内川の誓い

「聖様、内川うちかわまで到達致しましたよ。あともう少しですね」


 津軽海峡の決戦では、第一陣の会津軍が蝦夷島に上陸し、これに第二陣の星川軍が続き、更に第三陣として、事実上の「十三宮軍」である津島三河も合流しつつあるはずだ。一方、私と姉さんは、やたら頼りになる須崎司祭に導かれ、見覚えのある場所に辿り着いた。ここは確か、あの邪馬台国事件の日に、姉さん達と出逢った場所である。あの頃が良い時代だったとは思わないが、皆が生きていた。後に権力の闇に呑み込まれた勇姉さんも、まだ学生だった。そして、、今は亡きめぐみさんも…。


「お帰り! あれ、『ただいま』って言うのが正しいかな?」


 え…?


「め…仁!」


「仁様? 御無事だったのですね!」


 仁さん…いや、そんなはずはない! 彼女は行方不明になった後、確かに「死亡」と発表された。死んだ仁さんに逢えるという事は、私達も死んだのか? 対小惑星隕石砲が着弾して、その炸裂で私は…。


「何を戸惑っている? 早く仁さんを保護して、脱出せよ!」


 寿能城代の怒声で、すぐ現実に引き戻された。に残った後も、区内の監視カメラと通信網を駆使し、御丁寧に見守っている上に、口出しまでしてくれるようだ。


「心配掛けちゃって、ごめんね…でも、約束は忘れないよ。私達はずっと一緒だもん! …」


 仁さん、ありがとう…! 言葉を言い終わる頃には、互いを強く抱き締め合っていた。この上は、皆で生き残る以外に道はない!


「…はい! 皆で生還しましょう、最後まで!」


「では聖様、例のを『』しますか?」


「姉様・ガラシヤ様、どうするの?」


 一行に帰参した仁さんの問いに、須崎司祭が先に答えた。


「あれの中身が放射線であれ神経ガスであれ、こういう情況では、年少の方を優先的に保護するのが原則です。加えて、例え迎撃に成功しても、高々度での核爆発に伴う電磁パルスが発生し、社会資本の破壊と、甚大な混乱が予想されます。何らかのシェルターが必要ですね」


「また、顕ちゃんに編んで貰った資料を、確実に保存せねばなりません。そこで、前にもお話し致しましたが、お二人は一時的に、退避して頂こうと思います。その際、お持ちの『無題文書』も御一緒に!」


「つまりを『防空壕』にするの? でも、そんな力を使いこなせる人は…」


「はい…亜紀あきちゃんも明野あけの様も『』に成り、もう現世にはおられません…ですがあの後、お姉ちゃんも優和様から智慧を授かり修行を積み、ある程度は使えるように成りました。私と優和様が互いの力を共鳴させれば、扉を開く辺りまでは可能かと。やって見ないと分からない部分も残りますが…」


 彼女らが話しているのは、地球のマグマなどから永い歳月で形成されたが、その歴史を記憶する事で、内部に独自の「世界」を構築するという超自然観に基づく魔術である。の中でも、先天的な素質に左右される傾向が強く、須崎司祭はかなり前から防御手段として習得していたが、聖姉さんの能力は平均程度と言われる。過去、この魔術を極めようとした者が何人か居たが、多くはしたり、を迎えたりしている。


「分かった! やって見ようよ! あなたも、良いでしょう?」


 という発想が適切なのかは疑問が残るが、それが最善の方法だと皆が信ずるならば、今更批判するのも不毛であろう。


「あ! その前に…例の無題文書を、お貸し頂けませんか?」


 そう言われ、寿能城代の資料集を姉さんに手渡した。


「かの小惑星は『禍津日神まがつひのかみ』、またの名を『』などと謡われました。そして、その魔女を討たんとして造られたバベルの塔が今、対小惑星隕石砲とか言う名前で、私達人間に裁きを下さんとしています。恐らく、人の世から罪や穢れはなくならないでしょう…ですが、過去を現在から未来へと継承する中で、それらを悔い改め、禊ぎ祓う事はできます! この無題文書が、贖いの水と成り得る時を願って、私が題名を名付けようと思います。皆様…覚悟は宜しいですか?」


