魔王と騎士の5日間

@mentaiko_kouya

魔王と騎士の5日間

「さぁ、用意しろ。時間だ」


 ガシャン、と金属の音が仄暗い石造りの部屋の中で響く。

 独房を思わせるそこには、部屋の陰鬱さを押し込めたような、女が一人。

 床に撒いた墨に似た女の髪は、溶け落ちた蝋のようにぬるりと光る。

 空いた扉から差す光は、部屋の中の黒を濃く染め、舞う埃にすら影を与える。


「……どうした、早くしろ」

 

 今一度ガシャン、と音が響く。

 杭を打つように石畳の上に突き立てられた剣は、鈍色を見せてはその光で女を差す。

 光を前に女は「ああ」と、水面に顔を出すように顔を上げ。


「そうか、もうそんな時期か」


「……行くぞ」


 思い出したかのように女が立ち上がり、その姿を見届けた剣色に全身を包んだその者は、背を向ける。

 女はその後を続き、薄く目を細めては首を揺らし。


「毎度ご苦労な事だ、騎士様よ。

 君の一族には頭が上がらんよ」


「私はこの為に在り、そして使命であり、一族の誇りだ。

 貴様の賞賛なぞ、侮辱にしかならん」


 鋼に身を包む騎士は、顔を覆う兜の中で小さくそう呟く。

 くぐもった声はとても低く、しかし金属で反響しているせいか高くも聞こえる。


「行くぞ。さっさと着いて来い」


 騎士の言葉で部屋の外へ出た女は、おもむろに空を見上げる。

 辺りを照らす光は、夕日のように赤く、そして空は夕暮れのように紫に染まり。

 光を与える空のそれは、穴のような大きな大きな白い、丸。

 それは月と言うにはあまりに大きく、太陽と呼ぶにはあまりにも白い。


「随分と、今回も白いな……」


 空を支配するそれを見ては女は口の端を上げ、満足そうな笑みを浮かべる。


 この世界は呪いに満ちている。

 それは魔王と呼ばれるとある女が、人を憎むあまり、全てを終わらせる終わりの星を呼んだ。

 だがその行いは結託した人間たちによって打ち破られ、平和が訪れたと思われた……。

 しかしそれはひと時の平和であった。

 女の呪いは余りにも強すぎた。

 女は余りにも人を憎みすぎた。

 それは自分を殺した人間すら、自分が殺された後に祝福され、生まれる人間すら、死の際に呪った。

 

 故に終わらない、星が落ちるその時まで。

 故に50年に一度、女の願いを飲んだ星は地を目指す。

 故にその願いが叶うまで、女の命は朽ちようとも果てようとも繰り返す。


「早くしろ」


 騎士が声を上げれば、女はフラフラと後を続く。


「いやはや、私が言うのもなんだが、ナカナカ続くもんだねぇ。

 そろそろ私を仕留め損ねて、全部終わってくれると睨んでたんだけども」


 くくっと潮笑う女を無視し、騎士はただただ歩く。

 馬も無く。

 馬車も無く。

 ひたすら続く荒れ地に足を向け。

 向かう先には暗雲が薄く伸び、夜を思わせる淀んだ先。

 

「終わるさ。

 5日の旅の果てで、貴様をかの地で殺し、星を止めて、何事もなく終わる。

 そしてこれが果たされれば、この先50年、人々に約束された平和が訪れるのだ。

 私はお前を終わらせる騎士だ。

 さぁ行こうか、これは貴様を終らせる旅なのだ――」




 ---------




「しかしこの時期にならないと君が来ない辺り、300年近く経つと言うのに何も解呪出来てないんだねぇ」


 荒れた地を行く中、軽い足取りで後を続く女は独りごちる。


「星を止める為には星の真下、私が呪いを撒いた場所で私を殺すしかない。

 しかしその場所に行くにはこの荒れ地を行くしかない。

 だが私の撒いた呪いは星の落ちる地を中心に、国一つ分の土地を穢した。

 呪いは全てを喰らい、草一本生える事のない世界を生んだ。

 故に馬なぞ使えず、道具を使って進もうにも、呪いが叡智を全てを蝕み、朽ちさせる。

 大変だよねぇ、めんどくさいよねぇ?」


 先を進む騎士なぞ構わず、ベラベラと早口で女は喋る。

 その姿は仄暗い部屋でうな垂れていた姿から、想像出来ないほど饒舌で、表情に染まる顔も豊かだ。

 しかしその眼に映る光は、熱した油のようにぬらぬらと。

 その煌きと共に揺れる黒髪の色は、とてもいびつで、見る者に畏怖を覚えさせる。


「しかも厄介な事に、星が落ちる5日前にならなければ、呪いの一部が薄れず、普段はこの場所にすら入れもしない。

 呪いの範囲外の場所から、私を幽閉していた塔からでも最速5日。

 一番近い距離だと言うのに5日もかかるのだ。

 更にはこの地へ入れるのも、私を含めた二人だけ。 

 本当、我ながら意地の悪い物を撒いたもんだよ」


 息と共に言葉を吐き出した女は、恍惚を見せると嗤い声を上げる。

 それは喜劇で踊る道化師のようで、または糸が切れて舞台から転がり落ちる人形のようで。

 すると騎士はガシャリ、と全身の鎧を鳴らしては振り向き。


「……随分と無駄を語る舌だな。

 どうせ貴様は5日後には死ぬ身だが、ずっとこの調子では盛った鳥よりうるさくて敵わん。

 その舌、ここに捨てて行くか?」


 言い終えると同時に、腰元の剣を音も無く抜いて女へ突き付ける。

 遅れて「ひぅん」と風が切れる音が響き、女の頬に当たる髪を数本切り落とすと、その痕を赤い筋がなぞる。


「あらあら、長い旅路なんだし、盛り上げようと思ったんだけど。

 どうやらお気に召さなかったみたいで」


「そんなに話したいならば5日後にするが良い。

 首を落とすその時くらいは、耳を傾けながら剣を振ってやらん事も無い」


 その言葉に女は肩をすくめると、「仕方ないわねぇ」と口を手で覆う。

 騎士は暫しの間を置いた後、静かに剣を納めると背を向け、


「行くぞ」


 そう短く口にしては荒れた地の中を進んだ。




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「貴方、何も食べないんだねぇ」


「……」


 荒れ地を半日ほど進み、空の色が濃くなり、空を占める星の光が純白になった時刻。

 それは夜と言うにはあまりにも明るく、昼と言うにはあまりにも淀んだ景色。

 そして空だけ不気味に明るく、地上は仄暗い世界。

 それは終わりを受け入れて、世界の全てが瞼を下ろしているような、そんな光景だ。


「真面目なんだねぇ貴方。それとも貴女か?

