迷宮踏破、貴種流離譚 2





 浩蕩こうとうとした大空に天蓋はなく、吹き抜ける風に濁りはない。

 地を這うのは虫。空に舞うのは塵。果てしなく続いているかのような荒野は生きるに難く、死ぬに易い、枯れ果てた乾燥の地だ。


 ――それでも。そこは巨人種キュクロプスにとっての楽園なのだ。


 巨人種は精強な戦士の一族である。そして同時に小人種ドワーフに並ぶ鍛造魔術の使い手でもあった。

 だが何よりも瞠目すべきなのは、その巨大な体躯が発揮する怪力であろう。身体強化魔術〈新生nova〉によって膂力を強化すれば、大抵の敵対者を容易く蹴散らしてしまえる。

 概念位階を下敷きにした質量の暴力。それこそが巨人の真価であり、故に巨人種が対魔戦線へ投入されるのは必然であった。そしてそうであるからこそ、巨人種は必然の下で絶滅の危機に瀕するまでになったのである。


 言うまでもない事だ。魔族を相手取った戦争はもう四百年以上続いている。妥協など存在しない絶滅戦争の宿命として、有能で勇敢な巨人ほど早期に死んでいった。


 元々巨人種は少数民族だ。その絶対数が削られていき、天井が見えてきてしまえば、種族全体に厭戦思想が漂い始めるのもまた必然だったのだろう。彼らは軍から離れ、人里からも離れ、辺境の荒野へと隠居して巨人種だけの集落を作った。人間やドワーフ、エルフ達からは身勝手だと後ろ指を指されたが、種の存続を図るために戦場から離れる必要があるのは明白だ。

 巨人達は集落を訪ねてくる人間は例外なく追い払い、強引に軍へ連れ戻そうとするモノは叩き返してしまう。数が減りすぎて絶滅の危機に陥っていた巨人種達にとって、真に信じられるのは同胞達だけになっていたのだ。


 そうして巨人種が公の舞台から降りて、約百年の歳月が過ぎ去った。


 彼らは人間と同じく短命だ。それだけの時が過ぎ去ってしまえば戦争を知る世代も死に絶える。先祖がどれだけ言い聞かせたところで、若者達は実感として知らない戦争に幻想を持ち始め、同時に対魔戦線という『正義』の戦いと、それらに付随する絶望的な現実を知る。

 やがて戦争を知らない世代は、人類全ての生存を懸けた戦いから逃げた先祖を侮蔑し、侮り始めるようになった。そうなると一部の巨人達は自ら進んで楽園を出るようになり、外の世界を知りたい、窮屈で貧しい生活から抜け出したいと望む者も後に続くようになる。


 ムウ・ガリバーもそうした巨人の一人だ。


 だが彼の場合、自ら楽園を出た巨人達とは事情が異なっている。

 ガリバーは楽園から自発的に・・・・出たのではなく、罪を犯して追放された・・・・・罪人だったのだ。


 その罪状は――私闘による巨人王の嫡子の殺害である。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 ガリバーは思う。世界は単純に出来ているのに、みんなは難しく考え過ぎているだけなんじゃないか、と。


 戦略だの戦術だのと賢しらぶっても、敵は結果として殺すのだし、どんなに嫌な奴でも味方とは仲良くするものだ。

 家は住めればよく、服は寒さを凌げればなんでもいいだろう。武器だって頑丈で扱い易ければ種類は選ばなくてもいい。

 バルトロメウスが色々と言っていたが、この〈迷宮〉だって最終的には撤去されるのだ。〈迷宮〉のぬしであるイスなんとかも殺すし、それなら一々細かい事を気にしなくたって構わないだろう。

 大事なのは過程よりも結果で、より良い結果を出すために過程を大事にするのは分かるが、どんなに段階を踏んでも結果が変わらないなら、なるべく早く済ませた方が誰にとっても良いはずだった。


