迷宮踏破、貴種流離譚 3





 どんなに完璧に見える人でも、必ずどこかに欠点を持っているものだ。


 例えば皆もよく知っているあのヒト。私達の偉大な指揮官コマンダー

 彼にまつわる多くの風評を、私は否定しない。しかし一般に英雄視されてる彼にも欠点があった。

 あのヒトは私生活で着る服が地味で、口約束を軽視してて、個人主義者で、自尊心が強過ぎるほど強いのだ。

 私をはじめとする何人もの友人達は、彼のそんなところに呆れ、時には不快感を覚えたりもした。だけどそれにも増して苦痛に感じるところがある。 


 それは彼がお喋り好きな事だ。


 他人や自分の秘密を簡単に口外してしまうわけではない。寧ろその手の事では非常に口が堅いから信頼できる。

 彼は純粋に他人との会話を楽しんでいるだけで、それ自体は美徳と言えるのだが、彼が結構な頻度で口にする冗句は――その、他言無用で頼むが、とてもツマラナイのだ。

 そのくせ自分の感性が特殊だと認めたがらず、付き合いを持っているヒトに度々ツマラナイ冗句を言って笑いを取ろうとしてくる。しかも笑わせようとしているとは思えない、平坦クールな声と顔で。

 彼のそれは時に皮肉めいていて、不謹慎かつ自虐的だ。正直に言って反応に困るけど、ツマラナイと言えば彼はとても機嫌を害して、面倒臭い事になるから注意が必要である。


 個人として付き合うのに、そこだけが非常に難儀だった。それが彼の欠点だろう。もちろんそれが気にならないだけの美点もたくさんあるけれども、私は未だに彼の冗句だけは笑えない。

 彼がなんでもない時に突然真面目ぶった顔をしたら、それがサインだ。なんらかの理由をつけて迅速にその場から離れる事をお勧めする。さもなければ笑う素振りを見せないといけなくなるし、無駄に洞察力に長けてるものだから、愛想笑いなんて全然通じないで逆に不機嫌にさせてしまうからだ。


 ああ、コマンダー。どうか愚かな私の願いを聞き届けてください。私には貴方の冗句が、全然全くこれっぽっちも面白いと思えないのです。貴方の言う、『ブラックジョーク』なるものは、ただ場を凍りつかせるだけだと認めてください。









  †  †  †  †  †  †  †  †









「――それでは自己紹介をしよう。私は君達よりも口数が多いかもしれない。だが君達がそれに倣う必要はないから、口下手な人がいれば安心してほしい」


 冒険者組合とは民間軍事会社のようなものである。そしてそこに属する者は会社の従業員、つまりは傭兵組織の戦闘要員コントラクターだ。

 現在は軍事行動中だ。本当なら足を止めて悠長に囀っている場合ではないのかもしれない。しかしアーサーがわざわざ足を止めて口火を切ったのは、彼なりに場の空気を刷新しようとしたからだった。


 というのもアーサーは察してしまったのである。なんとなくだがベディヴィアとスカイランナー、ローディアンの三人がガリバーに対して険悪な眼差しを向けている事に。


 これからあの巨人を含めた四人とどんな関係を築くにしろ、チームを組むというのに初手から軋轢を生みたくはない。また、軋轢が生まれそうなのを見過ごすべきでもなかった。

 自分がこんな役回りを担うなんて想像していなかったが、彼らを仲裁して円満なチームワークを発揮したいと思っている。何せ命が懸かっているのだ、嫌い合うより互いを信頼し合えるチームになった方が、誰にとっても最良の関係と言えるに違いない。


 ――ムウ・ガリバーは実に幸運な巨人だと言えるだろう。同じチームにアーサーが配属された事は、ガリバーの命運を長らえさせる唯一無二の希望になっているのだから。


 協調性のない足手纏いは即座に切り・・不幸な戦死・・・・・を遂げさせるべきだと考えるのが、合理性の化物である真人ユーザーの基本思想である。

 冷酷な思想だ。人間味の感じられない冷徹な措置だ。しかしそうした非情さを身に着けなければ、真人類はとうの昔に滅びていただろう。

 過酷なる絶滅戦争に接してきた方舟帝国と福音王国の人間達は、自分達の不利益に繋がる事象を放置したりはしない。親しくもない間柄の相手に慈悲を見せる事はないのだ。

 故にその冷徹さに染まっていないアーサーの存在がなければ、巨人の戦士は後ろから切られて死んでいただろう。


 とはいえガリバーにそれを察せられる知性や直感力は無い。あからさまに鬱陶しそうな空気を醸し出して、アーサーの気遣いを無にしかねない事を宣う。


「オラ、別にオメェらの事なんか興味ないど。自己紹介なんかしてるぐれぇならよ、さっさと進んだ方がええんでねぇか? オラさあの腰抜けの鬼ぃ追っ掛けねぇとなんねぇし、ちんたらするぐれぇならオラはもう先に行くど」

