地域であり、自分がブリトン人に捕らえられたのだと把握する。


「おお、目が覚めたか」


 声をかけたのはアルトスである。この男、数日間少女の元を頻繁に見舞っていた。目を醒ましたところに居合わせたのは全くの偶然である。

 アルトスは軽装ではあったが、いつ何時敵に襲撃されてもよいように、腰帯に護身用の短剣を差していた。

 少女はそれを目敏く見つけた。素早い身のこなしでアルトスに飛びかかる。アルトスがとっさに腕で上半身を守ったその隙に、腰から短剣を盗み取る。それをそのままアルトスの胸に突き立てようとする。


「元気のよいことだな」


 アルトスは余裕の表情で、少女の腕を掴み止めた。餓死寸前で倒れていた女子供の細腕など、彼にとっては何の脅威でもなかった。

 少女はアルトスから逃れようとするが、彼の剛腕でがっちりと固定されてびくともしない。


「ウォードではそなたのような娘まで戦うのか。まさしく総力戦と言う訳だ。成る程我らの戦況が苦しいのも頷ける。だが落ち着くがよい、俺はそなたの命の恩人の、あー、その一人という事になるのかな。それほど警戒せずともよい」


 少女はアルトスの言葉には全く耳を傾けず、歯を剥いて、その腕に噛みついた。


「猛獣かそなたは……まぁ落ち着け、そなたの処遇だが…………?」


 アルトスの体から突然、力が失われる。全力で一日中戦闘を行ったかのような疲労感。関節という関節ががたがたと震え出し、立っていることもままならなくなる。

 アルトスはその場に膝から崩れ落ちた。


「な……そなた、魔術を……?」


 アルトスは少女がウォードの魔術を使ったのだと思った。

 だが、戸惑っているのは少女も同じようだった。目の前の男が何故倒れたのか分からないようで、困惑した顔で短剣を握りしめている。


 少女は、アルトスとは異なる違和感を感じていた。

 腹の底から力が溢れてくる感覚がある。彼女の直近の記憶は、想像を絶する空腹で森の中をさまよっていた事である。それが、アルトスに噛みついた瞬間から体力気力ともに完全に充実し、意識はさえ渡り、その体調に全く不足が無くなった――否、過剰に調子が良すぎでさえある。

 そのためか、少女は異様な胸焼けを覚えていた。

 その胸焼けに耐えきれず、少女はその場で嘔吐し、倒れ伏した。


 結果として、襲った方と襲われた方の二人ともが部屋の中で倒れているという異様な光景が生まれた。



 ***



 アルトスの戻りが遅く、心配して部屋をのぞきに来たアナは、床に倒れた二人を見て絶句した。


「アルトス! 一体何があったのです!」


 アナはアルトスを抱き起こすと、彼の身に起きた異常が魔術によるものであることを看破した。だが、その事実はアナを困惑させた。

 それは、彼女の得意とする『魔女の一撃』の効果とそっくり同じものだったからである。『力の転移』は極めて高度な魔術であり、アナは自分以外でその魔術を使う者をマーリン以外では知り得なかった。

 ともあれ、『魔女の一撃』で命を落とすことはない。体力を回復させれば、時間はかかるが問題はない。

 アナはウォードの少女の方を優先して介抱すべきと判断した。


「しっかりしなさい、一体何が――」


 ウォードの少女の体を魔術で精査して、アナは絶句した。少女の体に、『力の転移』を使った魔力の痕跡があったのだ。恐らく、少女はアルトスから力を奪ったのであろうとアナは見当をつけた。

 しかし、少女は『力の転移』を制御できていない。アルトスから過剰に力を奪い、例えるなら暴飲暴食で二日酔いの上腹を壊したような状態である。

 アナはヤドリギを少女とアルトスの胸の上に置くと、少女が過剰に吸い上げたアルトスの力を、元に戻し始めた。


(一体なぜこんな事に――いえ、考えられることは――)


 考えられることは、一つしかない。


(私の『転移の力』そのものが、彼女に『転移』してしまった――?)



