4話 けものの距離感 2

 アスファルトの上でカートが鳴らす金属音が静かな道に響き渡る。

 普段ならそれなりに往来があるこの道も、今は乗り捨てられた車がいくつか停車しているだけ。

 塀に突っ込んだまま放置された車やガラス片なども散らばった誰もいない見慣れた道を歩いていると、まるで本当に世界が終わってしまったかのようだ。

 ……というか、外部の情報が入ってこないせいで本当に世界が無事なのか確認が取れなくて怖くなってきた。先週、スマートフォンを壊してしまったのが悔やまれる。

 テレビは今朝オシャカになったし、あいにくとパソコンも持っていない。

 ……人々よ、早く帰ってこい。

 孤立してしまった事実を嘆いていると、前方からなにやら複数人の声が聞こえてきた。


「――のだっ!」

「――。――」


 おや、と思い声の主を探してみると、路地の方で言い争いをしている様子。

 聞き覚えのある声が混じっているようだ。


「……いい加減諦めろ、オレは腹が減ってるんだ。あんまりしつこいようだと、お前も食っちまうぞ」

「ぐゔぅぅ……このっ、返すの――あっ!」

「うわっ――」


 路地に入った僕の目の前に小柄な人影が倒れ込んできた。それは先程別れたばかりの少女――アライグマだ。とっさにカートを脇に置いて彼女を助け起こそうとしゃがんだ瞬間、正面に影が差した。

 恐る恐る顔を上げると、訝しげな表情をした女性が側に立っていた。


「……ん? どっかで見たことある顔だな」


 そう言って声をかけてきた彼女は、とても特徴的な姿をしていた。

 右半分が黒、左半分が薄い茶髪と中央でくっきり別れたショートヘア。片方が半ばから乱雑に千切られ、反対側は三角形の切れ込みの入れられた特徴的な獣耳。

 着ている服装は、柄が違えどクーのそれに似たものだ。

 そんな彼、いや彼女を僕は知っていた。


「――おお、思い出したぞ、よく公園に来ていたボウズじゃないか! ここのところ目も鼻も悪くしてたから顔を忘れかけとったわ」

「えーと……こんにちは、ダンシャク。ずいぶんと若返ったね」


 目の前ではっはっはと豪快に笑っているダンシャクは、地域ぐるみで管理されてるいわゆる「地域猫」の内の一匹だ。

 体が大きく喧嘩も強いボス猫として長らく君臨してきたが、地域猫運動の広まりによる去勢と加齢による衰えもあって数年前にはボスを引退したらしい。野良としてはかなり長生きなおじいちゃん猫である。


「そうだなぁ、最近飯を食うのも億劫になってたというのに、起きてみればこの姿よ。老いて衰えた筈の力が漲るようだわ」

「元気そうでなによりです。あの、ところでその、手に持ってるのは……」


 先程から、ダンシャクの右手に鷲掴みにされた何かが暴れている。

 先ほど耳にした会話の流れからなんとなく予想はしていたが……。


「ああ、これか? ついさっきここで捕まえた、今日のメシだ」

「――だっ、だめなのだっ! おかーさんを返すのだ!」


 そう言ってダンシャクが首根っこを握ったものをこちらに掲げると、蹲っていた少女が弾かれたように立ち上がった。

 よろめきながらもダンシャクに縋り付く彼女の視線の先には、一匹のアライグマが拘束を解こうと必死にもがいていた。

 ……今の発言通りならば、それは彼女の母親であるのだろう。


「しつこいぞ! オレにはこいつを捕える力があり、こいつにはそれから逃れる力がなかった。そしてお前にはオレからこいつを奪い返す力はない。潔く諦めて受け入れろ」

「うぐぐぬぅ……!」


 ダンシャクと二回り以上体格が違う少女は文字通り片手であしらわれている。ダンシャクは今まで見た擬人化動物の中で最も体格がよく、成熟した女性の姿をしている。

 逆に、対する少女は今までの中で一番幼く見え、非常に小柄だ。

 まさに大人と子供といったその体格差は覆る事はないだろう。これが人間同士の諍いであれば迷わず助け舟を出す所であるが、彼女らは姿は変われど、野生に生きる存在。

 そこに手を出す事は人間のエゴ以外の何者でもなく……また、クーと接して得た経験からして、彼女らの筋力は見かけ通りのそれではないため、もし仲裁に入って喧嘩に巻き込まれた場合僕の身が危ない。