「フゥ。君はせっかちなんだな、ムウ・ガリバー。あんまり男が早い・・と女性から顰蹙を買うものだと聞いたが……どうやらその例に当て嵌まるのは男女の関係だけではないらしい」

「………」


 小さな地響きを伴う足音を鳴らし、早速とばかりに進行を再開させようとする巨人に、三対の冷たい殺気が向こうとした。

 だがアーサーが皮肉めいたセリフを吐いた事で、やや気が逸れたようだ。逆にアーサーの方へ呆れたような目が集まる。


「おぉ……? もしかして今、オラのこと馬鹿にしたんか?」

「……ヘッ。意外と毒舌なんだな、アーサーは」


 スカイランナーが苦笑いを浮かべて呟くも、アーサーは単に巨人を宥め場を和ませようとしただけの事だ。ボクシングで言うジャブを放っただけである。寒い洒落ギャグでも聞いてしまったかのような反応は心外だった。

 心なしベディヴィアやローディアンからの目線も冷たく感じるが、アーサーは気にする事なく肩を竦める。


「毒舌? 今のセリフのどこに毒がある。私はな、単に呆れているだけだよ」

「チビのくせにオラに呆れるぅ……? オラは戦士だど。戦士は誇りに掛け、自分への侮辱を捨て置かねぇ。撤回しろぉ、しねぇんならちょいとばかし灸を据えんぞぉ?」


 巨人が上体を屈ませ、アーサーの胴体ほどの太さを持つ人差し指を突きつけてくる。

 分かりやすい威圧感と、サイズ感だ。リアルに感じる巨人の圧力に白騎士は感心してしまう。十メートルを超える巨人と相対すると、自分が聖書や神話の登場人物になったかのように感じるのだ。

 元の世界の誰よりもアメイジングな体験をしていると言える。叶うなら自慢したいものだが、残念な事にアーサーの感動を共有できる人間はこの世界にはいなかった。


 アーサーは自分に灸を据えると言ったガリバーに、内心「きゅうをすえる」という言葉の意味を呑み込みかねて思案する。

 しかし異世界の日本語圏に身を置いて六年も過ごしているのだ。脳内の日本語辞典から索引する作業にも慣れたもので、すぐに言葉の意味を理解した。


「それはひどい誤解だな。私は侮辱なんてしていない。確かに私は君のことを『忍耐力の足りない愚か者だ』とは思っている。だが『奴は我慢というものを知らないから大嫌いだ、とっととくたばりやがれ』と思っているわけじゃあない。私は寧ろ『せっかちな君も魅力的だが、今より百倍魅力的になるには落ち着く必要がある』と言いたいだけだ」

「んんぅ……?」


 ガリバーが少し凄んでみると、白騎士は皮肉めいた弁解を口にする。それは迂遠な論調で、アーサーが巨人を揶揄しているように聞こえるものだった。

 本人を目の前にしていながら、直接的な言葉での中傷なんて紳士としてするべきではない。ガリバーの行ないを諌めるために茶化しただけだ。英国的なユーモアを利かせただけで、決して馬鹿にしたわけではない。

 スカイランナー達は曖昧な表情で、事の成り行きを見守っている。彼らにはアーサーが、巨人を愚弄しているようにしか聞こえていないようだが、とうのガリバーは皮肉を理解できていないようである。

 どうやら長々と話すと、話の内容を呑み込めないらしい。アーサーはその事に気づくと、頓知をきかせた遣り取りは望めないと悟り落胆した。


 彼もまた英国紳士の端くれである。ウィットに富んだ会話を楽しみたい気持ちがあった。だがそれは叶わないらしい。趣味ではないが、少しだけ直接的な物言いをするしかないようである。