 そんな単純明快な論理に従って、巨人ガリバーは光源のない真っ暗闇を突き進む。


 ガリバーは巨人種が誇る鍛造魔術への適性を持っていない。故に一族の中では落ちこぼれに分類されていても、こと腕力に関しては無双を誇っていた。

 この腕力こそがガリバーにとって唯一の自慢で、せめてこの腕力でみんなの役に立ちたいと思ったからこそ冒険者を志したのだ。

 故にこうして〈迷宮〉の攻略に出るのは本懐であるし、やる気も充分以上に持っている。そしてガリバーが渇望する願いのためにも、絶対に活躍してやろうという気概があった。


 ムウ・ガリバーは巨人だ。その巨体に搭載された筋肉は伊達ではない。他の人種など比較にもならないほどに大きく、その質量から発揮される力は、ただの突進をも強力な攻撃に転じさせる。

 小さきモノは全て踏み潰し、蹴散らした。一層の大広間から進み、二層、三層、そして五層まで何もかもを蹂躙した。士道と魔道の双方に於いて第六の位階に在る巨人の侵攻を、止められるモノが上層にいるはずがないのだ。至って順当な戦果であると言えるだろう。

 一層の城門を破壊した時以外、一度も得物であるトマホークを振るっていない。その事実だけでガリバーという戦士が精強である証になる。

 だがガリバーの快進撃は、ついに第六層目にて阻まれる事となった。


 鬼が現れたのだ。


 身長にして六メートルはあろうかという、堂々たる戦士の威風を纏う逞しき大戦鬼バトル・オーガが。


『コォォォ……』


 第七層へ続く城門前。仁王立つ豪傑の風格を香らせる。

 角張った面構えは瓦の如く。鋼鉄の鎧兜を纏った一本角の大戦鬼は、鉄杭じみた長槍を手に、立ち止まる様子も見せず突進してくる巨人を見据えた。

 戦斧を携えた巨人の戦士が迫る。その迫力は津波に等しい圧迫感があった。だが大戦鬼は怯まない、そんな怯懦に支配されない。猛りに猛った狂熱を呼気に乗せ、静かに吐き出すその様は鬼種の勇猛さを物語っている。

 ガリバーもまたその姿を見咎めた。言語化されない無意識の領域内で、本能的に魔物の手強さを見抜くも進撃を緩めるつもりなどない。このまま深層に潜んでいるであろう、イスイヴトプスの抹殺へ漕ぎ着けるつもりでいるのだ。

 迅速なる決着こそ勇名の華。故に狙うのは一撃必殺、初撃による決殺。地響きを伴った疾走の只中で、ガリバーは駆ける速力をそのままにトマホークを振るう。豪腕無比なる戦士の一撃である。大上段から振り下ろしたそれを、防ぎ得るモノなどいないとガリバーは確信していた。


「ムゥゥゥゥウウ―――ンッッッ!」


 気合一閃。逆巻く颶風、叩きつける殺意。溢れんばかりの気迫と共に豪腕が唸り、筋肉が踊った。

 繰り出される剛力は空気の壁を薙ぎ払い、易々と音を置き去りにする。乱雑な太刀筋は無作為なる衝撃波を発した。

 相手が並の戦士であれば、反応が間に合っても防禦の上から打ち砕かれて終わるだろう。だが無論のこと、巨人に立ち塞がる鬼種は並ではない。


『ォォォッ!』


 巨人の戦意に呼応する大戦鬼。トマホークへ激突する鉄槍。鋭利な切っ先は生きているかのように唸り、巨斧の刃に接触するやそれを巻き取るように捻られ、見事にその軌道を逸らしてのける。力任せの切り返しでトマホークの刃が翻るも、それすら巧みに受け流した。


