ベツレヘムの魔砲使い、発つ





 唯一の親しい友と、縁は細くとも親として慕った人――大事なのはどっち?

 この問い掛けに、私は答えられない。答えを持っていないのではなく、答えてはならないのだと思う。

 犯人は分かっていた。加害者が誰で、被害者が誰で、復讐者が誰で。そして復讐されたのが誰なのか、なんて。そんな事は誰に言われるまでもなく、分かりきっていたのだ。

 正答に蓋をしよう。真実から目を背けよう。きっとこの世でただ一人、裁かれるべき罪人を私は知っている。

 証拠なんてどこにもない。天啓に等しい勘に過ぎないけれど、私だけは確信できていた。


 ねえ、アーサー。貴方は今、どこで何をしているの?









  †  †  †  †  †  †  †  †









 父が死んだ。


 マーリエルがその訃報を受け取ったのは、発掘闘技都市での争乱に決着がついてから。病院の一室で療養する事を余儀なくされている時だ。

 青天の霹靂という奴だろう。神々の禁令により、未来視や運命への干渉を封じられている中、知恵の力だけで未来を見透かしているかのようだったあの父が――まさかこうもあっさり死んでしまうだなんて。

 『公私』の面で言えば、『公』の視点で稀代の知恵者を惜しみ、『私』の視点で嘆き悲しむべきだ。しかし父の死を知ったマーリエルの胸に去来した想いは、虚しさに彩られた感傷だけで。他にはこれといった感慨はなく、強いて挙げればある種の驚きと納得があるのみだった。


 脳裏に浮かんだのは一人の少年。マーリエルの父親へ復讐を誓った、たった一人きりの友人。


 巷では父を殺したのは魔族である、と見做されている。だが軍や政府の見方では内部犯を疑っていた。

 その第一容疑者として挙げられているのは、唐突に消息を断ったキュクレインとエウェルだ。特にキュクレインは魔境へ突入し、ルベドの五体の一角を討ち滅ぼしている。その際になんらかの呪いで縛られていたのだとすれば、アルドヘルムを殺害してしまう事も有り得なくはないと思われている。

 しかしマーリエルの勘はその推測を否定していた。キュクレインの失踪は確かに謎が深いが、ダンクワース侯や〈鏃の御子〉の横死を併せて思考すると、アルドヘルム達三人に強い殺意を懐いていた者がいるのだ。そしてその殺意を凶行に及ばせられる力を、該当者は保持している。他ならぬマーリエルがその力を与えていたのだから。


 マーリエルは逃げたクーラー・クーラーの追撃をある少年に頼み、自身はクラウ・クラウと対峙していた。あの時のクーラー・クーラーの消耗具合から見て、真人化していたあの少年から逃げ切れる可能性はゼロだったはずだ。

 しかし現実にクーラー・クーラーは逃げおおせているばかりか、全ての人々に対する未曾有の危機を招いている。ならばあの少年はクーラー・クーラーを意図的に見逃した事になり、私怨を晴らす悪魔的な閃きに従い復讐を成就したと考えれば辻褄は合った。合ってしまった。


 自分の立場からすると、公私の両面に於いて断じて赦してはならず、告発してあの少年を逮捕し法に照らし合わせて裁くべきなのだろう。

 だがしかし、マーリエルにそうするつもりはなかった。

 それはあの少年への特別な感情があるからか? そんな邪推を元に問われれば、恐らく否定できない。否定してはならないとすら思う。だってマーリエルはあの少年に力を授けた時、彼という存在を深く理解してしまっていたのだ。そしてそれが故に、言語化できない何かを感じた。


(貴方は他の人とは違う……)


 論拠の定まらない、根源的な憧憬。敢えて例えるなら――屑石しかない瓦礫の山の中に、煌めく宝石を見たかのようだったのだ。

 だから口を閉じる。赦されざる大罪の真相から目を背け、忘れ、消す。理論的ではないし、曖昧模糊とした本能の訴えに理性を傾けるなど言語道断だが、そうするのが正しいと感じているのだ。