「簡単に言うと私と仲良くしてほしい、という事だ。私は君と比べると実力で劣るからね、頼りになる戦士に遠くへ行ってほしくないのさ」

「んぉー……? つまり、なんだぁ? オメェ……弱っちいからオラに守ってほしいんか?」

「流石だ。その理解で正しい。どうやら端的な理解が君の美点であるようだ」

「そうかぁ? フハッ……ハッ……ハッ。仕方ねぇなぁ、頼られちまったんなら、仕方ねぇ。仕方ねぇからオメェを守ってやるぞぉチビ助」

「ありがとう。さて、本題に入ろう。何度も言っているが自己紹介の時間だ。やはり守り守られのチームメイトとして、互いの事を知り合っておくのは大事なポイントだろう。と言ってものんびりスピーチをしている暇はないから、可能な限り要点を纏めてくれ。まずは言い出しっぺの私から始めようと思う」


 軋むような笑い声を上げ、機嫌を直した巨人に苦笑してしまう。

 単純な奴。ちょっと持ち上げてやり、軽く褒めただけでこれだ。鬼とやらを追い掛けたがっていたのに、あっさり掌を返して了解してくれるとは拍子抜けである。

 無礼千万で愚かな輩は嫌いだが、自分の役に立つなら許容してやれる。チビ助呼ばわりは訂正させるにしても、彼の取り扱いは容易い事が分かった。


「今更だが皆とチームを組めて光栄に思う。アベルキヒでも名乗ったが、私の名はアーサーという。ネフィリム連合王国エクスワイア辺境伯領の生まれだ。趣味は……ヴァイオリンの演奏かな。今度機会があれば聞かせてあげよう。武器は見ての通りのゴツい剣だが、魔術もそこそこ扱える。何か質問は?」

「へぇ、ヴァイオリン。高尚な趣味をお持ちであらせられるわけだ。つってもよ、仮にも此処は戦場なんだ。長々と喋くる暇もぇし、無駄な質問は後回しにしようや。つーわけで、次はおれだな」


 言って、アーサーの後をスカイランナーが継ぐ。


「おれはスカイランナー。コイツは苗字で名前じゃねぇが、名は捨ててるんで詮索せんでくれ。格好でも分かんだろうが帝国の元士官でね、この急造チームのリーダーをバルトロメウスから頼まれてる。ま、おれの趣味とか年齢に興味は無ぇだろうし、遠中距離が得意な魔導師だってとこだけ覚えといてくれや。オメェさんの番だぜ、ガリバー君」

「オ、オラかぁ? オラはムウ・ガリバーだぁ。えー、歳は十八、得意なモンは料理らしいぞぉ。うーむ……趣味はねぇけんど、夢は英雄に成る事だなぁ」


 スカイランナーに意外性を求めていなかったが、ガリバーの方にこそそれは潜んでいた。

 年齢が十八だというのに驚きを感じるし、料理が得意らしいという言い方は自己評価ではなく、他者からの評価であるように聞こえる。

 とはいえ顔を見たわけでもない。思えばガリバーはアベルキヒの組合の中でも兜を被っていた。兜を脱げば、意外と若い青年の顔が出てくるのだろう。


 ちらりとスカイランナーがフードの人物に視線を向ける。すると自分の番だと理解したフードマンは嘆息した。


「……名前はローディアン。生まれも育ちもエディンバーフ伯爵領。見掛けでよく誤解されるけど成人してる。歳は二十六歳、小人属と人間属のハーフだ。ボクは遠距離専門の魔導師で、支援職って言うのかな……味方へのバフと敵へのデバフのシャワーを降らせるのが得意だ。死にたくなかったらボクから離れない事を勧めるよ」

「フードは取らないのか?」

「……はあ? 別に顔なんか見せなくたっていいじゃん。ガリバーも見せてないんだし、ボクの事もほっといてよ」


 自己紹介をしているのに、一向にフードを取る素振りを見せないローディアンにアーサーが言うと、彼はあからさまに不快気な反応を示した。

 顔を見せたくない理由でもあるのだろうか。声が綺麗なソプラノボイスであるところを見るに童顔で、それがコンプレックスになっているのかもしれないと勝手に想像する。

 嫌がる相手の顔を無理矢理見る気はない。大人しく引き下がる事にした。


「私の番」


 言ってバルディッシュの石突で床を軽く叩き、注目を集めたのはベディヴィアである。素顔は一度見ているが、〈迷宮〉内という事もありバーゴネット兜を被っている黒騎士が顔をアーサーに向ける。

