6話 けものの価値観 2
「これが人間の毛皮……ちょっとあたしには大きいかも」
「君に合うサイズの服とかないからなぁ」
のぼせたチビ助を介助しながら体を拭かせ、ジャージを着せてやるのは少し骨が折れた。主に「柔らかい」とか「洗ったからいい匂いが」とかの煩悩やあらぬところに向きそうな視線を抑制する事にではあるが。
自分の胸を掴んで「なにかしら、邪魔ね」とかマジでやめてください。鳥類には馴染みがなくても人類的にはヤバイんです。
彼女はおそらく全く気にしないであろうが、無知もとい価値観の違いにつけ込んでセクハラまがいの視線を向けるのは憚られた。
というかこっちも困るから少しは気にしてほしいけど、その辺の倫理観を彼女らに植え付けるとかどうやればいいんだろう。
「変わった毛色ねえ、外で見たニンゲンの中でもあまり見かけないわ」
「まあ小豆色のジャージとか着て出歩く人は少ないだろうね……」
ちなみに高校時代のジャージである。男女ともに「ダサい」と不評ですでにデザイン変更がなされたと噂に聞いていた。
黙ってればミステリアスな美少女といった風貌のチビ助ですらイモく見えるから凄い。
というか、よく見たら尾羽が明らかに布地を貫通してるんだけど……もうこれに関してツッコんでもしかたないか。
「うう……それにしてもだるいわね。オフロはとても気持ち良かったけど、この感覚はあまり好きになれないかも」
「ゆっくりお湯に浸かり過ぎたな、程々で出れば酷くはならないよ、っと」
居間に戻ると、支えてたチビ助をソファに横にならせる。カーペットの上にはお腹をぽんぽんにしたクーが伸びていた。……どうせ冷めちゃうから僕のオムライスも食べていいとは言ったけど、まさか全部食べるとは。
「あ、おかえりー。なんか騒いでたみたいだけど大丈夫だった?」
「大したことないから大丈夫だよ……あ、ちょっと頼みがあるんだけど」
首を傾げるクーにうちわを渡しチビ助の頭を扇いでやるように頼むと、彼女は二つ返事で了承してくれた。
「じゃあ、僕はちょっとキッチン行ってくるからあとよろしくね」
「わかった!」
ぐったりするチビ助をパタパタ扇ぐクーに軽く手を振ると、僕はキッチンへ向かう。
一口しか食べられなかったオムライスを再生産しなければ。
※※
「……何やってんの?」
「遊んでるの」
「遊んであげてる」
オムライスをニ皿用意して居間へ戻ると、カーペットに寝っ転がる二人の姿が見えた。うつ伏せで頬杖をつくチビ助の手には猫じゃらしが握られており、仰向けで寝るクーの顔の前でパタパタと揺らしてはそれをクーが捕まえるという遊びをやっている様子。
ちょっとだらけ過ぎではないか。
「……とりあえず、ご飯作ったからチビ助はこっちに来なよ」
「あら、ありがとう! さっきからお腹空いて仕方なかったのよ……」
「わたしはおなかいっぱーい!」
そりゃオムライス二人前食べたらね……。チビ助を椅子に座らせると、目の前にオムライスと食器を並べてやる。
彼女はぱちくりと目を瞬かせると、僕と料理を交互に見つめた。
「これ、食べていいの……?」
「いいよ、そのために多めに作ったんだから。食べ方はわかる?」
「あなたを見て真似するわ」
「分かった。それじゃ、いただきます」
それを見て、たどたどしいながらもチビ助が続いて「いただきます?」と合掌する。別にそこまで真似しなくて良かったんだけど。
今度はカラスの足跡を模したケチャップをスプーンで広げ、端からひと掬いする。
彼女が僕の手元を見ながらスプーンで掬い終えるのを確認して、ふーふーと吐息で冷まし、まずは一口。咀嚼して、飲み込む。
彼女もそれに続き、掬ったオムライスへ吐息を吹きかけゆっくりと口へ入れると、三度咀嚼し、飲み込んだ。
そして、そのままの体制で固まった。
「どう?」
チビ助は目を見開き、再び僕とオムライスを見比べる。
「――おい、しい……!! おいしいわ!」
そう言って、チビ助は感極まった様子で身震いする。ひと掬いし、また口に入れる。また掬い、口に入れる。