 二つの巨大な鉄の塊が幾度も激突する。凄絶な火花が暗い視界を照らした。


 妙なる技巧であった。激甚なる火花と轟音が散って、ガリバーの体勢が大きく崩れる。つんのめって前のめりに倒れそうになるのを、咄嗟に踏ん張りを利かせて堪えた。その隙を見逃さず、大戦鬼は自身の三倍近い体躯の巨人の懐に飛び込むと、肩口から突っ込み強烈な体当たりを食らわせる。

 巨人の戦士はたたらを踏んだ。兜の通気口から血反吐が飛び散る。しかし予期せぬ反撃に竦むガリバーではない。わざと速度を緩めた裏拳を振るい大戦鬼にガードさせると、腕力に物を言わせて懐から叩き出した。

 比較にもならない膂力の差で大戦鬼は吹き飛ばされるも、鉄杭で地面を削り踏みとどまる。即座に飛び出した大戦鬼の刺突が巨人を襲った。ガリバーは腕を掲げ、敢えて二の腕で槍の穂先を受け止める。槍の切っ先が食い込み、鮮血が舞った。だが強力な筋肉の圧力が傷口を収縮し、槍が引き抜かれそうになるのを阻止する。

 げに恐るべきは巨人の筋肉。それを支えるガリバーの脳筋。万力の如く槍の穂先を固定した腕の筋肉を前に、大戦鬼は槍を無理にでも引き抜こうと藻掻くも意味を成さない。ムウ・ガリバーは兜の下でくぐもった笑い声を上げた。


「離してなんかやんねぇぞぉ……!」


 人間の大人が幼児を見下ろすかのような身長差がある鬼を蹴り上げる。だが鬼は槍に見切りをつけて手を離すと、塔の如き太脚をひらりと躱した。

 ニタリと凶悪な笑みが溢れる。大戦鬼は蹴りを放った巨人の股がガラ空きなのを見るや、即座に跳躍して頭突きを食らわせたのだ。――何枚もの鉄板を折り重ねたような、錆色の一本角で。


「んッッッッッッ!? ぎぃぃいい―――ッッッ!?」


 男の象徴を串刺しにされ、さしもの強靭なる戦士も悶絶した。

 トマホークを手放して反射的に蹲り、両手で股間を抑えて声ならぬ絶叫を迸らせる。大戦鬼はそれを見て笑みを深め、ガリバーの腕に刺さったままだった長槍を掴むと、顔面を蹴り抜き様に無理矢理引き抜いた。

 吹き飛んだガリバーだが、彼とて概念位階に達した戦士である。一瞬にして男の象徴を復元し、憤怒の形相で立ち上がる。鬼からしても真人の驚異的な回復力は既知だったのだろう、瞬時に戦線復帰を果たすと確信していたが故に安易な追撃はしなかった。


 期せずして成立する一瞬の対峙。激怒する巨人と大戦鬼の視線が交錯した。


 ――〈迷宮〉で発生した魔物の類いは、その力の総量を〈迷宮〉の主によって決定される。それは逆説的に、主を超える強さは得られないという事だ。

 だがしかし、戦略目標が敵対戦力の足止めにあるとはいえ、この〈迷宮〉の主は世界型ワールド・タイプの大魔獣イスイヴトプスである。単体であっても一軍を滅ぼして余りある災厄の化身だ。

 イスイヴトプスの創造主アルベド・ブランケットが蓄え、イスイヴトプスに引き継がれた経験値データのバックアップがある。その経験値データ読み込みダウンロードを行なって生産された大戦鬼は、生まれながらにして百戦錬磨を誇る戦上手であった。

