第2話 夢のはじまり


 予言の余波は留まることを知らず、人々は真剣な顔で議論を交えていた。


 〈白の魔女〉はそんな人々を尻目に、役目を終えたとばかりに再び歩き出す。

 再び行く手の人垣が二つに割れ、今度こそ“銀鏡”が先導役となって、森の端で主を待っている使い魔の元へ師匠を誘導した。

 静かにたたずんでいた白鹿が戻った主に向かって顔を差し出し、主はその鼻先を撫でる。

 そこで初めて、弟子たちが口を開いた。


「師匠、先ほどのあれは、いったいどういう意味なんですか?」


 “湖姫”が訪ねると、〈白の魔女〉はあからさまに大きなため息をついて見せた。


「馬鹿か。それくらい自分で考えろ。なぜ貴様らに教えてやらねばならぬ」


 その答えを聞いて弟子たちが視線を遠くへ投げやる。

 一年ぶりに会った“夢の雫”など、その罵倒語を懐かしくさえ感じてしまった。

 確かに、予言はあくまで予言であり、未来を約束するものではないと教わった。

 内容を具体的に教えないのもそのせいであると。故に、予言者に予言の解釈を訪ねてはいけないのだと。

 叱られてしまった“湖姫”が、首をすくめて小さく舌を出した。

 予言を解釈し損ねて思わず真意を聞いてしまったが、禁止事項を破ったことを叱られなかっただけましだったかもしれない。


「お変わりなさそうで何よりです。昨年はなかなか顔を出せずに申し訳ありませんでした。何かご不便などありませんでしたか?」


「静かでよかったな」


 つれない答えはいつものことと、弟子たちは既に割り切っている。

 これでいつもとは違った答えが返ってきた方が心配かもしれない。

 顔色も悪くなさそうだし、本当に大丈夫そうだと判断して、弟子たちはほっと胸をなでおろす。

 ところが、白鹿の毛を整えていた“真夜中”が、片眉を上げて遠慮がちに師匠に声をかけた。


「ところで、師匠。この子はいったいどうしたんですかぁ?」


 白鹿の陰に隠れるようにして、一人の少年がそこにいた。

 金の巻き毛にブルーの瞳。ふっくらとした頬は健康的に赤く染まり、さながら宗教画から抜け出してきた天使のように愛らしい美少年である。

 少年は始めてみる大人たちに怯えているのか、白鹿にぴたりと寄り添って離れようとしない。

 何か嫌な予感がして弟子たちが師匠を見ると、彼らの師匠はあっけらかんと言い放った。


「ああ、それか。拾った」


「またですか!?」


 “夢の雫”が叫んだ。

 〈白の魔女〉は時々、出かけた先で人を拾ってくる。

 魔法の才能があるとわかれば弟子にするし、なければ数日のうちに適当なところに再び捨てに行く。

 “夢の雫”も“湖姫”も師匠に拾われて弟子入りしたのである。

 弟子にしたところで修行が厳しく、途中で逃げ出すものが多い中、二人は残って独り立ちするまでに至った。

 ちなみに、拾ってきたものを世話するのは大抵“夢の雫”の役割で、今回も恐らくそうなるのだろうと、この後の展開まで予想できてしまうのが何とも悲しいことである。


「それで、その子を大サバトに連れてきたってことは、やっぱり弟子にするんですか?」


 “銀鏡”が心なしか嬉しそうに訊ねる。

 これまでは一門の中で彼が唯一の男だった。

 なぜかかたくなに魔女しか育てようとしない師匠に無理やり弟子入りした、押し掛け弟子である。

 少年が本格的に弟子入りするとなると、弟分ができるので嬉しいのだろう。

 案の定、師匠は一つ頷いた。


「魔法の才能がある。鍛えれば強力な魔法使いになるだろう」


 そうして“夢の雫”へ顔を向けると、悠然と言い放った。


「“夢の雫”。お前、しばらくこれの面倒を見ろ」


「……やっぱりあたしなんですね」


「魔法を教える以前の問題だ。火も熾せず、水汲みもできん。掃除も洗濯も、料理もやったことがないという。まるで使い物にならん。教わる身でありながら、師匠に対する口の利き方も知らん奴だ。お前に一年預けるから、徹底的に仕込め」


「そこからですか。わかりました」


 “夢の雫”が顔を引きつらせながら少年を見ると、彼はなぜかひどく険しい顔で彼女を睨み返した。

 先が思いやられるなと思いながら師匠を伺い見ると、既に彼女はその話題に対する興味を失ってしまったらしく、白鹿の背を撫でて帰る準備を始めている。


「あんた、名前は?」


 “夢の雫”が訪ねると、少年は口を開いて答えようとした。

 しかし。


「それの名は“昴”だ」


 少年よりも先に師匠が応える。

 少年は開いた口をパクンと閉じて、師匠を睨み付ける。

 ずいぶん生意気な態度をとるようなので、“夢の雫”はさっそく少年の口をつまんで釣り上げた。


「師匠を睨み付けるなんて、なんて不躾な子だろうね。あたしが徹底的に躾けてあげるから、覚悟しな」


「痛い! 痛いって! やめろこのクソババア!」


 “夢の雫”の額にビキリと青筋が浮き上がった。


「このクソガキ。初対面で『クソババア』とは言ってくれるじゃないか。確かに二百年程生きちゃいるけどね、あんたにクソババアなんて呼ばれる筋合いはないんだよ。あんたにはまず、年長者に対する態度を仕込んでやらなきゃならないようだね。手始めに、そら、あたしにそんな口をきいたお仕置きにその尻を叩いてやろう」


