石南先生の話

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 晴れ渡った秋空の下、石南先生は山道を歩いています。ノートに当時としては高価な録音機と写真機の入った鞄を持って山間のとある村に向かいます。その村で今宵、仮面舞が行われるという話を聞いたためです。

 漢陽が京城となって以来、町並みや人々の格好や思考、嗜好がどんどん変わっていきました。石南先生は上京するたびにそれを実感しました。しかし、一歩郊外に出るとまだ昔日の姿が残っています。だが、これらもやがて変わっていくことでしょう。有為転変は世の常なのですから。

 しかし、先生はこのまま放って置く気持ちにはなれませんでした。今は古びて価値が無いと評されるものでも、後世に伝えなくてはならないと思うためでした。

 仮面舞はこの国の各地で行なわれています。しかし、地方によっては微妙に衣装や登場人物、仮面の形が異なっています。石南は実際に各地をまわってこれらを写真に取り、録音し、メモにとっていきました。

 こうして資料化しておけば、後日、比較や総覧しやすくなります。そこから朝鮮の仮面舞の歴史や各地の人々の受け入れ方も知ることが出来るでしょう。

 その他に民謡の採録、石碑や信仰を象徴する建築物等々を写真に撮りました。

 目的の村には日暮れ時に着きました。

 村人たちは広場に集まって開演を待っています。ここの仮面舞は村人たちによって行われるようです。市場で行われるものは専門の旅芸人たちによって行われます。もともと芸能は神に捧げるものですので、人間の誠意を示すために関係者自身が行うものでしたので、この村の形式は本来のものに近いのかも知れません。

 集めた資料をもとに石南先生は日本語と朝鮮語で論文を執筆し、それらを朝鮮と内地日本の学術誌や一般誌に発表しました。また、写真やテープ等は博物館に展示出来るように整理しました。石南先生は朝鮮の民族文化を学問の対象にしたのです。ここから韓国(朝鮮)の民俗学は出発したのです。

 石南先生は韓国の民俗学発展に貢献しただけでなく民俗芸能自体にも寄与しました。

 日本からの解放後、混乱や朝鮮戦争等々によって仮面舞やその他、朝鮮の民俗芸能の大半は途絶えてしまいました。社会が一段落した後、韓国では民俗芸能を復活させようという動きが盛んになりました。その時、石南先生の資料が大いに役に立ったのです。

 石南 宋碩夏―韓国の民俗学を語る上で欠くことの出来ない人物の一人です。

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石南先生の話 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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