 いやまぁどちらでも良いんだけれどさ。

 星降りの明かりで日が見えないとは言え、今の時刻は夜半過ぎだ。

 寝ないの?」


「……」


 腰掛ける女の問いに、騎士は答えない。

 焚火に向かって、同じく座る騎士は、枯れ木を放り込んではただ火を見詰める。

 顔を覆う兜の目元より覗く瞳は、焚火の光を僅かに受けて、一粒ほどの光を騎士に灯す。

 煌々と赤く染めるその色は、黒く染まったこの世界で、まだ息衝こうとする命のようで。


「まぁ呪いに触れないよう、生身を晒せないし当たり前か。

 それにしても最近の鎧は随分と綺麗になったもんだね。

 しかしカルテリア模様かぁ、300年前の模様をまた見るとはね。

 懐かしい。

 とても似合ってるじゃないか?」


 その言葉に騎士の指が僅かに動く。

 緩やかな風を受け、火の色がほんの少し、色を変えるような。

 それはとても些細な物で、ただ指が動いたとも言えるものだった。

 しかし女はそれを前に目を細める。

 鍍金を厚く重ねたような光を眼に塗った女は、亀裂のような笑みを口元に引く。


「本当、大変だねぇ、面倒だねぇ?

 これから5日間、飲まず食わず、眠らずで足を進めなきゃいけない訳だ。

 まぁ星の真下に行けば呪いによる浸食はないから、そこで初めて休めるがね。

 とは言え笑える話だ。

 私を殺した後でしか、休めない。

 私を殺した横でしか、飲み食いも出来ない。

 私を殺した傍らでしか、眠れない。

 しかも私を終わらせても、引き返す5日間、苦しみを伴ったあなたの旅路は続く訳だ。

 いやこれは旅路ではないか。

 誰の目にも触れない、孤独の喜劇、いや、行進とでも言おうか?」


 バチリと、焚火の薪が音を立てては火の粉をばら撒く。

 それはパっと咲いては、すぐに辺りの色に塗り潰され、消える。


「本当、人間たちの正気を疑うよ。

 毎度毎度、こんな事を一人の者に押し付けているのだから、ねぇ?」


「……貴様に正気を問われるとは笑えるな。

 星を止める為の旅……貴様を殺す事は一族の誇り。

 同時に私の誇りであり、私が生まれた意味だ。

 それを考えれば私一人の苦痛など、些細な物だ。

 そして正常さなど、他の賢い人間が持ち合わせていれば良い。

 私はただ目的を果たすのみだ」


 騎士はそう言い終えると、火へと枝を投げる。

 黙って聞いていた女は「ふぅん」と小さく唸り、火を受けて黄金を灯す騎士を見やる。

 

「――うるさいって、舌切り落とさないのねぇ?」


「歩みの邪魔をしている訳ではないからな。

 しかしお望みならば、喜んで今すぐ切り落とすが」


「……お断りするよ。

 ここではまだ死なない身とは言え、痛いのは好きじゃないからねぇ。

 にしてもあなた、短気に見えてそうでもないんだね。

 昔の騎士たちは口より手だったの、珍しい」


 女はひらひらと手を振って拒否を露わにする。


「しかし300年近く経っても変わらず、かぁ。

 可哀想なもんだよ。

 呪いが何一つ変わっていないなら、あなたも18を迎えたばかりだろうに」


 その言葉を口にした女は、空を見上げては白く染まった丸い穴を眺める。

 騎士は答えず、ただ黙る。


「私が呪った時と、何ら変わりやしない。

 意地汚くさかしい人間が、純粋な者を食い物にして、腐らせる。

 あぁ憎ましい、汚らわしい。

 それを行う人間も、それを許容するこの世界も、何もかもが」


 空を仰いで伸ばす女の手は、星を引き寄せるかのように掲げられ。


「どうして、全部消え去ってくれないかねぇ」


 吐き捨てられた言葉は呪詛のようで、そして全てを絞め殺さんとする蛇のようで。

 皺で歪められたその顔は、女と称するにはあまりに醜く。


「……さぁ、私の知る所ではないな」


 怨嗟が濃く熔け、深くなる景色。

 銀に身を包むただ一人輝かしいその者は、女の見やる空より目を背けては、口を噤んだ。




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「相変わらずこの辺りから道が悪くなるねぇ。

 星降りの5日間しかここに入れないから、当たり前とも言えるけれど」


 旅を始めて3日が過ぎていた。

 随分と足場が悪くなった道を行きながら、面倒と言わんばかりに女は声を漏らす。

 しかし先を行く騎士は足取り変えず、金属音を響かせながら岩の多く転がる道を進む。

 その岩は行き先を阻むかのように、またはバラ撒かれた小石のようで。

 しかしその岩は、天然の物とは言い難く、水平に切り落とされた一面からして、加工された物だった。


「……これが旧王国の城壁の跡、か」


 突如、騎士は足を止めた。

 その先には道中を邪魔していた岩とは、比べ物にならないほどの岩の山。

 周囲を見渡せばそれはどこまでも続く。

 さながらそれは、白い大蛇が横たわっているかのようで、仄暗い景色の中で一際目立つ。


「まるで山脈のようだな。

 しかも教えられた通り、回り道も無し……か。

 確かにひたすら登るしかないようだ」


 女に聞こえないほどの、兜の中でのみ反響する声で騎士は呟く。

 それは口にして、目の前にある状況を整理するかのような行為。

 見上げた先には、崖のような岩が折り重なる。

 騎士は岩へ手をかけると、鎧を鳴らしながらよじ登る……が。


「あなた、歩き詰めのまま登る気?」


 後ろから棒立ちで眺めていた女が、呆れた声を投げかける。

 騎士は「黙って付いて来い」と言おうとするが、思いとどまる。

 旅を始めて早くも3日目。

 この日の為に、長く苦しい訓練を耐えてきた。

 しかし飲まず食わず眠らずの旅路、ましてや魔王と呼ばれる女を引き連れて進める足は、どんな訓練よりも心身を疲労させた。

 

