番外編

番外編 1

博斗が言った。

「…ふう。暑いな」


言われなくても暑い。

なぜこの男はそんなことまでいちいち口に出すのだろう。

私に返答を求めているのかと思えばそういうわけでもないようだ。


「…ふう。腹減ったな」


言われなくても減っている。

しかし私はもちろん博斗だって、このぐらいの空腹を意志の力で耐えることが出来ないはずはない。


それなのになにをわざわざ口に出すのか。

口に出して空腹感が減るわけでもあるまいし、それどころか増すだけだと思うのだが。


「どんぐらい歩けば人のいるとこに出るかなあ」


これも、もう何百回となく聞かされている。

そう口にしたところで人里のほうからこっちに近づいてくるわけでもあるまいに、なぜそんな無駄なぼやきを繰り返すのか。


「な、シータ?」

博斗が立ち止まり振り向いた。

「ここは確かにセルジナなんだろうな?」


「くどい。ひと月は同じことを繰り返している」

「そうは言ってもなあ。その証拠がお前の勘だけってのはなあ」


「勘ではない。力だ。私にはわかるのだ。博斗、お前にはわからないのか? お前のほうが私よりよほど感じやすいだろうに」

「そ、そうか、シータは不感症だったのか」

「なにを言っているんだお前は? ときどきお前の言うことはよくわからないな」


「ほっといてくれ」

と博斗はむっつり言った。


…なにか怒らせてしまったのだろうか。


私は博斗のことをよく知らない。

多少は学び肌で感じたとはいっても、博斗の身の回りや博斗のいた社会のこと、彼らの道徳、そういったものもあまり知らない。

それがこれまで何度か博斗を苛立たせときには怒らせたことがあると私は気付いていた。


博斗は、私に余計な気遣いをさせたくないのだろうか、そういった感情が表に出ないようにしているようだったが、そうすると博斗の態度は露骨にぎこちなくなる。


博斗は器用な男ではないのだ。

掘った落とし穴に、周りと違う色の砂を被せたような不自然な振る舞い。


そんなとき私はなにも気付かない、見ていないふりをして、沈黙する。


沈黙と無表情は私にはたやすい。

むしろいまはまだそのほうが気分が落ち着く。


博斗は私が無表情でいることを好まないと明言しているが、それをたしなめたりするようなことはない。


だから私は、博斗と気まずくなったときは氷に戻る。

そうすれば博斗は…私を許してくれるからだ。


そう。私は怖いのだ。

この人から離れたくないのだ。


「俺はもう、特別な力なんてなくなっちゃったよ。使ってた時間が短かったからかもしれないし、未練がないからかもしれない」

「未練…」


「シータは、まだ力に未練があるんだろ、きっと。いや、力というよりシータとしての姿、シータとしての自分にサヨナラが言えないんだ」


「…………」

博斗はまた抽象的なことを言う。

ぼんやりとだが意味がわかるような気がする。

だが、シータとしての私といっても私は私で、その私が私にサヨナラをすることなど、どうすれば出来るというのだろう?


そうしたら、いままでの私はどこにいってしまうのだろう?


私にはわからない。

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