第17話

「みんなああああ。ニューヨークへ行きたいかああああああ?」


どこかで見覚えのある衣装を身に纏った司会者がクイズの参加者に問いかける。


「うおおおおおおおお」


地鳴りのような声が返ってきて今まさにクイズ大会が始まるのがわかる。


「渚、緊張していない?」

「だ、大丈夫だ」


手にはじっとりとした脂汗。正直めちゃくちゃ緊張していた。


「……その言い方全然大丈夫じゃないわよね」


彼女はやれやれと肩を竦める。


「こういうときは手に人って字を書いて飲み込むんだっけ?」


俺がそのまま人差し指で字を書こうとすると志保に止められる。


「それよりもっといいものがあるわ」


なんだろう。彼女のいつもの傍若無人さは鳴りを潜めているので痛い目には遭わないだろう。いちいちびくびくしているのが情けないけど。


「はいお守り」


俺の手のひらに小さい紙の袋が置かれる。朱色の筆で俺の読めない字が書いてある。


「お祖父様の神社でもらったの。特別にお払いも済ませてあるのよ」

「そいつはありがたい」


志保の実家は神社で祖父は宮司をしている。

結構な年だがまだまだ現役らしい。


「どう? これで落ち着いた?」


彼女は涼しい顔つきで俺の肩を叩く。


「泣いても笑ってもチャンスは一度きりよ。焦らず期が熟すのを待つのよ」


これが今後の自分達を左右する大きな出来事だとわかっている。

だからこそ力が入るのだが。


彼女の言うとおり焦る必要はないと思うと気分も落ち着いてきた。


「まずは今回のクイズの形式について説明するぞおおおおおおおお」


俺の緊張が和らいだのを待っていたかのように司会者が説明を始める。


「初戦はマルバツクイズだああああああああああ」


その言葉に周囲がざわつく。予想は出来ていたが知識と勘が試される分野だ。


「二人一組のペアができてるだろう。その二人が手を繋いで自分が正しいと思う壁の方へ走っていくんだぞおおおおおおおおおおお」


ベタなやつだが確率は二分の一。意外とシビアな形式だ。


正解者のところにはマットが敷かれ、失敗した方には泥水が待っている。


「ではまずは一ペアずつチャレンジしてくれええええええええええ」


相変わらずテンションが高い。


そして参加者がどんどん壁にめがけて走っていく。


多くは泥水に落ちてとぼとぼと帰ってくるがその中の一部には正解をもぎ取ってくる猛者もいた。


その中には咲と伊藤桜のペアもあった。


「よかった。咲と伊藤さんのペアはうまくいったみたいだ。あの二人は正解したようだし」

二人は楽しそうに手を振っている。女子同士のペアが勝つのは珍しく周囲からも歓声があがる。


「ヒュウウッ。こちらは一年生女子ペアの山瀬伊藤チーム。ルーキーながらなかなかの実力だああああああああ。次の試合も期待できるぞおおおおおおお」


司会も二人のことに触れるのを忘れない。

それを笑顔で受け止める咲と、気恥ずかしそうにうつむく伊藤桜。なんとも対照的な姿だ。


「そういやあおいの姿がないな。あいつどこにいるんだ?」


ペアの相手のことも伏せていたが本人も姿を見せない。逆に参加しないということなのかもしれない。


だとしたらちょっともったいないなと思う。

もちろんこれは俺の憶測だったけれど。


「ちょっとぼんやり考え事してないで目を覚ましなさい。そろそろ出番よ」


志保が俺にそういうと出番が着々と近づいてくる。


「さて次のチャレンジは二年生のカップル。蕪木・山谷ペアだぞおおおおおおお」


司会者はテンション高く俺たちを紹介してくる。


「なんと女子の蕪木さんは生徒会と勝負をしているんだってえええええええ?」


勝てば予算の増額。負ければ生徒会からの引き抜き。

まさに天国と地獄だ。


「いや俺たち徒然部全員が戦ってるんですけどね」


「いいねええええええ。そこのボーイ。君みたいな強気な子、嫌いじゃないよおおおおおおお」


俺が指摘すると司会者がさらに盛り上がる。


「たしか徒然部はさっきの一年生ペアに続いての登場だねええええええ」


「ええ。徒然部の誇りにかけて当然勝つつもりよ」


志保もやる気は十分だ。


「ではクイズを出しましょうううううううう」


グッと息を飲む。これは集中してよく聞かなければ。


「問題。『私は最後の日に至るまで、誰よりも慈悲深い女王であり必ず正義を守る国母でありたい』との格言で有名なのはマリーアントワネットである。マルかバツか」