 ……だが歩みを止めるべきではないと、すぐさま切り替わる。

 そう、自分がここに居るのは使命を果たす為。

 それだけが自分が生きる意味で在り、自身を証明出来る術だと。


「あのね。

 頑張って先に進もうとするのは構わないけど、無理されると私も困るんだよねぇ」


 だがその決意を、目の女が邪魔をする。

 疲労からの苛立ちも混じり、衝動を吐く為の息を吸う。

 そして肺からの空気を乗せて、いつもより強く言葉を吐こうとする。

 も、束の間。


「私はあなたが居ないと呪いが果たせない。

 あなたが私をかの地で殺さなきゃ星が止めれないように、私もあなたと一緒に行かなきゃ星が落とせないのさ」


 騎士は激情を吐こうとした口を咄嗟に閉じる。

 ――聞いた事が無い。

 だが同時に、覚えていた疑問が僅かながら答えを得てしまう。

 何故、この女は自身が殺されるとわかっていながらも、付いてくるのか。

 いつしか覚えた疑問が、答えを得ると衝動の熱が冷える。


「ほら。

 あの辺りが休みやすいから、そこで休みましょうよ」


 騎士は黙ったまま、崖から降りる。

 そして女が指す場所へ足を向けた。




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「大体みんなここで無理しようとするんだ。

 歩き始めて半分が過ぎた上に、疲労で一番判断が鈍ったところへ、突然の難関が現れるからね」


 焚火がバチリと音を立てる中、女は独り言のようにゆっくり語る。

 今までこの旅路を通った、騎士の祖先が使ったのだろうか。

 案内され場所には、簡易的だが石造りの椅子が用意されていた。

 焚火をする為の穴も、綺麗に石で囲まれており、薪らしき物も置かれていた。

 騎士は揺らめく火を見詰めながら、兜の中の目を細める。

 そして、


「さっき言っていた、呪いが果たせないと言っていたのは、何だ?」

 

 静かにそう問う。


「へぇ、知らないの? もしかして教えられてないの?」


「……答えろ」


 騎士はいつの間にか覚えた逸る気持ちを抑えつつ、静かに問う。

 しかしそれはこらえ切れておらず、膝の上にある衝動を宿した右手は、僅かばかり剣をぶら下げる腰へと滑る。

 女は暫く問いに迷うと、その長い睫毛を静かに閉じ、語り始めた。


「どれだけ強い呪いと言えど、無償では引き起こせないんだ。

 ましてや人間すべてを消す為の呪いなんて、憎んだだけでは無理なのさ。

 呪いとは思うだけでは生まれない。

 ――胸に生まれた思いを発し。

 にらぐ怨嗟をなぞり。

 深まる恨みを与え。

 淀む不幸を振り撒き。

 そうして初めて、呪いは願いを呑んで降りかかる。

 人の怨嗟が生まれるまでにも過程があるように、呪いが降るにも同じものが必要なのさ。

 順序無くしてありえない。

 あなたにとって、この旅が星降りを止める物ならば、私にとってこれは星を降らせる為の儀式でもあるって訳だよ」


「……ならばここで貴様を殺せば全て終わるな。

 そうすれば、かの地を目指す面倒も省けると言うものだ」


「それは無理だねぇ。

 確かに一度は止まるだろう。

 しかし長年の時をかけ、何度もあなたの先祖はかの地で私を殺した。

 その行いは、いつしか儀式の一つとなっている。

 故にそれを壊す事をすれば、その血を引く者全てを皆殺しにするだろうさ。

 そしてその後に降る星を止める者は居なくなる……。

 まぁ私にとってはそれでも構わないけどねぇ。

 どうする?」


 空を指差し語る女に対し、騎士は動いていた右手を剣から放す。

 すると女は嗤い、「分かりやすいねぇ」と呟く。

 だが騎士はその言葉に対し、不思議と腹は立たなかった。

 むしろ逆に、胸の内の小さな突っかかりが、落ちた気がした。


 騎士は今まで、使命の為にただただ応えてきた。

 疑問を持つ事を許されず、示される全てが正しいとされた。

 苦痛はこの世界を生きる人間を救う為の代償。

 そして使命は己の全てであり、果たす事で初めて存在を証明出来る。

 

 それ故に、本来ならば教えの通りに「魔王の語りを聞くな」と言いつけを守る筈だった。

 我を殺し、ひたすらに目的の為にこなす。

 疑問も伏せ、口答えもせず、願いも捨て、望みも忘れ。

 

 だが自分ですら葬り去った物を、捨てたはずの一つを、会話の中で女は拾った。

 騎士へ使命を与え、居場所を約束した者たちが、無駄だと振り払ったそれを。


 今まで得たくとも得られなかった物を。奇しくも女から、殺すべき相手から貰ってしまった。。

 それ故に女の浮かべる、人を小馬鹿にした笑い顔さえ、いくらか許せるほどにまで至った。


 ――とは言え、女の語る言葉を素直に飲み込む程の器用さも、持ち合わせていなかったが。

 容易にそれを受け入れれば、18年と言う月日を否定する事に繋がると、恐怖を抱いたのだ。

  

「しかし笑える話だな。

 まるで貴様が人であったかのような語りだ」


「それをあなたが言うかねぇ。

 私を殺す為に、その他一切の全てを切り捨てられ、人間の都合と醜悪を詰められた騎士様よ。

 あなたこそ、この世界を救う為、10日間を生き抜く為、呪いを殺す為に作られた存在でしょう。

 人間を殺す為の糧である私が呪いであるならば、あなたも呪いそのものじゃぁないか。

 違う?」


 その一言に騎士は剣を抜こうと考えたが、どう言う訳か手は気持ちに答えず動かなかった。

 