 アレクシア辺りに言わせれば、恋を煩い血迷ったと笑われるだろう。しかしそんなものではない。決して恋とかいう甘い感情ではなかった。

 だが病院の個室で魔力の回復に専念する中、常に心の片隅にあの少年がいたのは事実だ。クーラー・クーラー追撃の際に受けた謎の光波の正体を思索しつつ、自身の立ち上げているプロジェクト『航空騎士オストーラヴァ・画一化バトルプローフ計画』を纏めていても――寝ても覚めてもあの少年の事を、心のどこかで想っている。

 ともすると本当に恋心とやらで頭を犯されたのではないか、なんて錯誤してしまいそうだった。が、この感情や感覚に名前を付けるとしたら……そう、使命感・・・だろう。それが正解である気がした。


「――騎士オストーラヴァ中尉、具合はどうかな」


 そう言ったのは病室に見舞いに来ていた兄、ルキウス・ハルドストーンだ。新ユーヴァンリッヒ伯爵であり、ここエディンバーフ伯爵領の運営代表者でもある。

 呼ばれ方で、彼が私人としてではなく公人として訪ねて来たのだと察し、簡素なベッドの上で畏まりながら応じる。


「は。経過は良好、後遺症の類いは自他の診断でも認められません。退院許可さえ降りたなら、すぐにでも復帰できそうです」

「それは良かった。優良なる航空騎士、我が王国の誇るエース・オブ・エースにもしもの事があれば、現状考えうる限り最悪の損失に相当するからね」


 皮肉めいた笑みを口元に刷き、自嘲するかのようにそう言ったルキウスへ、マーリエルは一瞬慰めの言葉を掛けるべきかと悩む。

 本当は悩まなくていいのかもしれない。気楽に、気安く慰めるのが正解なのだろう。

 だが自分達の兄妹仲は、良くもなければ悪くもない。共に過ごした時間が短すぎた弊害だろう、兄妹というよりも疎遠な関係の従兄のように感じる。

 そしてそれは相手も同じだろう。どうにも歳の離れた妹との距離感を測りかねているようだ。


「……公人としてでなければ接し方も分からない愚かな兄だが、先にこれだけは言わせてほしい。無事でよかった、マリア」

「兄さんこそ。でも……気持ちは嬉しいのだけど、私の事より兄さんは仕事を優先するべきじゃないの?」

「私がいなくとも回るよ。役人連中や私は無能もいいところだろうがね、父上の遺された非常時の対処案、行政機能が瀕死でも回せるシステムは優秀だ。結局仕事の話しかできていないが……私がこうして見舞いに来たのは中尉、君の見解を聞きたいからだ」

「公私の切り替え方が雑ね……」

「……すまない。どうも疲れていてね……それより聞かせてくれ」

「ハァ……はい。伺いましょう」


 呆れて嘆息すると、ルキウスは苦笑する。彼に合わせてマーリエルも意識を切り替えた。

 物憂げな表情をする兄に、父の若い頃はこんな顔だったんだろうなと、頭の片隅で思う。自分は全く父に似ていないから、そうした遺伝という繋がりが、少しだけ羨ましく感じられた。


「明日、君の退院許可が降りる。それと共に中尉はこの地を離れ原隊に復帰する事になるからね、この地の問題を解決するのに中尉の力を借りる事はできないだろう」

「はい」

「しかし魔族の置き土産として〈迷宮〉が幾つも我が領に発生させられた。魔力反応から見て一番の大物はイスイヴトプスで間違いない。少なくとも三体、彼の大魔獣が我が領へ残留している事になる。そこでだ、中尉……君は奴らを斃せるかな? そして他の者にも打倒は叶うだろうか? ……一応言っておくとわかってはいるんだよ、倒せはするだろうとは。だがそれでも聞きたい」


 ルキウスの言にマーリエルは顔を険しくさせた。無意識に。


 思い出すのは航空戦艦ネイルソンと通信を取っている最中、突如襲い掛かってきた光の波だ。あの謎の現象により領軍は壊滅し、マーリエル自身も撃墜されている。にも関わらず――イスイヴトプスは無事だった?

