七時二十四分、ぜぇぜぇと息を切らしている稲穂と遥の前を、意気揚々と燕が駆けて来た。

「おはよーっ!」

「お、おはよう…」

「博斗さん、なんにせよ、これで全員ですよ」

とひかり。


やがて、一行が乗った「グレートようこう1号」は陽光中央駅を出発した。


車内アナウンスが流れる。

「…終点、地獄谷温泉駅には、十時十五分の到着予定となります」


「地獄谷? なんか、妙にすごい名前ね」

「ま、温泉地にはよくある名前だね」

「地獄谷といったら、豪徳寺グループの保養所がありますわよ」


それでなにやらぴんときたらしく、遥が桜に聞いた。

「泊まるところの名前って?」

「えーっと、『地獄谷グランドホテル豪徳寺』だって」

「…やっぱり」


「ジュースにアイス、おつまみにビールはいかがですかぁ?」

可愛らしい声が通路に聞こえた。


博斗は飛び起きると、首を伸ばして売り子を品定めした。むうっ! 上玉だ。

「お姉さん、こっち!」

「はい、どちらをお買い上げで?」

「お姉さんを一つ。テイクアウトで」

「はぁ?」


「いや、ちょっと大人のギャグだったかな。ビールと柿ピー」

「はい、どうぞ」

「ときにお姉さん、お名前は?」

「はあ? 高幡(たかはた)です」

「いや、下の名前」

「…あやめです」

「あやめさん、独身?」

「あのぉ? セクハラですか?」

「あやめさん、冷凍ミカン!」

桜の横やりが飛んだ。

「あぁぁ、桜君! いいところだったのに! しかもちゃっかり名前呼んでるし!」


「ごめんなさい、冷凍ミカンは扱ってないの」

「え、えぇぇぇっ! 冷凍ミカンがない特急なんて、ウサ耳がないバニーガールみたいなもんだぁ!」

桜は異常なショックを受け、そのまま撃沈された。


「あやめさん、烏龍茶三つ」

と遥と稲穂と翠。

「四つ」

と由布が後から付け加えた。

「五つ」

と博斗が、可愛い寝息を立てているひかりの分を付け加えた。

「はい、烏龍茶五つですね。…そちらのお客様は?」

とあやめは燕を見た。


燕はさっきからリクライニングシートを立てたり倒したりして遊んでいる。

「燕、なんか飲みたいの、ある?」

と桜が聞いた。


「え? …んーとね、つばめ、それがほしい!」

といって燕が指差したのは、グレートようこうの形をした小さなキーホルダーだった。


「まーた、ほんとに燕はそういうの好きなんだね」

「だって、つばめ、ちっちゃいの好きなんだもん」

「わかった、わかった。博斗せんせ! 燕が、あれほしいってさ。買ってあげたら?」


「げっ! こんなんで千二百円もするのか? こりゃ、ぼったくりだよ! やめときな、燕」

「やだ! つばめ、これがほしい!」

燕は頑として聞き入れない。

「博斗せんせ、あきらめなって。燕の駄々は三才児より手強いよ」


「ほしいのぉ!」

燕は眼をうるうるさせて博斗を見ている。こっ、この眼を裏切ることは出来ない。

「…こ、今回だけだぞ」


「♪」

燕はキーホルダーを眺めて御満悦である。

この笑顔を買ったんだと思えば、千二百円も高くはない、そう博斗は思い、再び席に体を沈めた。

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