 ――貴様は魔王を殺す為の剣であり、一族の誇りである。

 それ以外の何もでも無く、それ以外の無駄は恥と知れ。

 女の言葉で蘇る言葉。

 何度聞かされたかもわからない言葉。

 

 ――そうあるべきが、誇り。だと。


「呪いとはそれを確実に殺す為のものを指すと、私は思っている。

 物理的、間接的であろうと、思いを宿し、それを死に至らしめるものであれば、呪いさ。

 殺す数の多い少ないなんて、そんなの差異にもならない。

 思いで何かが死ねば、何かが殺せれば既に呪いなのさ」


 そう言い終えると女は肩をすくめる。

 語られる話は耳を傾ける程でもなく、聞くべきではないと教えが囁く。

 しかしその声こそが、それではないかと答えを得るが騎士は小さく首を振った。


「はぁ。

 とりあえずしっかり休むとしようかねぇ。

 私は少し眠らせてもらうよ。

 あなたと違ってずっと幽閉されてたからねぇ、体力がないんだ」


 女は言い終える前に焚火を前に横たわる。

 騎士はその様子を溜息で返すと、


「……それは良い。

 私も貴様の語りを聞かずに済むな。

 いくらか休めそうだ」


 そう口にすると、張り詰めていた肩の力を僅かばかり抜き、背を丸めた。




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「……何の音だ?」


 空の白色と同じく静寂が辺りを支配する中、騎士は首を動かした。

 今しがたすぐ近くで、どこか聞き覚えのある音が耳に届いたのだ。

 風も僅かしか吹かず、人の手が多く入った代物は朽ちる世界。

 そんな中で金属が奏でる、乾いた音を耳にしたのだ。


「……まだ寝ている、か」


 確認に焚火の前へ目を向ければ、墨色の髪を雑に放り投げた女はまだ寝息を立てていた。

 服の黒も相まって、覗く顔と手は闇の沼に飲み込まれた人の一部にも見え、寝ていると言うのに不気味さを思わせる。

 騎士はそんな畏怖を身に纏う女を起こさぬよう、静かに立つ。

 そして音がした方へ足を運び、辺りを見渡した。


 そこは休憩していた場所と何ら変わりはなく、白色の岩がいくつも転がる。

 時折吹く弱々しい風は枯れた地面を攫い、砂埃を僅かばかり浮かせては消えて行く。

 「気のせいか」と、口にしようとするが束の間。

 風が攫った砂が、小さな音を響かせる。

 それは先程聞いた物より弱々しいが、確かに聞き覚えのある音だった。

 騎士は風を頼りに周囲を見渡せば、そこには岩とは別の物が、星の光を受けて鈍色を宿していた。


「何だ、これは」


 おもむろに手を伸ばし、手甲で覆われた指先で触れればカツン、と鳴る。

 それは自身が響かせる音と同じ音で、耳慣れた物。

 手に取ればグワン、と反響を奏でながら光るそれは、人の手で作られた物だった。


「鎧……?」


 自分が身に着けている物より、作りはとても質素だった。

 しかし胸当てや肩当てと思われる部位の形状からして、それは全身鎧の一部だと騎士は察する。

 岩に潰されたのだろう。

 そのせいで大きくへしゃげ、潰れている。

 そして長らく風にさらされ、放置されていた事もあってか随分傷んでいる。

 しかし鎧の縁を彩るその模様は、何が刻まれているかわかるほどには残っていた。


「カルテリア……模様、か」


 それは騎士の纏う鎧に刻まれた、模様と同じ物であった。

 新緑の葉と彩りを思わせる花の模様と、その葉を啄む鳥の柄。

 そして叡智を示す並ぶ十字によって、象られた模様。


 ――カルテリア模様とは、魔王を殺す為の騎士が、身に纏う鎧に刻まれる聖なるもの。

 そしてかの地へ向かう騎士が呪いより身を守る為、身に着ける鎧に刻まれる聖なる模様。

 故に騎士の家系では由緒ある模様の一つであり、その模様が刻まれた鎧を身に着ける事は、誉れでもあった。

 模様に関するそんな常識を思い返し、騎士ははたと疑問を手にした。

 

 待て。

 あの女は私の鎧を前に、何と言った……?

 

 使命による緊張と、実際に目にする魔王と言う存在に対する激情を抑えながら、向き合ったあの時。

 騎士がその感情に呑まれまいと必死になる中、女は嘲笑交じりに、何かを言っていた。

 確か、模様に関する事を言っていたような――。

 記憶を遡り、必死に過去を漁る。

 だが今の騎士には、普通なら簡単に出来る事が難しい物となっていた。

 3日続けて飲まず食わず、そして眠らず。

 更には歩き詰めで疲労が身にのしかかる今。

 そんな極限状態に身を置く騎士にとって、ほんの数日前を思い返す事すら、困難であった。


「こんなところに居たのね。

 起きたら居ないからびっくりしたよ」


 思考で痺れる頭を振る騎士の元へ、背後から女はゆらりを身を現す。

 女の顔は眠りから覚めたばかりだと言うのに、どう言う訳か不機嫌が見て取れるほど眉を歪めていた。


「……随分早いじゃないか。

 半刻ほどしか経ってないぞ」


「あらそう?

 とは言え、そんなにぐっすりする暇も無いからねぇ。

 休まなきゃいけないのは確かだけれど、時間に遅れれば私が望まない形に星が降る。

 そればかりは避けなきゃなのさ。

 こんなところで果てるなんて、したくないからねぇ」


「……」


 騎士はその言葉で兜に隠れた眉を歪め、釣られて目も細くなる。

 望まぬ形……とは何だ?

