第23話 突然の帰宅は危険!


 一週間ぶりに訪れた根城は、冷え冷えとしていた。


 僕はカーテンを開け、外光を入れると冷蔵庫の中を改めた。


 思いのほか、片付いてるな。


 保存がきくような物のほかは、ほぼ空に等しかった。ローテーブルの上に新聞紙が乗っていた。日付は三日前だった。ということは、三日前からこの部屋は無人だったことになる。僕は急に後悔の念に捕われ始めた。


 もっと頻繁に連絡を取るべきじゃなかったのか。気を遣うのが思いやりとは限らない。


 僕はソファに腰を据えると、携帯電話を取り出した。着信は来ていない。連絡してみようか。そう思い、何度もメールの文章を打ちかけてはやめた。どんなことを書いたらいいかわからなかった。ぼんやりしていると窓の外が次第に陰り、窓に水滴が付き始めた。


 物思いから覚め、ふと外に目をやった僕は天候の変化に気づき、腰を上げた。

 とりあえず食べるものと消耗品を買っておかなきゃ。


 ビニール傘を手に、歩いて数分のコンビニエンスストアに行って戻ってくると、もうすっかり日が暮れようとしていた。


 食事を作ろうという気がなかなか起きず、僕はテレビの電源を入れた。


 ローカルニュースの天気予報が流れていた。お天気キャスターが立っているのは、つい昨日、『のがスゴ』でインタビューをしていた場所だった。


 あれからまだ、数日しかたっていないのか……。


 再び、岩淵加奈の事件が俊介の脳裏を占め始めた。いったい犯人はだれなのか……。


 ぼんやりしていると、チャイムが鳴った。


 僕は弾かれたようにソファから立ち上がった。玄関に駆け込むと、インターフォンで誰何する手間も省略して解錠し、ドアを開けた。


「あっ……」


 ドアの外に立っていたのはミドリだった。


「どうしてここが?」


 僕は思わず尋ねていた。ミドリはもちろんのこと、優名も結衣もこの場所の事は知らない。知っているのは担当編集者の那須と、あと一人だけのはずだった。


「さっき、コンビニで見かけて、表情があんまり暗かったので、その……心配になったのだ」


 ミドリはいつもとは違い、ばつが悪そうに言った。


「後をつけるなど、恥ずかしいとは思ったが、気が付くとここまで来ていた」


「そうか。そんなにやばい顔をしてたのか、僕は。心配させてすまない」


「大丈夫ならいいんだ、では私はこれで……」


「待てよ。せっかく来たんだから、雨がやむまでいたらどうだ」


 僕がそう声をかけると、それまで俯き加減だったミドリが初めて顔を上げた。


「いいのか、上がって?秘密の隠れ家ではないのか」


「いいよ。お茶でも飲んでいきな」


 僕はミドリをリビングへと招じ入れた。秘密の隠れ家とは、やはり表現が子供だなと思った。紅茶を淹れ、ダイニングテーブルを挟んでミドリと向き合った。特に何かを話そうという気もなかった。ミドリも空気を読んだのか、沈黙していた。


「なあミドリ。君が泉美ちゃんのことにこだわるのは、車で連れ去られるところに出くわしたから、それだけか?」


 いきなりの問いに、ミドリは戸惑ったらしく目を盛んにしばたたいた。


「……自分でもよくわからない。本当は何もできなかったのだろうと言われればその通りかもしれない。こだわるのは、結局自分のためだ」


「そうなんだよな。誰かが助かるとか喜ぶというのは結果であって、本当に相手のためにすべきことが決まっているわけじゃない」


「いや、親なら決まっているぞ。ご飯を食べさせるとか」


「たしかにな。そうか、親か……」


「そういえば、家族の事を訊いたことがなかった」


「僕の?……そうだな、特に話すほど変わった家でもないからな。ミドリの家族は、どんな感じなんだい」


「私の家族は……良くも悪くも真面目な人たちだ。常に自分の義務を精いっぱい果たそうとする。何の迷いもない、尊敬すべき人たちだ。だが」


「だが?」


「私には、そういう人たちからしてもらったことを返すことができない」


「どういう意味だ。親孝行ならこれからいくらでもできるだろう」


「できることとできないことがある」


 ミドリは沈黙した。何か複雑な事情があるのかもしれない。家族の話はそれきりになった。雨脚が強まり、僕は思い立って口を開いた。


「ミドリ、どうも雨がやみそうもないから、僕が電車の駅まで送っていこう」


「いや、駅ぐらいまでならひとりで行ける。大丈夫だ」


「しかしここのところ、色々あっただろう。心配なんだ。送らせてくれ」


「……わかった」


 僕はテレビの電源を落とすと、ウィンドブレーカーを羽織った。ちょうどビニールのレインコートがあったので、ミドリに貸すことにした。


 玄関に向かいながら僕は思った。ミドリになら、この部屋が何のためにあるのか話してもいいかもしれないな。だが、今は気がかりなことが多すぎる。


 ミドリが靴を履こうと玄関の壁に手をついた、その時だった。


 チャイムが鳴った。僕はぎょっとした。まさか。


 チャイムに続いて、ドアノブを回す音がした。間違いない。


 僕はその場に棒立ちになり、玄関を凝視した。ミドリも靴を履きかけたまま、前を見つめている。やがて、ゆっくりとドアが開けられた。


「……あなた」


 ミドリの背中越しに、肩を濡らして沓脱に立っている一人の女性が見えた。


「雪江」


 入ってきたのは、真妙寺雪江だった。


「……この子は?」


 雪江がミドリに気づき、尋ねた。と、次の瞬間、ミドリが駆け出した。


「ミドリっ」


「送らなくていいっ」


 雪江とドアのわずかな隙間から逃げ出すようにしてミドリは走り去った。


「大丈夫?追いかけなくていいの?」


 呆然と立ち尽くす僕に、雪江が言った。僕は頭を振った。追いかけても逃げられるだけだろう。これほど微妙なタイミングで彼女が帰ってくるとは。


「あの子なら、大丈夫だ。とにかく入って休んでくれ」


 雪江は玄関で薄手のレインコートを脱いだ。僕は彼女が落ち着くまで何も言わなかった。ここは彼女の家でもあるからだ。真妙寺雪江と僕は、二年ほど前から夫婦なのだ。


「あの子は?なんていう子?」


「ミドリ。苗字は知らない。僕の、大事な友達だ」


              〈第二十四回に続く〉

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