由布は余裕をもって反応した。

初雁の実力はだいたい計る事が出来た。

すばらしい腕前。

でもわたしには勝てない。


由布は待ち構えていた一瞬の到来に、腰を低く落として初雁の攻撃をかわすと、肩で初雁の腰を弾いた。


「へっ?」

初雁の体がふわっと浮いた。


自分が水面に向かっていることに気付いた初雁は、慌てて空中で腕を振り回した。

「う、うおわわわわわっ! ボ、ボクは泳げないんだぎゃあっ!」


はっとした由布は振り向いて手を伸ばし、初雁の竹刀の先をつかむと、ぐいと引っ張った。


「ひょーーーーっ!」

間抜けな声を上げて初雁はこっち側に引き戻され、土手の地面に転がった。


目をぱちくりさせて、ほっと胸をなで下ろしている初雁の前に、由布が立ち、竹刀を突きつけた。

「一本です。負けを認めてください」


初雁は、しばらくぽかんと口を開けていた。負けたショックだろうか?

「あ、あかん! このまま終わりなんてあかん!」


そう言うと、何を思ったかいきなり土下座した。

「くっ! た、頼む! 剣道って三本勝負やんか? もう一度やらせてえな! 今度は勝つから!」


博斗は困った顔で由布に歩み寄った。

「なんなんだ厚かましい奴だな。自分から喧嘩吹っかけといて負けたらもう一度か?」


由布は答える代わりに、しゃがんで、初雁と同じ高さに顔を下ろした。

「顔を上げてください。それから、教えてください。その答しだいでは、もう一度戦っても構いません」


初雁は顔を上げた。そして、きらきらと目を輝かせた。

「ほ、ほんとう?」


「は、はい」


初雁はいきなり由布の手をとった。

「お、おおきに~。わし、いま猛烈に感動しとるんだすけ。もう感動の涙が華厳の滝みたいに流れ落ちちょるよ」


「華厳の滝はしょっちゅう枯れますよ」

「あう」

初雁はしょげた。見てて飽きない奴。


「それで、由布が聞きたいことって、なんなんだ?」

博斗は助け船を出した。


「御堂流最後の継承者とはどういう意味ですか?」


「先生にそう言われたんよ。異端に流派を分けた烏丸由布を打ち負かせば、ボクを御堂流最後の継承者として認めるって」


「先生というのは、わたしのお父さんですね?」

「そだ。僕は先生に、道場では文句なしにいちばんだって言われたすけ。でも、御堂の剣を知っている人間で、僕よりも上の人間が一人いるって。そいつを倒すまでは継承者としては認めない言うんや。そう知って、ボクは旅に出た。北は網走から南は与論島まで、学生服と防具だけを頼りに歩き回ったわ。クマと戦うは怖いあんちゃんに追っかけられるわでそりゃひどいもんやった」


初雁はぽんぽんと防具袋を叩いた。

「こいつがあらへんかったら、いまごろボクの体には風穴あいとるに違いなか」


「しかしお前はどこの人間だ? さっきからひどい訛りだな」

「全国うろついてたおかけで、あっちこっちの訛りが入ってもうて、自分でもどこの言葉喋ってるのかようけわからんのじゃ。とにかくそういうわけじゃ。日本全国歩き回って元に戻ってきたらそこでばったりや。もっぺん勝負しい?」


博斗は由布と顔を見合わせた。ひょっとして初雁は、由布の父親が刑務所に入っていたことや、怪人になってしまっていまはもう存命してないことも知らないんじゃないんだろうか?


「あの、沼宮内さん」

「初雁でいい。んで?」


「お父さんは、もう、故人です」

由布は淡々と言った。

「ですから、御堂の流派はもうおしまいにしましょう」


「は?」


「彼は、剣の師としては優れていましたが、人間としては、その、あまり…」

由布は口ごもった。


「なん…いや、待ち。自分、言わんでよか」

初雁は真面目な顔になった。

「わかる気いする。ボクもようけ殴られたさかい。ボクは強くなるためと思って我慢したけど…」


「と、とにかくそういうわけだ」

博斗は再び話に割りこんだ。

「なんにしても、お前さんの戦いにはもう意味がないってことだよ」


「いや、それならそれでかまへんのや」

「なに?」


「御堂か烏丸かとかそんなのどうでもよか。ただ、ボク、自分の強さに惹かれたさかい。もっぺん勝負させてほしい。そうやな。明日でどや?」


「ち、ちょっと待ってください。わたしはまだなにも…」


「ほな、明日の午後四時に、ここでな。したっけ!」

初雁は、転がっている二振りの竹刀を拾い、あっという間に防具袋をつかんで、重そうにそれをかつぎながら土手を駆け上がっていった。


「あ…。行ってしまいました」

由布は嘆息した。

「…どうすればいいんでしょう」


「どうするもなにも、戦うしかないだろう」


「そうですよね。そうですよね…」

由布はため息をついた。


そんな様子を伺うかのように、草陰で、かすかになにかが動いたが、考えこむ博斗と由布には、その物音は耳に入らなかった。

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