 ――この日の為に育てられたはずの自分。

 だと言うのに知り得ぬ話がまた語られ、騎士は苛立ちを覚える。


「……そうか、ならば行くか」

 

 騎士はそう吐き捨てると立ち上がる。


「そうね、行こうか。

 ……ところでそれ、どうしたの」


「気にするな。

 耳慣れぬ音が気になって、拾っただけだ」


 女の言葉に返すと同時に、騎士は手にしていた鎧の残骸を地へ投げる。

 鈍色を見せるそれはくわんと音を立て、埃を巻き上げる。

 閉じる色が色濃い中で、音はすぐさまに消え失せる。

 そして騎士は先程の事を忘れるように歩を進め、連なる岩の群れへ向かった。




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 それから2人は城壁の残骸を超え、丸1日歩き詰めた。

 残骸を超えた先の道のりは、途端に平坦となり、一切の障害が無くなった。

 むしろ城壁を超えた先は、元住居地だった事もあり、整備された道が続いていた。

 その為、道中の荒れた道よりも歩きやすく、残る建造物もそのままであった。

 それは辺りを立ち込める仄暗い空気と反して、大昔に続いていた人々の営みと繁栄を強く感じさせた。


「さて、着いたわね」


 長い長い道を行った先、大きな建造物に足を踏み入れたと同時に女はふうと息を吐く。


「……ここが、か?」


「王国のお城よ。

 それなりに大きい国だったからねぇ。

 崩れていたとはいえ、あの城壁の跡を見ればその規模は何となくわかるだろう?」


 女がそう問いかけるが、騎士は黙る。

 魔王を殺す事だけ、旅を果たす事だけを目的とし、育てられた。

 故にそれ以外の不要とされる知識、不要な関りを持つ事を一切禁じられた。

 その為、言葉で知り得ても、目にするのは初めてな物が騎士にはあった。

 そしてその一つが、今ここにある城であったのだ。


「とりあえずゆっくりしようか。

 星降りの日まで1日残っている。

 旅の疲れを少しは落とすと良い」


 女は我が物顔で大広間を歩き、その後に起きた風によって舞う埃は、外で見る砂埃とは違い、薄く煌く。

 城の天井に開く窓から差し込む、忌々しい星の光は、木漏れ陽のように城内を照らし、その光景はどこかの舞台を思わせた。


「……待て、この旅は5日間の筈だ。

 何故4日で到着する。

 そして休めとは、何を考えている貴様……」


 4日間に渡る様々な疲労、そして自身の知り得ぬ話を前に、様々が混濁する。

 この場所は確かに教えられていた場所と合致する。

 だが何かがおかしい。


 ――貴様は魔王を殺す為の剣であり、一族の誇りである。

 それ以外の何もでも無く、それ以外の無駄は恥と知れ。

 魔王の語りに耳を傾けるな、魔王の語りを聞くな。


「ああそうだ。

 ここは呪いの中心。

 いわば嵐の目みたいなものでさ、呪いの影響は受けないよ。

 水もあるし、自然に生えた草木の中に口に出来る物がその辺りにある。

 好きな場所で休むと良い」


 騎士の疑問に答える事無く、女はそう説明を終えると背を向ける。

 瞬間、騎士の思考がブレる。

 連日の疲れ、様々な許容外の事柄を前に、頭が悲鳴を上げる。

 フラ付く体を辛うじて動かし、近くの壁に背を預けると、勢いよくそのまま座り込む。

 ぼやける視界に映り込む、傍らのいくつもの鎧といくつもの白骨。

 だが脳がそれらを認識する前に、兜の中の瞼は微睡みで閉じられた。




---------




「……うっ」


 とても長い長い夢を見ていたような。

 とても短い短い夢を見ていたような。

 騎士は体の節々に走る痛みで眼を醒ます。

 ……寝ていた、のか。


「ああ、起きたようだね」


 その声で騎士が頭を動かせば、上品な作りの椅子に腰かける黒髪の女が、目に映る。

 貴族が好んで使いそうな造りをしたテーブルで頬杖を突き、女は笑う。


「……どこだ、ここは」


 身を動かせばギシリ、と木のきしむ音がする。

 手をつけば柔らかな弾力が答え、指を動かせば布の手触りが手甲越しに返ってきた。


「私の部屋よ。

 長旅で疲れてるのに休む場所が石畳じゃ可哀想だからねぇ。

 ここは別の呪いのせいで物が朽ちないのさ、一部は当時のままだよ」


 そう答える女の傍らには、瑞々しい植物の葉が揺れ。

 見渡せば今でも毎日誰かが手入れしているような小綺麗な部屋が広がり、歩んできた道のりとは真逆の光景だった。


「何なのだ……一体これは」


「何なのか、と言われてもこれはそう言う世界、としか言えないねぇ」


「はぐらかすな!」


 騎士は勢いよく立ち上がれば、今までにない程の声を上げる。

 それは自分の知り得ぬ物をいくつも見せられ、教えられた物とは違う現実を前に、癇癪を起す子供そのものだった。


「見て来たでしょう?

 荒れた地を、枯れた景色を、生き物が消えた世界を。

 充分味わったでしょう?

 苦しみの中、いつまで続くとも知れぬ飢えと渇き、恐怖に満ちた旅を。

 そしてこれが最後の日、5日目の旅と言うだけさ」


 女はそう語ると、窓辺へ足を運んで窓を開ける。

 そこからは荒れ果てた地と、紫と赤の混じった淀んだ空が一望でき、空には大穴のような白い星が特等席で眺められた。


「さぁ行こうか。

 始まりの場所へ。

 そしてあなたはあなたの為すべき事を、するが良い。

 あなたはその為に在る、騎士なのならば」



 

