13
(あなたのことを私は信じています)
ふと柔らかい言葉が、疲労と絶望で混乱しきっていた博斗の頭に響いた。
どこを向いていたのか自分でもよくわからなかった瞳が、恐ろしい光景を目の当たりにした。
博斗はひかりの死期を悟って愕然とした。
「よけろ、ひかりさん!」
身体はガタが来ていて言うことを聞かない。
やっと出来たことは、声を出す、ただそれだけのことで、いつも俺はこうで、大切な人を守ることも出来なくてシータの仮面のときだってそうでいまもそうだった。
あと少しだけ、なにかする力があれば。
もう、こんなことはおしまいに出来るはずなのに。
「なんでよけないんだよおおお」
その理由は博斗にはよくわかっていた。
マヌの矛が、なんの防御もないひかりの左胸をずぶりと貫いた。
ひかりは、くふっと小さく息を漏らしたが、悲鳴すら上げずにゆらりとよろめき、後ろに倒れた。
矛が身体から抜け、倒れた体を追うようにして、細く赤い糸の筋が舞い落ちた。
どさっと静かな音がした。
マヌは、真っ赤な先端をした矛を両手に持ち替え、呆然としている博斗に向かってやや顔を上げた。
このときになってはじめて博斗はまともにマヌの顔を見た。
老人だ。
瞳はギラギラとさかんにぎらついているが肌はほとんど灰色で泥みたいな恐ろしく歪んだ顔つきをしていて唇は薄く黒く何本もの髪が顔に垂れている。
マヌはまた顔を下ろした。
その視線の先では、シータが横向きにうずくまり、細いうめき声を漏らしながら脚の動きだけで床を這って逃げようとしている。
「次は貴様だ」
博斗は怒りをおぼえた。
怒りは博斗の意識のなかにあったもろもろの柵をねこそぎ破壊した。
すべての感覚が目の前に立っている老人にのみ注がれた。
「くたばれ老いぼれエエエェェェェ!」
博斗は突進した。
マヌは、自分の作り出した意志の世界が吹き飛ばされたことに気付いた。
こんなことはいまだかつて一度たりともない。
はっと気がつくと、男の顔が眼前に現われた。
そして痛みという信じられない感覚が襲ってきた。
博斗の手に握られたグラムドリングが、ずぶずぶとマヌの僧衣を貫き、肉体を貫き、背中まで貫通した。
「かはぁぁぁ、ががががあぁぁぁぁ…」
マヌは絞り出すような悲鳴を上げ、信じられないという目で自分に突き刺さっている白刃を見た。
視線を少しずつ上に向けていくと、オシリスと呼んでいた男の凝視に出会った。
博斗は瞬き一つせず、マヌの目と視線を結び付けていた。
「…ぎぎぎ。んんんんん!」
マヌは唸り声をあげ、矛を捨て両手をかざした。
褐色の渦が両手の平から湧き起こり、辺りの空間の光を吸い込んでいく。
マヌは両手を振り下ろし、博斗の両肩をつかんだ。すべての生気を奪い取る。
博斗は暗黒が肩からやってきたと感じた。シータに斬られた傷口からなにかが抜けていく。
マヌの腹部を深々と刺し貫いているグラムドリングの白刃が、やや明滅した。
博斗は天井に向かって咆哮した。
「なぜこいつは死なないんだアァアアァア!」
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