12

翠は涙と汗を拭いて息をついた。


タマネギを切ったとたんにボロボロ涙が出てきて、まるで世の中が見えなくなってしまった。


それで、ほとんど見ずにぶんぶんと包丁を振り回した。

おかげで、なんとか、野菜達が粉々になった。


しかし、料理というものがここまで体力を使うとは翠は知らなかった(翠のやり方がめちゃくちゃなだけなのだが)。


ぐちゃぐちゃになった野菜達を、手でかき集めて、翠はそれを水の張られた鍋に放りこんだ。


コンロに火をつけようとつまみをまわそうとした。

が、つまみがまわらない。

他のコンロのつまみを調べてみたが、やっぱりまわらない。

「な、なんですの? ここのコンロ、ぜんぶ壊れてますわ」


玉次郎が顔を覗かせて、言った。

「うちのコンロはね、押しながらじゃないと火がつかないよ」


翠は言われた通り、つまみを押しこんでからまわしてみた。

火がついた。


「ふ、ふーん、知ってましたわ」

と言ってから、翠はしまったと舌を出して言い直した。

「し、知りませんでしたわ」


「あったよ、なんとかようカレールー」

玉次郎が、白い袋をどっさり持ってきた。


「これは業務用と読むのですわ」

翠は言って、袋の裏を見た。

確か、こういうところに調理方法が…。

「な、ない! ないですわ!」


翠はあせった。

「な、な、なぜ? これでは、どのぐらい煮こむのか、どのぐらいのルーを入れるのか、さっぱりわかりませんわ」


「書いてあってもわかんないんでしょ、どうせ?」

玉次郎がぼそっと言った。


「なん…!」

怒鳴りかけて、翠はふうと息を呑みこんだ。

「ふん。その通りですわよ。いったいどうすればいいのですかしら?」


「あんまりうすいと野菜が見えちゃうから、こいほうがいいんじゃないの?」


「わかりましたわ」

翠は、ルーの封を切って、当てずっぽうにどぼどぼと鍋に落としていった。

「あとは、煮こむだけでいいはずですわね」

と翠は言い、玉次郎がうなずいた。


「思ったより、簡単ですわね、料理なんて」

「そうかなあ。まだ味がわからないよ」

「きっとおいしいに決まっていますわ。わたくしが作ったんですから」


「…」

玉次郎はあえてなにも言わないことにした。


しばらくして翠は、鍋のフタを開けてみた。

カレーの香ばしい香りがしてくる。


おたまでルーをすくい、どきどきしながら一口なめてみた。

「…」


「どうしたの?」


翠はルーを玉次郎にもなめさせた。玉次郎は、一口なめただけで「おえっ」という顔をした。


「なんか、まぬけな味だね。からいようなからくないような」

「やっぱり、そう思いますかしら?」


調味料を入れ忘れていることなど、この二人が気付くはずもなかった。


「でも、どこにも野菜が見えないよ。ただのカレースープっていえば、たぶん大丈夫だよ。…味、なんか、からいのにうすいけど」


「そうですわね。でも確かに野菜は入っているはずですわ。よし、これで、博斗先生と、ついでに遥を元に戻せるはずですわ」


「お姉ちゃん、なんか楽しそうだね」

「楽しそう?」

翠は聞き返し、そして、うなずいた。


そういえば、楽しかった。

けっきょく、出来たのはカレーのようでカレーではないし、あまりおいしくもないけれど、でも、楽しかった。


「案外、料理も悪いものではないのかもしれませんわね」

翠は肩をすくめた。

「今度、ちゃんと暁に教わってみますわ」

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