 微かな不安と緊張が白騎士を襲った。

 彼女の素性は、マーリンから聞いている。捏造された自分の血統、それを真実の形で有するベディヴィアの存在は、下手な受け答えをすると明るみに出る危険なものだ。マーリンは上手く誤魔化せと言っていたが、確実にやれるとは言い切れない。


「生まれは連合。コーンウォール公王の第四夫人ミーズ・スライシスの娘で、名前はベディヴィア・スライシス・ゴッホ。歳は十九」

「――ちょい待て。いきなり本名バクダンぶっ込んでんじゃねぇぞ!」

「いい。これは公然の秘密。どうせ皆知ってるし、隠すほどのものじゃない」


 名乗りを上げるやスカイランナーが制止を掛けるも、やはりベディヴィアは意にも介さなかった。だがベディヴィアの視線はアーサーで固定されている。

 まるで探りを入れてくるかのような気配に、なんだか胃が痛くなってきそうだった。


「で。貴方は誰? その甲冑、公王家に連なる人間じゃないと身に着けたらいけない。死罪相当の厳罰必至。そんなの身に着けてるぐらいだし、私と同じで生まれを隠してるってわけじゃないでしょ。私、一応四年前まで公王家にいたけど、貴方なんか見たことない」


 咄嗟に頭脳を全力稼働させる、なんて事はない。組合を出た時からずっと、彼女から何かを訊かれると心の準備はしていた。

 そして彼女がどんな質問をしてくるか幾つものパターンに分けて想定していたのだ。初対面である以上、ベディヴィアの問い掛けは想像の範疇内にある。


「君がいる以上、隠す意味もないから明かしておこうか」


 あくまで平静を保ち、声を上ずらせず、滑舌が流暢なものになるよう意識して、忠実に自分の設定を諳んじた。


「私の父は騎士のラウ・ズライグ、母は第一夫人の娘アイラ・ゴッホ。私は公の場に立つならアーサー・ズライグ・ゴッホと名乗るべきなんだろう。君との続柄は叔母と甥ってところかな。歳はそんなに離れていないようだけどね」

「おいおい……」

「……何歳?」

「二十歳だ」


 社会経験の乏しい自分は大人であるとは言えない。しかし生きた年数だけで言えば、肉体はともかく中身の実年齢は二十歳である。そこに嘘はない。

 叔母よりも一つ年上の甥なんて、滅多に聞く事のない間柄だろう。自分の身の上は虚構のものだが、既に死んでいるとはいえ『アーサー・ズライグ・ゴッホ』が実在した人物であるため、コーンウォール公王とやらは相当の好色漢だというのが分かる。

 スカイランナーの乾いた反応を横に、ローディアンが短く問い掛けてくるのに答えると、彼らはなんともリアクションに困ったような気配を見せた。気持ちは分かる、アーサーも同じ気分だからだ。


「だから君の事は叔母上とでも呼んだ方が――」

「やめて」

「……うん。そうだね、年上の甥なんて嫌だろう」

「当たり前。むしろ私が兄上って呼ぶ」

「……兄?」

「兄」

「……まあいいか」


 色んな意味でよくはないが、よしとする。するしかない。


「ともかく、母は自分の騎士だった私の父と駆け落ちし、エクスワイア辺境伯領で私が生まれた。母は私を生んだ時に死に、冒険者として生計を立て始めた父も約十年ほど前に死んだ。私は自身の生まれこそ知っているが、親戚付き合いなんてする暇もなくてね。冒険者として細々と暮らしていたんだが……」

「……そういえば、連合の政争ゴタゴタに巻き込まれそうだったから逃げて来たって、アベルキヒで言ってた」

「逃げたわけじゃない……とは言えないな。実際、政争の道具はゴメンだからね」


 さらりと肯定できてしまえる自分を嫌悪すればいいのか、平気で嘘を吐ける様を自画自賛すればいいのか、判断に悩むところだが。とりあえず当座は凌げそうなので、これもよしとするしかないだろう。一応、釘を差して保険にしておくのも忘れないようにしておく。


「断っておくが私は庶民の育ちだ。相応の教養やら常識やらを求められても困る。その事に関しては留意してほしい」

「分かった。アーサーは私生児として扱う」


 ベディヴィアがそう言うのに、兄上とは呼ばないんだなと苦笑いをして。

 咳払いをして注意を集めたスカイランナーが、ようやく話を進ませられるという顔をしながら言った。


「爆弾だらけのチームだってのは分かったが、そんなもんに配慮してやる気は更々ねえからな? んで、今から攻略をはじめていくわけだが、基本に忠実な形でいく。ぜってぇおれの指示は守れよ。いいな?」

