第89話

「クソッ、なんなんだあいつは! 俺に対する当てつけか!?」


 酒瓶のシンボルマーク、ノーマンの戦車には彼を含めて3人の男たちが乗っていた。今、叫んだのは操縦手の男だ。カーディルとの操縦技術の差を見せつけられて相当に苛立っているようだ。


「落ち着けよ。今回のメインイベントは遺跡の調査だ。レースをやっているわけじゃない」


 と、ノーマンがなだめるが


「落ち着いていられるか! こんな風に比較されたら、まるで俺が下手くそみたいじゃないか!」


 さらに激昂げっこうし、油を注ぐ結果となってしまった。


「この機会にロベルトさんの目に留まって専属のハンターになれるか、あるいは完全に無視されるかで、大袈裟でもなんでもなく俺の一生が左右されるんだよ……」


 胆汁たんじゅうを吐き出すような苦く、切実な言葉に、ノーマンは何も答えられなかった。つまらない嫉妬しっとは止せ、と一言で切って捨てられるような問題ではない。


 仲間2人はノーマンだけは将来が保証されていると思っているのだろうが、彼だってあまりに不甲斐ふがいない姿ばかり見せていたのでは、いつかロベルトから


『もういいよ、お前いらん』


 と、捨てられる可能性は大きい。ロベルトとはそういう男だ。興味のない人間に対していくらでも冷淡になれる。血の繋がりなど大した理由にならないのだ。


 そう考えると、ノーマンの背筋に震えてしまいそうなほどの悪寒が走る。


「いっそのこと、中型ミュータントあたりが襲ってこねぇかな。そうすりゃ華麗にぶっ倒してアピールするチャンスもあるだろう?」


 砲手の男が景気のいいことを言い、3人は笑いあった。


 だが、ここでもノーマンだけは頭の片隅に冷めた感情を抱いていた。笑ったのは場の雰囲気を壊さないための付き合いにすぎない。


 ミュータントが襲ってきたとしても、それを自分たちの手で撃退できるかは別問題だ。敵はさっさとディアスたちが始末してしまい、自分たちは結局なにもできなかった連中という印象が残る未来しか予測できなかった。例えミュータントが、自分たちの位置する左側から襲ってきたとしてもだ。


 戦車の受領と共に新しく引き連れた仲間2人と違い、ノーマンだけはディアスの射撃をモニター越しに見たことがある。


 その射撃技術の高さもさることながら、かつて人間であったもの、デスマスクを取り込んだ巨大トカゲを何の感傷も交えず淡々と処理する姿に戦慄せんりつしたものだ。


 ディアスたちに戦車では敵わない。足元にも及ばない。それは認めなければならないようだ。同じ土俵で戦おうという発想がまず間違っている。


「遺跡の調査だ。そこでなんとしてもお宝を見つけて手柄とするしかない……」


 仲間に、そして自分に言い聞かせるように力強くいった。


 先に待ち受けるものは栄光か、死の罠か。目的の遺跡はまだ遠い。




 通信機がガリガリと砂を噛んだような音を立てる。次いで、場違いなほどにのんびりとしたロベルトの声。


『ここらで昼飯にするぞぉ』


 機動要塞はスピードを落とし慣性に身をあずけ、止まった。他の車両もそれにならい停車した。


 正直なところ、ノーマンたちにとってこの休憩は余計なお世話でしかなかった。一刻も早く遺跡の調査に入りたい。そんな逸る気持ちを持て余すだけだ。




 ノーマンたちはあずかり知らぬことではあるが、こまめな休憩はディアスがこの遠征に同行する条件として提示したことだった。


 神経接続式戦車と一体化した操縦手は心身ともに負担がかかる。それ故、定期的な休憩を挟んだり、カーディルを戦車から切り離してディアスが手動で動かすための切り替えの時間などが欲しかった。


 昼の間は交代で休み、ミュータントが活性化する夜は2人で警戒する、という形を提案し、それはマルコに受け入れられた。


 戦車内に手足を伸ばして休めるスペースなどないが、カーディルの場合、義肢を外せば問題なく横になれる。ディアスは彼女の為にやわらかなクッションをいくつも買い込んで簡易ベッドを作ったものだ。これで戦車の揺れを最小限に抑えて寝ることができるだろう。


