5 向日葵

 彼は広大な向日葵畑の真ん中に居た。


 時刻は零時過ぎ。満点の星空に、真っ白な満月が浮かんでいる。

 彼は、一人でそこに居る。

 さっきまでは二人だった。


 もう一人は彼の恋人だった。そこは二人にとって、特別な場所。

 彼が、彼女に想いを告げた場所。


 彼がその時間に彼女を呼び出したのは、彼女がそこで叫び声を上げても、周りに建物など一つも無いから。誰も助けになど、来ないから。


 彼は殺すために、彼女をそこへ呼んだのだった。


 彼は用意していた紐で、彼女の首を後ろから締めた。徐々に抵抗する力の抜けていく身体。膝をつき、やがて地面に倒れる。


 誰も見ていない中、彼はやり遂げた。荒い息をして、目を瞑り眠ったような彼女から紐を解き、回収する。そして、脈を確認した。

 確かに死んでいる。彼は立ち上がり、彼女を見下ろした。


 彼と彼女は結婚していたが、彼女との間には中々子どもができなかった。孫を期待する両親からの圧力もあって、二人は段々と不仲になっていった。は

 彼は愛人を作っていた。その女は、彼との子どもを身籠った。


 彼は家を出ていた彼女にやり直そうと言い、最後のデートに誘った。飯を食い、思い出の場所へ連れて来た。


 そして、今は一人で立っている。


 彼はしばらく彼女を見下ろしていたが、やがて顔を上げた。


 向日葵と、目があった。


 自分の背丈と同じくらいの向日葵。太陽の方向を向くというその重たく大きな花は、皆夜中とあってうつむいていた。だが、その内の一つ、目の前のそれだけがしっかりとおもてを上げ、彼の方を向いていた。


 彼の汗がどっと噴き出るのを感じた。見られた──そう感じた。


 彼はその場から立ち去ろうと振り返った。そこにも向日葵はあって、それも、面を上げて彼を見ていた。


 彼は右を見た。左を見た。顔を動かすごとに、向いた方向の向日葵が面を上げていた。


 彼は駆け出した。


 視界に入る花が、全て自分の方を向いている。(見られた……見られた……!)彼は半狂乱になり、思わず叫んでいた。


 街に戻った彼は女に事の一部始終を話した。話さずにはいられなかった。そして、その夜のうちに荷物をまとめ、逃げるように街を出た。


 遠く離れた街に移り住み、二人は暮らし始めた。やがて子が生まれ、二人は一時、幸せだった。


 しかし彼は、外に出ることを怖がるようになっていた。特に花を見ることを怖がり、向日葵を特に恐れた。


 ある日のこと。彼は珍しく女と買い物に外に出ていた。

 すると間の悪いことに、新しく建てられた家の玄関横に三本の向日葵が植えられていた。彼はそれに気付くと腰を抜かし、その場にへたり込んで泣き始めてしまった。


 こっちを見てる、向日葵が見ている。掠れた声でそう呟きながら、泣きじゃくる。

 女が花を見ると、向日葵は三本とも俯いていたという。


 ――


「それで……どうなったんですか」


 聞くと、今や老婆となったその女は口の端に自嘲するような笑いを見せた。


「自殺したよ。百キロ以上離れた、あの向日葵畑に戻って」


 女は、それ以上は何も語らなかった。

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