第2話 熊の王と森の中で出会った少女

 ◇◇◇



 深い深い森の中。

 戦場音楽も届かない薄暗い森の中を、一組の男女が茂みを掻き分けながら歩いている。

 男の方はローマ風の甲冑を纏った戦士で、女の方は薄手の衣に黒いマントを羽織った少女であった。


 戦士の眼差しには心の奥から湧き上がるような闘志と自信が溢れていた。たくましい体とは対照的な、幼さの残る顔立ちを気にして髭を生やしているが、所詮まだまだ齢十七であったから、その印象を変えるには至っていない。


 少女の方はと言えば、青年よりさらに幼く見え、彼の妹かと思わせる容貌である。しかし肩口で切りそろえた不思議な薄紫色の髪と、同じ色の瞳は彼とは血の繋がりのないことを示している。

 若き戦士の髪は光の加減で黒と金が入り混じって見えるが、まだ人間の範疇であったし、瞳の色も青みがかった灰色で、特に珍しいものでもない。


 初夏の森の木々には若い枝葉が茂り、二人の行く手を遮っている。強くなってきた日差しを遮るには丁度いい木陰を提供してくれてはいたが、先を急いでいる様子の戦士にはただの障害物でしかなかった。長剣を振り回して枝葉を切り飛ばしながら、急いで前進している。


「アルトス、一人で行動するのは危険です。部隊に戻って下さい」

「なあに、向こうはケイに任せておけば問題ない。俺とそなたが、ケイ達と戦闘をするウォードの背後をついて挟撃すれば被害は少なくて済む。ウォード達も大打撃を受ければ暫くは大人しくなるであろう」

「たった二人で挟撃を成立させるおつもりですか?」

「こちらには大魔女アナがいる。俺とて、伊達に熊とか呼ばれているわけではない。マーリンの阿呆には本気で熊と戦わされた事があるが、まぁ何とか勝てたぞ」

「貴方が猪武者だと言うことはよく分かりました……」


 コーンウォールで生まれ育ったアルトスは、地元では『コーンウォールの猪』と呼ばれるほどの剛力であり、千人を相手取って負けなしという、およそ人間離れした力を持っていた。


「いやいや、俺だけではないぞ。ウォードの十や二十、そなたも『魔女の一撃』でひと捻りであろうが」


 魔女の一撃とは、アナの得意とする『力の転移』の魔術である。ある場所から別の場所に、生命の根源的な活力を移動させる事を基本とした術で、別名をヤドリギの呪法と言う。

 ケルトの神官であるドルイド(ブリテン島のドルイドは、大陸の正統なドルイドと違い、半分妖術師といった状況だったが)にとって、ヤドリギは聖なる木であり、癒やしの霊薬という側面を持つ。これはヤドリギが霊木たる樫の木から力を吸い上げ、蓄え、放出する性質を持つからである。

 魔女の一撃とは、採取したヤドリギを媒介呪物ファクティキウスとして使用し、相手の力をヤドリギに吸い上げて腰砕けにするというものである。流血沙汰を嫌うアナは、可能な限り相手を殺傷しない魔術を好んで使った。


「あの術を使うと相手はほとんど無抵抗になります。相手を殺さないと誓わなければご協力しかねます」

「分かった分かった、お得意の禁戒ゲッシュでも何でもかけるがよい。そなたが動きを止めた者には手を出さぬ」


 禁戒ゲッシュとは、己に禁忌を課すことにより神々からの祝福を受ける、ある種の魔術である。アナは自らに『不殺』の禁戒ゲッシュをかけていた。禁戒ゲッシュは守るのが困難であればあるほど効果が高い。集団同士の命をかけた戦闘で相手を殺さないという彼女の誓いは、かなり効果が高く、ダグザという神から魔力の尽きぬ『豊穣の大釜』という神宝アルティファクトゥム・ミソロギアを貸与される程であった。


「部隊の戦士にもお手を出させぬよう」

「分かったと言っておろう。全く、マーリンは大雑把に過ぎるが、そなたは細かすぎる。ドルイドに中庸はないのか?」


 アルトスがぶつくさ言いながら、茂みを剣で薙ぎ払って道を作りながら進んでいると、木漏れ日が日だまりを作っているあたりでふと足を止めた。


「アルトス?」

「あれを見よ、アナ。ウォードだ……」


 アルトスが剣の切っ先で示した先には、年端も行かぬ少女が倒れていた。

 体にはアブラナ科の植物である大青ウォードからとった染料でおどろおどろしい紋様が描かれている。これは模様を描く者ピクトという蔑称の由来でもあるが、戦士達はその青色から、彼らを単にウォードと呼んだ。

