夏の名残に花束を
山野 あか猫
第1話 ヴァルプルギスの夜
年に一度のヴァルプルギスの夜に開かれる大サバトには、世界中から魔女や魔法使いたちが集まってくる。
普段は静かな森が、この時ばかりは華やかな賑わいを見せる。
彼らは一家で、もしくは友人同士でやってきてはそこここに集まって談笑し、友好を温めあっていた。
ある者は祝い、ある者は愚痴りあい、またある者は笑いあう。近況を報告し合うだけの仲もいれば、久しぶりに会った親友とじゃれ合っている姿も見られる。
彼らは「魔女」もしくは「魔法使い」と呼ばれる存在ではあるが、現代では一部を除いてそのほとんどが人間と変わらない暮らしをしており、魔法使い業の傍らで普段は会社勤めをしているという者も少なくはない。
そのため、彼らの服装は近年になって多様化し、かつてのローブやドレス、チュニックと言った伝統的なものから、ここ数年は様々なバリエーションの服装が常態化し、中には迷彩柄の戦闘服を着込む者までいる。
だが、今は誰もかれもが笑いあい、杯を掲げて楽しんでいる。
“夢の雫”もその中の一人だった。
普段は出不精の彼女も、この時ばかりは遠出する。
集会場は毎年異なり、大陸から少し離れた島国に住む彼女は、毎回どうしてもはるばる海を越えて出かけなければならなかったが、それでもできるだけ毎年顔を出すようにしていた。
「久しぶりねぇ、“夢の雫”。元気だった?」
「ええ。あんたも元気そうね、“真夜中”。変わりはない?」
「おかげさまで。あなたはどう、“湖姫”?」
「もう最悪。マジあの会社、滅びればいいのに!」
「わかる。オレんとこも似たようなもん。あのクッソ上司、マジムカつく!」
「口が悪いよ“銀鏡”」
「人間の真似事なんかしてるからでしょうが。家に引きこもって本職に専念すれば?」
「バーカ。このご時世、魔女業だけじゃ食ってけるわけないじゃない。むしろ、何であんたらが生活できてんのかが不思議だわ」
「違いねー」
久しぶりに会った兄弟弟子たちの、すっかり人間の社会に溶け込んでいる様子に、“夢の雫”は苦笑しながらもほほえましい視線を向けた。
人間と変わらぬ暮らしをしていても、酒の席ではどうしても愚痴が多くなるもの。それは昔から少しも変わらない。
同じ師匠の下、修業時代は常に一緒に過ごしたものだったが、今では全員が独り立ちし、それぞれに居を構えている。
年に数回くらいは互いに行き来はあるが、全員で集まるのは大サバトのような機会でもないとできない。
しかしそれでも、会えば昔と同じようにじゃれ合うことができるのは、本当に嬉しいことだと思っている。
魔女も魔法使いも、人間よりも長い時を生きる。
多くは二、三百年ほどだが、希に五百年以上を生きて『古い魔法使い』と呼ばれるものたちもいる。
そういったものたちは概ね強い魔力を持ち、若者たちの指導者となるのが常だった。
“夢の雫”たちの師匠も『古い魔法使い』と呼ばれるものたちの一人だった。
〈白の魔女〉の通り名で知られていて、年に一度の大サバトで人々に予言を授けることから、彼女と彼女の弟子たちは〈予言の一門〉と呼ばれていた。
夢占いの〈夢幻の魔女〉“夢の雫”、星占術の〈明星の魔女〉“真夜中”、水晶占いの〈水面の魔女〉“湖姫”、鏡占いの〈鏡の魔法使い〉“銀鏡”。
彼らは全員、予言の魔法を得意とし、また生業としていた。最も、“湖姫”と“銀鏡”は副業として人間社会でも働いてはいたが。
ともかく、未来を知りたがるものは何かと多い。
この日も、〈白の魔女〉の予言を待ちきれないものたちがさっそく彼らに声をかけてくるが、師匠よりも先に占いを行うわけにはいかないと、いつもキッパリと断ってしまうのだった。
しかし。
「〈夢幻の魔女〉よ。どうか私に予言を授けていただきたい。私、今年こそ幸せになりたいんです。どうすれば幸せになれますか?」
「〈明星の魔女〉よ。どうか今年の運勢を教えていただけませんか? どうも去年はツキのない一年だったので……」
「〈水面の魔女〉よ。私は今年、どうなってしまうのでしょうか? 今、会社で取り掛かっているプロジェクトの行く末が不安で不安で……」
「〈鏡の魔法使い〉よ。どうか教えてください。今年の恋愛運について……」
それでも相談は引きも切らない。
断っても断っても次から次へと相談に来るので、“銀鏡”などはそろそろ堪忍袋の緒が切れそうである。
「しつこいんだよ、あいつら。親戚の婚期の話とか、心底どうでもいいし」
どうも相談者本人ではなく、その親戚についての相談をされたらしい。
「ヴァルプルギスの夜だからって、ただで占ってもらえるとでも思ってんのか? 〈
