聖剣拝領、序の段 1




 獣とは、理外の抗魔力を有する怪物である。

 紀元前に於いて獣が有する爪牙は非常に危険な脅威であり、これを狩るには多大な労を割かねばならなかった。

 時として閑散とした村落が、獣の群れによって壊滅してしまう事すらもあったのだから、その危険性はまさに推して知るべしといったところだろう。

 特に獣という分類カテゴリにおける頂点、竜種は単体で一軍を焼き払える天災そのものだ。間違っても立ち向かえる相手などではないし、竜を退治できるのは叙事詩の中の英雄だけである。現実に生きる人間は決して、竜に抗う事などできなかった。


 長い歴史の中で人という種の根源的な本能に、獣へのアレルギーに近い畏怖が植え付けられたのはそのためである。


 個として見た場合、人間は箸にも棒にも掛からない圧倒的弱者だ。群れを成したとしても、それを薙ぎ払ってしまえる竜種が世界に君臨している以上、自然界というピラミッド型の階層組織――ヒエラルキーの中に力関係の変動など起こし得ない。それは人類の祈りが救済概念〈神格〉を発生させ、時代が西暦に突入しても変わる事はなかった。


 人間を救済する超自然的な超越者の導きにより、3000年の研鑽の末に築かれるべき高度な科学技術を得るに至った人類は、それでもなお獣の脅威というものを軽く見れる域にはなく――西暦500年頃、人類は科学的発展の末に手にした兵器を手に、地上に生息していたあらゆる獣の淘汰を開始した。

 潜在的に被捕食者側に立たされている事を覚えていたからだ。自分達が捕食されないために、危険な獣を絶滅させねば安心できなかったのである。そしてその中には当然竜種も含まれていた。だが人類の科学技術でも、竜種だけはどうにもならず、故にこそ多くの〈神格〉が率先して竜種を根絶やしにした。


 一度廃れた神代が再興した現代。過去に存在した危険な獣達の痕跡はどこにも在り得ず、細胞の一片すら残っていない有様だ。故に――今現在〈獣〉と呼称される存在は、広義の意味合いに於いて純粋な獣ではないと言える。

 黄金の神王と称された〈神格〉と、黒金の大神と称された〈神格〉の二つの陣営に別れ、人類が二つに割れた時、神王と大神はそれぞれの庇護下に置いた人間達に手を加えた。神王は保護した人間達に神の力を与え、大神は支配した人間達に品種改良を施し進化させたのである。

 だがその過程で強すぎる力や、無理のある改良に耐え切れなかった者も多くいた。謂わば失敗作とでも言うべきもの。人の姿形を失い、言葉を失い、やがてそれらは四足で歩く毛むくじゃらの動物となった。そう――それこそが現在で言うところの〈獣〉である。


 しかしその失敗も無駄にはならなかった。神王はその教訓を活かして失敗した工程を洗練し、一部の人間を〈精霊〉に仕立て上げ。大神は失敗した手法をより突き詰め〈獣〉を〈竜〉の域にまで押し上げたのだ。

 現在の〈精霊〉と〈竜〉の誕生経緯とはそれである。失敗は無駄ではなかった、決して無意味などではなかった。少なくとも、神王と大神にとっては。


 そうして存在を黙殺されたのが、失敗作として放流された嘗て人間だったもの。今やただの〈獣〉として野に在る畜生である。


 獣とは、真人類ユーザー・サピエンス新人類デウス・プロディギアリスに成り損ねた元人間の事を言う。失敗作である獣如きが、成功作である人間バケモノに勝る道理などあるはずもない。

 有する膂力が違う。内包する魔力の規模が違う。およそあらゆる全てで圧倒的に人に劣っているのが獣というもの。それを本能的に獣自身も知っている故に、彼らは上位存在であるバケモノ達の生活圏には近寄らず、近くに人間がいるのが分かれば即座に逃げ出すのだ。