 それは偶然? それとも、イスイヴトプスの頑丈さや再生力が想定していたよりも上だった? あるいはやはり、あの光波は敵の攻撃だったのだろうか?


 いや、今考える事ではない。それよりも、


「――あの時の私は魔力が尽きかけており、イスイヴトプスの撃破は難しかったでしょう。しかし遅滞戦術による足止めは可能でした。万全なら例え三体を同時に相手取っても、時間は掛かるにしろ各個撃破が可能だったと思います」

「……そうか」

「しかし私以外であれば、例えば帝国のアールナネスタ大公爵令嬢であっても撃破は至難の業でしょう。単なる相性の問題ですが、この相性というものがアレにとっては非常に大きい。ですので確実な打倒を企図するなら、一個大隊規模の機械化魔導兵を用意すれば撃滅できるはずです」

「……マリア、これを見てくれ」


 自身の考えを述べるとルキウスは己のこめかみに指を当て、そこから地図のホログラムを引き出した。

 そこには幾つかの赤い光点が点っている。


「……これは?」

「先程言った〈迷宮〉の発生箇所だ。この内で三箇所にイスイヴトプスが潜んでいる。しかしジャミングされているのか正確な居場所が掴めない。どうすれば最速、最短で事を成せる?」


 自分や幕僚達で考えろと言いたいが、言っても詮無き事だ。そもそもルキウスは軍事関連の才能が致命的に欠如している。それを自覚しているから妹である自分にも、躊躇わず訊ねられるのだろう。

 むしろそうした姿勢を持てる兄は人の上に立てるだけの資質がある。ともすると全てを自分でやろうとする父やマーリエルよりも、為政者としては適していると言えるかもしれない。


「領軍の魔導師団は累積加速式マルチルーン掩蔽壕破壊弾バンカーバスターを運用できたはず。それにより一手で敵の欺瞞を剥ぎ取り、残った本命に領軍をぶつけるべきでしょう」

「失念してるな。領軍は壊滅している。再建が急務で他に回す余力がない。できて精々、魔導師団による累積加速式・掩蔽壕破壊弾による一撃離脱だけだ」

「……でしたら冒険者組合にお命じになり、彼らの内で精鋭と呼べる団体をイスイヴトプスの撃破に回すべきです」

「我が軍や中尉以外でもイスイヴトプスは倒せるのか」

「広域破壊魔術の使い手の数、それから冒険者の練度によります」


 にべもなく切って捨てる。一々冒険者の強さまでは把握していない。余程の有名人であれば話は変わってくるが。

 キュクレインがいれば確実だったのに――そう言いかけて苦笑する。そういえばクーラー・クーラーと戦った時も、似たことを考えていたなと。


「――どうも私は自分が信じられない。だからマリアの意見が聞けて本当に良かったよ。……マリア、君がユーヴァンリッヒ伯爵になってくれたら万事上手くいっていただろうな」

「今度は個人として話すの? いいけど、それは叶わないわ、兄さん。確かに私は兄さんよりも遥かに優秀だけど、何より私は個としても群としても突出して有用過ぎる。貴族の一員として働けなくもないけど、そうするには魔導騎士としての才能が大きすぎるのよ。軍は私を離してくれない……だから父さんは貴方を後継者に指名してたの」

