エピローグ「時の狭間で時を待て」



 


 まるで………いいや、まさに・・・だ。そこはまさに、戦場跡地だった。

 見渡す限りの焼け野原は無残なもの。広大とは言えず、豊かだったとは口が裂けても言えないが、しかし確かにあったはずの田畑も他の例に漏れず焼滅している。

 不毛に近しい大地と格闘し、心血を注いで作物を実らせてきた田畑は砲弾の雨にたがやされ。以前まであったはずの村の営みは、面影すら残さず蹂躙され尽くしていた。


「………」


 辺りの気温は不自然なまでに低い。氷細工の破片や武装した兵士の骸、多種多様な魔物の死骸が至る所に転がっていた。そして持ち主が死亡し手放された刀剣類も散見される。

 濃密な魔力の残滓が空気を汚染し、暗色の濃霧が立ち込めて辺りを薄暗くさせていて。積み上がる千の死が醸す、一帯の惨たらしい光景はもはや地獄と称する他にないだろう。

 連綿と紡がれてきた人々の足跡、その名残など、どの風景を切り取って見ても一切見当たらない。戦争の舞台にされたのだ、これは至極当然の落着である。むしろ何かが残っているかもしれないなんて、淡い期待を抱く方が間違いであった。


 少年はそんな中に立ち尽くしている。


 此処に立ち入る前はまだ真昼だったが。間もなく夜の先触れとして夕闇が訪れてくる。何をするでもなしに、電池の切れたロボットの如く呆然としている様は、あたかも人混みの中で親とはぐれ、何をしたらいいか分からず途方に暮れる幼子のよう

 この村で戦いがあった。そんな事は言われるまでもなく分かっている。航空戦艦はおろか、女の魔族の姿もないという事は追撃は続いているものと推測できた。

 だがそんな事はどうでもいい。欠片たりとも興味がない。その戦争が如何なる因に発したもので、なぜこんな結果を招いたのかなんて………そんな懐疑に価値などありはしない。

 どうでもいい――――少年の胸中に鎮座する想いなんてそんなもの。その戦争にどれだけの資源と労力が費やされ、どれほどの人が命を落とし、絶え間なく続く絶滅戦争へどれだけの人が命を懸けているのかだなんて、そんなものは所詮他人事でしかない。僕の知らない所で勝手にやっていろと、戦争の存在そのものを認知する気さえない究極の無関心があるだけだ。


 大事なのは場所だ。留意すべきなのは選ばれてしまった舞台だ。


 此処はウェーバー村、ユーヴァンリッヒ伯爵の治めるエディンバーフ領の片田舎。

 少年の故郷だ。だが少年にはこの村で過ごした思い出なんて一つもない。だからウェーバー村の末路すら他人事のように感じているのに、少年は足場が崩れ去ったような途方もない虚脱感に襲われていた。

 心が乖離している。二つに割れている。思考が空白となった心と、あくまで冷静なままの心へ。

 冷静な自我は考察する。――――やっと分かった。アルドヘルムがこの村を切り捨てたのは、緩やかな滅びを待つだけの村から人的資源を回収し、有効活用する為だけではなかったんだ。本命はここを戦場にする事。あの男は魔族の侵入を予測、警戒し、高い確率で脅威が迫る事を懸念したから、魔族の逃走経路になるだろう地点に多数の罠を設置して、追撃の際に有利な戦いを行おうとしたんだろう。


 少年は漠然とだが確信していた。あの悪魔のような男に計算違いは有り得ない。正しく事態が推移すれば、ウェーバー村跡地で魔族を捕殺出来ていたはずだ。

 そうはならず未だに追撃を行なっているという事は、現場でなんらかの致命的なミスが発生したのだろう。あの男が満点の答案を出しても、他が足を引っ張り学級の平均点を落としたようなものだ。結果点数が合格ラインを下回った。

 少年はなんとなしに辺りを見て回る。心の半分が自失しているのに動けるようになったのは、皮肉にもアルドヘルムに掛けられた魔術の縛りのおかげだった。

 意味があるでも、意義があるでもない。ただ変わり果てた故郷の名残を、どこかに見つけたいと思ったのかもしれない。空虚な心ものろのろと再起動していく。

 だがどれほど歩いてもあるのは人間と魔物の死体ばかりだ。どれも鬼気迫る顔をしていて、死んだ後でさえ敵を殺そうとしているかのようである。そしてふと、少年は見覚えのあるゴブリンを見つけた。ゴブリンの顔なんて区別はつかないが、それには分かりやすい特徴があったのである。


 いつぞやダンジョンで遭遇し、逃したゴブリン。腕に傷をつけ、少年に見せつけ俺を覚えていろと報復を誓っていた個体。


 元のちんけなゴブリンではなく、真人でなければ容易くは斃せないゴブリン・ブレイブへ進化していたが、少年にはこの傷を持つゴブリンがあの時の個体だと察せてしまった。単に同じ箇所に負傷した可能性を排除する、天啓に似た直感で。