 醜い獣、ブルドもまた嘗てはそうだった。人間を見ただけで根源的な恐怖に駆られ、脱兎の如く逃走していたものである。


 だが、今は違う。

 違うはずだ、とブルドは思った。


 全てが変わったのは、ブルドがこのカンサスの樹海に流れ着いてからだ。カンサスでブルドは出会ったのだ――霊峰の地脈に根差す、一体の〈竜〉と。

 言うまでもなく、竜とは王だ。獣の王である。

 期せずしてカンサスの竜との邂逅を果たしたブルドは、竜の気紛れか……小指の先ほどとはいえ、力の一端を授けられた。

 竜の力によって単なるヒグマでしかなかったブルドは、魔獣と呼ばれるに足る強靭な生命に生まれ変わったのだ。今やブルドは人間バケモノ達にも負けない自信があった。

 ――降って湧いた幸運と力に酔い痴れて、驕っていたのだろう。恵んで貰った力を振り翳し、得意になって傲慢になっていたのである。


 しかし、その驕りはいとも容易く打ち崩された。


 自身に都合の良い妄想。買い与えられた玩具を自慢する幼児。得意絶頂でカンサスの獣たちを虐げ、猿山の大将でしかない己を省みる事のなかったブルドは恐れてしまった。

 ただの気当て……第五の士道位階に到達した真人が扱える〈氣〉の操作、剣気の放射のみで己を傷つけたバケモノを。

 あんな真似が出来るバケモノがいる以上、ブルドは一山いくらの獣に過ぎない。人間にとって獣は雑魚に過ぎない事をブルドは思い出してしまった。

 こんなはずはない、自分は進化したのだ。もはや竜や神を除き、何者も恐れる必要のない存在に進化を果たしたはずなのである。

 至弱の畜生より、至強の大魔獣へ進化したと自負していたブルドは、己が懐いた畏怖と戦慄を全力で否定する。認められるはずがない、惨めで矮小な獣に立ち返らされる事態など有り得てはならない。


 しかしブルドは、自らの知恵と力によって強さを獲得するという発想を持っていなかった。


 彼は肥大した自尊心を持て余す獣である。自発的な自己改革など望むべくもない。人間に準ずる高い知能を有するが故に、敢えて苦難に挑むような真似は好まず、楽な方へ流れてしまう弱者の性質をも有してしまっていたのだ。

 誰しもが試練に立ち向かえる訳ではない。ましてや今の力は借り物のそれ。楽して力を得た事に味をしめてしまった獣畜生は思ってしまうのだ。一度力を貰えたのだから、もう一度力を貰ってもいいではないか、と。


 ブルドは卑しく顔面を歪め、霊山にある無数の霊洞の一つへとひた駆けた。其処こそが、竜の住処に繋がる一本道であると知っていたが故に。

 もっと力を。

 卑しい獣の頭にあるのは、力への浅ましい渇望のみであった。









   †  †  †  †  †  †  †  †









 気取られないほど細く――深く息を吸い――吐いた。そうして接近してきた敵勢を見渡す。


 今のアーサーでは測る事すらできない、途方もなく大きな何か・・に悪戯されたせいで、アーサーの張っていた〈幻術〉の膜が剥がれて扶桑の姿まで暴かれてしまっている。非常に面白くない場面での敵襲には、どこか物語めいた都合の良さがあるかのようだ。

 これが本当に物語であるなら、さしづめ今の自分はヒロインを襲う脅威へと立ち向かうヒーローといったところか。しかし残念ながらアーサーはヒーローなどではない。数の暴力を前に一か八かの蛮勇を発揮し、遮二無二に勝機を手繰り寄せようだなんて考えもしなかった。

 現実的な計算をし、確かな勝算を立てて実行する性格である。勝てると見なければ、一時の苦渋を嘗める事も平気で是とするのだ。最後に勝てるなら戦略的撤退なんて苦しくもない。

 勝てるか? そう自問し、瞬時に否の答えを算出する。故に特異な背格好の男たちが、アーサー越しに扶桑を認めると頷き合い、邪魔者であるアーサーを始末しようと殺気を漲らせても平静を保てた。


「……剣呑だね、どうも」


 誰何はなく、最小限の駆け引きもなしに、簡明直截に害を為さんとしてくる相手を見て独りごちる。


 現在の状況から抽出できる情報は、以下の二点。〈瞳の御子〉が今日という日に、カンサスにやって来るのを知っていたらしい事。扶桑が〈瞳の御子〉である事を知っており、彼女の身柄を目的としている事。でなければ彼らがアーサーたちを襲う理由なんてない。

 彼らが伊勢守朝孝らの仲間であるなら、元々扶桑の属していた組織という事もあり、まだしも諦めもつこうというものだが……残念ながらそういうわけにもいかないらしい。

 何せ彼らは人間ではなかった、容姿からして人間離れしている。千景たちとはなんの関わり合いもない連中であるのは自明だ。


 発掘闘技都市グラスゴーフで相見えたクーラー・クーラーと同じ氷人、クラウ・クラウと同じ炎人など、アーサーの知る魔族の特徴を有した男女が十人以上もいる。彼らが魔族側の存在である事を加味すれば、真人類側の人種であるアーサーとの敵対は避けられない。

