見込みヒロインをメインヒロインにする方法

@kourui

第1話 青春バスケ少女の憂鬱Ⅰ


 感情を優先するべきなのか、論理を優先するべきなのか。時に人は、そういったことに悩むらしい。

 僕としては、感情などという定性的なものを指標にして何か考えたり行動したりはしない。感情を優先して意思決定をしようとする人が理解できない。そんな不確定要素を頼りにしない。やはり大事なのは定量的な確定要素であり、確定要素でないものを根拠にはできないし、根拠がなければ決定することはできないし、決定するべきではないと思う。

「おい、岬。お前だ、岬雄冬(みさきおふゆ)」

 僕の名前が呼ばれた。教師が僕のことを指さしている。

「この問題を解きなさい。ぼーっとしてないで」

「ぼーっとはしてません。仮にそういう風に見えていたとしても、頭の中は常にフル稼働しているんです」

 教室には静かな笑いが起きた。僕と教師のやり取りの何が可笑しかったのだろうか。

「そうか、お前はそういう奴だったな」

 教師はため息と共に苦笑した。

 僕はチョークを持って黒板の前に立った。数学は得意だ。ただしそれはこの学校の中で見ると相対的に上位に位置しているというだけで、全国的に見れば然程偏差値が高いわけではない。もっとPDCAサイクルを回して成績を上げなけれないけない。

「お前は理系じゃないんだっけか?」

「文系です」

 教師が親しげに話しかけてくる。僕は簡潔に答える。

 このクラスは文系理系の混合クラスである。僕はなにかと理系だと勘違いされやすいが、文系である。なぜなら父も兄も文系の学部を卒業したからだ。 

「理系だと思うんだどな~」

 教師が眠そうにあくびをしながら、僕の進路について干渉してくる。うっとうしい。僕はさっさと問題を解き終えて自席に戻った。手にこびりついているチョークの白い粉が気になる。早く手を洗いたいと思った。


 昼休みは友人の湖洞爺(みずうみとうや)と一緒に弁当を食べ、午後は体育の授業で汗を流した。放課後になり、部活に向かう生徒たちの騒がしい波に揺られながら昇降口に向かう。入学時、部活に入ろうとは思わなかった。健康を保つための運動なら一人でもできる。むしろ一人でするべきことだ。そう確信している。勧誘にきた上級生にも同じことを言った。そしたらビンタを食らったのだ。あの時のことは未だに理解できない。

 理解できないと言えば、今日も滝野乙女は遅刻していた。当然のように注意をしたのだが、彼女はそっけなく僕を無視した。

 靴を履き替え外に出る。季節は初夏。5月の上旬の気温に、現在着用している学ランは適応していない。衣替えはまだ先だが、明日からはワイシャツでいいだろう。校則よりも自分の合理的な判断こそを重視するべきだ。そうと決まれば、夕飯の買い物をする前にクリーニング屋に寄ってしまおう。

 計画をフィックスした矢先に、前方を歩くベージュ色のスーツ姿の女性が振り向いた。しまった、と思った時にはすでに遅かった。

「岬くん!」

「と、鳥羽セン」

「今から帰るの~? ちょっとそこのコンビニまで一緒に行こうよ」

「鳥羽センは勤務中ではないのですか」

「休憩がてらスイーツ買いに行くの。別にサボってないから」

 鳥羽日和、僕の担任の教師。茶髪にしてツインテールにして八重歯という特徴的かつ魅力的な外見を有している。生徒との距離が近く、友達のように接してくる。ゆえに男子からは人気が高い。そして音楽を専門にしているらしい。僕は絵画を選択したので彼女の授業を受けたことはない。真面目に授業をできているのだろうか、と心配になる。こないだなんてスカートの短さを学年主任に指摘され怒られていたと聞く。

「鳥羽セン。噂を耳にしたのですが、学年主任に怒られたというのは事実ですか?」

「あーそうそう。スカートが短いって言われてさ。私ののモチベーションがどれだけ服装に左右されるかってのを分かってないんだから。部下のモチベーション管理ができない上司ってダメだと思うの」

 溜め息。鳥羽センは心なしか俯く。僕は彼女のまつげの長さに驚いた。

「可憐だ」

「え?なに?」

「か、カレンダー買わなきゃ。今年度の」

「まだ買ってないの。もうGW過ぎちゃったのに。意外と間抜けなとこもあるんだね、岬くん」

 ころころと笑って、鳥羽センは体を僕の方に傾きけてきた。肘がぶつかる。良い香りがする。しかしこの香りは彼女自信の体臭ではなく、香水かなにかなのだろう。生身の人間の体からこんなフローラルな香りが発生するわけがない。きっと人工的なものだ。惑わされてはいけない。

