【小話】ね、あんたはどうして師匠に弟子入りしたの?


 唐突に問われて、“夢の雫”は紅茶を飲もうとしていた手を止めた。


「どうして、て言われてもねえ」


 わずかに首を傾げれば、カップの中の紅茶が危なっかし気に揺れる。

 場所は古木と煙と薬草の香り漂う“夢の雫”の家で、“真夜中”“湖姫”との三人でのお茶会の席であった。


「だって、あんたが最初じゃない。次に“真夜中”で、わたし、最後に“銀鏡”でしょ? “銀鏡”が来たときはわたしも既にいたけど、あんたたちはどうして師匠に弟子入りしたのかなと思って」


 真顔で訪ねてくる“湖姫”に、“夢の雫”はとりあえずカップをテーブルの上に置いた。


「何でだったかねえ。もうずいぶん昔のことだから、忘れちまったよ」


 頬杖をついて独りごちる。

 目をつぶって昔を思い出してみるが、いまいちピンとこない。


「いつごろ弟子入りしたの? 二百年くらい前?」


「そうだねえ。もうそれくらい経つかねえ。少なくとも、三百年は経ってないよ」


 “夢の雫”は昔の記憶を手繰り寄せながら、軽く息を吐いた。


「そうだねえ。当時は、人間が毎年のようにあちらこちらで戦争をしていたような時代だったねえ。新しい考え方が生まれて、新しい技術ができて、新しい武器がどんどん作られたけど、おかげでたくさんの人が死んでいったよ。戦争だけじゃない。新しい考え方のおかげで国の在り方までが変わっちまって、王様が必要ないとまで言われる時代だった。何かと争い事が多くてね、たくさんの人間が死んでいったよ」


「なに? それじゃあもしかして、戦争で焼け出されて師匠のところに来たとか?」


「いいや、口減らしに村を追い出されたんだよ。戦争にしろ革命にしろ、諍い事が続けば色々なものが足りなくなる。前線に物資を送るために道具や食べ物を供出するようお達しがあって、どこの村も飢えていたんだ。おまけにあたしは夢で未来がわかるっていう奇妙な力をもっていたから、周りからもずいぶん不気味がられてね。これ幸いと村を追い出されちまったのさ。何でもない時なら気味悪がられて遠巻きにされて終わったんだろうけど、当時はみんな気が立っていたからね。しょうがないこととはいえ、小さな子供ではなかったからなんとか生き延びることができたんだけれども、それでも師匠に拾ってもらわなかったら間違いなく死んでたね」


「なんだ、結構覚えてるんじゃないの」


 “湖姫”が呆れながらコーヒーを一口飲んだ。

 ちなみにこのコーヒーは、毎回本人が持参してくる豆を“夢の雫”が挽いてやるのだった。

 専用のサイフォンまで持ち込んでいるのにどうして自分で淹れないのだと、怒りながらも結局は全員分の飲み物を用意する姿はいつもの光景である。


「師匠に拾われて初めて自分が魔女だって知ったんだよ。それまでは、夢で未来を知ることができるなんて自分の頭がおかしいのかと思ってた。もしくは、悪魔に呪われているのかもしれない、前世で何か悪いことをしたのかもしれないって、心底怖かった。両親は人間だったから、自分が人間じゃないなんて考えもしなかったんだ。本当に、師匠には感謝してるよ」


 “夢の雫”が話し終えてようやくカップに口を付けた時、すでに紅茶は冷めてしまっていた。

 片眉を上げてカップの中を睨み付けり彼女を尻目に、“湖姫”は“真夜中”へも尋ねる。


「あんたは?」


「わたしも、戦争がきっかけで師匠に弟子入りしたようなものかなぁ。大きな戦争があってね、おじいさんお父さんもその戦争で死んじゃったの。それでおばあさんとお母さんが、自分たちもいつ戦争に行かなきゃならないかわからないからって、わたしを師匠のところに預けたんだ。わたしは小さい時から星占術が得意だったから、得意なことを伸ばせないかって、師匠に直接頼んでくれたんだよ」


