5話 けものの価値観 1

「ただいま」

「おかえりっ!」


 玄関を開けると、三つ指座りで待機していたクーが立ち上がって駆け寄ってきた。

 ……猫時代からの癖なんだろうけど、その座り方ははしたないのでやめなさい。

 指摘するべきか否かを検討していると、クーが僕の服をクンクンと嗅ぎ回っていた。


「あれ、にーちゃ、他の猫と会ってきた? このにおいは誰だろ……あ、シーザーのにおいもする」

「ああ……うん、この辺りでクーと同じように人の姿になった子が何人か居たからね」


 恒例の「クー・チェック」も人の姿でやられるとなんだか妙に背筋がぞわぞわする。ヤンデレっぽいからかな?

 ちなみに、三隅夫妻が何度かシーザーを連れてきているので彼女らは知り合いだ。

 お互い物怖じしないのでそこそこ仲良くしていた記憶がある。

 先程帰り際に食べ物を渡した際にひしっとハグされたので、シーザーのにおいはさぞしっかり付いているだろう。


「色々買ったから、今晩はちゃんとしたご飯食べれるぞ」

「ごはん! あっ、外にあるやつだよね、クーが運ぶー!」

「重いから無理しなくていいよ」

「だいじょうぶだいじょうぶー!」


 クーは嬉しそうに玄関前に置いたカートに駆け寄っていく。

 その様子はなんとなく、お手伝いしたがりの小さな子供のように見えてちょっとほっこりと――。


「えっ」

「これなんだろ……ん?」


 戻ってきたクーを見て、思わず絶句してしまう。缶詰等の保存食や対元動物用の交渉材料の入った方の袋もかなりの重さだが、それを片手に持った上で反対の手で米袋(10kg二袋)を指の力だけで軽々と持ち上げている。


「い、いや……なんでもないよ。キッチンの方に持っていってくれる?」

「うん、わかった! ごっはんごはんー!」

「あ、走ったら危ないから……」

「はーい!」


 軽く見積もっても自分の体重の六割は重さがある荷物を持ってふらつきもせずに家の奥に駆けて行くクーの背中に、とっさに声を掛ける。

 ……最初にすがりつかれた時にも力が強いとは思ったが、これはちょっと予想を遥かに超えている。

 アライグマの少女とダンシャクが対峙していた時はせいぜいが成人男性の喧嘩に巻き込まれるくらいを想定していたが、これは明らかにそれ以上だろう。

 外で知らない擬人化動物に遭遇した時はもう少しこちらも気をつけるべきかもしれないと認識を改めた。


「冷凍食品はここ、冷凍庫に入れて……」

「つめたーい! これは?」

「缶詰は、まあ適当にこっちの棚に入れとこう。インスタント麺も」

「はーい――あっ。……えっと、にーちゃ、あのね?」

「うん?」


 買って来たものをしまっていると、急にクーがしおらしい声を出す。

 どうしたのだろうと思って顔を見つめると、彼女は気まずそうに目を逸らし、僕の背後の壁を指さした。

 振り返った僕は、再び絶句する事となる。


「その、ご、ごめんなさい。ちょっとつめをとごうと思ったら……」


 今まで気付かなかったが、僕の背後にある壁、木製の柱のクーの目の高さあたり。

 そこに熊や虎が引っ掻いたのかと思うような、大きな爪痕が深く四筋刻まれていた。

 一搔き目でマズいと気付いたのだろう被害はそれだけだ。


「――あ、あー、うん。ちょっとこれは、うん……つめとぎ板用意するから、家の壁とか床はやめようね。ご飯の準備するから居間で待ってて」

「うん……ごめんなさい」


 耳を伏せ、シュンとしたクーが居間へと消えていくのを確認してから、小さくため息をつく。両頬を軽く叩いて気合を入れた。

 クーに対し、不覚にも少し怯えてしまった事実を反省する。クーはパワーアップしすぎた感はあるが、大切な家族だ。

 クーは決して人を引っ掻いたりしないし、甘噛み以上の強さで噛み付いたりもしない。

 今日接した時にも、力加減は常に問題なくできていた。

 環境が変わって大変なのは彼女も同じだ、僕がしっかり支えてやらないと。


「……さて、と。久しぶりに腕を振るいますかね」


※※

「わぁーっ! なにこれ美味しそう!」


 スプーンを鷲掴みにして目をキラキラさせるクーの目の前には、特製のオムライスが鎮座している。

 鶏肉が手に入らなかったので中身はシーチキンライスだ、そしてふわとろ卵はかつて練習していたので自信がある。


「シーチキンオムライスだよ。冷めない内にめしあがれ」

「いただきまーす!」


 クーは朝よりはこなれた手付きでオムライスをすくい、口へ運んでいく。口の周りをケチャップで汚しながらおいしいおいしいと喜ぶ彼女にほっこりしつつ、肉球を象ったケチャップを崩しながら自分も一口。