 無名の大戦鬼は腕力では巨人に劣っていても、それ以外の全ての面で上回っている。ガリバーは獣のように唸った。ミチミチ、と両腕の筋肉が膨張した。


「よぉもやっでぐれだなぁ! オラぁ怒ったど、もう泣いて謝ったって赦してやんねぇ! オメェなんか叩いて潰して三枚におろしてやらぁ!」


 大戦鬼は手強い。だが腕力では圧倒的な差がある。にも関わらず初撃を凌がれ、あまつさえ逆撃を食らわされたのは、ひとえに技倆の差が激しいがためであった。

 たった一度の攻防で、それを言語として悟れたわけではなくとも、大戦鬼が油断のならない敵だとは認識できた。激情に塗れながらガリバーは猛る。〈迷宮〉で出てきたという事は、この鬼はイスイヴトプスより弱いということ。こんな奴にてこずるわけにはいかない。


 気負うガリバー、冷徹な光を双眸に宿す大戦鬼。目線の高さに片手を上げた鬼が、ゆらりとした動作で虚空に文字を描き出す。

 ギョッとしたのは巨人である。浅薄にして愚者であるガリバーだが、それが何を意味するのかを識っていた。それは、情報集積文字。人類軍のものとは異なる魔境のルーン。つまりは――魔術だ。


 卓越した戦士であると同時に、優れた魔導師でもあるのだろう。大戦鬼は魔境由来のルーン魔術を行使して、自身の魔力を一瞬にして構築した。

 途端に顕現するのは莫大なる水量。魔力によって構成された魔の水が、瀑布の如き勢力を持ってガリバーに襲いかかった。その光景は地下にある〈迷宮〉に相応しくない黄色い濁流。毒々しき汚泥の津波だ。


「ヌゥゥアアア!」


 触れるのはマズイ。ガリバーは大きく息を吸い込むや、口腔を大きく空け気迫を轟かせる。

 咆哮。桁外れの肺活量とそれに比する声量が合わさり、物理的な衝撃波として大気を打ち据えた。

 びりびりと〈迷宮〉全体が震える。壁面、天井、地面がひび割れていく。

 大戦鬼は自身の鎧と武器、そして体の表面が咆哮の衝撃波に打たれるのを感じるも、痛痒を少しも覚えず目を眇めた。自らの行使した魔術が打ち消され、魔力の水流が消滅していくのを静かに見届けている。


 ただの〈叫び〉で水の魔術を相殺したガリバーは、若干の困惑を覚えて首を傾げた。鬼の視線が自分ではなく、後ろの方へ向けられている気がしたのである。なんだぁ? と怪訝に思い耳をそばだてると、彼の耳にも微かな剣戟音が聞き取れた。

 誰かが後方で魔物と交戦しているらしい。とはいっても表層の雑魚ばかり、足止めにもなっていないらしく、戦闘の気配はまたたく間に途絶えて加速度的に足音が近づいてきている。それと共に魔力の光球が齎す光の気配もあった。