司会者が淀みのない口調で問題を出す。


「えええ。俺歴史苦手だから全然わからないよ」


当然だが世界史は専門範囲外である。


「うーん。なんかマリーアントワネットは聞き覚えがあるけどこの格言は全然聞いたことがないし……」


俺がぶつぶつ言っている間にも志保は静かに思考を巡らす。


「お前わかるか?」

「私に愚問ね」


彼女は負けん気が強いのか強気でそう呟く。


「この問題はね、引っかけ問題よ」

「引っかけ?」


「みんなマリーアントワネットは知っているでしょう」

「うん。たしかパンがなければお菓子を食べればいいとか言って処刑された人でしょ」

「そう。そこまではみんな知ってる常識よ」


だが今回の場合上述の台詞を言ったかどうかが問題となる。

確かに引っかけ問題だ。


「ここで知ってる情報と知らない情報が混ぜられる。そうすると大半の人は答えられない。それが出題者の作戦なのよ」


彼女によれば大抵の問題は回答者が知っている知識を前提として、でもはっきりとわからない問題を出しているらしい。

つまり俺がわからないのも不思議ではないか。


「あんたの場合もうちょっと知識を増やしてもいいと思うけど」


おっとそれは耳がいたい。ということでごまかすために彼女に答えを聞く。


「それで志保は分かったの?」


「まだ迷っているわ」


なんだ。彼女も答えを知っているわけではないようだ。

俺は全然見当はつかないんだけどな。


「あんたもぼんやりしてないでなんか役に立つことしなさいよ。おんぶにだっこじゃこの先通用しないわよ」

「わからないところは任せろって言ってただろう」


前にいっていたことと違うじゃないかと思いつつ俺も真面目に考える。


「そういやマリーアントワネットの旦那さんって」

「ルイ十六世よ。このくらいちょっと勉強していたらわかるわ」


即答できる志保に感心しながら俺は次の質問を考える。


「じゃあお母さんは……?」


その言葉に志保は静かになる。彼女が知らないってことはあんまり有名じゃないんだろうな。ダメな質問だったか。俺は一人反省していると。


「渚、あんたいいところ突いたわね」

「へ?」


俺は腑抜けた返事をすると彼女が手を握る。

柔らかく小さな手のひらの感触を再び感じてちょっとだけどきどきする。


「答えはバツよ」


不適な笑みを浮かべて彼女は駆け出す。

それにつられ俺もつんのめりながら一緒に走る。


「さてええええええええ。二年生カップルが走り出したのはなんとおおおおおおおお。バツだあああああああああああああああ」


司会者が実況する。


「爽やかカップルがつかむのは天国の正解かあああああああああ。それとも絶望の不正解かああああああああああ」


結果が怖い。でも今は志保を信じて走るしかない。


ぜえはあと息を切らしながら前進する。一歩ずつ前へ。


そして。


壁を突き破る。


その瞬間。柔らかなマットの感触に俺は安堵する。


「よかった……」


「やっぱりバツでよかったのね」


志保は尻餅をついたままの俺の手を引く。


「あんたのおかげで助かったわ」

「へ?どういうこと?」

「あの言葉はマリーアントワネットの母親が言った台詞なの」


そんな細かいことよく知ってるなと思ったら。


「マリア・テレジアよ。参考書の端の方にかかれていたから私も確信が持てなかったんだけれど」


でも彼女はジャージのシワを伸ばして余裕そうだ。


「たまには役に立つじゃない。この調子で二回戦行くわよ」


長い黒髪が風に揺れて赤く色づいた頬が目を引く。


「おっとおおおおおおおおお。爽やか徒然部カップルの正解いいいいいいいいい。みんな盛大な拍手を送ってくれええええええええ」


そして司会者が煽るせいか周囲がヒュウヒュウ言って茶化してくる。

「さすが校内公認カップルの二人っ」

「愛情で乗り越えたってことかっ」


かなり恥ずかしかったが志保とは手を繋ぎながらその場をあとにする。

肝心の志保はというと次の試合のことを考えているのか全然気にしていない。


こういうところが天然というのだろうか。


まあ役得だからいいか、なんて考えながら給水室に向かうのであった。

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