3話 けものの距離感 1
シーザーと別れて5分も歩くと、目的のスーパーマーケットが見えてきた。
以前はここをよく利用したものだが、隕石の衝突が確定して以来は訪れていない。
あまり家を出る気にはなれなかったのが最大の理由だが、どうせ営業していないだろうと思っていたのもある。
「……最悪こじ開けなきゃいけないかと思ってたけど、助かったな」
入り口に近づけば、なんと自動ドアが反応して開いた。店内も明かりが通常通り点灯しており「ひょっとして営業しているのか」と期待したが、どうにも人の気配はしない。
単にそのまま遺棄されただけのようだ。
店内BGMは消されているらしく、普段の活気あるイメージと反した不気味な静寂が辺りを支配している。
入店してすぐに一際目立つ大きな紙吊られているのが目に飛び込んできた。
「全品100%OFFセール……だと……!」
乱雑に書かれたそれには、「もうご自由にお取りください」とヤケクソな文面が見え、世界の終わりまでの間勝手に使えとばかりにすべてが投げ出されていた事がわかった。
商売など放り投げてみんな避難なり帰郷なりしたらしい、そらそうか。
いくらかの商品が持ち出された形跡はあるが、大部分は残っている様子。
おそらく、それらに群がるよりも移動が優先されたんだろう。
滅亡が回避されたのだから主に経営者勢が大慌てで戻ってきそうなものだけど、昼過ぎになっても帰ってこないところを見れば交通機関はまだ麻痺していると見ていいか。
浮浪者の一人や二人居座ってるのではと思ったが、少なくとも見える範囲には居ない。――本当に人に会わないな。
「とりあえず米だな、米っと……」
カートを押して向かった先は、米売り場。
近づくにつれガタガタと鳴り始めるカートに何事かと思って視線を下ろすと、誰かがいたずらで裂いたのか生米が散らかっているらしいことがわかった。
全滅していなければいいな、と思いながら米売り場に到着すると、どうやら破かれた袋は一つだけらしかった。確保。
「あと必要なのは……野菜は萎びてるかな、肉や魚も危ないし」
当然、仕入れや期限切れ品の廃棄などされていないのだから冷蔵機能が生きてても賞味期限の短いものはアウトだ。
卵くらいならまだギリギリいけるのでは、と探してみるとこれまた相当数が落ちて割れており、床でパックから染み出した卵がぬらぬらと光っていた。
げんなりしながら無事なものを探してみていると、奇妙なことに気づいた。
「中身のない殻がある……?」
乱暴に開封されたパックがいくつかあり、それに伴って明らかに中身をすすったと見られる殻がいくらか散乱していた。
――いや、待った。落ちて割れた卵も乾ききっていない、まだ人がいたと思われる期間に割れたのだとしたら、それらは乾いているはずだ。
つまりここには誰か、いや、何かがいる。やったのが人ならば、わざわざその場で生卵をすすったりはしない。
割れておらずかつ賞味期限が僅かに残っているものを選んでカートに確保すると、他に保存の効く食べ物を求めて歩き出した。
「……自動ドアは、生きていた。センサーにかかる大きさの生き物と考えたら……やっぱ例の擬人化動物かな」
静寂が気持ち悪いのもあるが、誰かがいた時こちらの存在が知れるよう努めて思考を口に出している。
決して、普段からこうではないのだ。……僕は一体何の言い訳しているのだろう?
まあいい、とにかくあの痕跡の主についてはある程度の推測はできる。
犬か、猫か、ネズミかあるいは野鳥の類。この辺りで見かける動物はそれくらいだ。
放流されたペット等の可能性もあるが、そうなると予想はちょっとできないな。
この擬人化現象については原因が隕石であること以外、殆ど分かっていない。
まず、今のところは元がオスの子が擬人化後に女の子になっている事。反転するのか、ランダムなのか、必ずそうなるのかは不明。
同じ種でも擬人化したものとしなかったものがいた。猫と犬、カラスの擬人化は確認済みだがそれ以外の哺乳類、鳥類も擬人化するのか、魚類、爬虫類、虫などはどうか。
……本当に分からない事だらけだ。
「そもそも、カラスの例を見るに擬人化現象の発生率自体は低いっぽいけど――」
「……誰か、いるのかー?」
びくり、と体が硬直する。
そう遠くないどこかで、少女のものらしき声が響いてきたからだ。
いきなり鉢合わせるより予め存在を知ってもらっておいたほうがマシだと思っていたが……これはこれで心臓に悪いな。
それにしても、どう答えたものか。
「……居ますよ。少しお邪魔しています」
「そうか、そっちへ行ってやるからちょっと待ってるのだ!」
怖いから来なくていいです、とは言えなかった。床に散らばった何かを蹴飛ばすような音が、段々と近づいてくるのが分かる。
しばらくすると、前方の商品棚の影から一人の少女が顔を覗かせた。
「おっ、見つけたの――うおっ! お前、にんげんか?」
彼女はこちらを確認するとやや面食らったように後退る。チラチラと見え隠れする獣耳からして、やはり擬人化動物らしい。
人間に対して警戒心がある様子だが、どうしたものか。
