次の日もまた、前日から続く雨が降りしきる朝であった。


ちょうど八時になろうかというとき、電車のドアが開き、博斗は陽光中央駅のだだっぴろいホームに降り立った。


ホームの何両か後ろのあたりで、なにやら通常ならざる人だかりが出来ていた。

それだけなら、急ぎ足の博斗の足は、そのまま改札に向かっていたところだが、耳慣れた声がその人だかりの内側から聞こえてきた。


「ほんとだってば! つばめ、見たの!」


博斗は踵を返し、人だかりのほうに近づいた。

「ちょっと、ごめんなさい。通ります」


人の輪の内側には、ほとほと困り果てた顔をしている駅員二名と、その二人にしきりに何かを訴えている燕の姿があった。


「なんだなんだ、なんの騒ぎだ」

「あー、はくとせんせー」

燕が博斗を認めて泣き付いてきた。


「よしよし」

博斗は燕の頭をなでなでしてやりながら、駅員達に頭を下げた。

「どうもすみません、うちの生徒が迷惑かけたみたいで」


「う~ん。面倒というわけではなくて、むしろこの子は被害者らしいんですが…しかし、妙なことを言うんですよ」

「妙なこと?」

「はあ。変なおじさんが消えちゃった、って、そればっかりで要領を得ないんです」


「変なおじさん、ってなんだい?」

「あのね、つばめにベタベタ触るおじさん」

「な、なにぃっ! なんてうらやましい、いや、許せないオヤヂだ」

「どうも痴漢らしいんですがね、それが消えた消えたって、そればっかりで…」


「消えたってのはどういうことだ、燕君」

「うんとね、今日もおじさんね、つばめにくっついてたのね。それでね、つばめ、大声出したんだよ。『このおじさん、ちかんだよーっ』って」


「それで?」

「そしたらね、おじさん、消えちゃったの」

「は?」


「だからね、消えちゃったの」

燕は同じ言葉を繰り返した。


「ということをさっきからずっと…もう、参ってるんですよ。被害者らしいから、むげに扱うわけにもいかないでしょう?」

駅員達は困り果てた顔である。


「消えたってのはどういうことだい? もちっと詳しく」

博斗は燕のボキャブラリーの少なさが、そのような意味不明な表現を強いているのではないかと考えた。


「消えたは消えただよ。目の前から消えちゃったの」

「…だからぁ」

博斗は丁寧に繰り返した。燕と会話するときは根気が重要だ。

「人間がいきなり手品みたいに消えるわけないだろ?」


「いや、それが…」

と今度は駅員が博斗を遮った。

「他にも何人か、やっぱり、目の前からいきなり消えたっていう話が…」


「へ? その人たちは、どこへ?」

「それが、その、皆さん急いでいるということで、それ以上お引き止めするわけにもいかず…」


その言葉を聞いて、博斗はホームの時計を見やり、一限がせまりつつある事実に気付いた。

「おお。俺達も、おいとましないとまずいな。…ご迷惑おかけしてすみませんでした」


博斗はぺこぺこと頭を下げつつ、燕の手を引っ張った。

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