 激突は必至だが、言うまでもなく望ましくない事態だ。アーサーは単騎であり、武装も鉄棍が一本のみ。自己保全のために設けた縛りがある故に魔力量も万全ではない。彼らが一人ならどうとでもできる、だが些か数に差があり過ぎた。言ってみれば多勢に無勢、衆寡敵せず。まともにやり合えば敗着が目に見えている。もっと言えば嫌な感じ・・・・のする魔族も一人いた。


 切り揃えた白髪を逆立たせた、アーモンド型の目と濃褐色ブラウンの瞳を持つ長身の青年。病的に白い肌は蝋のようで、吸血鬼の如く生気に欠いている。彼は身に纏う黒い外套コートの裾をはたいて埃を落とすと、紫紺の鞘に納めた日本刀の柄に右手を添え、炯々とした眼光で鋭くアーサーを睨んだ。

 アーサーと同年代にも見えるその青年は、どうやら彼らの中で統率者の立場にいるらしい。他の魔族たちは青年からの指示を待つかの如く、戦闘態勢を保持したまま動かないでいる。


 自分を助けてくれる味方がいない以上、まともに戦ってはならない。何せ扶桑の戦闘力は不明だ。以前この手で殺めた〈鏃の御子〉の力を見るに、それと同列の力を保有していると仮定した場合は、必ずしも無力であるとは限らないが、彼女自身に自衛能力がある保証はどこにもない。

 〈鏃の御子〉は明らかに固定砲台として運用されており、彼自身は単なる子供でしかなかった。〈瞳の御子〉である彼女もまた、一極化した用途しかない可能性がある。それに彼女に戦う力があるなら、千景と交戦した際になんらかの援護をしてくれたはずだ。そうした戦闘支援がなかった以上、扶桑に戦力を期待するのは間違っているだろう。


 さて、どうしたものかとアーサーが思案していると、おもむろに白髪の青年が口を開いた。


「遠目から判ずるに、魔人だと断じていたが……」

「………?」

「姿形で誤解するところだった。貴様、俺たちの同胞だろう。こんなところで何をしている」


 おやとアーサーは眉を跳ねた。問答無用に仕掛けられるとばかり思い込んでいただけに、彼の方から時間稼ぎに使える会話を求められたのは意外だった。

 それに、同胞だと? 肉体という器はさておき、中身は異世界人である。その特殊な来歴故に魔族への隔意はないが、アーサーは肉体的には真人類だ。彼らの同胞になった覚えもない。

 言っている事の意味が不明だ。が、現状を打破する手立てを考えるために、青年の問いへ応じる裏で思慮を巡らせる。


「何を、とは漠然とした言い草だな。私がどこで何をしていようと、私の勝手というものだろう」

「勝手?」


 こちらの返しが気に入らなかったらしい。あからさまに不快を示し、目つきを悪くする。そしてそれは彼の部下と思しき魔族たちにも共通していた。

 勝手を許さない、規律の強い集団らしい。彼らの反応から自らの立ち居振る舞いの最適解を模索しつつ、高速で思考回路を廻して分析を進める。

 魔族であるこの集団は、問答無用といった様子ではなくなっていた。指揮官らしき青年がアーサーを同胞と認めた事で、唐突に殺気がなくなったのだ。戦闘態勢もほぼ解かれている。

 マーリエルとクーラー・クーラーの戦闘に居合わせた経験と、知識の上でしか知らないが――互いの陣営が不倶戴天の仇敵である事を照らし合わせるに、彼らが真人類であるアーサーを殺そうとしないのは不自然だ。


 刀を持った青年は、この身を同胞と言った。つまりどういうわけか、肉体的には真人類であるアーサーが魔族に同類と思われたという事。外見で判断していたが、アーサーの何かを察知して判定を覆した事が分かる。

 どこを見て、何を感じて、彼らはアーサーを魔族――新人類であると判断したのだろう。魔力の性質やらで解るなら、アーサーがグラスゴーフにいた際に魔族と断じられ処刑されていたはずだ。そも仮にグラスゴーフにいた人間の目が全て節穴だったとしても、クーラー・クーラーが気づかない道理はないはずである。青年がアーサーを同胞と言った事に筋が通らないだろう。

 虚言を弄してこちらを油断させ、隙を見て攻撃してくるつもりなのか? だがそんな底の浅い手を打ってくるだろうか? 他の魔族たちは最初、青年が口を開くまで殺気を漲らせていた点から見て、青年だけが特別に感知力に優れているのか? 仮にそうだとしたら、何を感じ取ったというのだろう。