---------




 そこは大きく拓けた場所であった。

 知識の無い騎士にも、その場所がこの城の中でも、特別な物であるとすぐに理解出来た。

 中心には石造りの一際大きな椅子があり、近くには大きな布と、金属製の何かが転がる。

 そして周囲にもいくつもの鎧が転がっており……白い何かが転がっていた。

 石かと思うが、即座にその考えは否定される。


「……骨?」


「ああ、昔に死んだ人間の骨だねぇ。

 時間が流れないから残っているのさ」


 女はそう言い終えると、その石造りの椅子の前で膝を突く。

 遅れて髪が石畳の上にばら撒かれ、それはさながら注がれる黒い油を思わせる。

 その黒い隙間から、対比した色を放つ、女の肌が露わになる。


「さぁ、ここで剣を振り下ろせば、あなたのやるべき事は終わる。

 そして先50年は安寧と言う訳だ」


 頭を垂れる女の周りを見れば、いくつもの疵が石床に刻まれていた。

 それは剣を強く振り下ろし、刻まれた物だと騎士は気付く。

 ……今より昔、何度も何度も同じ事が繰り返されていたのだと、騎士は改めて実感する。


 その事実を、粘ついた唾液と共に飲み込むと、連日続く渇きを誤魔化す。

 そう、ここで終わらせる事により、自分は初めて意味を得るのだと。


 騎士はそう繰り返すと、ゆっくりと剣を引き抜き両手で構える。

 何千、何万と練習した。

 何千、何万とこの日の為に耐えてきた。


 そして掲げるように剣を上げ……振り下ろす。

 星を止める為、呪いを止める為に。


 騎士の渾身を込めた切っ先は、石畳をも斬る。

 ザリンと遅れて音が響き、その斬撃は女の髪すらも、美しく切り裂く。

 その後を続き、鮮血が黒に混じって白床をまだらに染める。

 美しく落ちる大きな円は、花の如く。

 一つ咲けばまた一つと、いくつもいくつも白の上にへと咲く。


「……はあっ、っはぁ、……はぁっ!」


 剣を振り下ろした騎士は、突き刺さる剣をそのままに、大きく息を吐く。

 役目の為、使命の為と、強く強く剣を振り下ろした。

 しかし。


「……あなた、外してるわよ」


 黒に赤を身に交える女は、眼に宿る光を薄く延ばしながら騎士を見やる。

 もたげた首を蛇のように動かしては、続いて闇色の髪がうぞりと子蛇の如くうねる。


「私は星を止める為、使命を受けて、ここまで、来た……。

 人々を救う為、繁栄の、為と」


 騎士は剣を杖に立ち上がり、突き刺さった切っ先を引き抜く。

 だがその姿にはいつものような力強さは失せており、身に纏う鎧は小刻みに揺らぐ。


「そして貴様は人々を呪い、人々を、世界を滅ぼす為に星を落とす呪いを撒いた。

 だと言うのに貴様は抗う事無くここまで同行し、ましてや殺せと首を差し出した。

 どう言うつもりだ。

 貴様の望みは人々を、世界を終わらせる事では無いのか!?