 ディアス自身は砲手席の硬い椅子で寝るつもりだ。




 早く遺跡に行きたい。行ったところで本当に活躍できるだろうか。そんな屈折した気持ちを払いのけるにはどうすればいいか。頭の中でぐるぐる回る、どうにもならない負の感情の悪循環を抱えながら、ノーマンはハッチを開けて外に出た。


 機動要塞の扉は開け放たれており、タラップを上がるとすぐに、コンロの火にかけた鍋をかき回すシーラと出くわした。


 シーラはノーマンの姿を認めると


「何人分ですか?」


 と、聞いた。


 前置きも固有名詞もなしに飛んできた質問に戸惑うノーマン。周囲を見回し、数秒してからようやく理解した。


 シーラの傍らに口の大きな魔法瓶が並んでいる。希望した分だけよそってやるから、戦車に戻って好きに食え、そういうことだろう。


「えぇと、3人分で」


 遠慮がちにいうと、シーラは黙ってお玉をすくい上げ、魔法瓶に三度、スープを注ぎ込んだ。


 胡椒のきいた、肉団子と野菜のスープの香りが立ち昇り鼻腔びこうをくすぐる。実に美味そうだとは思うが、何故か食欲はわかなかった。


「あの、姉さん……」


「シーラさん、です」


 ギロリと鋭い視線を向けられノーマンは怯んだ。どう考えても秘書とかメイドとかに必要な眼光とは思えない。昔からそうだ。この美しい姉に睨まれると何も言えなくなってしまう。


「肉親なのだから、という考えは一度捨てなさい。ロベルト様があなたに望んでいるのは、一人の男として役に立つかどうかです」


 そんな話がしたかったわけではない。評価に下駄を履かせて欲しいと頼みに来たわけではない。この漠然とした不安を振り払うため、ただ一言でもいい、励まして欲しかっただけなのだ。


 何か言いたいことがあるが、うまく言葉にできない。そんな風にうつむくノーマンに対し、シーラは


(まったく、この子はいくつになっても……)


 と、軽くため息をつきながら、閉めた魔法瓶をもう一度開けた。


「私は評価にも、作戦にも口出しできる立場ではありません。してあげられることといったらこれくらいです」


 そういって、器用にお玉を操って肉団子をひとつすくって魔法瓶に入れた。シーラに押し付けられた魔法瓶を、ノーマンは訳も分からず胸に抱え込む。


 これは姉なりのジョークなのか、励ましのつもりなのか。戸惑いながら姉の顔をじっと見つめていると、微かに笑ったように見えた。


(陰ながら応援している、ということかな。見捨てられたわけでも、見限られたわけでもないわけで……)


 そう思うだけで、なにやら体の奥底から勇気が湧いてくるようであった。顔が自然とにやけてきた。


「必ず、成果を出して見せます!」


 背筋をピンと伸ばして宣言する。奥にいるであろうロベルトにも聞こえればいいと思いつつ、ハッキリとした声で。そして、くるりと反転し大股で歩いて去っていった。


 戦車に戻る途中で、大男と暗い顔の男にすれ違ったが、もう彼らに対して委縮いしゅくする気持ちはない。


(そうとも、俺は俺さ)


 姉から受け取った魔法瓶を宝物のように大事に抱えながら誇らしげに歩く。きっかり3人分ではなく、もう少し多めにもらってくればよかったと、それだけが後悔の種であった。




 そのまま後ろにひっくり返るのではないか、そう心配になるほどに胸を反らして歩くノーマンの背を見送ってから、アイザックはぼそりと呟いた。


「緊張でとうとうイカレたか……?」


 隣を歩くディアスは軽く首を振った。


「あれはな……」


 何が切っ掛けかは知らないが、今のノーマンの心境はわからぬでもない。己の青臭さを思い出すようで、くすぐったい気分だ。


 カーディルを犬蜘蛛の巣から救い出し、共に生きていこうと決意したときの自分はあんな顔をしていただろうか。


「あれは、男がやるべきことを見つけたときの顔だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る