先ほどから相談にやってくるのは、どう見ても大金を持参している様子のないものばかりである。
場所が場所なだけにカード払いは不可。ローンもリボ払いも対応していない。物品での支払いならば証明書の添付が必須条件となる。
“真夜中”が“銀鏡”を宥めるが、そんな彼女もやってくる人々にはうんざりしている様子である。
ようやく相談者が途切れ始めたのは、夜も更けて、宴もたけなわになりつつある頃だった。
周囲が静かにざわめいた。
誰かが声を上げたわけではなく、むしろ会場全体が一瞬で静まり返る。
森の中から一人の魔法使いが現れて、ゆっくりと広場へと歩み出た。
金髪碧眼の見事な美丈夫である。
フードからこぼれ出る金の巻き毛は月の光を受けてキラキラと輝き、真っ青な瞳が松明の灯りに照らされてなお透き通るような光を放つ。
全身を伝統的な黒いローブに包んでいているにも関わらず、遠目から見てもはっきりとわかるその美貌。
そして、足元には使い魔と思しき狼の群れ。
現代の魔法使いには持ち得ない、異様で独特な雰囲気をまとった魔法使いだった。
大サバトが開かれる会場は毎年異なる。
そのため、毎回全員が出席できるわけではない。
故に、彼の魔法使いを知らないものは多かった。
「誰だ?」
「やだ、ちょっとイケメンじゃない? 誰よ、あれ?」
たちまち若い魔女たちが色めき立つ。
しかし逆に、年嵩の魔法使いたちは警戒心を露わにした。
「そういえば、奴の住処はこの近くだったな」
「若い連中を近づけるなよ。奴は危険だ。何をしでかすかわからない」
〈琅狼の魔法使い〉と、誰かが彼を呼んだ。
噂好きの魔女たちが、たちまち情報交換を始める。
「聞いたかい? この間、あいつの住処に人間が乗り込んでいったらしい」
「なんだって? 大丈夫なのかい? 奴の短気と人間嫌いは有名だよ」
「大丈夫なわけがない。なんでも、あいつの住処の森に目を付けた連中が、土地を開発しようとして鉄の工具や重機を持ち出して侵入したらしい。けどあいつは、配下の狼の群れに襲わせて人間どもを追い払ったんだって」
「ちょっとちょっと。そんなことしたら、人間のことだから銃を持って何倍もの数になって帰ってくるじゃないか。いくらあいつが強力な魔法使いていったって、狼の群れも銃の前ではただの獣に過ぎないだろうに」
「そうともさ。案の定、配下の狼どもを散々にやっつけられた奴は怒り狂い、報復として地の精霊に命じて大地を割り、炎の精霊に命じて舞踏会を開かせたそうな。憐れ、人間どもは割れた大地に挟まれたまま、炎の精霊の熱によって蒸し焼きにされてしまいましたとさ」
「やれ、酷いことを」
「押し入ってきた人間は一人として見逃さなかったというから、森でいったい何が起こったかなんて誰も知りやしない。おかげであの〈無辺の森〉は、近所では『
ひそひそと囁かれる噂話には目もくれず、彼は広場の端の大木の傍に己の居場所を定めて、幹に寄り掛かって気配を消した。
そうなるともう、魔女や魔法使いたちは彼には構わない。遠巻きにしながらも元の饗宴へと興味を移していく。
“夢の雫”は、広場の端をじっと見つめている“真夜中”の袖をそっと引っ張って囁いた。
「あいつはだめだよ、やめときな」
“真夜中”ははっと我に返ったように振り返り、薄く頬を染めた。
〈琅狼の魔法使い〉の評判は彼女も知っているはず。それなのに、人の心というのはままならないものである。
彼女の気持ちもわからないでもない。しかし、触らぬ方が良いものは心得ておかなければならない。
“夢の雫”は“真夜中”の手を取り、二人の仲間たちのもとへと誘った。
***
彼らの師匠である〈白の魔女〉の登場は、そのすぐ後だった。
それは、ひどく神秘的で美しいものだった。
森の奥が淡く光ったかと思うと、下草に溜まった露が瑞々しく跳ねあがり、光に照らし出された靄が大気の流れを映し出す。
その光の向こうから、立派な角を掲げた白い牡鹿の背に座った女性が現れた。
顔をベールで覆い、白いチュニック風のドレスに身を包んだその姿は、まさしく神話に登場する女神のようである。
人々は喉の奥から漏れる吐息を堪えられず、広場にはつかの間の陶酔の空気が漂った。
その一方で、流石に弟子たちはそんな師匠の姿は見慣れている。
師匠の住処である〈時の狭間〉は、今彼らがいるのとは別の次元にあるらしく、訪れるにはいくつかの条件を満たさなければ道は繋がらない。
道が開くと行く手が光をまといだすのですぐにわかる。
初夏の森の若葉は瑞々しく、広場の熱気に当てられて靄となって立ち込める。