 鬼が舌打ちした。敵の増援が来た事を悟ったのだ。ならば長居は無用、更に深層の方で多勢を整え、万全の戦力で迎撃した方が勝算は立つ。

 この巨人だけなら斃せていたものを。そう言いたげな苛立ちを込め、鉄槍で地面を叩くと踵を返す。それにガリバーは不快げに眉を顰め吠えかかった。


「に、逃げるんか!? まだ戦いは終わってねぇど! 逃げんなァ臆病モン、オラと戦えェ! 戦ってオラに殺されろォ!」


 ガリバーは自分を誇り高き戦士であると自認している。そんなガリバーは、逃げる敵を後ろから攻撃する事を忌避していた。

 故に門を開き、追撃を警戒しながら立ち去っていく鬼を追わない。

 愚かだった。ガリバーは度し難いほどに愚かだった。敵は殺すものだという意識がありながら、逃げる敵は追わないという拘りを持っているのだ。

 しかしそれでもガリバーの中に矛盾はないのである。凄い自分は誇り高い、自分は凄くて偉大な戦士なのだから、正面から堂々と戦わねばならないと誓っているのだ。


 そんな信念を持っているから、ガリバーは地団駄を踏んで鬼の退却を見過ごして。鬼は追撃してこない巨人に困惑した様子を見せつつ、重々しい音を立てて門を閉ざした。


「逃げるヤツ追っかけんのは男じゃねぇ……し、仕方ねぇ、十秒ッ! 十秒だけ待ってやる! そしたらオラがすぐに追っかけてやっからよ、今度は逃げんなよぉ!」


 斧を振り回してムウ・ガリバーがそう言うのに、鬼からの返答はない。

 なんて失礼な奴だと憤るガリバーをよそに、漸く追いついてきた者達が声を発した。


「――ムウ・ガリバー。意味不明な寝言を垂れる前に、私達に謝る事があるはず。こっちを向き頭を下げて詫びろ」


 血糊のこびりついたバルディッシュを振るい、血振りをしながら巨人へ歩み寄ったのはベディヴィア・スライシス・ゴッホである。

 公女の身分でありながら、一身上の都合で冒険者に身を落としている現在は『ベディヴィア』としか名乗っていない。そんな彼女は地面に付着した血痕を踏み締め、微かな怒気を滲ませる。

 それにガリバーは振り返った。バーゴネット兜のバイザーでその表情は隠れているものの、巨人は見るからにきょとん・・・・としている。あたかも自分を追い掛けてくる存在がいる事を、今になって思い出したかのような雰囲気だった。


「んぁ? なんだぁオメェら……こっちはオラだけでええど。オメェらは他のチビんとこに回ってやれぇ」

「………」

「オラはたった今逃げた臆病モンの鬼をぶっ潰さにゃなんねぇ。オメェらチビだから足遅いしよ、オラはオメェらと一緒にちんたら進みたかねぇど?」


 鬼の頭突きを受けた股間は復元したとはいえ、少しばかり違和感が残っているらしい。ぴち、ぴち、と軽く股を叩きながら言うガリバーにベディヴィアは閉口する。


 うら若き乙女が対峙するには、この巨人は些か下品に過ぎた。おまけに自分達をチビ呼ばわりする無礼者でもある。

 その態度の悪さがベディヴィアの硬質な美貌を硬直させ、ガリバーへの弾劾を早々に放棄させた。彼には何を言っても馬耳東風、蛙の面に水になると悟ったのだ。

 同じ隊に振り分けられた者同士、親切に応対してやる義理はあるにしろ、粗忽者へ丁寧に接してやる優しさをベディヴィアは持っていない。

 このままガリバーを放っておいたら連携も取らずに猪突猛進し、深層部に達する前に戦死してしまうと気づいても、それを教えてやる気は皆無になってしまった。むしろ一人で勝手に進ませて、露払いと肉壁にした方が有用に扱えるのではないかと、ガリバーの死を前提にした作戦を考え始めるに至る。


 真人に特有の決断の早さは、そのまま見切りの早さにも繋がる。所詮は急造の即席部隊だ、仲間意識は稀薄で互いを思い遣る心など望むべくもない。


 実力至上主義者の集まりが冒険者という存在なのだ。その実力とは何も戦闘力に限った話ではなく、柔軟な判断力や臨機応変な連携力も含まれている。

 それらを兼ね備えていない者は足手纏いというレッテルを貼られ、組合の中で干されてしまうだろう。むしろ王国内の〈迷宮〉攻略という重大な作戦に、なぜガリバーのような単細胞が紛れ込んでいるかがベディヴィアには疑問だった。


「あー……まあ待てよ、ベディヴィアさんよ」

「………」


 帝国将校の格好をした青年、陽気なるスカイランナーはベディヴィアの冷たい眼差しを見て、彼女の思考を察すると待ったをかけた。

 むざむざ同じ真人を、捨て駒として利用するのも気が引けたから――というのもある。だがそれよりも、この考えなしの巨人が出す被害の方が大きくなりそうだったからだ。


 バルトロメウスの方針では〈迷宮〉の破壊は最小限に留めて、イスイヴトプスが早期に活動を始めないようにする事になっていた。だというのにガリバーは、この第六層に至るまでで散々に通路を破壊しながら進撃していた。

