「地獄谷温泉~。地獄谷温泉~」

のんびりしたアナウンスが流れるホームに、一行は降り立った。


「あら? 桜はどこかしら?」

「桜さんなら、ホームの一番前にいます。電車の写真を撮ってるんです」

「なるほど。…燕さん、桜さんを呼んできてくれませんか」


「はーい!」

燕は呼ばれるや否や、弾丸のように走り出した。

「…うーん、すごい速さだな」

「100メートル10秒台だそうですよ」

「10秒台? それじゃほとんど世界記録じゃないか! スポーツだけは抜群だな、燕君は」


しばらくして、燕が桜を引きずるようにして駆け戻って来た。


「ぜぇ、ぜぇ、は、博斗先生? な、なにか?」

桜は死にそうな呼吸音でひいひいしている。博斗はその様子が可哀相というより滑稽に見え、笑いをこらえた。

「いや、お疲れのところ悪いんだけどさ、これからホテルまでは、どうやっていくんだい?」


「…はぁ、はぁ、タ、タクシーで…」

「タクシーか。了解了解。…あ、そうだ。燕君、桜君をおぶってあげな」

「はーい」


桜は燕に背負われた。

「は、はじめからこうしてほしかった…」


一行はタクシーを二台拾い分乗した。


「都心から一時間か二時間来るだけで、まだこれだけ自然が残ってるんだから、日本もそうそう捨てたもんじゃないな」

博斗は流れていく景色を眺めながら、ぽつりと口にした。


「そうですよ! こんな美しい日本をかき乱すものには、断固立ち向かわないと行けませんよね!」

と遥が拳を突き上げ、博斗に顔を近づける。


「遥さん! ちょっと近づき過ぎじゃありませんこと!」

翠が遥の襟をつかむと、ぐいと引き戻した。


「げほっ! ち、ちょっと、人を殺すつもり?」

そして、あーでもないこーでもないと二人は後部座席で騒ぎ出した。


由布はそんな二人を無視して窓の外を眺めている。

「ど、どうも、すいません。うるさくて…」

博斗はぺこぺこと運転手に謝り続けた。


いっぽう、もう一台のタクシーでは、車窓を眺めていた燕が、いままさに一つの疑問を口にしたところだった。

「ねえ、桜、やまはつえん、って何?」

「やまはつえん?」

桜は首を傾げた。


「ほら、あそこにも、こっちにも」

燕は車窓に次々と現われる看板を指差している。

「んー?」

車道に沿うようにして細々と山葵園が続いている。どうやら、燕が指しているのはその山葵園の看板らしい。


「ははぁ、燕、それは、やまはつえん、じゃないよ。ワサビ園って読むのさ」

「わさびえん?」

「そうだよ。ま、要するにワサビ畑だね」


「『山』って書いて『ワ』って読むの?」

「そういうわけじゃないよ」


「?????」

燕は頭を抱え込んでいる。

乗り合わせていたひかりは苦笑しながらその様子を眺めていた。

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