神々しい登場シーンに一瞬見とれはしたものの、トリックが分かっている彼らはすぐに我に返って冷静になることができた。
「いらしたわ。行きましょう」
“真夜中”が呟いたのをきっかけに、全員で師匠を迎えるべく歩き出す。
「ご無沙汰しております、師匠。遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
師匠を乗せた白鹿が歩みを止めると、馬上ならぬ鹿上の師匠に、“銀鏡”が恭しく手を差し出した。
しかし〈白の魔女〉はその手を取ることなく、自分でするりと地面に降り立つ。そうして、先導役として“湖姫”が差し出した腕に手をかけ、ゆっくりと広場の中央へ向かって歩き出した。
「“銀鏡”、いつまでそうしているの?」
師匠に無視されて固まってしまった“銀鏡”に、“真夜中”が呆れ気味に声をかける。
彼が心底慕う師匠は、しかし全く彼のことを相手にしようとしなかった。
それでも彼は、毎回懲りずに師匠へ向かって手を差し出すのだ。
がっくりとうな垂れる“銀鏡”を放って、“夢の雫”は使い魔の白鹿を一瞥すると、“真夜中”と共に師匠の後を追った。
〈白の魔女〉。と、行く手の人々が声をかける。
その光景を見るたびに、まるで何かの宗教の様だと“夢の雫”は思うのだった。
生まれつき色素を持たない
肌だけでなく、唇も、睫までもが真っ白で、その白さは肌の白い人種のそれとはまた異なるのだ。
普段は閉じられている瞼から時折見え隠れする瞳は赤く、同じ種族の生き物とは思えぬほどの美しさがある。
しかしその中身を知っているものからすると、外見と性格との落差に思わずため息をつきたくなるのだった。
盲目のため、歩くには杖を必要とする。
ところが、時々目が見えているのではないかと思う程目ざとい時がある。
隠し事などバレなかった試しがない。
怒ると杖で叩く癖があって、他にも、弟子に無茶な雑用を申しつけては、手際が悪い仕事が遅いと怒って杖で小突きたおす。
青あざができるほど殴られることなど日常茶飯事で、弟子たちはよく修行を逃げ出さなかったものだと、今でも師匠の話題が出るたびに笑いあうのだった。
〈白の魔女〉が歩みを進めるほどに人々の群れが左右に分かれ、さながら聖書の一幕のように道を作る。
弟子に先導された魔女は悠々とした足取りで進み、やがて広場の中央に行き着いた。
そのままゆっくりと振り返ると、静まり返った人々がじっと彼女に注目する。
このとき、ようやく立ち直ったらしい“銀鏡”が彼らに追いついて、弟子たちはそろって師匠の後ろに控えて気配を消した。
やがて群衆の中から一人の魔法使いが歩み出て、〈白の魔女〉に恭しく頭を下げた。
「大予言者にして我らを導く〈白の魔女〉よ。今年もようこそこの大サバトへお越しくださいました。我ら一同、貴女様のお越しを今か今かと心待ちにしておりました。こうして再びお目に掛かることができて、心より嬉しく思っております。ご到着早々に恐縮ではございますが、今年一年の指標として、どうぞ我らに予言をお授け下され」
この魔法使いは、現在広く知られている中では恐らく最高齢の古い魔法使いで、既に髪も髭も白く、腰も曲がって杖にすがらなければ歩くこともままならないほどであった。
それでも彼は〈白の魔女〉に対して常に最上級の敬意を払う。
曰く、彼の修業時代には既に〈白の魔女〉は予言者として君臨していたからだと。年長者に敬意を払うのは当然の事であり、さらには己よりも強い力を持つ魔女を敬わずしてどうするのだと。
〈白の魔女〉がいつから生きているのかは誰も知らない。
当然、彼女の弟子たちも、師匠の年齢など知る由もない。
故に、彼女は常に人々からは一線を引く存在であり続けてきた。
〈白の魔女〉は見えない目で広場を見渡すようにぐるりと首を巡らせると、億劫そうに一つ溜息をついて口を開いた。
「古きものが再び息を吹き返し、新しきものは古きものに頭を垂れることになるだろう」
群衆が再びざわめいた。
予言というものは常に抽象的なものであって、どう解釈するかはその時々によるのだが、今回のこれはいったいどういうことだろうか?
未来視は非常に高度な魔法だが、ある程度であれば特に〈予言の一門〉でなくとも占うことができる。
一部のものがその場でダイスやポエなどの小道具を取り出す姿が見られたが、望むような結果は出なかったらしい。
ああでもないこうでもないと言いあう人々を尻目に、それまで誰とも関わらずに静観していた〈琅狼の魔法使い〉が人知れず姿を消したが、誰も気に留めるものはいなかった。
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