 遠目に見た程度だが、現時点で大戦鬼が出てきている。それはつまりイスイヴトプスの生産力が機能し始めているという事だ。恐らく他の隊の前にも大戦鬼に並ぶ脅威が出現し始めているだろう。

 ガリバーが死ぬ分には構わないが、それまでに〈迷宮〉の破壊状況を進行させてしまえば、バルトロメウスの想定よりも早くイスイヴトプスが本格的に活動を始めかねない。イスイヴトプスは帝国の戦乙女アレクシアですら単騎では撃破できず、相性が良いとされる王国の銃騎士マーリエル級の真人でなければ打倒できないのだ。彼の大魔獣討伐には総力を結集する必要がある、本命の決戦に至るまで損害は少ない方が良い。


 公私の分別を弁えるスカイランナーは、好ましくない手段ながらもガリバーには戦死してもらう・・・・・・・事を考え始めていた。


 利用して死なせるというのがベディヴィアの考えなら。無能な働き者は利用などせず、余計な事を仕出かされる前に処分した方がいいというのがスカイランナーの考えである。

 顔に貼り付けた苦笑の裏に冷酷な思惑を押し隠しつつ、スカイランナーはムウ・ガリバーを見上げた。彼もガリバーという巨人について直接は知らないから、一応は会話を交わしてガリバーを諌める形で試す事にしたのである。

 これで言う事を聞かないようなら、彼を切り捨てる方向で隊の意志を統一するつもりだった。


「ガリバー君よ。オメェを放ったらかしにして他のとこに回れって言うけどな……生憎そういうワケにもいかねぇのよ」

「んぅ?」

「おれらはチームを組む事になってる。だってのにオメェ、作戦会議やらなんやらもせんで突っ込んで行きやがったじゃねぇか。おれらの足が遅くっても、ちったぁ足並みを揃える努力をしろっての」

「お前は〈迷宮〉を派手に壊しながら進んでる。猪だってもう少し謙虚だよ。バルトロメウスの言ってたこと、まさかもう忘れてるのか?」


 スカイランナーの指摘を引き継いで言ったのは、彼の傍らにいる小柄な魔導師だ。

 お伽噺に出てくる魔女のようなローブを羽織り、フードを被って顔を隠した彼は名をローディアンという。

 綺麗なソプラノボイスだが、どこか少年的な響きがあった。光源となる魔力の光球はローディアンによって生み出されており、彼を中心に辺りはほんのり明るくなっている。


「ちーむ……?」

「……まさか『チーム』の意味が分かってないのか?」

「ムッ! 馬鹿にすんな、分かってねぇわけねぇ! ちーむってぇのはあれだろ? 古代語のヨコモジってぇやつだろぉ! オラぁ賢いから分かんだよ!」

「……へぇ、賢いね。確かにチームは横文字だ。うんうん、賢い賢い」

「だろぉ?」


 あからさまな皮肉は侮蔑の色を帯びていたにも関わらず、ローディアンの相槌にガリバーは得意になって胸を張った。

 ベディヴィアは露骨に嘆息し、スカイランナーは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。コイツは駄目だ、と。話をしようにも馬鹿過ぎる。

 そんな彼らの遣り取りをよそに、最後尾について進んできた白騎士が口を開く。敵地という事もあって特徴的な兜を被っているが、その声音には呆れの色が滲んでいた。


「スカイランナー。話の腰を折るようで恐縮だが、私はこの場の誰とも面識がない。作戦会議をする前に自己紹介の一つでもさせてくれ。私達は仮にもチームを組んでいるのだろう。互いに何が得意で、何を不得手にしているのか把握しておくべきだ」