「こんなおいしいの、初めて食べた……これに比べたら、今まであたしが食べてきたのなんて、はっきり言ってゴミよ……!」
いや、まあ……実際ゴミ漁るしね君ら。
しかし、こうも美味しい美味しいと興奮されると作った甲斐があると思える。
さして人に料理を出した経験があるわけではなかったが、これは癖になりそうだ。
ガツガツと勢いよくさらえていく彼女の皿へ、自分の皿のオムライスを分けてやる。花の咲くような笑みを返す彼女に、照れくさくなってしまう。
結局、自分の皿から半分近く彼女に分けてしまったが、不思議と満ち足りた気分になった。
※※
「ごちそうさまでした」
「ご、ごちそうさまでした?」
チビ助が食べ終わるのを見計らって合掌すると、彼女もそれを真似る。その様子がなんとも微笑ましい。
僕は立ち上がり、食器を一纏めに持った。
「それじゃあ洗い物行ってくるから」
「あ、あの……よくわからないけど、何かするなら手伝うわ」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
別に手伝ってもらうような量でもないが、好意を無下にしたくはない。彼女を伴って入ったキッチンはやや手狭に感じた。
「それじゃ僕がお皿洗うから、これで水を拭き取ってくれる?」
「わかったわ」
給湯器から出るお湯で汚れを概ね落とし、洗剤を垂らしたスポンジで全体を擦り上げる。手元で泡立つそれを興味深げに見つめる視線を感じながら泡を洗い落とし、待機している彼女に手渡す。
「はい、落とさないようにね」
「任せなさい」
たどたどしい手付きで念入りに皿を拭う姿を尻目に、僕は他の食器を洗い始める。
時折食器の擦れる音と、水の音だけがキッチンに響く。
「ねえ」
「ん、なに?」
「あなた、やっぱりあたしとつがいになってくれないかしら?」
「え――危なっ!」
そんな提案に、焦って思わず洗っていた皿を取り落としそうになる。
僕はなんとか皿を保持できた事に胸をなでおろすと、横に立つ彼女へ顔を向ける。
まるで人形のように整った顔が真っ直ぐな眼差しを向けている。
……どうやら、真剣であるらしい。
「あたしね、この体になって仲間から追い立てられて、少し不安になってた」
追い立てられたのは調子に乗って餌場を荒らしたからだ。しかし、姿が変わって、正しい振る舞い方がわからないのはわからなくもない。
「どうしよう、ってなって一番初めに思いついたのがここだったのよ。いつもご飯をくれて、親切だったから。それでここに来たの」
そう言って、彼女は拭き終えた皿を置く。
「いきなり巣に押しかけて、追い出されてもしかたなかった。でもあなたは巣に入れてくれて、オフロやごはんの世話をしてくれた。……あなたは、知り合ったばかりっていうけどさ、あたしたちからすれば、お互い気が合うと思ったらそれで良いと思うの。それにニンゲンは軽々しくツガイを作らないって言ったけど、カラスだってそうよ?」
彼女は笑みを浮かべると、こちらに顔を寄せて囁くように言った。
「
どうかしら、と問うチビ助に対して返す言葉が、なかなか出てこない。
手元の作業は完全に止まり、タライからは泡が消え始めていた。
数秒か、それとも数分か。長く感じる思考の後に、僕は口を開く。
「――気持ちは嬉しいけど、今はまだ答えは出せないかな」
「……どうして?」
「人間の人生ってすごく長いんだよ、カラスが生まれて死ぬまでを何度も何度も繰り返せるくらいには」
僕は静かに、皿洗いを再開する。スポンジで拭った皿を水で洗い流す。
「だから人間は時間をかけて、”この人と老いて死ぬまで一緒にいたい”って思える相手かどうかを確かめてから、つがいになるんだよ」
僕は綺麗になった皿を無言の彼女に差し出した。
「だから、人間には便利な言葉があるんだ」
「……それは、なに?」
濡れた皿を受け取りながら僕の言葉を待つ彼女に、笑顔で告げる。
「まずはお友達から始めましょう、ってね」
チビ助はしばし呆然としたあと、小さく笑った。