「人間の諍いごとに魔法使いが巻き込まれたの?」


 眉をひそめた“湖姫”に、“夢の雫”は飲み物のおかわりを淹れるために手を振りつつ、くくっと喉を鳴らして笑いながら嗜める。


「どちらかというと、人間に協力して戦場に出ていったんじゃないのかい? 神話や伝説には、人間と共に国を作ったり戦争に勝利した話がいくつもあるじゃないか。昔はあたしたちと人間の距離は近かったのさ。今は科学も発達して、人間たちは魔法を信じなくなっちまった。人間は魔法よりも便利な力を手に入れて、あたしたちを必要としなくなった。だから、あたしたちも人間とは距離を置くようになったのさ」


「わたしも、お母さんからは、人間には気を付けなさいって言い聞かされて育ったんだよねー」


 “真夜中”が、話題の割には危機感のない間延びした声で言う。

 お茶菓子のクッキーをかじりながらしゃべっているので、余計にそう見えるのだ。

 ちなみに“真夜中”は甘いものが大好きで、この日もマグの中身はココアである。

 彼女の背後では、“夢の雫”によって魔法をかけられた茶葉の容器が高速で飛んでいった。


「そう言うあんたはどうなんだい? “真夜中”が弟子入りした直後にあたしは師匠の家を出ちまったから、師匠からは『拾った』としか聞いてないけど、親はどうしたんだい?」


 逆に聞き返された“湖姫”は、不意を突かれて一瞬動きを止めたが、苦笑気味に応えた。


わたしは所謂孤児だったのよ。父親ははじめからいなくて、母親も流行病で死んで路頭に迷っていたところを師匠に拾われたの。母は魔女だったけれども、人付き合いが苦手で集会サバトにもあまり参加しなかったから、カヴンの仲間は誰も助けてくれなかったわ。だからわたしも、師匠には感謝してる。あの時拾ってもらわなかったら、野垂れ死にするしかなかったもの」


「カヴンの仲間に見捨てられたって……あなたのお母さん、何かしたの?」


 “真夜中”が目を大きく見開いた。

 カヴンとは、ただ単に魔女や魔法使いの集団というだけでなく、何かあったときには互助組織のような役割も果たす。そこから爪はじきにされるということは、何か掟を破ったかよほどの人格破綻者かのどちらかである。

 “湖姫”は肩をすくめてゆっくりと首を振った。


「それが、何も聞かされてないのよね。昔、何か揉め事を起こしたらしいってことは聞いたんだけど、具体的に何があったのかは知らないの。どうもわたしの父親に関することらしいっていうのは、雰囲気で分かったんだけど」


「人の旦那を盗ったとか?」


「さあね。でも、わたしは絶対に集会サバトには顔を出すなって言われてたから、顔を合わせたらまずい相手でもいたんじゃない?」


「人間も魔女も、色恋沙汰に関しては大して変わらないんだね」


 “真夜中”がしんみりと言う。

 過去を掘り返せば掘り返すほど湿った暗い話になってきたので、“夢の雫”が場の空気を変えようと、紅茶とコーヒーとココアのおかわりをそれぞれのカップに注ぎ足した。ついでに茶菓子も補充しながら、わざとらしいほどの明るい声で言った。


「そういや、“銀鏡”は自分で弟子入り志願してきたんだよね。ある日突然、師匠の家に押し掛けてきたとか」


「そうそう! 『たのもー!』てさ。道場破りみたいだった! 即刻師匠に追い出されてたけど」


「覚えてるわ。『男はいらん!』って、ものすごい剣幕だった!」


 当時の様子がよほどおかしかったのか、“真夜中”が手を打って同意すると、“湖姫”も指で“真夜中”を差しながら笑う。

 さっきまで暗かった雰囲気一気に明るくなったので、“夢の雫”もほっとして笑みを浮かべた。


「あたしは新しい弟子が入ったから面倒見に帰って来いって、突然師匠に呼び戻されたんだよ。帰ってみればやたらと不機嫌な師匠と妙に図々しい男がいて、そりゃあ驚いたもんさ。なんだってあたしに押し付けたんだい? 新しい弟子なら、あんたたちが面倒見ればよかっただろうに」