「もちろんだよ!」


「言うまでもなく」


 仁さんと須崎司祭、そして私が頷く。


「かつて円卓の騎士は、そうです。その意味で、これは地球世界と極東の神国を舞台とした、現代における騎士道物語なのかも知れません。それゆえ、本書の名前は…」


 そして姉さんは、表紙の空欄に筆を乗せた。


『Planet Blue Ich-Roman』


 「 」は「私小説」「一人称小説」のゲルマン語で、姉さんは本書に「」という意味を込めた。あとは、これを持って…。


「対小惑星隕石砲が東京方面に接近! 地上に残っている区民は、大森大隊の誘導に従い、一刻も早く退避して下さい!」


「聖様、急ぎましょう! 今の私達には、単独でのフィールド展開に限界がありますので、少し強引な方法ですが、。私は左に、海底のアクアマリンを配置します。全ての慟哭を、この藍玉らんぎょくに込めて…!」


「あ、そうやるんですか…それでは、私は司教の紫水晶を右に捧げて…何か強そうな事を申せば良いのですか? あ…浅き夢見じ、アメジスト!」


「…あ、駄目ですね」


「あれ、どうしちゃったの?」


 私とが困惑するが、すぐに分かった。


「私と聖様が点を二つ置いても、線にしかなりません。面を開くには、もう一つの点で3角形を創らなくては…」


 当然の真理に今更気付き、落胆する一同。打開するには、なのだが、思い当たる人物は、もうこの世に…。


「伝令! 津軽海峡にて星川軍苦戦中、玉砕の恐れあり! 東海鎮台は津島三河の進軍速度を上げると共に、可及的速やかに増派願いたいとの事! 以上の件、大森から転送致します!」


 寿能城代はいつの間にか平和島司令官を気取っているが、指揮命令系統が崩壊するほど苦戦しているのか? しかし、あの星川軍が全滅寸前とは…ん? 星川?


「ああ! そうです、その手がありました!」


 姉さんはそう言うと共に、お気に入りのを取り出した。『』と書かれているが、トランプ占いをしている場合だろうか? そんな疑問をよそに、姉さんは手馴れたカードをシャッフルし、三つの束にカットする。


「仁、この中から一枚選んで下さい!」


「あ、はい! えっと…これにする!」


「十三番『』の逆位置、さすが仁ですね! では、あなたが二枚目を!」


 そう言われ、私もカードを一枚引く。それを裏返し、描かれていたのは…。


「素晴らしいです! 十七番『』、これならできます! 二人とも、そのカードを十字に重ねて下さい!」


 良く分からないが、望ましい結果らしい。「星」はともかく、「死」って良いカードなのか? とりあえず指示通り、私と仁さん、互いのカードを重ねる。すると姉さんは、先程の紫水晶とは別に、もう一つの鉱物…どこか見覚えのある薔薇水晶を取り出した。そして…。


「南無や…の御霊よ、天の叡智のもとに蘇りたまえ! せいやーっ!」


 十字展開したカードに薔薇水晶が触れた刹那、火花放電の如く生じた光が輝き、間もなく柱を描いた。やがて光の中から、人影らしき形が…。


「…ん? あら、ここは…?」


 聞き覚えのある声…いや、まさか…?


「あ…あっちゃん!」


 私と仁さんが、一斉に目を丸くした。現れたのは星河ほしかわ亜紀あき、またの名を「青薔薇」と俗称された。今は亡き星川家総帥の、分家の姪に当たる。また、先ほど姉さんと須崎司祭が実行しようとして失敗した魔術の真理を、誰よりも知り尽くした者(の一人)である。そして…数年前の不幸な戦争に際し、敵の大軍に包囲された母校、渋谷七宝院しっぽういん学園に籠城し、将軍を戦死させるなど敵方に一矢を報いた後、自身も星夜へと消えた、紛う事なき故人である。


「えーっと…私は確か、トキと愛美あゆみ夢有むうを先に逃がして、私と椿つばきみなとは渋谷に残って、結のもとへと向かう政府軍を足留めするために、を…」


「亜紀ちゃん! の所を強引に召喚してしまい、申し訳御座いません…ですが、お力を貸して頂きたい事が…」


「…ああ、結の家出先の…あの怪しい教会の皆さん? 聖さんに、『グラなんとか』さん。あなたは…『ひとみ』よね?」


 仁さんが、庖丁を突き立てた…。


「めぐちゃんだよ! め・ぐ・み!」


「あら、そう…隣のあなたは、誰…かしら?」


 