「そう、ね……あたしもニンゲンになったんだから、ニンゲンの流儀には合わせなくっちゃいけないわよね。わかったわ、お友達になりましょ!」
「よろこんで。さあ、そのお皿拭き終わったら終わりだよ」
「わかったわ!」
彼女らはなんの因果か、人の姿になってしまった「人間初心者」だ。
きっとこれから彼女らにまつわる問題は多く発生するだろう。その上で、獣たちとは違う存在になった彼女らと人間の関係は避けられないものになるはずだ。
だから、できれば手の届く範囲くらいは、人間を学ぶ手助けをしてやりたいものだと僕は思った。
※※
「――ちょ、まっ……!? ストォォップ!!」
「えっ、なになに!?」
キッチンから戻った僕らを待ち構えていたのは、先程までのしんみりした空気をぶち壊してしまう光景だった。
猫用トイレにしゃがみ込むクーの姿である。彼女らのトイレ事情について、完全に失念していた……! 教えてもいないのにトイレを使ってくれるわけがなかったのだ。
「えっと、クー。悪いけどこれからは
「え、駄目だったの? もう朝から何回か使っちゃったけど……」
……手遅れだったらしい。あとで掃除と撤去しないと。というか、声をかけて立ち上がるまでの間に下着を上げた様子が見えなかったけど、まさか履いたまま?
「うん、人の姿になったんだから、ね?」
「あ、それってあたしも?」
「もちろんだ。ただのカラスみたいにその辺でしちゃ駄目だよ」
「……めんどくさいわね、ニンゲンって」
「ねー!」
「ねーじゃなくて。とりあえず、説明するからちゃんと覚えてな……」
「はーい」
そんなこんなで、二人には人間としての振る舞いの第一歩として、トイレの使い方を覚えてもらった。……クー曰く、やはり服は脱がなくても排泄は問題なく可能らしいが、一応正しい手順は教えた。
……ますます彼女らの服が不思議な物質に思えてきたのだった。
時刻は夜の22時。チビ助やクーと話をしていると、人間とは違った視点の話が聞けて中々に面白いものであった。
人が当たり前のようにしている行動が、動物たちにとってどう映っていたかなど、なかなかに滑稽で面白い。
そんな風に過ごしていると、チビ助がうつらうつらとし始める。
聞いてみれば、どうもカラスは昼行性の鳥であるらしい。
「無理して起きてなくても良かったのに」
「あなた達とお話するのはとても楽しいもの。巣の中もずっと明るいし、つい時間を忘れちゃった……」
そう言って大あくびをするチビ助。少し悪いことをしてしまったかな。
「じゃ、今日はもう寝るか。……父さんの部屋が空いてるから使いなよ、ちょっと、いやかなり埃っぽいかもしれないけど」
「泊めてもらえるだけありがたいわ。ニンゲンの巣に泊るなんて初めてだから、ちょっとどきどきしちゃうわね」
「クーはどうする? 僕らは上がるけど」
「もう少し下にいる。電気は消していいよ」
そもそもクーはだいたい居間で寝ていることが多かったか。今の骨格だといつも通り床で寝るのは疲れそうではあるが……。
居間の電気を消すと、クーにおやすみを言って二階へ上がった。
「ここが父さんの部屋だ……ちょっと埃っぽいな、また掃除しないと」
半月ほど前に掃除したはずだが、机には薄っすらと埃が積もっている。
ベッドの布団は敷きっぱなしの物だが……まあ、大丈夫だろう。
「これがニンゲンの寝床なのね、ニンゲンはどうやって眠るの?」
「この上に横になって布団を被って眠る。まあ、チビ助が寝やすいようにしてくれたらいいよ」
「せっかくニンゲンになったから、ニンゲンの寝方を試してみるわ」
「そう、それじゃあおやすみ」
「うん、えーと、おやすみ?」
チビ助が床についたのを確認して部屋の電気を消すと、反対側の自室に入って、椅子に腰を下ろす。
……さて、今日はいろいろな事があったし、ちょっと考えをまとめてから眠る事にしようかな。
明日にはきっと町の人も帰ってくるだろうし、忙しくなりそうだ。
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