校門にさしかかった博斗は、門の内側でたたずんでいる人影を見つけて声をかけた。

「おっす。稲穂君」


稲穂も博斗に気付き、会釈した。


「風邪は? もう全快?」

「は、はい。おかげさまで…」


「早いもんだなあ。今年もあと十二時間もすれば終わりだぞ」

「時間の流れは私達が思っているよりもずっと早いんですよ」

稲穂が悟ったような口調で言った。


博斗は、おやっという顔で稲穂を見た。稲穂は何事もなかったように前を見つめて歩いている。


「年をとればとるほど時間が流れるのを早く感じるようになるってのは確かだな」

「そういえば、先生は何歳なんですか?」


「レディに年を聞くのは失礼だぞ」

「先生、レディだったんですか?」

「ええ、そうよ。わたしハクコ。いままで気付かなかったの? 失礼しちゃうわ」


稲穂がぷっと吹き出した。だがすぐに元のとりすました表情に戻ってしまう。

博斗は、ぽりぽりと頭を掻いた。どうも稲穂との会話はしっくりこない。

博斗がいくら話かけても、「ところてん」みたいにするっと軽くかわされているようだ。


「ほんとうは何歳なんですか?」

「さあ。一万二十八歳ぐらいじゃないか?」

「そうですか…。先生が一万二十八歳なら、私は一万十七歳ぐらいでしょう」


「はは、違いない。…しかし君は変わった子だよな」

「先生も、変わってますよね」

「俺が? まあ、そうだろうな。人と違うことをよしとするのが俺のモットーだからな」


「そうですよね。いつもなにごとにも一生懸命ですよね。なにをそんなに一生懸命なんですか? そんなに一生懸命で、なんのためになるんですか?」


「ためって言われてもなあ。理由なんて別にないよ。ただ、そういうふうに行動しているって結果があるだけさ。一生懸命とかそんなのも考えたことないなあ。でもさ、どうせなにかやらないといけないんだとしたら、イヤイヤやるより張り切ってやったほうがいいじゃないか」


「そ、そんなものなのですか?」

「そんなものだと思うよ、少なくとも俺は。俺はね、英雄的精神とか気高い理想とか、そういうものが嫌いなんだ。もっと単純でいいじゃないか。こうしたら楽しい、こうしたほうがもっと幸せだ。そういう価値観でもいいんじゃないか? 人間ってのは、ある見方をすればとても複雑な生き物といえるけど、でも別の見方をするとすごく単純でもある。たいしたことじゃなくても、それが立派な行動理由になるときもあるのさ。口ではどんな偉いことだって言えるけど、それを実際に行動に移すって言ったらそうそう簡単じゃないからな」


「ずいぶん悲観的なんですね」


「え? 俺が? まさか。俺は現実的なんだよ。まず事実そこにありきだな。悲観的になったらいまの社会なんか生きてけやしないさ。環境、健康、平和、資源、高齢化…そりゃあたくさん問題があるだろうさ。これから生きてくのなんかちっとも楽じゃない。でも、だからって悲観していいのか? 俺はそうは思わない。どんなつまらない社会だって、くだらない社会だって、退廃的な社会だって、なんか一つぐらいはいいところがあるさ」


「…そう、思います」


「それにね、どうしたってそういう社会にいることに変わりないんだったら、つまんなく生きるよりは楽しく生きたほうがいいさ。いやいや物事やるよりは、やるからにはフルに張り切ってやったほうが、楽しいさ」


「いい、考え方ですね…。私もそういう考え方が出来るようになればいいんですけど」


博斗は稲穂を見た。稲穂は物思いにふけっているように見える。

「ま、いいんじゃないの? あんま深く考えるなよ、若いんだから。いまのところはとりあえず部活にでも打ち込んどけば」


「先生、年寄りみたいなことを言わないでください。本当は…」

稲穂は口を止めた。


「本当は、なに?」

「いいえ。なんでも」


また「ところてん」だ。


だが、稲穂のつかみどころのなさは、妙に博斗の気をそそる。

まるで、博斗に、「つかんでくれ」と誘っているかのようでさえある。


自分からどう接すればいいのかがよくわからないために、相手に、「私をつかんで」と心でメッセージを送っているとか、まあ、そんな感じだ。


「それでは、先生。私はちょっとやることがありますから」

稲穂は言うと、目で礼をして階段を上がっていった。


残された博斗は、呆然と稲穂を見送ったが、首を少し傾げると、教員室に向かった。

もう少しで、なにか、心の奥のほうにある芯のようなものがつかめそうな気がするのだが…。


心の奥にあるもの。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る