「了解した」

「了解」

「ん」

「………」

「……ガぁリバぁぁくぅん? 分かったかぁい? んぅ?」

「……んな嫌味ったらしく言うでねぇよ。今から追っ掛けたって、あんの臆病モンに追いつけねぇし、チビ助守ってやらにゃならんしなぁ。仕方ねぇからノロマのオメェらに合わせてやるぞぉ」

「そかそか。素直なのは良い事だぞガリバー君。んで、ローディアンは一番後ろ、おれとアーサーが真ん中、ベディヴィアとガリバーが前だ。ガリバー君? 〈迷宮〉の破壊は最小限にな? フォローはしてやっから、自分だけで突っ込むとかマジでやめろよ。他の奴らもだ。連携訓練なんざやった事もねぇ面子だがよ、馴染みのない奴とは上手く回せねぇなんて寝惚けた事は言うんじゃねえぞ。初見の味方とも最低限のパフォーマンスを発揮する、それがプロってもんだからだ。んじゃ、分かったらさっさと進むぜ。おれの言う最低限って奴で最高の仕事をしようや」

 

 スカイランナーの指揮に従い、ぎこちなく隊列を組む――なんて事はなく。特に示し合わせたわけではないのに、全員が一斉にガリバーの両肩に飛び乗った。

 巨人が「おぉう?」と声を上げて困惑する。それにアーサーは笑った。

 全員で進もうというのだ。歩幅が桁外れに大きいガリバーに乗った方がペースを合わせ易いのは自明で、その事にガリバーだけが気づいていなかったようなのである。


 ガリバーの兜の飾り房に、ローディアンが掴まって。左肩にベディヴィア、右肩にアーサーとスカイランナーが乗った。


「ガリバー号、発進せよ。隊列を組むのは戦闘時だけだ、よその道を進んでる連中に合わせにゃならんし、のんびり歩いて行こうぜ」


 スカイランナーがそう言うと、「おおぅー」と気の抜けた返事をしてムウ・ガリバーが進み出す。

 のっそのっそと、巨人が歩を進める度に揺れる中、白騎士アーサーは兜の中で微笑した。

 ここは敵地だ。戦場だ。だというのに、この緊迫感に欠けた空気はなんなのだろう。それにこの――そう。まるで自分が、物語の中に入り込んでいるかのような。これから王道の迷宮物語が始まるような。そんな印象を感じる。

 もちろん、これが現実だと分かっている。自分の境遇を照らし合わせて物語めいたものを感じるなと、そんな感覚こそが危険の種だ。即刻破棄すべき感想だと理解していた。


 故に目の前の現実にワクワクしている自分を抹殺し、冷徹な心を保ち続けねばならない。


 望んだわけではなくマーリンが勝手にした事とはいえ、自分は嘘つきになって、この世界の情勢を他人事と割り切り、自分本位な事情と願いに全てを懸けるのだ。どんな些細なミスも赦されないし、赦さない。

 アーサーは前を向く。暗く、底へ底へと続いていく迷宮を。ローディアンの形成した魔力光球に照らされながら、自らの意志を漆黒で塗り固めていこうと改めて決意する。


『果たしてそう上手くいくかな?』


 そんな主人の性根を見透かしているように、助言者は苦笑した。君は冷徹になんかなれやしないさ、と。









  †  †  †  †  †  †  †  †









「――閣下! 公爵閣下! たった今、第三十五特殊戦術機動実行中隊から、クーラー・クーラーを保護したとの報告が入りましたッ!」


 騎士鎧リビングアーマーが執務室に突撃してくるなり、喚き声に近い調子で報告してくる。

 それを聞いて、デウス・人類プロディギアリスの頂点に坐する至高の貴人、髑髏鴉ニグレドは実体のない眼球を動かし騎士鎧を一瞥した。


「よろしい。予の愚妹たるアルベド、その五体の一つはしかと奪還したのであろうな?」

「はッ! クーラー・クーラーは自らの異能、異次元門の中に白公爵閣下を匿い、我が国まで帰還したそうです!」

「……クラウ・クラウは」

「伯爵は討ち死! クーラー・クーラーが言うには彼女を帰還させるため、単身敵地に残り見事なる戦死を遂げられたとの事!」

「……分かった。やはり予の視たヴィジョンの通りになっていたか」


 無駄にやかましい騎士鎧から視線を切った髑髏鴉は、手にしていた煙管で安楽椅子の肘起きを叩く。

 苛立ちや悲嘆、予期せぬ事態への驚愕。雑多に混じり合う感情を、その一打で全て叩き潰して。その巨体をゆったりと立ち上がらせた髑髏鴉は、騎士鎧を見もせずに淡々と命じた。