 などと言いながら、本当にズボンを降ろして尻を叩こうとする。

 少年の情けない悲鳴が弱弱しく響いた。

 そのやり取りを見て、“銀鏡”と“湖姫”が顔を見合わせて笑う。


「早速やってるな」


わたしも小さい頃にやられたわ、アレ。それでも後でちゃんとフォローしてくれるんだから、子供の扱いに掛けちゃあ“夢の雫”が一番の適任ね。なんだかんだいって、彼女は子供好きだもの」


「母ちゃんみたいだな」


「言えてるかも。“夢の雫”がいなきゃ、わたし、とうの昔に修行を逃げ出してたわよ」


 そんな弟子たちのやり取りを尻目に、彼女たちの師匠はさっさと帰り支度を終えて使い魔の背に座っていた。

 “真夜中”が手を貸して、弟子からの差し入れと称した荷物をその膝に置く。


「あの子は、わたしたちも交代で面倒を見てみます。師匠のところにも、時々報告に伺いますね」


「いちいち報告などいらん。来年のヴァルプルギスの夜までに、すべきことができれていればそれでよい。後はお前たちで適当にやっておけ」


 わかりましたと素直に頷いて、“真夜中”は師匠を見送るために一歩下がる。

 それを合図にしたように、他の三人も神妙な面持ちで師匠に向き直った。

 新たに弟子入りした少年は、唯一の知人が去ってゆくことに不安を覚えたように顔を強張らせたが、そばに立つ“夢の雫”がしっかりとその肩を掴んで支えた。


「“夢の雫”。それのことは頼んだぞ」


「お任せください、師匠」


「“真夜中”。報告は必要ないから、時々は“夢の雫”を手伝ってやれ」


「承知いたしました、師匠」


「“湖姫”。人の真似事もほどほどに」


「心得ておりますわ、師匠」


「“銀鏡”。遊びも大概にしろ」


「うへぇ。一応、努力はしてみます、師匠」


 弟子のひとりひとりに声をかけて、最後に小さな少年へ顔を向ける。


「“昴”。励めよ」


 少年は恥ずかしいのか、俯いて黙り込んでしまった。

 “夢の雫”はそんな少年の背を強めに叩いて叱咤する。


「ほら、『頑張ります』くらい言いな」


 しかし少年は、俯いたまま両手の指を組んできつく握りしめている。

 “夢の雫”はそんな少年を見て溜息を一つついたが、師匠は答えを待たずに使い魔の首をひと撫でして出発を促した。

 白鹿が立派な角を備えた頭をもたげて、ゆっくりと歩き出す。

 弟子たちは膝を折って一礼し、再び光の中へ消えてゆく〈白の魔女〉を見送ったのだった。




     ***




 師匠を見送った後、弟子たちは一斉に肩の力を抜いて大きく息を吐いた。

 いくら慣れているとはいえ、未だに師匠の前では緊張するらしい。


「ところでその子、どうすんの?」


 “湖姫”が腕を組みながら顎で“昴”を差した。

 師匠に置き去りにされた哀れな少年は、まだ両手の指を組んだままでじっと立っていた。

 “夢の雫”はその手を取って、投げやりに注意する。


「それ、やめな。手の甲に爪が食い込んでるじゃないか。怪我しちまう」


 硬く握られた指を無理やり解くと、少年は「触るな」と反抗して、今度は服の裾をぎゅっと握りしめた。

 まだ幼い子供だ。突然見知らぬ大人たちに囲まれて不安なのだろう。

 何かを握りしめていることで少しでも安心するのなら、無理にやめさせる必要はないと判断して、“夢の雫”はそれ以上は止めなかった。服の裾を握るくらいなら、怪我をする心配もないので大丈夫だろう。


「火熾しと水汲みはともかく、その年で掃除もできないって、一体どこのお金持ちのおぼっちゃまだったのよ」


 “湖姫”が眉間にしわを寄せている。

 師匠がどこから拾ってきたのかは知らないが、最低限の掃除くらいはだいたいどこの家でも親が教えているはずである。

 それすらできないとなると、前途多難になることは間違いないだろう。

 おまけに本人は自分の状況を未だにきちんと把握できていないらしく、初対面の“夢の雫”だけでなく、師匠のことまでひどく警戒しているようである。

 どうやって扱おうかと、痛みだしたこめかみを軽くもんだ。

 すると、“真夜中”が小さな少年に視線を合わせるように膝を折りながら顔を覗き込んで言った。


「よかったら、わたしが預かろうか? “夢の雫”のところは電気もガスも水道も通っていないでしょう? 火も熾せないし水汲みもできないってことは、今まで人間の家電製品を使っていたのよね。だったら、“夢の雫”の家はとても不便なんじゃないかしら?」