 うん、シーチキンライスも中々いける。さてもう一口……。


「――あれ? 上からなんか音してない?」

「上? 二階からかな?」


 突然、クーがそんなことを言い出すので食べる手を止める。耳を澄ませてみれば、どんどんという乱暴なノックのような音が微かに聞こえた。


「ホントだ……よく聞こえたな」

「えへ、耳の良さには自信があるよー!」


 たしかにクーは僕が帰ってくると確実に玄関で待機して迎えてくれる。帰ってくる足音で判別しているのだろうか? って、そんな悠長に構えている場合じゃなかった。

 食事を中断し、二人で二階へ向かう。


 後ろには万一のためにクーが控えてくれている。情けないが、場合によっては守ってもらう事になるだろう。

 ぎっ、ぎっと階段の軋む音を聞きながら二階の踊り場まで到着する。


「にーちゃの部屋からだね」

「ああ……なんか声も聞こえるな」


 そっと扉を開け、自室に入る。室内に異常はない、声はベランダのガラス戸の向こうから聞こえてくるらしい。

 カーテン越しに人のシルエットが見える。

 電気をつけると、ノックが止んだ。


「――あっ……やっと……けて……」

「…………」


 ガラス越しなので聴き取りづらいが、女性の声らしい。僕はそっとカーテンを開けるとが目に飛び込んできた。


「……うわっ」


 見慣れないカラーリングに一瞬面食らったが、それはよく見れば今朝会ったばかりの擬人化カラス――チビ助であった。

 黒かった服や髪は激しく汚れており、その顔は涙でぐちゃぐちゃ。

 ……なんとなく、理由を察してしまった。


「だーれ?」

「あー、一応知り合いだよ。今開けるから――あ゛っ!?」


 ガラス戸を開けると、チビ助が勢いよく飛びついてきた。反射的に抱き留めてしまい、直後にとてつもない後悔が襲う。彼女の背中に触れた手はそのヌメっとした感触と独特の臭気に全身の鳥肌が立つのを感じる。

 ――彼女は、カラスのフンで全身が覆われていた。


「わぁあああああん!!」

「うぎゃあああああ!!」


※※

「うぇっ……ぐすっ……ぐぅう……!」


 目鼻を真っ赤にしながら嗚咽を漏らすフンまみれのチビ助。彼女に抱きつかれた僕もまたフンまみれである。

 泣きたいのはこっちだ。

 泣きじゃくる彼女の話を聞いて要約すると「強くなった肉体で餌場を荒らしていたら集団で逆襲された」となる。

 いっそ清々しいほどに自業自得っぷりに言葉も出ない。


「みんな酷いのよ! 飛んでるところを後ろから蹴るわつつくわで落っことされるし……何がひどいってみんなの無い所ばっかり狙ってつつくのよ! あげくの果てに……ううっー!」

「そりゃ独り占めしたら仕返しもされるよ」

「だって……だって、お腹空いてるんだもんうわあああん!」


 顔を伏せて号泣するチビ助の姿は完全に大きな駄々っ子のそれである。


「チビ助ちゃん、お腹がすいててもひとり占めはだめだよ」

「飢えるってすっっごく苦しいのよ! 苦労知らず飼い猫のアンタに分かるかしら、あのひもじい感覚が……!」

「え、あの……ごめん」


 思わぬ反論を受けてシュンとするクー。

 その飢えを仲間に強いた事を棚上げする発言に呆れてしまうが、飼い猫にカラスの苦労がわからないのは確かだ。だけに……いや、やっぱ今のナシで。


「ひとまず、そのフンをどうにかしようか。それで歩き回られたらたまらん」


 そう言ってまだぐすぐす泣いているチビ助を立ち上がらせると、一階の風呂場に連れ込んだ。……無論、変な意味ではない。



「ここがニンゲンの水浴び場なの?」

「そうだよ、ここを捻ったらこの先から水が出るから……うわっ!」


 説明している間に蛇口を指さした先の蛇口をひねるチビ助。シャワーから冷たい水が噴出し、僕は濡れないように慌てて退避する。


「ほんとに水がでた……ニンゲンの巣ってすごいのね……」

「あーっ、服がビチャビチャに……あれ?」


 着衣で水を浴びながらシャワーヘッドをしげしげと見つめるチビ助を見て、奇妙な事に気づく。まず、一部生乾きだったのもあってかフンが綺麗に落ちていく。

 もう一つは、明らかに撥水加工などされていない布地が事だ。その性質はまるでカラスの羽そのもの。


 擬人化動物彼女らの不思議な性質を偶然にもまた一つ知ることができた。怪我の功名ってやつかな。

 そう思っていると、チビ助がこちらをじっと見ている事に気づく。

 ……はっ、着衣とはいえ、女性が水浴びをしているところをじっと見つめるのは不味かっ――。


「ボサっとしてないでアンタもさっさと洗いなさいよ、ばっちいわよ」

「うおあっ、冷たっ!?」


 いきなり腕を捕まれ、シャワーの前に引きずり出され思いっきり冷水を被ってしまう。滅茶苦茶冷たい!