 ***



 ウォードの少女が再び目を醒ますと、目の前には先ほどの男の他に、人間ではあり得ない髪と瞳の色の女がいた。

 薄紫色のそれを、少女はスミレか、朝焼けの色のようだと思った。

 しかし少女はすぐさま敵が増えたと考え直し、女の方に噛みついた。

 先ほどは男に噛みついた途端、彼の力が自分に流れ込んだのを感じた。何故そうなったのかは分からないが、ともかく自分にそのような力が備わったのは感覚として理解した。先ほどはやりすぎて自分も共倒れしてしまったが、うまくやりさえすれば、ここから逃げ出すことが出来るはずだ――少女はそう考えた。


「私に『力の転移』は通用しません。元々それは私の力なのですから」


 アナはヤドリギを少女の肩に置くと、そっと少女の力を奪った――ほんの少しだけ。

 少女の体から力が抜け、ぺたんと床に尻餅をついた。


「あ――」

「落ち着きなさい。私たちはあなたを傷つけるつもりはありません。身の安全は保障します。望むなら故郷へ帰還する支援もしましょう」

「待てアナ、俺はそこまでは聞いていないぞ」

「誰かの故郷を奪うような横暴は、誰にも許されません。例えあなたでも」

「……誰も帰さないとは言っておらぬ。一言相談しろと言っている。まったく……」


 アルトスはどうしてもこの女に逆らえなかった。

 それは彼女が強大な魔術師であるからではない。彼女が正しいからだ。

 アルトスは正しさに弱かった。


「あなたたちは、わたしを、ころすのでは、ないの?」


 少女はアナから口を離すと、おそるおそる聞いた。

 祖先は同じ筈であったが、ローマ化されたブリトン人と、独自の文化を醸成してきたピクト人の言葉は異なる。少女のブリトン語はたどたどしかった。


「殺さぬ。少女を殺すなど戦士の道にもとる」

「でも、ぞくちょうが、ぶりとんじんは、わたしたちをにくんでいると」

「そうであろうな。俺達にとってそなたらは侵略者だ。しかしそれはそなたらも同じであろう」


 遠回しな言い回しが理解できず、少女が困った顔をする。


「あー、そなたらも俺たちを憎んでいるから攻めてくるのだろう、と言いたい」

「べつに、わたしは、にくんで、いないわ」

「は?」

「おおくの、ひとは、べつに、あなたたちを、にくんで、いない」

「それでは理屈が合わぬ! では何故ブリタンニアを攻める!」

「それは――おなかが、すいているから」

「は?」


 それはアルトスにとっては予想外の答えであり、アナにとっては実はとうに分かっていた答えであった。


「わたしたちのくには、たべものが、すくないから」


 アナは苦々しい顔で、少女の言わんとするところをアルトスに解説し始めた。


「アルトス。ウォード――ピクト人の本拠地であるカレドニアは、年中天候が悪く、土地も痩せているのです。主な食料は家畜や、狩猟の獲物の肉ですが、天候不順で動物の餌となる植物の生育さえ悪くなると、飢えに苦しむしかありません」

「そうなのか――俺はマーリンから、ウォードはかつてローマ軍に攻められた腹いせに、攻め返しているのだと聞いていたのだが……」

「その方が貴方が戦いやすいと思ったのでしょう。貴方は優しいから……」


 アナは少女のそばに寄ると、じっと少女の目を見つめた。少女は、最初は視線を合わせられずにおどおどしていたが、アナがずっとそうしているので、とうとう目を合わせずにはいられなくなった。


「貴女、お名前は?」

「――シルヴィー」

「そう。シルヴィー、私はアナ。こちらの無骨な青年はアルトスと言います。私はローマが上陸してきた時に、あなた方の祖先の味方をしていたこともあります。貴女たちの事情はよく分かっているつもりです」


 ローマがブリテン島に入植したのは数百年も前の話だと族長に聞いたのだが、はてそうするとこの女は一体何歳なのだろう、自分と同じくらいの年頃にしか見えないが、とシルヴィーは不思議に思ったが、自分の記憶違いかもしれないと、アナの話に集中した。


「私は戦いを止めたいのであって、貴女たちを傷つけたいわけではありません。先ほども言いましたが、貴女を仲間の元へ帰しても良いと思っています。しかし――」


 アナはすまなそうな顔で、シルヴィーの頭を撫でた。

 柔和な顔に優しげな微笑み。もうとっくに体の力は戻っていたが、この人は気を許して良いと判断したシルヴィーは、その手に身を任せていた。

 頭を撫でられるのは、なんだか気持ちがいい。


「その前に貴女は、その力の使い方を学ばねばなりません。自覚無くその力を使えば、身を滅ぼすことになります。力を制御できるようになるまでは、私の元から離れてはなりません」


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