 “ゴブリン”と人類から蔑まれるニンゲンは復讐を成せず、それどころか復讐相手の知らない所で勝手に死んでいた。それにどうしてか、少年はひどく残念な気持ちになった。


「君が生きていたら………殺されてやるのも悪くないと思っていた。それが、よりにもよって私の村で死んでいるなんてね」


 とんだアイロニーだ。少年は自らに向けて冷笑する。やる事がなくなったからもう死んでもいいなんて………安い自暴自棄に陥っている己を嘲笑ったのである。

 “復讐は何も生まない”なんて偽善ですらない戯言だし、復讐はやってよかったと今でも心の底から思っている。後悔なんてひと摘みほども存在しない。

 しかし人生の至上命題に据えてしまっていたものがなくなると、こうも何もかもに未練がなくなるとは思ってもみなかった。

 思えば父ユーサーは、息子の心が壊れないように、復讐という強烈な目的意識を持たせようとしたのだろう。長い年月をかければその最中にやりたい事とかも見つかって、復讐を遂げたとしても心の均衡は保たれるはずだと思ったのかもしれない。それがこんなにも早く復讐が終わるなんて、考えもしなかったはずだ。


 真意は分からない。故人は何も答えてくれないから。だがそう推察するとあの人らしいと思える。


「父さん………母さん………私はこれから、何をしたらいいのだろうね」


 鎧兜で身を包んだ体。無人の闘技場に一度戻り、割り振られていた部屋からヴァイオリンを盗み出してきたのは、父にこれを続けてほしいと死に際に望まれてしまったからだ。

 本当なら元の世界に帰りたい――――と思うべきだ。しかしそのための手段の模索も、現時点ではあてになるものは皆無である。他にやる事も、できる事もない。魔力は万能のエネルギーだから、専用の器具がなくてもヴァイオリンの調律は可能だろう。とりあえずはブランクを解消して、のんべんだらりと演奏の腕を上げてみようかと思った。


 少年はウェーバー村を後にする。契約に縛られ、“コールマン”を名乗れなくなった少年は、ひたすら北東を目指して歩を進めていく。その先に何が待ち受けるのかなんて、まるで気にする事もないままに。









    †  †  †  †  †  †  †  †









 万象の源たる“霊洞”を無数に有する霊峰、その麓に一つの集落があった。


 過去の遺物と成り果てていた神話が息を吹き返し、神代が再び勃興した事で発生した時流。それによって変遷していった時代の波に乗り遅れ、新人類デウス・プロディギアリス真人類ユーザー・サピエンスのどちらにも成れなかった者達。

 正しい意味での旧時代の遺物。神の加護を授けられなかった普通の人間。名付けるなら常人類ヒューマン・デブリとでも言うべき数少ない人間の寄り合い所帯が、そこにはあったのだ。


 豊か過ぎるほどの生命力に溢れた霊峰。その恩恵を受ける麓では、最低限度の農作業をしているだけで食べていける実りがある。

 この地を離れれば常人類は生きてはいけない。新人類と真人類の勢力圏は、彼らにとって地獄と同じ。そもそも大気に満ちる魔力が濃密に過ぎ、呼吸すらままならないだろう。

 故に彼らはここでしか生きられない。どこにも行けず、朽ち果てるようにほそぼそと生きていくしかなかった。必然彼らは次第に気力を失くし、閉鎖的なコミュニティーが形成され、目の奥にある光を淀ませて生きていた。


 生きていたのだ。別の言い方をするなら、生きているだけ・・とも言える。謂わば植物のような、病的なまでに動きのない日々に身を置いているのである。


 そんな集落に、ある日変化があった。かつてはあったであろう名前も忘れられた、名もなき集落。そこに一人の少年が訪ねてきたのである。

 旅塵に塗れ、垢で汚れ、草臥れた末に憔悴していた少年はアルトリウスと名乗った。

 長くはなく、しかし短くもない時を、事前知識もなしに流離さすらったらこうもなろうという風体だ。むしろ生きてここまで辿り着けただけで、驚嘆すべき幸運と生命力だと言えるだろう。


 常人類は、未知を忌避しない。余所者だからと排斥しない。


 興味がないのだ。どうでもいいのである。

 他人をどうこうしてやろうという気力もない。

 しかし本能的に二つのシン人類バケモノ達には恐怖を懐いてしまうものだ。

 生物としての格の違いは絶望的で、知力や体力の双方で絶対に埋められない差があるからである。


 アルトリウスは真人類だ。本当なら恐れられるだろう。早く出て行けと声なき声で訴えられるはずだ。

 だが、そうはならなかった。

 なんとなく流れ着き、なんとなく集落の隅へと住み着いた少年は――――自分達の同類・・・・・・であると、直感的に理解したからである。

 曖昧模糊として漠然とした感覚だが、常人類のみならず、全てのジンルイは隠蔽されない限りその手の感覚を読み誤らない。それは人間の肌の色で人種を間違わないのと同じ事だ。


 草木のように静かに、名もない集落の人々はアルトリウスを受け入れた。


 そして何もせず、真綿に包まれるように変化のない日々を再び送り出す。今までがそうであったから、これからもそうして生きていく。小さなコミュニティーに取り込んだ異物をそのままに。

 ただ。

 高台に位置する木造の家から、聞いたことのない不思議な音の調べが時折り集落に響き渡るようになった。それだけが、常人類の人々にとっての明らかな変化であった。

 その音の羅列は美しい。彼らの乾き果てた心に染み込んでいく。


 いつしかその音の羅列に耳を傾ける事だけが、彼らの生きる糧となっていた。


 ――――それから数年の月日が流れる。枯れた少年は輪郭のない心を胸に、透明な日々を送る事になるのだ。


 運命がアルトリウスを捕まえるその時まで。

 止まっているかのように静かな日々が、終わりを告げるその日まで。

 少年は激動していく時代の流れから、明確に外れていた。





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