 慌ててシャツを脱ぎ捨て彼女の為に用意していたバスタオルで身体を拭く。そもそもばっちいのは誰のせいかと!


「……あのね、人間は服のまま水浴びしたりしないの! それに冷たい水も苦手なんだよ……ッくしっ!」


 震えながら洗濯済みのシャツを取り出していると、チビ助が目を真ん丸にしてこちらを凝視していた。いきなり脱いだ事にびっくりしたのかと思ったが、人間らしい羞恥心を持ち合わせていないようだし……なんだ?


「アンタ……羽毛、いえ、……!?」


 ……脱いだ事に驚いたという解釈で合ってたようだ。しかしその理由が斜め上過ぎてちょっとびっくり。

 そういえば先程「がない場所をつつかれた」と言っていたが、そういう意味だったらしい。


「人間は皮が薄くて弱いからこうやって服を着て体を守ってるんだよ」

「へぇーっ、凄いわね! あ、そうだ、私もニンゲンになってるんだし、ひょっとしてこれものかしら――」

「あっ、ちょっと待っ……!」


 僕の説明に感嘆した彼女は何を思ったのか自らの服に手をかけ、僕がやったように捲りあげようとする。慌てて止めに入ろうとすると、彼女がいきなりその場ですっ転んだ。


「きゃぁっ、つ、冷たいぃ!?」

「えっ? 急にどうし……」


 ガタガタと震えながらシャワーの範囲から這いずりだしてくるチビ助に、今度は僕が目を丸くする番であった。先程まで平気そうにしていたのになぜ……?

 そう思ってよく見ると、先程まで水を弾いていた服が


「……はっ? んん?」


 頭の中を疑問符が満たして行く気分だった。一体、今何が起こったというのか、理解が追いついていない。


「ゔ、う、あっ……さ、寒い、寒いわ! ぐっ、あっ……と、取れない!」

「……はっ」


 冷たさから逃れようと肌に貼り付いた服を脱ごうとするものの、その構造を理解していないのかその場でもがき苦しむチビ助の姿に気付き、慌ててシャワーを止めてやる。


「ににに、ニンゲン! お、おねが、お願い、これ取って……死んじゃう!」

「えっ、あ、でも……」


 相手はカラスとはいえ若い女性の姿をしている。それを僕が脱がせるとかちょっとまずいのではないか?

 混乱した思考で躊躇っていると、ついにしびれを切らしたチビ助が僕の足にしがみついて絶叫する。痛い! 力超強い!


「ああっもう寒いから早くしてッ!?」

「わ、わかったから縋り付くな! いたたっ、折れる! 足折れるから!」


※※

「はふぅ……あったかいぃ……」


 その後ズクズクに濡れた黒いセーラー服のようなものを四苦八苦しながらも脱がしてやって、更にバスタオルで身体を包み込んでやって、なおもガタガタと震える彼女の為にシャワーでお湯を出してやった。

 最初はお湯に驚いていた彼女だが、バスタブ内に座らせお湯を溜めていくと、体が浸かる頃には見事なまでに蕩けきった表情になっていた。

 気持ちが良いからなのか、頭部の翼のようなものが時々パタパタと羽ばたいている。

 ……あれどうなってるんだろう、触ってみても骨とか入ってないし。


「ふぁぁ……オフロってこんなに気持ちいいのね……やっぱニンゲンって凄いわ」

「そりゃあ良うござんしたね……ッくし!」


 今までここまでどっぷりと水に浸かったことなどないだろうし、羽毛があるから直に水を感じた事もないのだろう。

 お湯となれば尚更だ。


「さっきはごめんね……」

「ん、なにが?」

「ほら、さっき冷たい水に引きずり込んじゃったじゃない。あんなに冷たくて寒いなんて思わなかったの……だから、ごめん」


 湯船の中でシュンとうつむくチビ助。

 自分本位なところはあるものの、やはり根は素直ないい子なんだなと思うと微笑ましく思えた。


「怒ってないよ、でもまあ、次からは気をつけてな。あと、人間の女の子……メス? は本来心許した男……オス以外の前じゃ服を全部脱がないからそれも心に留めといてね」

「そうなの? でもまあ、あなたには感謝してるし、心許した相手といえるんじゃないかしら。……ほら、アンタもお湯に浸かりなさいよ」


 寒いでしょ、と言ってスペースを開ける彼女に思わず苦笑する。


「遠慮しとく。人間が裸で一緒にお風呂に入るのは同士だけだから」

「へえ、でもアンタだったらツガイにしてもいいかも。親切だし」

「人間はそんな軽くつがい作らない……事もないかもだけど、知り合ったばかりだからな、それも遠慮しとく。でもシャワーは浴びるわ、風邪引きそう」


 あまりの価値観の違いから一人だけ恥ずかしがってるのが馬鹿らしくなってきたのでタオルだけ腰に巻いてシャワーを使わせてもらった。

 その後、チビ助は長く浸かり過ぎてか見事にのぼせた。


 カラスはやっぱり行水程度が最適なのかもしれない。

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