「お、おう。すまん、アーサー。ガリバーのアレっぷりが噂以上でな、ちょいとばかし思考停止しちまってた」


 軍帽を外し、がりがりと頭を掻いたスカイランナーは場を仕切る。

 身に纏う衣服は伊達でもなんでもなく、かつては帝国軍の士官だった男だ。バルトロメウスという上官に心酔していたが故に、彼が帝国から出奔した際に行動を共にした過去がある。

 その来歴に含まれる経験ゆえに部隊指揮もお手の物だ。戦術への造詣も深いため、バルトロメウスにはこの一団を統率する事を期待されていた。

 敬愛する上官の期待には応えねばならない。スカイランナーはアーサーの要求を聞いて、一旦場の空気を変えることにする。幸いにも自己紹介をするべきというアーサーの提案に、ベディヴィアは彼への興味から乗り気で、ローディアンも多数の意見に流されるつもりでいるようだ。ガリバーだけが嫌そうな雰囲気を出しているが、それは無視していい。


『……グダグダだね、マスター』


 主人であるアーサーへ、密やかに思念を送ったのはマーリンだ。彼女はあからさまに呆れていて、アーサーはなんとも言えない気持ちになる。

 マーリンは嘆息した。生身の体はないから気分的に。


『こうしてる間にも、魔族側は対真人ユーザー弱体術式ワクチンを完成させてるっていうのにねぇ……こんなとこでグダついてるようだと先が思いやられるよ。時代はRTAリアルタイムアタックを求めてるんだからさ、サクッと行くべきなんだよサクッと』


 聖剣の守護者の端末ダーム・デュ・ラック・マーリンの呟きは、アーサーには届かずに虚しく消えた。









  †  †  †  †  †  †  †  †









【宛先:髑髏鴉公爵閣下】


 この度『研究素体サンプル』として確保していた、真なる人類ユーザー・サピエンスを自称する魔人の解析が遂に、先日完了いたしました。

 捕虜としていた魔人は邪悪なる女神の眷属であり、それを解析する事は邪神の権能を解き明かすという事だったとはいえ、結果を出すのに三百年もの歳月を要した事は遺憾であります。

 魔人の何が恐ろしく、危険であるのか。それは今更言うまでもありません。個体ごとの差が大きいながらも、公爵閣下を弑するに至るほどのモノも複数存在しております。

 しかし魔人の恐ろしさは戦闘能力だけではありません。知能の高さは元よりその回復力の高さこそが危険極まりないのです。

 脳が無事で、魔力が保つ範囲内なら、如何なる負傷も即座に復元可能なのは驚異的と称するしかありません。その回復力は我々を大きく上回っています。この四百年間、魔人の殲滅が遅々として進まない原因の一つは、魔人の異常なまでの死ににくさ・・・・・にあると言えるほどです。


 限りなく不死身に近い回復力はどこからくるのか。どのようなメカニズムによって復元がなされるのか。我々は長年その死ににくさに対する対抗策を練ってきました。そして解析の結果判明したのは、魔人は生身の肉体を持ちながらそれに依存していない、ミーム生物・・・・・であるという事。

 ミーム。つまりはプログラム、進化する情報という概念そのものです。それが分かった時、我々は遂に魔人どもの回復力を阻害する、特効術式の開発に成功しました。

 詳細は同封してあります別紙をご覧ください。

 この術式の投入がなされた暁には、魔人どもは従来の回復力を喪失し、我らは順当に魔人を滅していけるようになるでしょう。先に散っていった我らの同胞が、無駄な犠牲などではなかったという証明のために、どうか役立てて頂けます事をお願いしたく存じます。


 繰り返しますが、魔人はミーム生物です。邪神によって情報化されたものが奴らの正体。それに干渉できるようになれば、魔人など最早恐れるに足らぬ害虫と化すでしょう。


 つきましては公爵閣下。なにとぞ研究費用を追加して頂けないでしょうか? あと給与も増額して頂けたら一同喜びに打ち震え研究の効率も上がるかな、と思わなくもありません。御一考くださいませ。

 かしこ。







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