第34話 運命の指輪は危険!


 「やればできるじゃない!」


 珍しくアトリエまで足を運んできた那須早苗は、ほぼ完成したジオラマとスチールを見て感嘆の声を上げた。


「私はこういう秋津君が、見たかったんだっ」


 クールな那須らしからぬはしゃぎっぷりを僕は呆然と眺めた。


 なんだかどいつもこいつもミドリみたいになってきてるな。


「あとはデジタル加工と校正が中心になりますが、僕の中では九十九パーセント、完成したも同然です」


「そうよねえ。……でもちょっと前まで口を開けば情けない言葉しか出てこなかった君が、ほんの一、ニ週間でどうよ、この変化。まるで生まれ変わったみたいじゃない」


 僕が言葉を曖昧に濁している間も、那須の絶賛は続いた。


「特にねえ、この、ガモジラに上っている女の子がいいのよねえ。よくぞこのアクセントを思いついたって感じ」


「いや、まあそれは、自分でもラッキーだったと思ってるんですけど」


 なにせ、この女の子の顔だけで五時間かけたからなあ。


「とにかくよかったわ。これで何にも持って帰れるものがなかったら、せっかくのいいニュースも伝えそびれちゃうところだったもの」


「なんですか、いいニュースって」


「いいニュースともっといいニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」


「どっちでもいいですよ、そんなの」


「あのね、惣領先生が予定を早めて明後日、ヨーロッパから戻ってくるんだけど、向こうであなたの作品をエージェントに見せたら、興味を持ってくれた人が何人かいたそうなの」


「本当ですか?」


「まあ、いきなり商業出版とはいかないだろうけど、今後、プレゼンをする上でのいいきっかけになることは確かね」


「……で、もっといいニュースっていうのは?」


「バーホーベンさんがね、『ひゃくえんせんそう』の次の作品をぜひ、自分との共作で作ってもらえないかって。近々、正式に依頼に来るそうよ。どう?」


「なんだか、夢みたいです。これって僕にやる気を出させるための罠じゃないですよね?」


「あいにくと全部本当よ。私にとっちゃ、罠だろうが何だろうが、やる気を出してくれればそれでいいんだけどね」


 は思わず小躍りしたい気分になった。やはり地道な努力はするものだ。


「それじゃあ、とりあえずスチールの画像データはもらっていくわね。追加があったら送ってちょうだい」


 那須はやってきたときとは打って変わった浮かれた足取りでアトリから去っていった。


 僕は完成したジオラマを眺めているうちに、ふと雪江が漏らした言葉を思い出した。


『わたしね、本屋さんで『えんぴつナイト』を見かけるたびに思うの。これは私の夫の作品だって。わたし、この素敵な本の作者の奥さんなのよって』


 その言葉を聞かされた時は気恥ずかしさもあって、へえー、と軽く受け流していたが、今思うとなんて物書きとして幸せを感じられる言葉だったろうか。

 僕はあらためて雪江のためにも人の気持ちを揺さぶる絵本を作りたいと思った。


 たとえ海外で発売されようと、有名な作家とコラボレーションできようと、それは普通に作るいつもの作品と何ら変わりはないのだ。


 ふと思い立ち、僕は作業部屋の奥にしまっておいた段ボール箱を引っ張り出した。


 マジックで無造作に『えんぴつナイト 小物(使用済み)』と書かれている蓋をあけると、手作りの人形やミニチュアセットに使用した小物が姿を現した。


 確かこの中に、しまっておいたはずだ。


 箱の中を必死で弄っていると、底に近い一角からクラシックなマッチ箱が現れた。


 あった。


 箱をそっと開けると、中から手作りの指輪が一組、現れた。たしか自転車の部品か何かを加工して作ったように記憶している。絵本の中では唯一、実際の人間の手の写真と組み合わせたものだ。そして使用した手の映像の主は、僕と雪江だった。


 僕は指輪の片方をつまみ上げると、感慨深く見つめた。まだあまり技術がなく、かろうじて雪江の好きな羽根の形に仕上げた指輪。光る石も、繊細な意匠もない。


 えんぴつナイトと国民に王女が国を守ることを誓う重要なシーンで使われたものだ。絵本では拡大され、武骨なデザインに写っているが、むしろそのごつごつした感じが気に入っていた。


 ――これ、欲しいな。絵本が完成したら、わたしにくれないかしら?


 うきうきした口調で言う雪江に、僕は何とも無粋な言葉を返していた。


 ――もちろん。でも、式を挙げる時にはもっとちゃんとした物を贈るよ。


 ――ううん。これでいい。これがいいの。


 そうだ、今度のごたごたが無事に解決し、『ひゃくえんせんそう』が無事に完成したら、雪江にこれを贈ろう。そして改めて、自分と一緒に生きてほしいと告げるのだ。


 僕は一度撮り終えた『ひゃくえんせんそう』のスチールと、本文の原稿を改めて見直した。あとはより素敵に体裁を整えるだけだと思っていたが、まだまだ、素敵になる可能性を持っているかもしれない。


 那須も期待してくれている。ミドリも気に入ってくれるだろう。作者が徹底的に愛さずにどうするのだ。


 僕は指輪を箱に戻すと、段ボール箱の中に丁寧にしまいこんだ。いつかの原稿のように、肝心な時に見つからない、などという事があってはならない。


 アトリエに戻ると、ジオラマの一部に小さな変化が生じていた。作者でなければ気づかないだろうが『ガモジラ』にしがみついている少女がほんの少しずり落ちて、片手を上に伸ばしているような勝利ポーズになっていた。


 これはさすがに使えないな。……でも、捨てがたい。


 僕は少女の新たなポーズを、携帯電話のカメラで撮影した。そして『追加データです。今のところ使う予定はありません』という文章を添えて、那須の携帯電話に送信した。


 数分後、那須から返信が来た。その文章を読み、僕は思わず忍び笑いを漏らした。


『秋津君、これをもし使うならタイトルを変えないと。『眼鏡少女対ガモジラ』にね」


 確かにこれでは少女の方があまりにも強そうだ。僕はくすくす笑いながら、少女の人形を元の位置に戻した。心のどこかで『眼鏡少女対ガモジラ』も悪くないなと思いながら。


             〈第三十五話に続く〉

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