 魔力や容姿でないなら……中身たましいか? そこにしか可能性を見い出せないが、それを確たる物と認められる根拠がない。


「カンサスは聖地だ。赦しなく立ち入れば、死を賜るだけでは済まされない。不心得な物言いはやめるんだな、寿命を縮めたくはあるまい」

「……ああ。我ながらつまらない冗談だった。不快にさせたのなら謝ろう。どうやら柄にもなく、彼女を捕らえるのに成功したせいで興奮していたらしい」


 言葉を交わす裏でアーサーは必死に考えを纏める。これは勘だが、彼らは本当にアーサーを味方と思い込んでいるようだ。ならそれを利用しない手はないが、利用するにしてもどうすればいいのだろう。

 クレバーな判断を要する。感情を切り離して合理的に動き、確かな計算の下に行動指針を立てなければならない。

 折角仲間だと誤認されているのだ、敵対的な態度を見せるべきではない。武装の乏しさ、残存する魔力量、数の差と実力の差。それらを総括して、冷徹な策を練る。


 すると、電撃が脳裏に奔った。


 保有する異質特性〈天稟増幅グロウス・ブーステッド〉により、あらゆる性能が二乗化しているアーサーの知性が、悪魔的な作戦を閃かせたのだ。

 口から飛び出したのは、魔族に迎合するかの如きなりすまし・・・・・の台詞。彼らがなぜ、アーサーを新人類デウス・プロディギアリスだと誤認したかについては不明瞭だが、その誤解をわざわざ解く理由はなかった。


「私はランスロット・デュ・ラック。先祖代々極秘裏に、〈常人類ヒューマン・デブリ〉を監視する任を帯びてきた」


 咄嗟に捻り出した偽名に苦笑いを漏らしかけたが、ぐっと堪えて生真面目な表情を作った。

 案の定、青年は訝しげである。常人類なんて旧時代の遺物、彼らにとっては塵芥に等しい。現に納得ができていない様子だ。


「デュ・ラック? 聞いた事のない名だが……それに劣等どもの監視だと?」

「ああ。お偉方の思惑など知らないが、やれと言われた以上は是非もない。奴らの種が絶えるその時まで、私の一族はカンサスから離れる事はなく……そして任を終えた後は、然るべき始末を受けるだろう」


 でまかせだが、言い逃れられる。その確信がアーサーにはあった。

 根拠は薄いが自身の勘働きに不安はない。嫌な予感がないのだ、どうとでもできる。大事なのは、彼らの空気感に合わせる事だ。


「フン、なるほどな。死を前提とした使命を帯びているという事は、貴様の祖先は大罪を犯した度し難い罪人なのだろう。旧人類などにかかずらわされた挙げ句、死を対価に寄越されるとは哀れではあるよ。で、そんな貴様がなぜ、魔人共の巫女を奪った?」


(――彼らの価値観や基準からすると、私は罪人の子孫という事になるのか。そして案の定、麓の集落にいる人たちは見下されている、と。こんな曖昧な、あからさまに誤魔化しに掛かっているのに詮索がないという事は、それだけ私が言った『お偉方』への信頼が厚い……いや違うな、人間と魔族の対立が解消不能な以上、彼が私を魔族だと認識しているから疑う必要がないと思っている……仮にどんな事情があっても、私が扶桑を確保したという実績があるから、事実関係はどうでもいいとも思っているんだろう)


 要するに魔族たちはどうあっても、どう誤魔化しても、扶桑の身柄を確保する事を諦めないし妥協しないというわけだ。

 青年の問いに一拍の間を空けて、アーサーは答える。できるだけふてぶてしく、図太い表情を作って。


「顔も知らない先祖の犯した咎で、子孫である私まで償わされるなどまっぴら御免だからだ。お偉方の決定に歯向かう気概はないにしろ、なにがしかの功績を立て免罪を願い出たいと常々思っていてね……そこへ何やら慌ただしい様子の同胞が来たじゃあないか。これは何かあると探ってみると案の定、魔人が来ていた。後生大事そうに巫女などを連れてな」

「故に巫女を攫い、情報を吐かせて事態を把握しようとしていたという訳か」

「その通り」


 と、いう事にしておく。扶桑の事情に冠する情報は知り得ているから、辻褄を合わせるのは然程難しくない。彼らに警戒心があったら難易度は上がるだろうが、同胞と認識する相手には警戒が薄くなる傾向にあるらしいため誤魔化せる。