「滝野さんは今日も遅刻してきたみたいね」

 鳥羽センは急に真面目な顔になって言った。教師モードに切り替わったらしい。だとするなら、切り替わる前は何モードだったのだろう。

「そうですね。一応注意はしたのですが」

「一方的に注意するだけじゃダメよ。まず彼女の話をしっかり聞いてあげて、原因を特定して、その原因に対して効果的な対策をとらなきゃ。そこまでしてようやく彼女の遅刻は改善されるのよ。岬くん、しっかり頼むわ」

「それって、あなたの仕事ですよね」

「いいえ。あなたの仕事よ」 

 鋭い瞳が、僕を真っ直ぐに捉えた。おかしい。どう考えても担任教師が請け負うべき仕事を丸投げされている。

「だって同じ中学なんでしょ」

「何がだってなのか分からないです。論理が飛躍しています」

「またそうやって……」

 再びの溜め息。さっきの溜め息とはどこか性質が違うような気がした。それは定量的な息の量などの違いなのかもしれないし、定性的な息に込められた感情などの違いなのかもしれない。

 

 校門を出てすぐの立地にコンビニがある。店内では運動部の部員がひしめき合い、惣菜パンの争奪戦を繰り広げていた。普通のコンビニでは注意されるだろう。しかし店側はロイヤル顧客でありリピーターでもある我が校の運動部員たちを注意せずに放っておいている。

 鳥羽センはどう動くだろうか、とチラと見やる。

「ん、なに?」

 鳥羽センは生徒たちの騒乱には見向きもせずに女性誌をパラパラとめくっていた。自分のクラスの生徒以外には無関心なのだろうか。それとも就労意欲が低いのか。

「そうだ。カレンダー買ってきてあげる」

 にこっと笑ってレジへと小走りしていく。ツインテールがフワリと揺れた。犬の尻尾を連想した。

 はて、コンビニにカレンダーなど売っていただろうか。首を捻りながら、棚に並べてあるマンガや新書の背表紙をチェックする。本を読むことは好きである。小説もビジネス書もマンガもなんでも読む。それらは全て父と兄の本棚に入っているものだ。彼らは本を選ぶセンスが良い。僕はいつも彼らが読み終わった本を読んで、家での一人の時間を潰している。

 一冊。気になるタイトルを発見した。

『できる奴ほど遊んでいる』

 反論したいという欲望がうずうずと湧き上がってきた。そんなわけあるかい。『できない奴ほど遊んでいる』の間違いではないだろうか。誤植だ。この本は読む価値がない。僕は自分を、できる奴であると自負している。できる奴である僕は遊んでいない。であるなら、できる奴は遊んでない。

 第一、遊ぶとはどういう意味の「遊ぶ」を指しているのか。アウトドア的な遊びなのかスポーツ的なものなのか、それとも女性関係のものだろうか。仮に僕が誰かと遊ぶとしたら、その相手は誰になるだろう……。そんなことを考えていた最中に肩を叩かれたものだから、僕は奇妙なくらいに驚いてしまった。

「よっす、雄冬」

 振り向くと、学校の中では決して話しかけてこない滝野乙女がそこに立っていた。何故か学校では見せない笑顔を、今は浮かべていた。


 僕は改めて滝野をまじまじと眺めた。女子に対してここまで遠慮ない視線をぶつけることは本来失礼に値する行為なのだろうが、まあ滝野だしいいでしょう。身長は目測155cmほど、鳥羽センより10cm以上低い。ちなみに鳥羽センは167ある。僕は168だ。つまりヒールを履いてる鳥羽センを僕はいつも見上げる形になる……。なんだか、気にしないようにしていたことを再び意識してしまった。

「どした?」

 滝野が上目遣いで覗いてくる。

「お前が悪いんだ」

 ぶっきらぼうに返す。

「なにそれ、意味わかんないよ」

 論理が飛躍してるぞ、と滝野は声を低くして発した。それが誰かのモノマネのつもりなのだとしたら、今後一切やめてくれ。

 僕はふと気になって店内を見回したが、鳥羽センの姿は消えていた。カレンダーを買ってくると言ったはずなのに。

「鳥羽セン知らないか?」

「さっき外に出てったよ、それがどうかしたの」

 滝野と僕をふたりきりにしようとしたのだろうか。遅刻指導に僕にやらせようとしているんだ。教師の風上にも置けない。遅刻以外にも滝野は様々な意味で問題児だ。ノート提出や宿題はしないし、小テストの日程は覚えていないし、スカートは昔のスケバン並に長いわぽっちゃりしてるわポニーテールのテール部分がやけに短いわ。そんなに短いならまとめる意味など無いと思うのだが。何のこだわりだろうか。