「あんたとこも似たようなものじゃないの。人跡未踏みたいな山奥じゃない」


 “湖姫”が呆れたように手をひらひらさせると、“真夜中”は口をとがらせて反論した。


「近くに人が住んでる村くらいあるよぉ。それに、うち、この間、電気を引いたのよ。台所をIHにしてみたの。夜には電気も点くし、洗濯は洗濯機でできるわ。下水を引いていないからトイレは水洗じゃないし、水道もないけど、井戸にはポンプが付いているから、“夢の雫”のところよりかは不便じゃないと思う。それに、ラジオでニュースも聞けるし」


「何その中途半端な感じ」


 “銀鏡”が肩をすくめる。


「それならいっそ、オレか“湖姫”が預かったほうがいいんじゃないか。少なくとも、都会のアパートメントなら今までと同じような生活ができるぜ。まずは魔法使いの心得を叩きこむための慣らしってことでさ」


 仲間たちの申し出はありがたいが、それもどうだろう、と“夢の雫”は考え込んだ。

 見た目で言えば、もっとも警戒されにくいのは“真夜中”である。

 ふわふわの栗色の髪に、垂れ目がちの赤茶の瞳。そばかすの散った丸い頬が愛らしく、思わず守ってあげたくなるような女性である。実際、性格も穏やかで、幼い子供にも懐かれやすい。

 ただ、子供を可愛がるあまり甘やかしすぎてしまうのが難点だった。

 “湖姫”はアジアンビューティを体現するかのような美女ではあるが、切れ長の一重の目元は吊り気味で、長いストレートの黒髪に、立ち上がると上背があることもあり、初対面の子供からはどうにも怖がられる傾向があった。迂遠な物言いをせず、物事をハッキリと言う性格も関係しているのかもしれない。

 しかし実は大の子供好きで、面倒見も非常によく、本来であれば子供を預けてもなんの心配もいらないはずなのだが、いかんせん普段の彼女は勤め人。どうしても昼間は家を留守にしてしまう。

 それは、これだけ警戒心をむき出しにした子供を預かるにはふさわしくない環境だと本人もよくわかっているらしく、自ら少年を預かろうかとは決して言いださなかった。

 ちなみに“銀鏡”は論外である。

 面倒見は悪くはないのだが、髪を銀に染めて適当に世の中を生きているような彼に、どうして幼い子供を預けられようか。

 人間に混じって会社に勤めているとはいっても、普段の様子を見ていると真面目に仕事をしているようには見えない。

 子供の教育上、大変よろしくない大人の見本のような男である。

 他にも“夢の雫”は様々な選択肢を加味してみたものの、結局最後はどれも同じ場所に行きついてしまい、大きなため息をつきながら若干諦め気味に言った。


「ありがとう。でも、やっぱりあたしが預かるよ。師匠からは、火熾し水汲みと掃除洗濯料理ができるようにしろって言われてるんだ。あんたたちのところじゃできないだろう? 何かあったらすぐに連絡するから、それでいいだろう?」


 結局、いつもこうなるのだ。

 “湖姫”もやっぱりという顔をして、大きくため息をついた。


「わかったわ。でも、時々は手伝うからね。あんたとこに預けっぱなしにしておいたら、人間社会の常識から離れすぎてしまうでしょうから。このご時世、それじゃ通用しないんだから」


「わかったよ。時々はあんたたちに手伝ってもらうことにしよう」


わたしの水晶をあげるから、何かあったらこれで連絡ちょうだい」


 いいながら“湖姫”は、片手で持てる大きさの水晶玉をいくつかとりだした。

 彼女がいつも使うのは、純度の高い水晶石である。不純物が混ざっているとそれだけ占いの精度が落ちるらしく、一度割れてしまうとなかなかいいものが見つからないと嘆いている。

 そしてそれは、当然のように宝石としても高値が付くものなのだが。


「あ、オレ、それいらねえ。この鏡に飛ばしてくれ。できるよな?」


 “銀鏡”が懐から手のひら大の手鏡を取り出した。


「わたしもぉ。家の水盆で水鏡作るから、そっちに送ってぇ」


 “真夜中”も便乗して、まるでスマートフォンやタブレットに転送するかのように気軽な調子で言う。


「あんたたち、好き勝手いってくれるわねえ」


 “湖姫”が顔を引きつらせて言う。


「ていうか、なんで今更こんなことしてんのよ。あんたたち、普段からどうやって連絡取り合ってたわけ?」


「オレと“湖姫”はスマホがあるじゃん?」


「わたしのところには、みんな手紙をくれるよねぇ」


「みんな、連絡なしに突然うちに来るじゃないか」


 そういえばそうだった、と“湖姫”が頭を抱えてしまった。

 それでよく数十年も不便を感じなかったものである。


 とまれ、これでなんと互いに連絡を取り合うことができるようになった。

 一年間、弟弟子を預かることになった“夢の雫”は、「よろしく」といいながらも、挨拶代わりにその金の頭をくしゃくしゃにかき混ぜてやるのだった。

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