 一体何なのだ、私はこの18年間、この日の為に全てを教えられ、育てられた。

 だと言うのに、だと言うのに何なのだ、これは!」


 大声を上げ騎士は狼狽し、女はただ黙って見詰める。

 力を失った騎士の手からは剣が滑り落ち、それは保っていた物が瓦解するかのような音を響かせる。


「……そうか。

 それすらも教えられて居ないんだな、あなたは」


 ぽつぽつ、と雨のように血の雫が音を立てると、女は赤い筋が流れる首を傾ける。

 女は一つ息を吐くと、高く広がる天井を見上げる。

 天井には繁栄を象徴した彫刻がいくつも施されており、栄華を魅せる。

 それらを睨むと女はゆっくり口を開き、語り始めた。


「――その昔、とある女は18を迎えたばかりの、若い騎士と想い合っていた。

 女は白の御子と呼ばれ、様々な奇跡を起こす、王族の血を引く女であった。

 男は平民出身の冴えない、どこにでも居るような男であった。

 そして互いの身分から、結ばれないとわかっていたその女と男は国から逃げ出した。

 慣れぬ荒れ地を行き、眠る事もせず、ただただ2人で必死で逃げた。」


 女は静かに歩きだし、石の椅子へと手を伸ばすと一際輝く金属を手にする。

 それには宝石が散りばめられ、最高位を象徴するそれだった。


「しかしそんな逃避行は当然、長く続く訳も無く。

 逃げ出して4日後に捕まったよ。

 だがその罪は女に問われる事は無かった。

 その罪は、男一人に向けられた。

 下賤な者が、御子を誑かしたと嘯いて、全て男だけに向けられた。

 そして多くの王族が見守る中、多くの兵士が見守る中、処刑された。

 ……やめてくれと叫ぶ、その女の前で。

 王族や兵士たちが下品な嗤い声を上げる中、5日目のこの場所で」


 眼を閉じる女は手に取ったそれを放り投げれば、大きく数度跳ねては、白い床を転がる。

 そして石のように落ちている骨に当たっては、そこで止まった。


「――あの人との4日間は本当に楽しかった。

 それまでそうあるべきだと、そうすべきだと教えられ育った私にとって、何もかもが新鮮だった。

 色々苦しい事もあったが、私を好いてくれるあの人一緒だったら、全てがどうでも良かった」


 過去を語る女の表情はとても穏やかで、見せる微笑みは年頃の少女が浮かべるようなものだった。

 懐かしむ中、頬に添えられる手は恥ずかしがる乙女のようで。

 しかしその指先はゆっくりと、肌に食い込む。


「――だから呪ったのさ」


 爪がその白肌を抉ると共に、震える唇が怨嗟を吐く。


「あの人を奪った、世界を」


 それは今までにないほど濃く、にらぎが強く焦がす声。


「だから呪ったのさ。

 私からあの人を奪った王を、王族を。

 あの人の死を嗤った奴ら、全てを。

 あの人が死ぬ事を許容した、世界を」


 ざわりざわりと、滾る憎悪は女の髪を揺らし。

 憎悪が染まるその瞳は、煮えた油のような光を灯し。


「だから呪ったのさ。

 私を利用し、育ち栄える未来を。

 私を利用し、繁栄した世界で生きるもの全てを。

 私を利用し、生まれる全ての祝福されるもの全てを」


 震える声に宿る言葉は黒い黒い祝詞を思わせ。

 見開く女の目の色は、闇に堕ちた深淵を思わせる昏さを宿し。


「そして私の想いを呑んで生まれたのが、あの星。

 それが呪いさ……」


 くくっと嗤う女の顔は、邪悪と例えるにはあまりにも醜く。

 しかし騎士はそんな女を前に、別の物を抱く。

 それのお陰か、いつの間にか騎士の震えは引いていた。


「そしてあなたも私と同じさ。

 私を殺す呪いでありながら、私の呪いの為、作られた依り代」


 煙のように指先を遊ばせ、騎士を指差すと女は石の椅子の上へ腰を下ろす。


「――胸に生まれた思いを発し。

 にらぐ怨嗟をなぞり。

 深まる恨みを与え。淀む不幸を振り撒き。

 そうして初めて、呪いは願いを呑んで降りかかり、星を落とす呪いが生まれるのさ」


 いつしか口にしていた言葉を女は繰り返す。

 騎士はその言葉を前に、小さく溜息を零す。

 それは何かを得たとも言える態度で、


「……やはり、そう言う事か。

 旅そのものが、貴様の呪いを引き起こす為の代物だったと」


 その言葉に「……正解」と頭を揺らす。


「この旅こそが、貴様とその騎士が思いを馳せて死ぬまでをなぞった、呪いそのものだった訳か」


 騎士はそう口にして、転がる鎧の一つを手にする。

 その鎧には自分の纏う鎧と同じ、模様が刻まれており、どこからか差し込む星の光で煌く。


「……だから呪いの地へ入るには、カルテリア模様を刻んだ鎧でなければ駄目だと、伝わっていたのだな」


 模様を指でなぞっては、浮かんだ疑問が解けて行く。

 女が唯一許した者が身に着けていた物だから、呪いの地でも歩けた。

 だからあの城壁の傍らで、多くの人工物が朽ちる中、模様の入った鎧だけが残っていたのだ、と。


「貴様、あの時、私に鎌をかけたな……?」


「あら、今頃気が付いた?」


 そう問えば女は頭を揺らす。

 最初に休憩したあの時、女はこう口にした。


 ――しかしカルテリア模様かぁ、300年前の模様をまた見るとはね。

 懐かしい。

 とても似合ってるじゃないか? と。


 50年毎に星を止める旅をする騎士は、必ずこの鎧を身に着ける。

 故に300年前の模様をまた見るとは、と言った発言はおかしかったのだ。

 そしてその疑問は3日目のあの日、鎧を手にして気付きかけたが、疲労からそこにまでは至れなかった。


「50年毎に星を止める旅を終えた騎士たちが、その成り行きを包み隠さず後世に伝えているかいつも試していてね?

 まぁ案の定、都合の悪い事柄は伏せられていたようだけど。

 本当、意地汚くさかしい人間が、純粋な者を食い物にして、腐らせる世は、300年経っても変わらずと言う訳だ」


 しかしここで一つ疑問が浮かぶ。

 呪いはわかったが、既に星は落ちんとしている今、これは何の呪いか、と。

 この旅は何の呪いなのか、と。

 推測の末、一つの予測が騎士の頭に浮かぶ。


「貴様、呪いは一つではない……な?」


 手にした鎧を静かに置くと、騎士はそう投げかける。

 疑問に対し、女は目を見開くと薄く口の端を上げた。


「へぇ、どうしてそう思う?」


「貴様は私とここに来る事で、星が落ちる呪いをかけると言った。

 そう、そうだ。

 貴様の口振りでは、まるで落ちる事が目的ではない物言いだ」


 その言葉で女は一つ、「ひひっ」と声を上げるとゲラゲラと嗤い出す。

 髪を振り乱し、まるで滑稽な喜劇を前にして腹を抱える観客のように。


「はははははははははっ!

 そう、そうだよ!

 よくわかったねぇ、よく気付いたねぇ!?

 そう、そうだよ、旅は呪いさ!

 そして私が殺されるのも呪いさ!

 偉い、偉いよ、よくわかったねぇ!?」


 大きく手を叩き、女は狂ったように声を上げる。

 豹変する態度に合わせその手には筋が浮かび、剥き出される歯は獣を思わせた。


「言ったろう?

 私を利用し、育ち栄える未来を呪ったと。

 私を利用し、繁栄した世界で生きるもの全てを呪ったと。

 私を利用し、生まれる全ての祝福されるもの全てを呪ったと。

 そしてあなたも私と同じと、言ったろう?

 私を殺す呪いでありながら、私の呪いの為、作られた依り代と。

 あなたが私を殺した時、その身に一族を縛った呪いが降りかかるのさ!

 旅を終え、帰路に着いた瞬間、新たな呪いを、50年後に使命と言う名でバラ撒くのさ。 

 それは怨嗟となりて一族を縛り、あの人を殺したこの国の王族の血筋、お前たちの血筋に消えぬ爪痕となって残り続ける!

 ……忘れさせてなるものか。

 滅ぼすなぞ生温い。

 繁栄の中、その咎を永劫に抱え、過ちを記憶に刻んで生きて行け!

 それが私を利用し、あの人を奪った世界で生きる者が私に払うべき対価だ!

 さぁ騎士よ、私を殺すが良い、使命を果たすが良い!

 あの人を奪った世界に生きる者よ、私の全てを狂わせた人間共よ。

 私からあの人を奪って全てを狂わせたならば、私も貴様らの生涯を永劫に狂わせてやるさ!」


 首に伝う赤をなぞり、女は叫ぶ。

 その声に応えるように騎士は剣を拾い上げ、ゆっくり構えた。

 すると騎士は一つ息を吐き、顔をゆっくり伏せると剣先を止める。


「……女よ、貴様は人が憎いか」


 問うその声は剣の見せる鈍色のように静かで、重く。


「あぁ、生まれいずる全ての命が、憎いねぇ」


「ならばもう一つ問おうか、女よ」


 女の応えに顔を上げると、騎士は兜より覗く目を細める。

 その光は剣の見せる光のように鋭く、ぬめり光る女の眼とは、反した強い色を宿す。


「何故、私への言葉に怨嗟の思いが灯っていない?」


 今一度問われる言葉。

 騎士が真っすぐ見据える中、女は肩を揺らす。

 その動きには何かが垣間見え、騎士は確信を得る。

 