 しかし目の前の光景は黙って見過ごすには後味が悪すぎる。――そう思っていたときだった。


「ダンシャクさん、もうその辺にしてあげませんか……?」


 後ろから、遠慮がちな声が響いた。振り返ると、服装からしておそらくは猫であろう擬人化動物が二人立っていた。


「なんだハナコ、こいつの肩を持つのか?」

「ええと、あの、流石に、かわいそうだと思いまして……」

「おやじのアライグマ嫌いは知ってるけど、わざわざ泣く子の目の前で親を食べなくてもいいだろ……ほら鳩狩ってきたから、な?」


 そう言って、不機嫌そうな顔になったダンシャクを宥める二人の猫たち。

 一人は名前を聞いて分かったが、鼻の右下に大きな黒い斑点が一つだけある白猫のハナコ。正式な名前は……まあ、いいとして。

 今の彼女は体格や顔立ち、尻尾の先に黒い輪が無いことを除けはクーそっくりだ。代わりに頭に黒くて丸い髪飾りがついている。

 もう一人は髪とスカート、尻尾がサバ柄でトップスが白のノースリーブ。

 何より特徴的なのが名前の由来となった、太く凛々しい黒眉毛だ。

 その名も「まゆげ」、ちなみにダンシャクの息子の一人らしく、一時期はその後を継ぐようにボスの座に座っていた事もある。

……みんな、動物時代の元々の柄が見事に服装へ反映されているご様子。

 そして二人の獣耳も、地域猫を示すカットが成されている。ダンシャクの乱雑にちぎれた片耳は若かりし彼が縄張りに侵入してきたアライグマと死闘を繰り広げた時のものだ。ちなみに勝ったらしい。


「ほら、鳩お好きでしたよね? 狩ってきた鳩はまゆげが一羽で私が二羽、私達は三匹、ちょうど皆で……」

「何を言う! このオレがメスのおこぼれ何ぞで飢えを凌ぐか!」

「……今は俺もおやじもメスだろ、ニンゲンのだけどな」

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! お゛か゛あ゛さ゛ん゛!」

「だあああっ、やかましいっ!」


 キレるダンシャク、呆れるまゆげ、そしてとうとう号泣するアライグマ少女。いよいよもって場が混乱し始めた。正直帰りたい。

 僕が途方に暮れていると、ちょいちょい袖を引くものがいた。ハナコだ。


「あのあの、おにいさん、申し訳ないですけど、なにか食べ物持ってませんか……? こうなってしまったダンシャクさんはとても頑固でして……」


 ハナコは耳を伏せ、少女を睨むダンシャクをバツが悪そうに見ていた。

 もう人間のエゴがどうのこうのと考えるのが面倒になりつつあった僕にとって渡りに船の言葉だ。僕は頷いて肯定すると脇に寄せていたカートから袋を一つ拾い上げ口を開け、そして取り出した中身を開封した。

――次の瞬間、状況が一変する。


「――ぬっ!!?」

「おっ?」

「おにいさん、これ……!!」

「……うぅ」


 鼻をひくつかせ、猫たちが一斉に僕を……正確にはその手元を注目した。


「この匂い……てゅーるじゃないか!?」

「ああ、ねこバアを見なくなって以来拝んでないが間違いない……!」


 ……商品名まで覚えているとは恐れ入った。ちなみに猫バァとは三年前に亡くなった近所の猫好きのおばあさんだ。地域猫のルールを無視して元気な猫にまで餌付けをする困った人だ。


「おおう……」


 しかし思わず感嘆してしまう程の反応。

 さすがは対ネコ科誘引魅了宝具たる「テュール」である、その効果はバツグンだ。

 三匹が固唾を飲んで見守る中、僕はおもむろに口を開く。


「僕が口出ししていい状況じゃないとは思います。しかし、知り合ったばかりとはいえ、顔見知りになった彼女が親を失うところを黙って見てるのはしのびない。ここは一つ穏便に……」


 掲げた手を揺らすと、六つの瞳がそれを追従する。ダンシャクがごくりと生唾を飲むのがわかった。


「あー、なんだ。オレがコイツを開放したら、そいつをくれるのか?」


 ウンウンと頷く他の二匹。あくまでダンシャクのエモノと交換という話なんだけど……まあいいか。


「はい、差し上げます」

「そうか、いつも仲間が群がってほとんど一口ずつしか貰えなかったそれを三人で山分けか……じゅるり」


 なんと、自分のエモノと交換だというのにダンシャクは三人で分ける気満々らしい。これがボスの器というものか……!