「亜紀ちゃん、お願いしたい事があるのですが…」


「入信の勧誘ですか? 私、神話には多少関心もありますが、形骸化した在来の教会には…」


「信じて下さらなくても構いませんので、とりあえずお聴き下さい。まず、あなた様はもうお亡くなりになっています。次に、かつてあなた方が『メモリアMEMORIA』などと呼んだ魔術は、まずカールKarl様があなた様に討たれ、次いで明野様も蒸発し、最期にはあなた様自身がああなった結果、今や禁忌と化し、生き残っているのは、このグラティアただ一人と…」


 弁論術に定評のある須崎司祭が(論理を飛躍させながら)懸命に説得を試みている。青薔薇は、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの態度で聴いているが、少なくとも私達を「味方」だと認識してくれたようだ。


「…つまり、たった1回のメモリア展開のために、私を叩き起こして、ここまで引き摺り出してくれたわけ? そもそも、3人なんて必要ないわ。私一人で充分よ…でもまあ、試して見ましょうか? 聖さんと須崎さんが底辺を支えてくれれば、一人よりは長持ちするかも知れないし」


「…来た! 迎撃開始の電報を受信! 間もなく、伊豆反射砲がレーザーを発射する! 閃光に注意して下さい! 繰り返す…」


「さあ、急ぎましょう! 優和様・亜紀ちゃん、皆の力を一つに!」


「はい! では改めて第一、!」


 須崎司祭が、左下にを。


「えっと…じゃあ私は第二、!」


 姉さんは、右下にを。あとは、青薔薇が頂点に第三の宝石を…。


!」


「えー! あっちゃん、数字幾つか飛ばしちゃったよ…」


「死ぬ前に一度やって見たかったのよこれ、ピラミッド!」


 この情況でも遊ぶのは彼女らしいが、しかし、の頂点を遂に得た三角形は、点から線へ、線から面へと次元を昇華させた。やがてその面は現世から遊離し始め、局所的な擬似ブラックホールの如き様相を呈した。


「…開けましたね! 優和様、それに亜紀ちゃん! ありがとう御座います! そして、亜紀ちゃんを呼べたのは、あなた方のお蔭ですよ^^」


「はーい!」


 しかし姉さん、タロットカードから一体どういう因果で、星河亜紀の幽霊を呼び出したの?


「簡単な事ですよ。『』の…つまりを、『』に対して奏上申し上げた次第です。なお、『死』のカードには『』という意味が御座います。また、星座や惑星などの『星』は、その子弟である守護石と密接に関わると、太古より信じられて参りました。私達が認識する宇宙の中で、これらに引き寄せられるお方と言えば…」


「私と、七星ななせくらいしか居ないわね…まんまと釣られたわ。さあ二人とも、時間切れになる前に、さっさと入りなさい。私も早く還りたいんだから…」


「水底にて天主Deusの恩寵を賜り、早数十年…この上は私、須崎グラティア優和、しぶとく見届けさせて頂きましょう! 全てが終焉した後、聖杯を手にする騎士はどなたなのかをね…」


 上空には対小惑星隕石砲と、それに対する迎撃ミサイル、ついでに緊急発進した戦闘機、更にはレーザー光線までもが飛び交っているらしいが、もはや自分の眼中には入らない。宝石の中に構築されたもう一つの世界において、私自身と、ついでにこの『 』とか言う偉そうな資料を保護しなければならない。それが短期的な「避難」で済むか、長期的な「封印」と化すのかは分からないし、鉱物の「内部」も未知数だ。ただ、地球の歴史を身に刻んだ宝石の中に、「私達の物語」と銘打ったばかりの文書を持参するのだから、それは必然的に、この世界における一切の存在、その記憶の欠片を辿る旅になるであろう。その中には、自分自身の姿もあるかも知れない。


 さあ、突入だ…と前に進み始めた時、片腕を抑えられた。振り向いた、後ろの正面には…。


「一人で抜け駆けしちゃ、駄目だよ? 初めて出逢った時も、あの年の夏にも、約束したでしょ? …私達は、ずっと一緒だって!」


 仁さん…あなたの瞳には、今日という時も見えていたの?


「どうなんだろう? その答えはきっと、この先にある旅で、分かるんじゃないかな? さあ、一緒に行こうよ! そうだ、昔みたいに腕を組んでもいーい? だって…大好きだから^^」


 私は深く頷き、二人で共に歩み始めた。開かれた「門」へと近付くに連れて、視界が光で満たされて行く。支えて来てくれた皆と共に、友との約束を、信じた未来を、忘れ去られつつある全ての大切な記憶を、守り続ける。私の前には、いつも聖姉さんが居てくれた。彼女の胸には、勇姉さんの想いも。そして、…。


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