 緩くウェーブがかかった細い金髪は木漏れ日に照らされてきらきらと波立つ湖面のように輝いていたが、その体は痩せ細って、骨と皮ばかりに見えた。辛うじて意識はあるようだったが、囁くようなうめき声を上げるばかりで、会話はできそうにない。


「ウォードはこんな女子供まで戦士にするのか?」


 忌々しげに頭を掻きむしるアルトスを尻目に、アナは少女の容態を確かめるべく駆け寄り、抱き上げた。少女の体のあまりの軽さに、アナは驚いた。


「ウォードは戦地の近くに野営地を作り、戦士の家族ごと移動してきます。生活を丸ごと戦地の近くまで移動させる事で戦闘の準備を万端にするのです。僅かな食料を持って拠点から移動してくるブリトン人は、だから彼らに勝てないのですよ」

「潤沢な食料があるはずなのに、なぜ餓死寸前でこんな所に倒れているのだ」

「持参した食料が尽きたのでしょう……あなた方円卓の戦士が来た事で、彼らが想定していたより戦が長引いているのです。敵地に近い森の中まで、こんな少女が分け入るなんて……」

「戦況は当方有利ということであろうな」


 アルトスは誇らしげにうむうむと頷いた。そして、答えの分かりきった質問をアナにした。


「で、その娘をどうするつもりだ」

「もちろん助けます。少しお時間を頂きますが、よろしいですね」


 アナの瞳は、その言葉を断ることを許さない、静かな決意に燃えていた。

 アルトスはやれやれとかぶりを振ったが、アナの行動を止めはしなかった。それどころか、糧食にと腰の革袋に入れて持って来ていたパンを、アナに放って渡して寄越す。

 アナはそのパンを噛み切ると、咀嚼しはじめた。


「そなたが食ってどうする」


 アルトスの呆れ声を無視して、アナは少女に口づけをした。唾液で柔らかくしたパンを、少女の口に含ませる。この容態では咀嚼も難しいとの判断だった。しかし、少女はそれを飲み込むことも出来ず、口の端からパンが零れ落ちる。それ程までに体力が消耗していた。


「アナよ、これは駄目だ。助からぬ。せめてとどめを刺して苦しまぬように逝かせてやれ」


 アナは黙って懐から宿り木と、手のひらに収まるほどの小さな巾着を取り出した。巾着の中身は植物の種のようで、彼女はそれを一つつまんで地面に植えると、土の上にヤドリギを突き立てた。そこに手を添えると、歌うように呪文を唱え始める。


『全ての木々は、我が友なり――』


 ヤドリギは彼女の歌に反応したかのように淡い緑色の光を放ち、その根本――先程の種から小さな芽が吹いた。芽はたちまちの内に成長し、枝を生やし、葉を茂らせ、花を咲かせた。すぐさま散った花の付け根に小さな塊が出来たかと思うと、その内の一つが見る間に大きな球状に成長していく。

 それは林檎だった。赤みを帯びた黄色の林檎は艷やかで、光の具合によっては黄金色にも見えた。


「美味そうな林檎だ。だが噛み砕いたパンより固そうだな」

「果汁を飲ませます」


 今度はしゃくりと気持ちのいい音を立てて林檎を齧ったアナは、再び少女に口づけをする。

 ほとんどは口の端から顎を伝って漏れ溢れたが、ほんの僅かに、少女の喉が、こくり、と鳴った。


「やった……」


 アナが口元を拭いながら、微笑みを浮かべる。

 少女の体が淡い光を放ち始め、顔色に赤みがさし始める。


「ほう、今回は一体どんな手品を使ったのだ?」

「魔術と言ってください。魔女の一撃の逆です。ヤドリギを媒介にして、私の命を林檎に篭めました。黄金の林檎は命の象徴とも言われますから」


 一気に体力が回復したからだろうか、少女は寝息を立てて眠ってしまった。

 アルトスはため息をつくと、アナの腕に抱かれた少女を奪い、担ぎ上げた。進んできた道を戻っていく。


「砦に戻る」

「挟撃は? よろしいのですか?」

「娘子一人、森の中に残してはおけんだろう」

「いえ、正面切って戦っているお仲間は?」

「申したであろう、ケイに任せておけば問題ない」


 アルトスの偉大な所は、戦って敵に勝利することと、民草を守ることとを天秤にかけたとき、いつでも後者が優先されるその性格にあった。

 アナは彼のそういうところに敬服していた。


「さすがです、我が王」


 ケイの部隊には少し気の毒であったが、アナは満足げに微笑んだ。

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