「我が臣民に報せる。放送の準備をせよ」

「おお! では――」

「そうだ。三百年にも及ぶ予の大戦略、その最後のピースが揃った。クラウ・クラウの抜けた穴は大きいが、まだ修正は利く。いよいよ詰み・・に入るとしよう。予が直々に壇上に立ち、〈オペレーション:黄金のアウレア夜明けアウローラ〉の始動を宣言する」

「お、おぉぉぉ――ぉおおおお! 遂にッ! 遂にッ! この時が……! わたしはッ、わたしは今ッ、猛烈に感動を――!」

「……やかましい! さっさと行かんか!」


 感無量とはこの事とばかりに感激する騎士鎧に髑髏鴉は怒鳴りつけた。

 感じ入るものは髑髏鴉にもあるが、こうも煩く騒がれたのでは余韻に浸る事もできない。自身の側近に据えている騎士鎧だが、こうしてオーバーな感情表現をするところだけはどうにも肌に合わない。

 流石に主君の怒気を向けられたとあっては襟を正さざるを得なかったのだろう。胸の真ん中に拳を当て、踵を揃えて完璧な敬礼をした騎士鎧が反転し執務室から退出していく。その後ろ姿を見ながら髑髏鴉は嘆息した。


 ――長かった。


 ここに至るまで、どれほどの資源と人材、時間と労力を割いてきたことか。思い返すだに気が遠くなりそうだ。

 一体どれだけの同胞が骸になったか。計画も大詰めに入って以後、何度あのユーヴァンリッヒなる男に煮え湯を飲まされたか。

 強い運命力を持つ、突然変異としか思えない知恵者ユーヴァンリッヒの妨害に遭い、戦略を何度も何度も修正させられ、膨大な時間を浪費させられた時は気が狂いそうになったものだが。今となっては阻める者などどこにもいない。

 まずはユーザーを名乗る魔人共の橋頭堡、帝国と呼ばれているらしい前線の一つを突破し、帝国とやらを粉砕する。敵に弱兵はいない、苦戦は必至だろうし犠牲も出るだろう。だが四百年も続いた、永遠にも思えた戦線の膠着は崩れる。確実に崩せる。そうなれば最早、新人類の勝利は絶対になるはずだった。


 そうなるように、運命を操ってきた・・・・・・・・のだ、必然としてそうなる。


 勝てる。やっと、世界に平和を取り戻せる。一つに纏まった人類の悲願が成就され、長きに渡る戦争に終止符を打てるのである。

 髑髏鴉は日の丸のマントを翻し、膨大な魔力を昂ぶらせながら転移魔術を発動しようとする。移動先は自身の離宮、そこで英気を養うのだ。


 しかしふと、髑髏鴉は思い出す。そして転移を一旦取りやめ、執務室から完全に立ち去る寸前の騎士鎧を呼び止めた。


「待て」

「は……? なんでございましょう、偉大なる公爵閣下」


 立ち止まって綺麗な所作で振り返ってきた騎士鎧に、髑髏鴉は悩ましい事を思い出したように囁きかける。


「……キリ・エルクを予の離宮に向かわせよ。そこで予が直接命じねぱならん事がある」

「キリ・エルクですか? あの、雷人属の? 彼に一体何をお命じになられるのか、よろしければお聞かせ願えますでしょうか」


 騎士鎧の質問は出過ぎたものだ。黙って命令を実行していろと叱責するべきである。

 だが髑髏鴉は彼を叱らなかった。それというのも、彼が命じようとしている事は、髑髏鴉にとってもハッキリとしない事柄だったからだ。


「――予の視たヴィジョンの中に、旧人類の姿をした同胞がいた。その者と接触させ、保護する必要があるやもしれん。その者の名は、確か――」


 ――アルトリウス・コールマン、だったか。


 髑髏鴉は、悩ましげにその名を唱えた。







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