「……相変わらず歯に衣を着せないな。まったく、腹立たしいよ天才め」


 露骨に機嫌を害したふうなルキウスに、マーリエルは薄く微笑む。そんな妹に向けて、ルキウスもまた表情を緩めた。


「……話は終わりだ」

「ええ」

「餞別も何も贈れない。久しぶりに会ったのに、何もしてやれない。だけど、いや、だからせめて言葉だけを贈る――」


 ――達者でな。


 飾り気のない簡素な言葉には、縁の薄い妹への精一杯の思い遣りが込められていた。

 ルキウスは病室から立ち去り、マーリエルは翌日に退院する。兄妹はそれで別れを済ませた。きっと再び顔を合わせるには、運命の巡り合わせに期待するしかないだろう。

 別に寂しくはない。きっとルキウスも。ただ妹として、兄として、互いに物言えぬ心残りはあったかもしれない。

 マーリエルは父の死に衝撃を受け、その衝撃が抜け切っていないルキウスが僅かながら羨ましかった。兄は父の死を悲しめるだけの時間を、父と共有できていたのだから。


 マーリエルは軍服の袖に腕を通し、荷物を持って駅に立つ。一度だけ遠くを向いて、敬礼した。そこには兄がいる気がして、兄も自分の敬礼を見てくれたと思う。


「――マーリエル・オストーラヴァ中尉、現時刻を以って部隊に復帰します」


 王国軍レーヴェルス空上本部の旗艦、航空戦艦サンス・パレイルの艦長室でマーリエルは宣言した。グラスゴーフの駅でした敬礼を、そのまま切り取って別の場所に貼り付けたような敬礼だ。

 それに対して鷹揚に頷いたのは佐官階級の最上位、代将の身分にある艦長アルフレッド・バーンである。

 綺麗に整髪された茶髪の上に軍帽を被り、屈強な体躯を軍服で包んだ男だ。容姿こそ青年のように若々しく見えるが、実年齢は初老に差し掛かった人間属の男である。


「グラスゴーフでの奮戦は聞いている。名目上は休暇だったというのに、苦労を掛けてすまなかった。それからユーヴァンリッヒ伯爵の事も……」

「お気になさらず。休暇という名目がなければ、私を手元から離せなかった代将殿も大変だったでしょう」

「――うむ。それで早速で悪いが仕事の話をしよう」


 右に左に回され続け、休む暇もありはしない。

 だがマーリエルに不満はない。自分ならできるという自負と、自分が飛び回ることで覆せる何かがあるのだという自信があるから。

 元より軍務は慣れ親しんだルーチンワークでしかない。マーリエルは顔色一つ変えずに応じた。


「伺います」

「中尉。君はウェーバー村跡地付近で謎の光波を受けたそうだね?」

「は、その通りです」

「あれの解析結果が出た。そしてその内容を上は真実だと捉え、わたしを通して中尉に命じるよう通達してきた」

「………?」


 回りくどい言い方だった。無駄を嫌うバーン代将にしては珍しい。

 マーリエルの戸惑いが伝わったのだろう。彼は机に両肘を乗せ、重ねた両手で口元を隠した。


「突拍子もない話だが――あれは神託・・だったそうだ」

「……は? 神託、ですか」

「そうだ。眉唾と思うかもしれないが、国王陛下は元より宰相殿、宮廷魔術師殿をはじめ、中枢の首脳陣はそれを本気で信じている。わたしが何度も聞き返したのだから間違いない。ああ、一応これは最重要機密らしいから、口外してはならないよ」

「……神託。あれが」


 思い返すのは自身もまた光に呑まれ、墜落していきながら見たエディンバーフの領軍が壊滅する光景だった。

 天災に巻かれた憐れなる光景。あれが……神託。あんなものが?

 そもそもそんな事を、誰が判断した。本当に神託ならどうして領軍を壊滅させて、マーリエルをも撃墜したというのだ。


 表情を凍りつかせたマーリエルへ、バーン代将は重々しく言う。


「行動不能に陥った貴官が、なぜ魔族にトドメを刺されなかったか、考えたことはあるかね?」

「………」


 あるとは言えないし、ないとも言えない。結論が出なかったからだ。


「神託を下されたのは神王・・様だそうだ。至高たるあの御方の霊魂は、未だ我々を導こうとなさっている。あの御方の力は強すぎ、神意を伝えようにも力を抑えきれなかった。故に神託を下した際にエディンバーフの領軍は壊滅し、貴官も前後不覚に陥ったのだ」

「………」

「……とはいえ身動きが取れないまま魔族に討ち取らせては憐れだそうで、生き残りに関してはとりあえず魔族が去るまでは守ってくれた……というのが陛下やその周りの見解だよ」