 ちょっと感動した僕は、袋から二本追加で取り出した。


「一人一本ずつ、です」

「乗ったッ!!」

「うおおおおお!!!」

「わあああぁ……!」


 ご馳走テュールを丸ごと貰える美味しい展開に、猫たちが沸き上がる。

 しかしここまで喜ばれると、なんかこちらまで嬉しくなる。この人気っぷり、またたびも入っていないのにまるでイケナイお薬の如き中毒性だ。

 そんな事を考えていると、ダンシャクが呆然とする少女のもとへ歩み寄って行った。


「あー、なんだ、さっきは張り倒して悪かったな……」

「ふぇ……?」


 ポリポリと頭を掻きながら、観念したのか単に疲れたのかすっかり大人しくしているアライグマを彼女の目の前に差し出す。固まる少女に対してダンシャクはため息を吐くと、少女の頭を乱暴に撫で付けた。


「ま、今回はボウズとてゅーるに免じてコイツは返してやる。精々、オレや他の捕食者に捕まらんように守ってみろ」

「う、うん……」


 呆然としていた少女も状況を理解し始めたのか、おずおずと手を伸ばす。アライグマをそっと抱き上げた彼女の目に、じわりと涙が浮かんできた。

 そして抱き上げられたアライグマも、少女の顔をゆっくりと見上げた。アライグマと少女はお互いを確かめるように見つめ合い、そして。


「お、お母さ――」


――がぶり、と。少女の腕にアライグマの鋭い牙が深く食い込む。

 日が傾き始めた静かな町内に、少女の甲高い悲鳴が響き渡った。


※※

「う、うあ゛ぁ……なんでなのだぁ……」

「あー、まあそう気を落とすな。お前だけじゃないさ、オレたちも普通の猫から同族としては見てもらえなんだからな」


 テュールを頬張りながら、ダンシャクがぽんぽんと少女の頭を撫でる。

 床にへたり込んでえぐえぐと泣いている少女の目は真っ赤に腫れていた。


「え、そうなんですか?」

「ああ、どうにも向こうから見た俺たちは“猫のにおいのする人間”らしい。人間好きのやつらはすり寄ってきたし、そうでないやつは逃げた」

「私たちも、仲間が何を伝えたいのかあまり分からなくなっちゃいましたよね」


 まゆげとハナコもテュール片手に寂しそうに語る。擬人化動物たちは人間と動物のコミニュケーションを劇的に発展させる架け橋になるのでは、と思っていたが実態としてはそうもいかないらしい。