 ――魔王を殺す為、星を止める為に騎士は育てられた。

 それはおおよそ人として扱われず、果ては道具のように扱われた。

 人々を救う為と称され。


 しかし時折、別の物を向けられた事があった。

 最初はそれが何かは理解出来なかった。

 だが歳を重ねる内、それが何なのかを騎士は理解した。

 時として人では無いものにも向けられていた、その視線、感情。


 ……女はそれと同じものを、自分に向けていた。

 それは。


「女よ、私に憐れみを抱くか!」


 吐いた激情と共に剣を振り下ろす。

 それは光る線となり、遅れて風を切る。

 そして、煌きを撒きながらその剣は弧を描くと女の脇を転がり落ちた。

 静寂が暫く流れたかと思えば、乾いた音が遅れて響く。

 ガラン、と乾いた音を立てて、それは鈍色を魅せながら床を滑る。

 輝く先を失ったそれは、キラキラと星のように小さく輝きを見せた。


「……あなた、何をしているの?」


「呪いを終わらせたのさ」


 ふう、と騎士はそう吐き捨て、先を失ったそれを手放す。


「何を言ってるの、早く私を殺しなさい。

 でなければ星が落ちる。

 使命を果たすのがあなたのやるべき事でしょう!?」


「使命……そう、私の使命は星を止める事」


 にべもなく語る騎士の姿は、先程までの硬い物は消えていた。

 騎士は大きく息を吐くと今一度、女に向き直る。

 使命の為……それは自らが望んで手にした物ではなく、与えられた物。

 そして女も同じく、そう言った物を過去に与えられ、生きてきた。

 形様々は違えど、その在り方はどこかが似ている。

 故に騎士の中で、今まで疑問に思っていた何かが変わっていた。

 旅をする前の騎士であったならば、このような感情は抱かなかったであろう。


「貴様を殺せば、50年後にまた私と同じように、使命を背負った者が生まれる。

 魔王の落とす星を止める為、世界を救う為に」


「ええそうよ。

 そうして人々は生きるのよ。

 50年毎に、昔の過ちを刻みながらね」


「そしてそれは新たな呪いを産むだけだ。

 使命と言う名の若葉が芽吹き、育ち、そしてまた呪いと言う種をバラ撒く。

 ……だから終わらせるのだ」


 そう言い終えると同時にバキリ、と城の一部が音を立てる。

 何事かと視線を向ければ、小さな黒いヒビが白い壁に走っていた。


「何を言ってるのあなた。

 星を止める事が、使命でしょう?

 私を殺す為にここまで来たのでしょう?

 この日の為に生きてきたのでしょう?」


「あぁ、そうだな。

 私の在る意味でもあるな」


 女が問えば、騎士は静かに答える。

 2人の言葉に混じって、再びパキリと乾いた音が壁に走る。

 それは先程より深く線を引くと、隙間から白い光が顔を覗かせる。


「……あなた、間に合わなくなるわよ。

 見なさい、星がもう近くまで来ている。

 呪いは絶対よ。

 落ちればもう止める術はない」


「だろうな」


 背を向けると天井に走るいくつものヒビを見やっては騎士は頷く。

 女はその様子を前に騎士へ近寄り、声を上げ。


「あなた、どう言うつもりなの……」


 腕を掴み、騎士を振り向かせた女の顔は困惑を色濃く映す。

 崩れた壁の一部は雨のようにパラパラと音を立て、2人の間に降る。


「敢えて言うならば、貴様と同じさ」


 目を細め、騎士は短く答える。


「憐れんだだけさ」


 その一言で女の顔は強張り、何かを言い返そうとする口からはただ息が漏れた。

 大粒な雨になった壁の屑が、転がる鎧にいくつも落ちる。

 女は騎士の言葉にただただ黙り、掴んでいた腕を静かに離す。

 沈黙の中、乾いた雨は降り続き、光の雨もその中に混じり出す。


「諦めろ、女よ。

 私はお前を終わらせる騎士だ。

 そしてこれは貴様を終らせる旅なのだ……。

 そう、星を止める事が、私の意味。

 呪いを止める事が、私の意味。

 そしてこの旅の果てで、私は自分の在る意味を得る」


 騎士はそう繰り返すと顔を上げる。

 高い天井は、雛鳥が孵る前の殻の如く、大きくヒビが走る。

 そこからは強い光が剣先のように伸び、騎士たちを刺す。

 大気は震え、辺りには道中で見かけたような岩が落ちては砕け、降り注ぐ。

 その雨は二人を避けるように降り注ぎ、刺す光は2つの影を濃く延ばす。

 女はその中を歩くと、くくっと嗤い。


「……真面目なんだねぇ本当」


「そう言う風に育てられたからな、他を知らんのさ」


「他の騎士たちは私の語りで逆上して殺してくれたと言うのに、どこで間違ったかねぇ?

 大抵の騎士は男と言うのも相まって、短期で気楽だったと言うのに」


 それを受けた騎士は「あぁそうか」と、その兜に触れるとゆっくりと外す。

 降り注ぐ光は騎士を強く照らし、星の光に晒された顔を前に女は呆気に取られる。

 そして暫くその顔を眺めては、眉を下げながら笑う。


「――あぁ、通りでね」


「すまんな、期待に沿えず」


「そう言うな。

 だがしかし、カルテリア模様がよく似合う良い顔をしている騎士だ、良い眼をしている。

 あの人を思い出すよ……」


 その声と共に辺りは白く包まれる。

 星の光は全てを呑み、影も何もかもを白く染める。

 それは過去も今も、未来すらも全て呑む光。

 女の願いを餌として届くその星は、全てを喰らい尽くした。


 そうして、2人の旅は終わりを迎えた。

 その後、騎士と女がどうなったかを知る者は居ない。

 ただ一つ言える事は、人々は女の冠した古き名と同じ色を、目に焼き付けた。

 そして星は願いを叶え、女の呪いが終わった事だけは確かだった……。

 こうして長く長く続いた魔王と騎士の5日間は、静かに終わりを迎えたのであった。

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魔王と騎士の5日間 @mentaiko_kouya

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