陽が暮れた高台に立つ古いマンションの七階に、由布と母親の部屋がある。

「ただいま」

「おかえりなさい」


由布はためらった。

お父さんに会ったことを言うのは、まだやめよう。


お母さんには感謝しなければならない。

お母さんは、奨学生になっているとはいっても、学費のかかる私学に通っているわたしを養うために、日中ずっと働いている。


忙しいから、お母さんはわたしの食事を作らない。

わたしは自分で食事を作る。洗濯も自分でする。掃除も自分でする。


でも、わたしのためにお母さんは働いているのだから、わたしはそれでいい。

わたしがいなければ、お母さんはもっと楽になれるはずなのだから。


お母さんは、少しでもきっかけがあればわたしを叱る。

でもお母さんがわたしにどんなつらくあたっても、わたしは我慢する。


この前は、終業式の日だった。

戦いを終えて少し遅くなって帰ったら、お母さんがいた。


「帰ってくるのが遅いと思ったら、成績まで下がって!」

わたしの成績表を見たお母さんはわたしをぶった。

「あんたのためにお母さんがどれだけ苦労してるか、わかってるの?」


奨学金がないと、陽光学園にいられなくなる。

だから、わたしは叱られても仕方がない。

わたしが悪いのだから。

どんな事情があったにしても、少し成績が下がったことは事実なのだから。


そして、お母さんはいつもの一言を言う。

「ほんとに、あんたなんかひきとらなきゃよかったわよ! 食費だってばかになんないんだからね!」


お母さんは、ほんとうは、わたしなんかにいてほしくないのだ。

それなのに、わたしを置いてくれている。


(だったらどうしてわたしを引き取ったりしたの? ほっといてくれればよかったのに)


あなたは誰? 何を知っているの?


答えはない。


由布は両手をきつく体にまわして、自分の体を抱えこんだ。


でも、こんな悪夢はもう終わりになるはず。

これからお父さんと一緒に、きっと普通の家庭が帰ってくる。


どこにでもあるような、お父さんとお母さんがいてわたしを包んでくれる、そういう幸せがもうすぐ帰ってくるのだから。

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