 人の姿を取り、人の言葉をしゃべる彼女たちは元の動物からはかなり距離を置いた存在となってしまったようだ。


――人間でなく、獣でもない。


 もし、言葉で通じ合える筈の人間が彼女らを拒絶したとしたら……彼女らは一体どうすればいいのだろう。

 少し考え込んでいると、やがて少女がポツポツと喋りだした。


「私がこの姿になった時、おかーさんも兄弟もすごくびっくりしてたのだ」


 アライグマが走り去った方を眺めながら、血の滲む腕をさする少女。

 歯型のついた腕は酷く痛むだろうが、心の傷はそれ以上に痛む事だろう。


「おかーさんは私が分からないのか、威嚇をして弟を咥えて行ってしまったのだ。私だけ、置き去りにして……」


 道には、別れたときに少女が抱えていたかぼちゃが落ちて割れていた。彼女は割れたかぼちゃの欠片を拾い上げると、そっと手で包み込む。


「食べ物を持っていけば、おかーさんがまた私を好きになってくれるんじゃないかって思ってたけど……」


 あれじゃ無理そうなのだ、と少女は自嘲した。ダンシャクから取り返した彼女を見る母の目は恐怖で満ち溢れていたと語る。


「これ以上、おかーさんたちを追っかけても。怖がらせるだけ……思ってたよりだいぶ早いけど、これは独り立ちの日なのだ」


 少女はぐしぐしと涙を拭うと、すくっと立ち上がった。振り返った彼女は、いつの間にか先程までの弱々しさが消えていた。


「にんげんさん、おかーさんを助けてくれてどうもありがとうなのだ! もう一緒には居られないけど、それでも嬉しいのだ」


 そう言ってにかっと笑う彼女に、僕は強さと逞しさを感じた。


「この恩はきっと返すのだ。私はあの縄張りに居るから、もし何か困った事があったときは、この私におまかせなのだ!」


 それじゃあ、と言って走り去った彼女の背中を僕らは黙って見送った。

 その背が見えなくなった頃、ダンシャクが深くため息をつく。


「――はっ、やりにくくなったもんだ。今まではエモノの事情なんて気にも留めなかったが……一々ああして泣くやつがいたら、食いづらくてしゃあねーな」

「意思疎通ができるってのも、考えもんだな。鳩の仲間があんな風に泣きついてきたらちょっとためらうかも……まあ餓死しそうな時は迷わず食うだろうけど」


 テュールを食べ終わったらしいまゆげもそれに追従する。彼女らとしても意思疎通できる相手に対しては少なからず同情してしまうものらしい。

 これも擬人化に伴う知性の発達によるものだろうか。この現象は、思っていた以上の変化を彼女らにもたらしたようだ。

 喉が乾いたのでお茶を飲みながら物思いに耽っていると、またも僕の袖を引くものがいた。ハナコだ。


「おにいさん、今日は色々とありがとうございました」

「いや、別に気にしなくていいよ。大したことはやってないし」


 手をひらひらとさせて答えると、ハナコはくすくすと笑う。


「相変わらずお優しいんですね。思えば以前はよく公園であなたに抱いてもらったものです、優しく撫でてもらうのが心地よくて……きゃっ!」


 おもわず口の中身を吹き出してむせ返る。言い方ァ! いや違うぞ! 決して、断じてそういう意味ではないぞ! 

 単純に、ただの人懐っこい猫だった頃の彼女を抱っこしてあげていたというだけの話だ。……いや、だから僕は一体誰に言い訳してるのかと。


「ご、ごめんちょっとむせただけだから」

「そうですか? 気を付けて下さいね……?」


 ペットボトルをカートに戻し、気を取り直した僕は三人にいつもの質問をぶつけてみることにした。


「ところで、あなたがたの仲間で他に人間になった子はいますか?」

「猫の仲間、ですか?」


 ハナコはダンシャクたちと顔を見合わせると、一同揃って首を横に振った。


「いや、おらんな。少し探してみたが、この辺りで人になった猫は俺らだけだ」

「そもそもアレは夜中の集会中に起きたからな、おやじは寝てたけど」

「人間鳥なら見ましたよ、普通に飛んでてびっくりしちゃいました」


 確かここらで管理されてる地域猫は14匹だったはず。その内の三匹となると、大体二割程度か。隕石の光を浴びた内で適正があるやつが擬人化するんだろうが、一体どんな基準なのやら。

 色々と話し込んでいる内に、日が落ち始めている事に気づいた。


「あー、そろそろ僕は帰ります」


 僕がそう言うと、三人は談笑をやめてこちらへ向き直る。


「おう、てゅーるありがとな」

「俺たちはだいたい公園にいるから良かったら会いに来いよ」

「この姿だと難しいかもですが、また抱いてくれると嬉しいです」


 だから言い方ァ! 人を重度のズーフィリアみたいに言わないでほしい……。

 擬人化したハナコはなかなかの美人さんなので、そういう事言われると正直ドキドキしてしまう。

 思えば今までに出会った擬人化動物たちはみんな目鼻立ちの整った顔をしていた。

 容姿でいえば、シーザーやダンシャクなど、高齢の子ほど大人っぽい姿になる傾向があるようにも見える。

 しかし、シーザーの方が年上だが、見た目はダンシャクの方がより大人びている。

 もっと数を調べないと分からないだろうけど、ひょっとしたら飼育下と野生の差が影響しているのではなかろうか。確かハナコとクーは同じ年に生まれた筈なのに、ハナコの方が数段成長した姿をしていたし。


 三人に手を振って路地を出ると、僕はカートを引いて帰路についた。

 そうだ、帰りにシーザーに食べ物を渡してから帰ろう。

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