「えーと……はい、人間です。あなたは――」
少し躊躇いながらも僕が肯定すると、少女はゆっくりとこちらに姿を晒してくれた。
薄紫の服に黒のミニスカート、グレーのタイツはくるぶしあたりで黒くなり靴と同化して見える。髪はシルバーを基調に、暗いグレーの特徴的なラインが見え、背後に見える尻尾は黒とグレーのシマシマ。
他に出会った子らと比較してもやや幼い顔立ちなものの、勝ち気そうな表情をしたその子の正体は、なんとなく察しがついた。
「……わたしはアライグマなのだ。にんげんを見るの久しぶりな気がするなあ。前はどこにでもうじゃうじゃ居たのに、もしかしてナワバリを変えたのか?」
少し警戒の色はあるものの、興味深そうにこちらを伺う彼女に対して、僕は背中を冷や汗が伝うのを感じた。
――アライグマ。かつてペットとして輸入され、一部の無責任な飼い主によって野に放たれた、
手先が器用で、力も強く、知能も高いが気性が粗くて人に慣れにくい。
その生命力の高さと生物的な強さを武器に数を劇的に増やしこの地に根を張ってきた彼らは、今や駆除対象として追われている。
「近頃は人間にも色々とありまして……ちょっと住処を離れてるんです」
「そうなのか、にんげんも大変だなあ」
――恨まれているのではないか。そんな僕の抱える不安とは裏腹に、彼女は持ち前の強い好奇心を発揮してこちらを伺っていた。
「にんげんは、一人で何しに来たのだ?」
「……食料の確保に」
そう言って手元のカートを指差すと、彼女はやや躊躇いがちにこちらへ近付いてきて買い物籠の中身を覗き込んでくる。
「ふんふん、タマゴとコメの袋か……にんげんもこれが好きなんだな!」
「ええまあ、この建物は人間が食べる物を集めてる場所ですからね」
「おお……たしかに少し前はこの辺りでもにんげんをよく見かけたのだ。やっぱりここもにんげんのナワバリだったのかぁ」
人間の縄張りというと、どこからどこまでを指すのが正しいのか。彼女らの視点で考えれば、人が住み、行動する範囲だろう。
この時点でも十二分に広いものだが、人類が主張するであろう範囲は、全て寄せ集めれば地球のほぼ全域となる。
考えてみればとんでもない欲深さだ。
「ここには食べ物がたくさんあるし……にんげんたちが引っ越したなら今の内にわたしがナワバリにしちゃうのだ!」
……これは遠回しに出ていけと言われているのだろうか。しかし、今のところ目の前の少女はこちらに敵対心を見せていない。
初めは攻撃されたらどうしようと思っていたが、言語でのコミニュケーションが取れるというのは存外大きい事らしい。
「えっと……ここにいた人間が施設を放棄した理由がなくなったので、そのうちみんな戻って来ると思いますよ」
「ええーっ、そうなのか? せっかく見つけたのに残念なのだ……」
近々人が戻ってくるであろう事を伝えてやると、どうやら彼女も人間と争ってまでここに居座る気はないらしい。
「ま、にんげんたちが帰ってきたら、そのときはその時なのだ!」
それまではわたしのナワバリなのだー、とからからと笑う少女。
帰ってきたこの施設の所有者と鉢合わせた時が怖いが、言っても無駄だろうなぁ……。
一つため息をつくと、僕は予め用意していた質問をぶつけた。
「――ところで、あなたの仲間で他にその姿になった子はいますか?」
そう、お約束の擬人化現象の調査である。
この聞き方では正確な数がわからないのであまり意味のない調査ではあるが。
質問に対して、少女は頭に疑問符を浮かべる。ひょっとして、アライグマって群れないのだろうか?
「ん、あー、他のアライグマの話か? 今のところはにんげんになったヤツには会ってないなー、少なくともおかーさんや弟は元のままだったのだ……」
そう答えた少女の表情が、今までと打って変わって暗いものとなっていた。急にどうしたのだろうと様子を伺っていると、やがて彼女はこちらに背を向けた。
「そうだ、おかーさんたちに食べ物を持っていかないと……そうすればきっと――」
彼女は拳を握りながらそう呟くと、こちらを振り返る。
「……それじゃあわたしはそろそろ行くのだ。またな、にんげん」
「え? ああ、うん。お仲間によろしく」
そう言って少女は商品棚の陰――どうやらこちらに近付く前に隠していたらしい――から大ぶりなかぼちゃを二つ抱え上げると、出口へ向かって走り去っていった。
少女の慌ただしい足音が消えると、店内は再び静寂に包まれてしまった。
必要なものを揃えた僕は、無人レジ(有人のレジなど今はどこにもないが)でさっと会計を済ませる。
終末を越えた今の時点で100%OFFセールに乗っかる勇気は僕にはない。しかし、こうも人がいない環境にいると、ちょっと大胆な事をしてみたくなってくるものだ。
僕は重くなった籠を載せたままのカートを押し、自動ドアをくぐった。どきどき。
……よし、今日はこのまま帰ってみよう。
あ、カートは後でちゃんと返しますので。
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