 青年は冷笑した。


「無駄な努力だな。何があろうと、聖地に足を踏み入れた以上は死を賜るしかない。貴様がどれだけの大功を挙げようと」

「……? その物言い……まるでお前たちも死ぬと言っているように聞こえるが……」

「当たり前だろう。俺もまた使命を帯びて聖地に踏み込んだが、その使命を果たした後は罰せられる。結末は定まっているのさ。これを覆せるのは大神のみだよ」


 こともなげに告げられた台詞にアーサーは内心うんざりする。なるほど、ダンクワースの同類……狂人の類らしい。

 この手の男と意思疎通し、交渉の落としどころを探るのは無駄というもの。それは元の世界の歴史が証明している。


「なるほど……もしかすると恩赦を期待できるかもしれないと思っていたが、甘かったようだ」

「ああ、残念だったな。それで、本題に入ろう。お前の使命にその巫女は必要ない。俺に引き渡せ」

「………」


 ちらりと扶桑を一瞥すると、とうの扶桑は透明な眼差しで見返してきた。怯えもなければ不安もない、しかし出処の定かでない信頼と信用を向けてくる。

 ふ、と吐息を溢して、アーサーは彼女の腕を掴んだ。

 そして青年の方へ引っ張りながら、彼女に耳打ちする。


 ――私を信じろ。必ず助ける。


 扶桑の表情は変わらない。しかし仄かに微笑んだ気がした。

 ただ、元の世界で世話になる予定だった、ホームステイ先の家の少女。その少女との同位存在であるかもしれないというだけで、こうも肩入れしてしまう自分に可笑しさを感じはしても――そこに命を懸ける理由としては充分だと、アーサーは信じた。

 だって、この世界には自分にとって大切なものがない。なら、少しでも理由に成り得るモノがあるなら、そこに情を傾けてもいいはずだ。


 扶桑を捕まえた魔族に、密かな孤独を覚えていた青年は言う。


「儀式の手順は識っているな? 彼女を五体満足で霊山の山頂に連れて行かねばならないぞ」

「無論、識っている」

「本当にそうかな?」


 魔族の青年が応じるのに対して、念を押す。あんまり早くに山頂へ向かわれたのでは策を打つ間を作れない。故に虚偽の――もしかすると本当かもしれない推測を、あたかも事実であるかのように伝えた。


「巫女を連れて出向く際、高速で移動するのは厳禁だ。転移も禁止されているぞ」

「……なに?」

「訳は訊くな。奴らの神が定めた法だ。これを破れば儀式は成らない」

「……それは、この巫女から聞き出したのか?」

「そうだ。自我の発達が未成熟なせいか、敵と味方の区別がつかないらしい。聞けば素直に教えてくれたよ」

「……なるほど。元より生贄にされるのが定まった存在らしいからな。下手に知恵をつけて抵抗されるのも面倒だというわけか。フン、野蛮な魔人らしい手口だが、それが裏目に出たというわけだ」


 青年は敵対者をせせら笑い、それからアーサーに向けて言った。


「情報、感謝する。俺はキリ・エルク、彼岸に旅立った後にまた会おう。ランスロット……貴様とは気が合いそうだ」

「ああ、また会おう。尤も、再会は早くなりそうだ・・・・・・・・・・が」


 諧謔を口にしたふうを装う裏で、決意を秘めた予告を伝える。

 そう、すぐに再会する。次は敵として。扶桑を取り戻すために。

 今は戦わない。戦いのイニシアチブを握れない状況で、一か八かなんて不利な戦いは挑めない故に。

 やるからには確実に、確かな勝算を練り上げた上でアーサーは彼らを出し抜く。絶対に、だ。


 キリ・エルクと名乗った青年が、扶桑の額を小突く。すると彼女は電源が切れた人形のように倒れ、それを支える事なく部下へ投げつけた。

 意識を失う寸前、キリ・エルクは魔力を伴わない電撃を発していた。魔族は魔術の他に、自らの生態に由来する特性を有する。これに魔力はほとんど介在しないらしいから、彼は電気に関連する生態を有する種族らしい事が分かる。それを記憶の隅に留めた。


 彼は最後にアーサーに向け、微かに柔和な笑みを浮かべると、部下たちを従えて霊山へと歩き出した。

 アーサーの横を通り抜けていく魔族たち。それを横目にしながら、意識は既に扶桑の奪還に向けた手順、作戦に傾いていた。密やかに呟く。


「二虎競食の計……横山三国志、読んでいて良かったよ」


 戦力に不安があるなら、戦力を増やす。元よりアーサーは第三者なのだ、当事者たちになんとかしてもらおう。

 脳裏に浮かべるのは、豊葦原国の侍たち。

 織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川……その徳川の役を、アーサーが掴めばいいのだ。




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