「だってあんた、そういうの得意でしょ? もう大変だったんだから。とにかくしつこいったらなかったわ。何度追い出されてもすぐ戻ってくるんだもの。わたし、あの頑固な師匠が根負けするのを始めてみたわよ」


「あの師匠が根負け? なんてこったい!」


 “夢の雫”が目をむいて驚くと、“湖姫”はふうっと一つ息をついた。


「師匠も仕方なく弟子入りを認めたけど、そんな扱いにくい奴をわたし達だけで面倒見切れるわけないじゃない。満場一致で“夢の雫”を呼び戻せってことになったのよ」


 要するに厄介な役を押し付けられたのかと、“夢の雫”は天を仰いだ。

 薄々そんな気はしていたが、当時、素直に役目を引き受けた自分もずいぶんお人よしだった。


「でもあいつ、ある程度のことははじめからできていただろう? やることと言えば、基礎魔法の細かい修正やいくつかの応用魔法の練習くらいで、あたしが教えることはそれほどなかったもの。どこかで修行してから〈予言の一門うち〉に来たのかい?」


「さあ。言われてみれば、あいつがウチに来る以前の事なんて聞いたことないわね。今度聞いてみるわ」


 “湖姫”は頷きながら一人で納得する。

 そんな中、“真夜中”がココアを一口飲んで顔を顰めた。


「“夢の雫”ー。これ、シナモンが入ってるよぉ」


「おあいにくさま。生クリームは切らしてんだ。嫌なら飲まなくていいよ」


 ぴしゃりと返すと、“真夜中”は口を尖らせて不満そうな顔をしながらもちびちびとココアを飲む。

 蜂蜜がどうとかぶつぶつ言っているが、“夢の雫”は聞こえないふりをした。この家には、薬で使う以外の目的では蜂蜜は置いていないのだ。


「魔女になって、後悔はしてない?」


「何だい今更」


 “湖姫”の問いかけに、“夢の雫”はきょとんとして彼女を見返した。


「だって、わたしと“真夜中”は親が魔女だったから何の疑問もなく魔女になったけど、あんたは違うでしょ?」


 “湖姫”は気遣わしそうな表情で肩をすくめ、“真夜中”もこくりと頷いた。

 “夢の雫”は目を瞬かせると、顎に手を当ててしばし考え込む。


「そうだねえ。後悔か。考えたこともなかったねえ。師匠の下に弟子入りして以来、生まれた村には二度と帰らなかったし、帰ったところで既に二百年以上経ってるんだ、知ってる人間はもう誰も生きちゃあいないよ」


「もし魔女にならなかったら、とか考えなかったの? 人間のままでいたかったとか、そんなことは考えたことないの?」


「魔女にならなかったら……そうだねえ。まあ、村中から敬遠されてたから、結婚もせずに一人寂しく老いて死んでいくだけだったろうよ。それを考えると、魔女になってよかったかもね。あんたらとも会えたことだし」


 何食わぬ顔で言われた二人は、顔を見合わせて苦笑する。


「まぁ、“夢の雫”が後悔していないんならいいんだけどぉ」


「真顔で言わないでよそんなこと。照れるじゃないの」


 などと口では言いながら、“湖姫”が照れている様子はない。

 やがて魔女たちの話題はこの場にいない者たちの愚痴へと変わり、夕食を食べ、酒を飲みながら、かしましいおしゃべりは朝まで続いたのだった。

 新しい弟弟子、“昴”がやってくる少し前の話であった。



――――――――――――――――――――

【後書】

魔女も魔法使いも、実力にもよりますが、師匠の下でだいたい百年くらい修行してから独り立ちします。

つまり、“夢の雫”と“真夜中”は少なくとも百歳くらい年が離れています。

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夏の名残に花束を 山野 あか猫 @Oct-Anne

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