 でもいい。滝野だから。今さら言っても仕方がないし、僕はそんなことに頓着しない。

「なあ滝野。明日は寝坊しないように早く起きないとな。早く起きるには早く寝る必要がある。早く寝れるように走って帰らないか?」

「え~うん。別にいいけど」

 

 心臓が早鐘のように打っている。昼に食べた弁当の中身が胃で暴れている。

「苦しい」

 忘れていたのだが、滝野は太ってるくせにやけに運動神経が良いのだった。中学の時は校内マラソン大会の女子の部で準優勝したこともある。失念していた。

 どうしてこんなバカみたいなことしているのだろうと後悔しながら、クリーニング屋にゴールイン。滝野は先に着いていて僕を待っていた。店のマスコットよろしく椅子に鎮座している。

「どうかされましたか? そんなにお急ぎになられて」

 受付のおばさんがおずおずとした様子で訊いてきた。

「こ、こにょ、学ランを、クリーニングよろしくお願いします」

 おばさんははっとして表情を引き締めた。そして恭しく腕を伸ばして学ランを受け取った。

「この学ランは、私の命に替えてでもお預かりいたします。ちょっと! 鏡(きょう)ちゃん!」

 呼ばれて、店内の奥の方から女子高生が登場した。どう形容すればいいのか迷ったが、女子高生というしかない。ところで、僕は彼女の顔に既視感を覚えている。

「どした母さん。あれ、正代表じゃん。滝野もいるし」

 間延びした声が狭い店内に響いた。

 どこかで見た顔だと思ったら。川上鏡。同じクラスの女子である。それ以外の情報は知らない。だけど今ひとつ情報を手に入れた。どうやらクリーニング屋の娘のようだ。

「鏡ちゃん。この学ランをくれぐれもよろしくお願いしますね。命に替えてでもお洗濯したんなさい」

「ほーい」と母親に対していい加減な返事を返す。僕は思わず背に汗をかいてしまった。そんな適当な応対をしたら雷が落ちてしまうのではないかと身構える。

「こら! 鏡ちゃん!」

 ほれ見たことか。カンカンだぞ。

「あの台詞を言いなさいな」 

「はあ」

 川上鏡は反抗の意思を示すようにため息をついた。そして、

「私の命に替えてでもお預かりいたします」と決然とした口調で言い直す。

「もう一回!もっと献上表現で!」

「私の命に替えてでも拝受いたします」

「ブッブー!二重敬語でーす。ひゃーっはっはっは」

 川上母は高らかに笑いあげながら、店の奥の方に消えていった。一方、川上鏡は頬を朱に染めつつ下を向いている。

 数秒間の無言の時間を共有した後、

「私、普通のバイトしたいなあ……しかも身内だと思ってさ。安く働かされてんだよね。時給500円だよ?」

 嫌になるよ、と肩を回しながら呟く川上鏡。

 世の中にはこんな家庭もあるのか。初めて知った。


 家には父と兄がいる。学校では洞爺(とうや)や鳥羽センとよく話す。放課後になればたまに滝野と過ごす。これが僕の日常生活。これが僕の人間関係の全てだ。他には何も知らない。

 

 クリーニング屋を後にした。滝野のは知らぬ間に帰宅していた。僕は一旦自宅に戻り私服に着替えてから駅ビルに入居している本屋を訪れた。目当ては先程コンビニで見かけた例の『できる奴ほど遊んでいる』だ。このタイトルが心の中でずっと引っかかっていた。

 僕には向上心がある。将来は父と兄のように会社でバリバリ働いていきたいと思っている。なぜかというと、その方が充実した生を謳歌することができそうだからだ。父も兄も毎晩酩酊状態で帰宅して、翌朝は僕が登校するより早く家を出ていく。相当ハードな社会人生活を送っているに違いない。胃とか肝臓とかがどうして無事なのか不思議である。しかしそんな忙しい生活に憧れている。出来るだけ早く高校と大学を卒業し、スーツを着て働きたい。部下を掌握し、上司を懐柔し、日本の経済をグルグル回していきたい。夏フェスのタオルみたく回したい。

 そのために、僕は勉強を頑張っているわけだが。

 足りないものがあるのだ。何が、とは言えない。漠然とした不全感が常に付きまとう。このままではいけないと頭の中でもうひとりの自分が囁いている。

 変わらなければいけない。できることは何でもする。この本にヒントがある予感がしたのだ。たとえ思い違いだとしても、所詮千円未満の投資。買って大きな損をすることはないだろう。

 

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