「……それで、それが私の任務へどう関わってくるのですか?」


 神王の神託? バカバカしい、真人類を護り導いてくれたという神王は既に死んでいる。いや、魔道と士道の概念位階という力の礎となり、真人という旧世代の人間を遥かに超えた存在に昇華させ、その代償として神王は死すら生温い消滅という結末を迎えた。

 そうなるともはや、残留思念も残っていないのではないか、というのがマーリエルの見方だ。

 だが神託だと信じざるを得ない判断材料が、国王達にはあるのだろう。疑念は渦を巻いているが、命令は命令である。一軍人として、あるいは騎士として従うだけだ。考えるだに頭が痛くなってくるのが本音であるにしろ、マーリエルは色々と言いたいことをグッと堪えて反駁する。自分にこの事を伝えてくるバーン代将の方が、よほどに頭を抱えそうな顔をしていたからだった。


「神託とやらは、どうも貴官を名指ししているらしい」

「私を?」

「ああ。どういう意味かは知らんがね……陛下が仰るには『騎士マーリエル・オストーラヴァ中尉は救世主・・・を見い出すだろう。彼の者を一時軍から離れさせ、無期限で冒険者として活動させるように』とのことだ」

「………」


 マーリエルは絶句した。

 無茶苦茶だ。なんだその命令は。意味が分からない。

 呆然としてしまうマーリエルを、バーン代将は感情の伺えない瞳で見据えている。その目に射竦められ我に返ると、マーリエルは恐る恐る口を開いた。


「……代将殿。貴方はそれを受け入れたのですか?」

「もちろん。わたしも軍人だ、上からの命令には背けない」

「しかし、私が此処を抜けてもよろしいのですか? それも無期限で」

「よろしい訳が無いだろう」


 鉄槌のように重い声音だった。

 表面上は不動のまま、だがバーン代将の内心は煮えくり返っている。

 親兄弟よりもよほど長い付き合いの上官だ。マーリエルには彼の心中が荒れ狂っているのを察した。


「我が艦隊は対魔戦線を支える柱だ。その支柱たる貴官は何者にも替え難い重要な人材でもある。特に貴官の立ち上げたプロジェクト『航空騎士オストーラヴァ・画一化バトルプローブ計画』は、その実現に大いなる期待を抱かせてくれる希望だった……その貴官を手放す? 正気なら有り得んよ」

「………」

「だが命令は命令。ああ、従おうとも。オストーラヴァ中尉、貴官はこれより冒険者組合に出向し、思うがまま活躍してくれ」


 直立したまま握り拳を作り、その佇まいで不服を表現するマーリエルに、あくまでバーン代将は平静な表情で告げる。


「しかし、だ。わたしはわたしで陛下らの意志を確かめ、なんとしても貴官を再び我が軍へ復帰させる。故にそれまでの間、貴官には忍従を余儀なくさせてしまうが、腐ることなく待っていてほしい」

「……了解、しました」

「すまん。重ね重ね苦労を掛けてしまうが……なに、名目だけではない本当の休暇にありつけたとでも思って、のんべんだらりと過ごしてくれたらいい。決して無理をするな。いいな、中尉」

「は」


 忙しないな、と思う。マーリエルは自身の階級章に手を添えて、それから敬礼をすると踵を返す。

 帰ってきたと思ったらまた別の理由で前線から離れさせられる。数奇な運命だとでも言えばいいのだろうか?

 マーリエルは嘆息する。深々と。折角部隊の皆と会えると思っていたのに、この調子だと暫く会えなくなるのは自明だった。


「救世主、ね……」


 ベツレヘムの魔砲使い。そう渾名された自分への皮肉のつもりか? 全く笑えない。国王陛下は英明なる御方だと聞いた覚えはあるが、その評価には些か疑問を覚えてしまいそうである。

 くだらない話だ。救世主とやらは存在しない。自然と湧いて出るものではないはずだ。それは、自分達の鉄と血で、不断の努力の下に生み出す兵器であるべきなのだ。


 ただ、とマーリエルは不思議に思う。


 救世主。この単語を耳にした時、なぜ、脳裏に『』の姿が浮かんだのだろうか、と。






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